天台寺門修験

修験道の教義は如何に

修験第百十二号 新編寺門天台宗学読本(2) ―第一編 ―

2014年08月24日 08時08分20秒 | 新編寺門天台宗学読本

 

 第二章  宗学の組織

 第二節  教観二門

 観行門

 後者(こうしや)は知識を根柢(こんてい)として解脱成佛(げだつぜうぶつ)の理想を目指(めざ)して、実際的価値(じつさいてきかち)ある宗教生活(しゆうけうせいかつ)を営む方面(ほうめん)でありまして、之(これ)は観(かん)とも観心(かんじん)、観行(くわんけう)とも呼ばれる。即(すなは)ち宗教の部門(ぶもん)である。その内容(ないよう)は大別(たいべつ)するに二種(にしゆ)あつて観行と生活規矩(せいかつきく)であります。観行は定恵双運(ぜうえそううん)して修(しゆ)する宗教本質(しゆうけうほんしつ)の問題で、一佛乗(いちぶつぜう)の修練(しゆれん)である。それには観行の方法、本尊(ほんぞん)、浄土(ぎようど)、機根(きこん)、修道(しゆどう)の行位(げうゐ)、断或(だんわく)の遅速(ちそく)、成佛(ぜうぶつ)の時間、即身成佛等(そくしんぜうぶつとう)の問題があります。生活規矩は戒学(かいがく)の倫理方面(りんりほうめん)で、止悪懺悔(しあくざんげ)の菩薩個人(ぼさつこじん)の規範(きはん)、知恩謝徳(ちおんしやとく)の作善(さぜん)と更(さら)には宗教の最大特色(さいだいとくしよく)である絶対愛(ぜつたいあい)の慈悲等(じひとう)で、三聚浄戒(さんじゆせうかい)が之(これ)であります。

 


修験第百十二号 新編寺門天台宗学読本(2) ―第一編 ―

2014年08月17日 07時35分55秒 | 新編寺門天台宗学読本

 

 第二章  宗学の組織

 第二節  教観二門

 教理門

 前者(ぜんしや)は先(ま)ず五時五教判(ごじごけうはん)または一大圓教判(いちだいえんげうはん)の教判(けうはん)によつて、如来一代(によらいいちだい)の聖説(せいせつ)を判檡(はんじやく)してその最高の眞理(しんり)を知識する。換言(かんげん)するならば、菩薩(ぼさつ)の宗教生活上(しゆうけうせいかつぜう)に於(お)ける一切(いつさい)の善悪(ぜんあく)を批判校量(ひはんかうりよう)して、その採(と)るべき態度(たいど)を決定(けつてい)し得(う)る正當(せいたう)な知識の体得(たいとく)である。普通(ふつう)には教(けう)とか教理(けうり)、教義或(けうぎあるひ)は教相(けうそう)と呼(よ)ばれてをります。その内容(ないよう)とするところ第一(だいいち)に実在(じつざい)の問題たる世界観(せかいくわん)、生成(せいせい)の問題たる縁起観(えんぎくわん)を中心(ちうしん)として、佛心観(ぶつしんくわん)、認識論(にんしきろん)、種性論(しゆせいろん)、等の問題が含(ふく)まれてゐる。


修験第百十二号 新編寺門天台宗学読本(2) ―第一編 ―

2014年08月16日 13時22分11秒 | 新編寺門天台宗学読本

 

  第二章  宗学の組織

 第二節  教観二門

 教観二門

 既(すで)に圓(えん)の三学(さんかく)が宗学(しゆうがく)の根本(こんぽん)をなす体系(たいけい)であるとするならば、宗学には大約(たいやく)するに自(おのづか)ら二方面(にほうめん)が存(そん)することを知り得(う)るだらう。即ち一つは哲学(てつがく)で理論問題(りろんもんだい)の方面であつて、恵学(ゑがく)がこれにあたる、則(すなは)ち教理門(けうりもん)であります。また一つは定学戒学(ぜいがくかいがく)の学で価値(かち)の問題を中心とした観行門(かんげうもん)がこれであります。


修験第百十二号 新編寺門天台宗学読本(2) ―第一編 ―

2014年08月16日 09時52分59秒 | 新編寺門天台宗学読本

 

