十二月五日聖護院門跡に於いて
山岳抖擻と保険衛生
宮城
話は変りますが、修験道は山岳に苦修練行することを眼目としますので、これについて、富田先生に、保険衛生の立場から御高説をお伺ひたいと思ひます。
医学博士 富田 精 氏
由来山岳が、治病の上に効果あることは一般に認められるところでありますが、特に近ごろのやうに交通文明が発達して何等自ら労することなく思ふまゝに、電車や自動車によつて身体を運ぶことが出来ると、歩行する必要がなくなり、遂ひには人体機能を委縮させて、少なくとも都会人は医学的に片輪になつて仕舞ふ。もちろん、そこまで到達するのは多くの時を経て後のことになりましやうが、ともかく均整を欠いた人間が、今後続出することは疑う余地がありません。交通文明の発達に伴ふて奇形体の続出することは理論の問題ではなく、現に事実として我々が目撃する処であります。これは由々しい社会問題でありまして、いはゆる種族保存などといふ上からも考慮せられねばならぬ重大問題だと存じます。そのことは別として、山岳の跋踄が健康の上に齎らす効果は顕著なものでありまして、その上に信仰が加はつたならば、一挙両得と申すべきでありませう。昔の人々は山岳の霊気に浸り、併せて健康を保持し、身心二つの鍛錬を得たのでありますが、山岳修行が、直接心臓を強剛ならしめることは実例の示す処でありまして、また心臓の強壮は全身体を強健にする根本であります。かう考へて来ると昔の人が、山岳を選んで信仰を立てたといふことは、誠に敬服すべきだと存じます。尤も同じ山でも、谷には湿気がありまして、健康上宜しくない場合もありますが、北に山を負ひ南に開けてゐる処は理想の健康地です。海は風が吹いても嵐が来ても直接であり、荒くていけませんが、山は樹木が風を遮りますので、人体に影響する処も少ないので、山に親しむことは保健上誠によいことだと存じます。この点におきまして修験道の山岳修行は精神と肉体とを同時に鍛錬することになり、特に都会人には、もつてこいの信仰であると思ひます。近ころハイキングだとか、ピクニックだとか、やかましくいはれますが信仰を本意とする山岳修行は更に一歩進んだものでありまして、千数百年の昔にかうした信仰を樹立せられた祖師の卓見に対して、私は心から敬意を表するものです。
宮城
富田先生のお話は、私共にとつて誠に結構なお説でありまして、今後布教の上に資するところが頗る多いと思ひます。
草分
昔から修験道では加持祈祷による治病を弘教の方便としてゐる者が多いのでありますが、只今のお話しによると、健康増進の方面から信仰を勧めることも出来るわけで、大変結構でした。
藤井
一時加持祈祷によつて病気を癒すなどゝいふと迷信呼ばわりしたものですが、何といつても、病は気からとの諺通り、病気に対しては精神的影響が相当大きいから、加持祈祷も信ずる人には慥かに治病の一方法でせうが、それにも増して山岳修行の健康に及ぼす効果は医学的説明ができるのだから面白いですね。