佛教お伽噺 その二 牛窪弘善 譯
長者の萬燈貧者の一燈
ある時、阿闍世(アジャータサツタ)といふ王様が釋迦牟尼佛(しやかむにぶつ)を請待した。佛陀(ぶつた)は晩餐(ばんさん)を終へて祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)に還り給はうとした。すると王様は待醫(じい)の耆婆(ジヴア)と御相談をして申すには、
『釋尊(しやくそん)は御飯(ごはん)を終へましたが、今度はどんな供養(くよう)をしたらよいでせう。』
耆婆は、
『澤山の燈明(みあかし)をともし給へ。』
と答へたので、王様は早速勅命(さつそくちよくめい)を下し給ふて百石の麻の油で以つて王城の御門から祇園精舎まで燈明(とうみよう)を點けました。
所が大層貧乏なお婆さんがゐて王様が斯様な功徳(くどく)をしたのを見て非常に感心をして、町中(まちゞう)を廻つて漸く銭二文を貰ひ受け、早速油屋(さつそくあぶらや)へ駈け込んだ。
油屋の主人は、
『お婆(ばあ)さんは大層貧乏でやつと二文の銭を貰つたといふじやないか。どうだ喰物(くいもの)でも買つてお前の命(いのち)を繼(つな)いでは・・・・こんな油なんか何にする。』
お婆さんは、
『聞きますると佛様(ほとけさま)の出世には値(あ)ひ難い百千萬劫(ごう)に一度遇ふ位な者。私は幸ひ御佛(みほとけ)に逢(あ)ひ奉り乍(なが)ら今まで供養(くよう)をしなかつたが、今日は王様が大なる功徳(くどく)をなし給ふを見て實に斯様な貧乏者ではあるけれど、せめては一燈(とう)だけでも燃(もや)して後世(ごせ)の供養(くよう)にしたい。』
すると油屋の主人はお婆さんの眞心(まごころ)に感心(かんしん)して、二文の銭では二合の相場であるのに特別(とくべつ)三合を益(ま)し都合(つごう)五合の油を與(あた)へて遣(や)つた。
お婆さんは佛陀(ぶつだ)の前で燃(もや)さうとしたが五合では夜中(よなか)までには足(た)りない。そこでお婆さんは誓(ちかひ)をして申すには、
後(のち)の世に、もしわが心悟(こゝろさと)り得ば、
御佛(みほとけ)の如(ごと)、道に入らなん。
終夜(よもすがら)、油は盡きじ、僅(わづ)かなりとも。
光(ひかり)いやまし消ゆることなかれ。
お婆さんは斯様(かよう)な誌(うた)を唱へて礼拝(らいはい)をして行きました。
王様のおともしになつた燈明は滅(き)えたのもあり、油(あぶら)の盡(つ)きたのもありましたが、このお婆さんのは光(ひかり)が又特別だ。澤山な燈明の中でも最も勝(すぐ)れてゐて一夜滅(き)えなかつた。即ち不思議にもその油は夜明(よあけ)まで盡(つ)きなかつたのである。佛陀(ぶつだ)はお弟子の目連尊者(もくれんそんじや)に、
『もう夜(よ)が明(あ)けたから殘らず燈明を滅(け)せ。』
と仰(あふ)せられました。目連尊者は順次(じゅんじ)にその燈明を滅(け)しました。外のは殘らず滅(き)えましたが、お婆さんの一燈ばかりは三度まで滅(け)さうとしたが駄目(だめ)でしたので、お袈裟(けさ)を擧げて扇(あふ)ぎましたら燈明は不思議にも益々明(ますますあか)るくなつた。
佛陀は目連に、
『止(や)めよ。止(や)めよ。それはお婆さんが未来(みらい)に佛に成つた時の光明(みひかり)の功徳(くどく)であるから、汝が神通力ではとても滅(け)すことが出来ないお婆さんは宿世(すぐせ)に於て多くの佛陀を供養して前の佛陀(ぶつだ)から未来に成佛(じょうぶつ)すべく豫言を受けて、佛典(ぶつてん)を學(まな)んだけれどまだ十分に供養が出来なかつたから、今の世に生れて貧乏者(びんぼうもの)となつたのである。お婆さんはく未来には必ず成佛(じょうぶつ)して暗黒(あんこく)の世界を照(てら)すであろう。』
お婆さんは之を聞いて大層の喜(よろこび)で禮拜をして辭した。
さて、前の王様は耆婆(ジヴア)に向かつて、
『乃公(おれ)は斯くの如き大なる功徳(くどく)をしたにも拘はらず、御佛は未来に成佛すべき豫言を與へて呉れない。しかるにあのお婆さんの一燈(とう)に對して豫言を與へられたとは・・・・』
耆婆は、
『左様でございます。王様のは澤山の燈明でありますが、心が専(せん)一でなかつた。とてもお婆さんの熱心(ねつしん)にはくらべ物(もの)になりますまい。』
そこで王様は至誠(しせい)の心で以つて油(あぶら)と華(はな)とを獻(けん)じて佛陀を供養し奉つたので、佛様(ほとけさま)は王様に對して未来成佛の豫言をお授(さづ)けになりました。
この時、王様の太子栴陀和利(たいしセンタワリ)と申す當年八歳の御子が父なる王が受決(じゆけつ)されたのを見て極(きは)めて歡喜(くわんき)を起し、即座に身を帯(お)びてゐた澤山の寶物(ほうもつ)を解(と)いて御佛の上に散らして、
『願(ねが)はくば父が成佛した時、私も金輪王(きんりんおう)となつて、御佛(みほとけ)を供養(くよう)したい。み佛がお滅(かく)れになり給ふと、私をその後を承(う)けついで佛陀(ぶつだ)と成りたい。』
釋尊は、
『よろしい、きつとお前(まえ)の希望通りになる。』
と申されたといふことです。
(阿闍世王受決経より)