 第二章 宗学の組織

 第一節 圓三学

 三学一源

 禅定(ぜんぜう)であつて、実践観法(じつせんかんはぶ)の宗教であり、恵学(ゑがく)は眞理(しんり)を知識する哲学の方面であります。この三学は互(たかひ)に対立し孤立(こりつ)してゐるものではない、圓頓三学(えんどんさんがく)は阿字実相(あじじつそう)なる統一原理(とういつげんり)に一源(いちげん)してゐ三即(そく)一・一即(そく)三の関係(かんけい)に於(おい)て成立してゐる。この三学一源(さんがくいつげん)は三学具足(さんがくぐそく)ともいひ、完全に佛教の総(すべ)てを把握(ひあく)した最高の教法(けうほう)を意味して、宗学(しゆうがく)の根本体系(こんさいたいけい)をなすものであります。これ寺門(じもん)に於て成佛(せうぶつ)なる絶対的人格完成(ぜつたいてきじんかくかんせい)に関しては、至高(しゆかう)なる道徳的(だうとくてき)、宗教的、哲学的教養を全(まつた)うする圓三学(えんさんがく)を具備(ぐび)するを必要とするを強調(ちやうてう)する所以(いぇん)であります。


修験第百十二号 新編寺門天台宗学読本(2) ―第一編 ―

2014年08月15日 08時24分49秒 | 新編寺門天台宗学読本

 

 第二章 宗学の組織

 第一節 圓三学

 圓三学

 圓(ゑん)の三学(さんがく)は圓頓三学(ゑんどんさんがく)とも虚空不動(こくうふどう)の三学とも称せられるが、圓とは完全とか不偏(ふへん)とかの意味であつて、圓戒学(えんかいがく)・圓定学(えんぜいがく)・圓恵学(えんゑがく)を圓の三学といふのであります。戒学(かいがく)は道徳的戒律(だうとくてきかいりつ)の行持(げうじ)で倫理方面(りんりほうめん)であり、いまこれを菩薩生活(ぼさつせいかつ)の規矩(きく)または規範(きはん)の義(ぎ)と定める。次の定学(ぜいがく)は心を一境(いつきやう)に住(ちゆう)せしむる。


修験第百十二号 新編寺門天台宗学読本(2) ―第一編 ―

2014年08月08日 08時14分27秒 | 新編寺門天台宗学読本

 

故 直林敬煩 監修

  吉田光俊   編

 第二章 宗学の組織

 第一節 圓三学

 宗学の組織

 宗学(しゆがく)の組織とは佛教の目的である「転迷開悟(てんめいかいご)即ち成佛(ぜうぶつ)の理想に到達するに必要な、知識(哲学)と実践(宗教)と宗教生活の方法(倫理)との相互関係(さうごくわんけい)の次第秩序(しだいちつじよ)を意味するものであります。佛教が佛(覚者(かくしや))と法(達磨(だるま))の合成を語義(ごぎ)とするならば、宗学ー宗門(しゆうもん)の教学ーはこの上に開祖(かいそ)の佛教に対する批判(教判(けうはん))と独特の哲学が加へられたものと見なければならぬ。いま曩祖立教(のうそりつけう)の本旨(ほんし)に則(のつと)つて、宗学全般(しゆうがくぜんぱん)の組織を眺(なが)めることにする。この宗学を組織する根本(こんぽん)の体系(たいけい)が必要であつてそれは即(すなは)ち圓三学(えんさんがく)である。

 

 


修験第百十一号 新編寺門天台宗学読本(1) ―第一編 ―

2014年08月07日 19時55分12秒 | 新編寺門天台宗学読本

 

 第一章 序 章

 宗学講述態度

 茲(ここ)に寺門(じもん)の宗学を講述(こうじゆつ)するに當(あた)つて、一家教学研究(いちけけうがくけんきう)の困難性を指摘しよう。第一に気付くのは、寺門天台(じもんてんだい)は一般の天台史と消長(ぜうてう)を共にしたのであつて時代により説明なり組織に甚(はなは)だしい変遷(へんせん)があつて、名目三年(めいもくさんねん)といはれる如くそれに患(わづら)はされ全般を捕捉(ほそく)するは容易ではない。第二に先哲(せんてつ)の違著(ゐちよ)を通観(つうかん)するに、分科法門(ぶんかはふもん)の一々個々の学として宗学研鑽(しうがくけんさん)の資(し)とするのは多いのであるが、未(いま)だ宗学全体を一つのものとして概説(がいせつ)されたのは殆(ほとん)ど見出(みいだ)すことが出来ない。第三に、圓蜜等(ゑんみつなど)を始め各法門(かくはふもん)を単独に扱ふ為め、同一の語(ご)を説明するにも各法門の立場(たちば)に於いてする故(ゆゑ)、区々雑多(く々ざつた)で然(しか)も確説(かくせつ)がない。これ等(ら)は宗学(しうがく)がその組成(そせい)に於いて多種(たしゆ)の法門があり、その教学方法は帰納的(きのうてき)より演檡的(えんたくてき)であり、自由討究(じいうたうけん)の解釈法(かいしやくほう)を採用した為(ため)であろう。

