地下足袋
手甲
脚半
問者
「さて八つ目の草鞋とは。」
さてやつめのわらじとは。
答者
「八葉の蓮台を踏むの心なり。」
はちようのれんだいをふむのこころなり。
問者
「先程よりのお答へ一一疑ひなし、然らばお通り候へ。」
さきほどよりのおこたへいちいちうたがひなし、しからばおとうりそうらへ。
地下足袋
手甲
脚半
問者
「さて八つ目の草鞋とは。」
さてやつめのわらじとは。
答者
「八葉の蓮台を踏むの心なり。」
はちようのれんだいをふむのこころなり。
問者
「先程よりのお答へ一一疑ひなし、然らばお通り候へ。」
さきほどよりのおこたへいちいちうたがひなし、しからばおとうりそうらへ。
問者
「斑蓋の義如何。」
はんがいのぎいかん。
答者
「是れ佛頂荘厳の天蓋にして慈悲覆護の形相なり、周圍の五尺は五智円満、大日法身の義、頂上の八葉は母胎八分の肉蓮即ち生佛一如の理を顕すなり。」
これぶっちょうしょうごんのてんがいにしてじひふくごのきょうそうなり、しゅういのごしゃくはごちえんまん、だいにちほっしんのぎ、ちょうじょうのはちようはぼたいはちぶんのにくれんすなわちしょうぶついちにょのりをあらわすなり。
問者
「左手にもちたる最多角念珠の義は如何に。」
ひだりてにもちたるいらたかねんじゅのぎはいかに。
答者
「最多角念珠とは修験専用のものにして、是れ實相眞如の宝珠なり、百八の珠は百八煩悩を表はし、之れを磨転するときは百八尊の佛となる、是れ即ち煩悩即菩提の義にして角多きが故に最多角と名づく。」
いらたかねんじゅとはしゅげんせんようのものにして、これじっそうしんにょのほうしゅなり、ひゃくはちのたまはひゃくはちぼんのうをあらはし、これをまてんするときはひゃくはちそんのほとけとなる、これすなわちぼんのうそくぼだいのぎにしてかどおおきがゆえにいらたかとなずく。
問者
「引敷の義如何。」
ひっしきのぎいかん。
答者
「引敷とは修験所用の座具にして獅子乗を顕し、無明を断じて法性直道に歸せしむ、これ即ち明暗一体の標示にして、凡聖不二の内證なり。」
ひっしきとはしゅげんしょようのざぐにしてししじょうをあらわし、むみょうをだんじてほっしょうじきどうにきせしむ、これすなわちみょうあんいったいのひょうじにしてぼんじょうふじのないしょうなり。
問者
「金剛杖の義は如何に。」
こんごうずえのぎはいかに。
答者
「金剛杖とは度衆の所持する杖にして、独鈷杵の義なり、度衆は金剛を持つが故に金剛杖と名づく、これ即ち、金胎不二の塔婆にして神變大菩薩の三味形なり。」
こんごうずえとはどしゅうのしょじするつえにして、とっこいしょのぎなり、どしゅうはこんごうをもつがゆえにこんごうずえとなづく。これすなわちこんたいふじのとうばにしてじんべんだいぼさつのさまやぎょうなり。
問者
「錫杖の義は如何に。」
しゃくじょうのぎはいかに。
答者
「錫杖とは一法界の総体、衆生覺道の智杖なり、これに三種の別あり、四輪は四諦を表する聲聞の錫杖、十二輪は十二因縁を表する縁覺の錫杖、六輪は六度を表する菩薩の錫杖なり、然れば即ち錫杖の妙音により三界六道、受苦衆生の迷夢を覺し、罪障を消滅して速かに菩提の妙果を得せしむるの義なり。」
しゃくじょうとはいちほうかいのそうたい、しゅじょうかくどうのちじょうなり、これにさんしゅのべつあり、しりんはしたいをひょうするしょうもんのしゃくじょう、じゅうにりんはじゅうにいんねんをひょうするえんがくのしゃくじょう、ろくりんはろくどをひょうするぼさつのしゃくじょうなり、しかればすなわちしゃくじょうのみょうおんによりさんがいろくどう、じゅくしゅじょうのめいむをさまし、ざいしょうをしょうめつしてすみやかにぼだいのみょうかをえせしむるのぎなり。
