天台寺門修験

修験道の教義は如何に

修験第百十一号 新編寺門天台宗学読本(1) ―第一編 ―

2013年07月18日 16時49分08秒 | 新編寺門天台宗学読本

第一章 序 章

天台大師

 天台の智者大師(ちしやだいし)は法華経(ほつけけう)を宗骨(しうこつ)として、支那天台宗(しなてんだいしう)を創唱(さうせう)せられた方で、五時八教(ごじはちけう)の教判(けうはん)を設けて如来一代教化(によらいいちだいけうげ)の真意は中道実相を説くに存すと徹見(てつけん)せられて、三諦圓融(さんだいゑんゆう)の哲理と三観十乗(さんがんじうぜう)の実践門とを組織せられた。著書に「法華玄義(ほつけげんぎ)」「法華文句(ほつげもんぐ)」があつて天台圓教の指南とせられ、また「摩訶止観(まかしかん)」十巻は一家観心(いちけかんじん)の精髄を示されたものであります。大師は隋(ずい)の開皇(かいこう)十七年春秋六十歳にて示寂(しじやく)されましたが、十一月廿四日はその御命日(ごめいにち)で現今天台会(げんこんてんだいえ)と称し、宗徒(しうと)は報恩(ほうおん)の法要(はふえう)を捧げることになつて居ります。


修験第百十一号 新編寺門天台宗学読本(1) ―第一編 ―

2013年07月18日 08時04分34秒 | 新編寺門天台宗学読本

第一章 序 章

龍樹菩薩

  先ず龍樹菩薩(りうじゆぼさつ)であります。菩薩は西暦三世紀頃南印度(みなみいんど)に生まれた方で、如来(によらい)の正統を継承して大乗仏教(だいぜうぶつけう)を興隆された。その著「大智度論(だいちどろん)と「中観論(ちうかんろん)」は中道実相(ちうどうじつそう)の哲理を大成したもので、天台法華教学(てんだいほつけけうがく)の基礎となるものでありますし、また南天(なんてん)の鉄塔(てつとう)に入つて阿字(あじ)の法門を求め秘密の大教(だいけう)を弘め給ふた。或は神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)は菩薩の霊感に接して修験道を創められた様に、一家の法門に皆菩薩より発するのであります。


修験第百十一号 新編寺門天台宗学読本(1) ―第一編 ―

2013年07月16日 20時23分20秒 | 新編寺門天台宗学読本

第一章 序 章

仏説の究極は法華大日両経に存す

 法門(はふもん)は八萬四千と称せられ、現に数千巻の一切経(いちさいけう)として存在してゐる。かくの如く多数の法門を説示(せつじ)されたことは畢竟人々(ひつけうひとびと)の真理を聞き得る資格(根性)が未完成で、仏の抱懐(ほうかい)せる理念を体得することが出来ない為め、その準備教育として誘引(ゆういん)の教化(けうげ)を垂れ給ふたのであります。斯(か)くて素質の完成するや如来は従来施設(じうらいしせつ)した幾多の教門(はふもん)を統一され、こゝに法華経(ほつけけう)を説き諸法実相(しよほふじつそう)の真理と闡明(せんめい)され化導(けどう)(外用)(げゆう)の目的を遂げ給ふた。その根底となる如来の内證(ないせい)は阿字本不生(あじほんぷせう)の大日経(だいにちけう)であつて、斯くの如く外用内證(げゆうないせう)が完全に表明出来るのは法華・大日両経(ほつけ・だいにちりうけう)に限るのであります故、これを最高指南(さいかうしなん)となし、曩祖大師立教(のうそだいしりつけう)の高判(かうはん)も亦これに基くのであります。

六高祖

 法華・大日の両経が幾多の先哲(せんてつ)を経て曩祖(のうそ)の立教に至る間、特に銘記(めいき)さるべき六師(ろくし)の偉業があつてこそ法を今日に伝へ得るのであつて、これを寺門(じもん)の六高祖と尊称(そんせう)して、その法恩(ほうおん)に感謝せねばなりません。いま列記しますと、

 


修験第百十一号 新編寺門天台宗学読本(1) ―第一編 ―

2013年07月15日 21時02分04秒 | 新編寺門天台宗学読本

第一章 序 章

仏教は如来の開設に基く

 さて流れを尋ね宗源(しうげん)を求めて一家法門の由来を眺めよう。そもそも仏教は大聖釈迦牟尼如来(たいせいしやかむにによらい)の自ら悟り得給うた真理であつて、その教旨は転迷開悟(てんめいかいご)即ち成仏の最高究境(さいこうきうけう)に達するを目的とする。如来の教化は菩提樹下(ぼだいじゆげ)に成道せられてから、沙羅双林(さらそうりん)の間に涅槃を示し給ふ迄、一代五十年、機に応じ法を説き病に随つて法薬(ほうやく)を与へ、あらゆる人々を教化誘導せんが為に、諸方(しよほう)に遊歴して説き給ふ。


修験第百十一号 新編寺門天台宗学読本(1) ―第一編 ―

2013年07月14日 20時18分09秒 | 新編寺門天台宗学読本

第一章 序 章

寺門天台学の定義

宗学は時代の思潮によつて絶えず表現の方法なり、説明が異なり名目(なまへ)が違ふのであることは勿論でありますが、そのたて方を見ますと大体次の通りです。即ち如来真実の教は法華・大日両経にありとして、その理は阿字実相体大(あじじつさうだいだい)であつて、円密一致(ゑんみいつち)を旨とする。而して圓頓菩薩(ゑんどんぼさつ)の大戒(だいかい)を生活の規矩(きく)とし、止観遮那(しかんしやな)をその内容として、修験によつて実行の菩薩となつて圓(ゑん)の三学完成(さんがくかんせい)を期するのであります。その所詮(しはせん)は国民の道心を啓発して護国利人(ごこくりじん)の実を挙げ、自他共に此土(このせかい)に於て一向大乗(いつこうだいぜう)の浄仏国土建設(ぜうぶつこくどけんせつ)の本願を成就して、こゝに鎮護国家(ちんごこくか)の素懐(そかい)を果し得るのである。されば寺門天台とは何ぞと問はれたら「智證大師(ちせうだいし)の教格(けうかく)を指南に仰ぎ、圓の三学を解行(げげう)して鎮護国家する宗旨(しうし)である」と答ふればよい。この三十数字の僅少(きんせう)な言葉によつて、極めて粗雑ではありますが、寺門天台の定義(ていぎ)と致します。何れの宗旨でも成仏(ぜうぶつ)が最高目的であると強調しますが、一家に於ては「鎮護国家する」ことが「成仏」することで、「鎮護国家」を除いては「成仏」はあり得ない、つまり名実共に具(そな)はつた好箇(こうこ)の日本人となり真理に目覚めて国家と生死を共にすることを本義とするからであります。


修験第百十一号 新編寺門天台宗学読本(1) ―第一編 ―

2013年07月13日 08時06分33秒 | 新編寺門天台宗学読本

 

修験第百十一号 新編寺門天台宗学読本(1) ―第一編 ―

直林敬範 監修

吉田光俊 編

第一章 序 説

寺門天台の名称

寺門天台(じもんてんだい)と申しますのは天台宗園城寺法流のことでありまして、旧天台宗寺門派を指さすのであります。

この下に「学」の字を付しますと寺門の教学、宗学を意味することになる。即ち寺門天台学とは、それは日本天台の一学派であつて智證大師圓珍(ちせうだいしえんちん)の教格(けうかく)に基いて、園城寺を中心にその法流に於いて行はれる仏教々学の研鑽とその実践を意味するものであります。