 故(ゆゑ)に新時代に即応(そくおう)した観点(かんてん)より、宗学全体に亙(わた)る新組織を要望される現下(げんか)に於て、本書(ほんしよ)は過去に於ける教学を顧(かへ)りみて従来(じうらい)の見方はそのまゝとし、清新(せいしん)な独自(どくじ)の見地(けんち)から宗学を眺(なが)め、且(か)つその組織に於ても説明に於ても、必ずしも舊説(ぎうせつ)に拘泥(こうでい)することなく学的立場(がくてきたちば)より取捨選択(しゆしやせんたく)を行(おこな)ひなし得(う)る限り簡明(かんめい)と平易(へいい)を旨(むね)として宗学の大要(たいよう)を会得(えとく)せしむる様に努めたいのであります。

 


修験第百十一号 新編寺門天台宗学読本(1) ―第一編 ―

2014年08月06日 07時54分34秒 | 新編寺門天台宗学読本

 

 第一章 序 章

 教学史概観

 その他尚多くの特質を数え得ますと、大体に於(お)いて日本天台はこの様な性格を持つのであります。また日本天台は時代により異なつた意義があるのであつて、広義には日本に於ける天台教学及びそれにより派生(はせい)して独特の教学に改組(かいそ)した各宗(かくしう)のそれ等をも総轄(そうかつ)することが出来るでせう。

 狭義(けうぎ)には二つの意味を含んで居ります。その一つは、三聖二師(さんぜうにしの)古天台(こてんだい)、本学法門(ほんがくほふもん)の中古天台(ちうこてんだい)、或(あるひ)は眞流(しんりゆう)、敬光等(けいこうなど)の復古天台(ふくこてんだい)、等の所謂山家天台(いはゆるさんげてんだい)(皇朝天台(こうてうてんだい)であつて、元禄以後(げんろくいご)の趙宋四明(てうそうしめい)の天台学(兼学派に(けんがくは)対称(たいせう)するのである。第二は、最も純粋な日本的性格を基調とした惠檀両派(ゑだんれうは)の本学思想を指すのですが、本書は第一の山家天台を中心とすることに致します。翻(ひるがへ)つて教学史(けうがくし)を眺めますと、第一期の古天台は最初は法華至上主義(ほつけしせいしゆぎ)であつたが結局密教思想(けつきよくみつけうしそう)が全般に勢を占(し)むることになり有名な四一十門の一大圓教(いちだいゑんけう)の教判(けうはん)が生また訳です。こゝに教理組織(けうりそしき)が完成したので、第二期平安後期より室町末期迄の中古天台(ちうこてんだい)では実践に重きを置く止観中心(しかんちうしん)の本学法門が生れ、百花繚乱(ひやくくわれうらん)の全盛時代となり寺門(じもん)の智寂(ちじやく)・龍淵(りうえん)の二流発生(にりゆうはつせい)もこの時ですが、遂(つひ)に口伝法門(くでんほふもん)の堕落(だらく)に禍(わざは)ひせられ教学の廃頽(はいだい)を招いたのであります。第三期に至つては近世(きんせい)に四明学派(しめいがくは)の真摯(しんし)な学的努力によつて秩序ある教学に再編成(さいへんせい)されたのですが、一面(いちめん)には宗祖開宗(しうそかいしう)の本旨(ほんし)を忘却(ぼうきやく)した点がないでもありません。その反動(はんどう)として復古天台(ふくこてんだい)が法明院敬光師(ほふみよういんけいこうし)を中心に提唱(ていせう)されたが、四明学派の圧倒的勢力は明治の末期に至る迄維持し来(きた)つたのであります。第四期は大正十年の宗祖遠忌以後今日(しうそをんきいごこんにち)に至るのでありますが、全般的に宗内外(しうないがい)の学徒(がくと)によつて山家天台の眞価顕揚(しんかけんやう)に努められてゐるにかゝはらず、寺山両門(じさんれうもん)とも未(いま)だ宗学は舊套(きうとう)を脱し得ないのが状勢(ぜうせい)であります。

 


修験第百十一号 新編寺門天台宗学読本(1) ―第一編 ―

2014年08月05日 07時44分44秒 | 新編寺門天台宗学読本

 

