天台寺門修験

修験道の教義は如何に

修験第百十一号 新編寺門天台宗学読本(1) ―第一編 ―

2014年04月20日 19時37分24秒 | 新編寺門天台宗学読本

第一章 序 章

法門の相承

 曩祖大師(のうそだいし)は諱(いみな)を圓珍(えんちん)と申し、智證(ちせう)はその諡号(しごう)で、弘仁五年讃岐国に生まれ玉泉(ぎよくせん)の流れを慕ひて比叡山に登り、宗祖の法資義眞大徳(ほふしぎしんだいとく)の門に入りました。そして圓頓菩薩(ゑんどんぼさつ)の大戒(だいかい)を受けて菩薩僧となり、また達磨一心戒(だるまいちしんかい)を伝へて禅那(ぜんな)の法を相承し給ふた。のち学生式(がくせうしき)の規に則(のつと)つて一期十二年籠山(いちごじうにろうざん)して專ら遮那止観(しやなしかん)の両業(れうごう)を研究せられたのですが、その間金色不動明王(かんこんじきふどうめうおう)より灌頂大法(かんぜうだいほう)を授けられ、また宗祖の密教(みつけう)を徳圓和尚(とくゑんおせう)に稟(う)けられた。承和(せうわ)十一年高祖神変大菩薩(かうそじんべんだいぼさつ)の芳蜀(ほうしよく)を慕ふて大峰葛城(おおみねかつらぎ)に修行せられ高祖十一世の法孫長圓尊師(はふそんてうゑんそんし)に従つて峰中法流(ぶちうはふりゆう)を相承なされ、遂に修験道の法燈(はふとう)を継いで斯道(しだう)を恢興(かいこう)されたのです。更に仁寿三年勅命(にんじゆさんねんちよくめい)を奉じて入唐(にうたう)され、天台の九祖物外並(そもつがいならび)に良諸(れうしよ)の二師を拝して圓教止観(ゑんけうしかん)を、法全阿闍梨(はつせんあじやり)より三部の灌頂(かんてう)を授かり、こゝに五箇法門(ごかのはふもん)を悉く伝承されたのであります。

 立教                                                                                                                                                                                                                          

 かくて天安二年帰朝伏奏(てんあんにねんきてうふくそう)し給ひ、次で、清和天皇(せいわてんのう)は優恩(いうし)を下して曩祖(のうそ)に眞言止観両宗弘伝(しんごんしかんれうしうぐでん)の勅旨(ちよくし)を賜はり、近江國園城寺(あふみのくにをんぜうじ)をして永く大師教弘通(だいしけうほふぐづう)の道場と御定(おんさだ)めになつたのであります。これ実に貞観八年(ぢやうかんはちねん)五月廿九日のことで、寺門法流(じもんほふる)の創始としてこの日こそ法流に浴するものゝ記念すべき日なのであります。