問者
「肩にかけたる結袈裟の義は。」
かたにかけたるゆいげさのぎは。
答者
「是れ即ち修験専用の袈裟にして、九條袈裟を折畳みたるものなり。九條は九界を表じ、行者は佛界なるが故に十界一如慈悲忍辱、佛性不変の表示なり。又その形ち山の字を結びたる三股は三身即一の深義にして、六総なるは六波羅密の聖位を顕わすものなり。」
これすなわちしゅげんせんようのけさにして、くじょうげさをおりたたみたるものなり。くじょうはくかいをひょうじ、ぎょうじゃはぶっかいなるがゆえにじゅっかいいちにょ、じひにんにく、ぶっしょうふへんのひょうじなり。またそのかたちやまのじをむすびたるみつまたはさんじんそくいちのしんぎにして、むつぶさなるはろっぱらみつのしょういをあらわすものなり。
問者
「採燈大護摩供の義は。」
さいとうだいごまくのぎは。
答者
「採燈大護摩供とは古来入峰に先だち四方を結界し不動明王の三昧に住し毒龍悪鬼を退治し入峰円満を祈願したるに始まり、東方阿閦の木、西方弥陀の金を以って中央大日の大地に切り積み南方宝生菩提の智火を放って煩悩の薪を焼き盡し北方釋迦の水を酒いで之を消滅し諸佛諸天を供養し以って各願円満を祈願するの義にて候。」
さいとうだいごまくとはこらいにゅうぶにさきだちしほうをけっかいしふどうみょうおうのさんまいにじゅうしどくりゅうあっきをたいじしにゅうぶえんまんをきがんしたるにはじまり、とうぼうあしゅくのき、さいほうみだのかねをもってちゅうわうだいにちのだいちにきりつみなんぽうほうしょうぼだいのちかをはなってぼんのうのたきぎをやきつくしほっぽうしゃかのみずをそそいでこれをしょうめつししょぶつしょてんをくようしもってかくがんえんまんをきがんするのぎにてそうろう。
総本山三井寺 智證大師円珍 様
問者
「三井修験の起源は如何に。」
みいしゅげんのきげんはいかに。
答者
「抑々我が宗祖智證大師円珍日本天台の蘊奥を極め給うや承和十二年御年三十二歳にして高祖役の行者の芳躅を慕い大峰葛城の嶮を攀じ、熊野三山の深邃に分け入り那智の瀧に一千日の参籠苦行をなし給い、縁起相傳の行儀を享け修験道を継承復興し、天台寺門と修験道との結合即ち三道融会の宗風を樹てられたるに始る其の後増誉、行尊等傳統の門葉、名僧、智識陸続として現れ本山修験今日の隆盛を見るに至りたるものなり。」
そもそもわがしゅうそちしょうだいしえんちんにっぽんてんだいのうんおうをきわめたもうやじょうわじゅうにねんおんとしさんじゅうにさいにしてこうそえんのぎょうじゃのほうしょくをしたいおおみねかつらぎのけんをよじ、くまのさんざんのしんすいにわけいりなちのたきにいっせんにちのさんろうくぎょうをなしたまい、えんぎそうでんのぎょうぎをうけしゅげんどうをけいしょうふっこうし、てんだいじもんとしゅげんどうとのけつごうすなわちさんどうゆうえのしうふうをたてられたるにはじまるそのごぞうよ、ぎょうそんなどでんとうのもんよう、めいそう、ちしきりくぞくとしてあらわれほんざんしゅげんこんにちのりゅうせいをみるにいたりたるものなり。
神変大菩薩 大日如来 不動明王
問者
「修験道の開祖は、又本尊は如何に。」
しゅげんどうのかいそは、またほんぞんはいかに。
答者
「修験道の開祖は役行者神変大菩薩なり。本尊は総じては金胎両部の曼荼羅と謂うべきも別しては大日如来の教令輪身、大忿怒形の不動明王にて候。」
しゅげんどうのかいそはえんのぎょうじゃじんべんだいぼさつなり。ほんぞんはそうじてはこんたいりょうぶのまんだらとゆうべきもべっしてはだいにちにょらいのきょうりょうりんしん、だいふんぬぎょうのふどうみょうおうにてそうろう。