  第一章 序 章

 三学具足

 日本天台は圓(ゑん)の三学を具足(ぐそく)した圓頓三学佛教(ゑんとんさんがくぶつけう)であつて、支那天台の圓定圓惠(ゑんぜうゑんえ)の二学を中心とするのと異つており、こゝに圓戒(ゑんかい)を特に強調するのであります。圓戒の眞生命(しんせいめい)は眞俗一貫(しんぞくいつかん)であり、信入異行(しんにふいげう)の法門である点で、寺門では圓戒為本論(ゑんかいしほんろん)を立てゝこれを総ての基調(きてう)とし最も重視(ぢうし)するのであります。


修験第百十一号 新編寺門天台宗学読本(1) ―第一編 ―

2014年08月04日 09時22分14秒 | 新編寺門天台宗学読本

 

 第一章 序 章

 本覚法門

日本天台の性格を一言して盡(つく)せば本覚法門(ほんがくほふもん)で、これは支那天台の始覚法門(しかくほふもん)と相違する。すなはち法よりも人に、理(り)よりも事(じ)に、修(しう)よりも性(せう)を中心とした絶対思想(ぜつたいしそう)であつて、現実的な宗教であります。されば佛教の目的とする最高過程である「成佛(ぜうぶつ)なる名目も、道心(どうしん)の開顕(かいけん)された国宝的人物を意味するのでありまして、この点でも実際的な宗教であることが知られるでせう。その解釈法(かいしやくほふ)も支那天台の如(ごと)く保守的であり帰納的(きのうてき)であり求心的(きうしんてき)であると反対に、大胆な自由進取的(じゆうしんしゆてき)な見方でその法門また遠心的演繹的(ゑんしんてきえんえきてき)となる。これが数多(あまた)の分科法門(ぶんくわほふもん)、分派(ぶんぱ)を生んだ根本理由(こんぽんりゆう)なのである。


修験第百十一号 新編寺門天台宗学読本(1) ―第一編 ―

2014年08月03日 07時50分43秒 | 新編寺門天台宗学読本

 

  第一章 序 章

 総合佛教

 第二に支那天台の単一的に法華圓教(ほつけゑんけう)を宗とするに比し、多元的(たげんてき)な一大総合佛教であります。総合は単なる要素の集まりでなく、絶対一元に発するのであつて一致契合点(いちちけいごうてん)がなくてはならぬ。その一致点とは何ぞ、即ち圓蜜一致(えんみついつち)がこれであつて、こゝに「大日経義檡(だいにちけうぎしやく)」が重視され、支那天台の三大部中心とは自ら面目を異(こと)に致して居ります。


修験第百十一号 新編寺門天台宗学読本(1) ―第一編 ―

2014年08月02日 08時23分06秒 | 新編寺門天台宗学読本

 

 第一章 序 章

 国家観

第一には、日本天台は国家中心を標榜(へうぼう)してゐる点であります。即ち宗教そのものは日本国家の中に活き国体への絶対帰依を前提として、護国の宗教として存在してゐるのです。この宗教を奉ずる者は日本民族としての確乎(かくこ)たる自覚を有せばなりません。これが法華一乗の機と表現され、こゝに圓機淳熟(ゑんきじゆんじゆく)の圓頓大戒(ゑんどんだいかい)が提唱され、三乗共国(さんぜうどうこく)の戒律観より、離脱せねばならぬ所以(ゆえん)であります。


修験第百十一号 新編寺門天台宗学読本(1) ―第一編 ―

2014年08月01日 07時52分29秒 | 新編寺門天台宗学読本

 

第一章 序 章

寺門天台所依の聖典

寺門天台は左に列ぬる三部の経典と、六部の論釈を正所依(せいしよえ)の聖典と致します。即ち

妙法蓮華経                       八巻  鳩摩羅什三蔵譯

大毘盧遮那成佛神変加持経(大日経       七巻  善無畏三蔵譯

梵網菩薩戒経                     一巻  鳩摩羅什三蔵譯

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大日経義釋                     十四巻  一行阿闍梨撰

摩訶止観                        十巻  天台智者大師説

顕戒論                         三巻  宗祖大師撰

大日経指帰                      一巻  曩祖大師撰

講演法華儀                      二巻  同上

授決集                         二巻  同上

 

第一章 序 章

日本天台の特色

寺門天台は申す迄もなく日本天台の一分派であります。宗学に入る前に「日本天台」なる概念がわかりますと便利です故少し説明しませう。日本天台は支那天台に対称する語で、宗祖の創始せられた天台法華宗とそれより派生した諸教学を指すので、便宜上支那天台と対比してその特色を数へて見ませう。