天台寺門修験

修験道の教義は如何に

修験第百十三号 新編寺門天台宗学読本(3) ―第一編 ―

2015年05月29日 19時19分49秒 | 新編寺門天台宗学読本

  故 直林敬煩 監修

  吉田光俊   編

  第二章 宗学の組織

  第三節 五箇法門と三道

  修験道

  最後に修験道(しゆげんどう)とは、とそう錬行(れんげう)して霊験(れいげん)を成(ぜう)ずる法(ほう)との義(ぎ)で、道(どう)とは世(よ)の実相(すがた)である生死去来(せうじきよらい)の二道(にどう)を覚(さと)つて中道不正(ちうだうふせう)の心地(しんち)たる理想態(りさうたい)に到達(たうたつ)することであります。その教意(けうい)とするところは十界一如(じうかいいちによ)・無相三蜜(むさうさんみつ)を中心として、眞俗不二(しんとくふに)・凡聖一如(ぼんせいいちによ)の義理(どうり)を領解(れうげ)し、專(もつぱ)ら入峰(にうぶ)して十界(じうかい)の行(げう)を積(つ)み無相三蜜(むそうさんみつ)の境地(けうち)に徹(てつ)して即身(そくしん)する法門(ほうもん)であります。

 

  

 


修験第百十三号 新編寺門天台宗学読本(3) ―第一編 ―

2015年05月27日 20時02分02秒 | 新編寺門天台宗学読本

   故 直林敬煩 監修

  吉田光俊   編

 第二章 宗学の組織

 第三節 五箇法門と三道

  圓頓戒

 次に戒(かい)とは梵語(ぼんご)のし羅(しら)のことで、身心(しんじん)の過(あやまち)を防禁(ぼうきん)する意味でありまして、三学(さんがく)の中(うち)の戒学(かいがく)はこれであります。今家(こんげ)の戒(かい)は法華(ほつけ)・梵網(ほんもう)の両経(りよぎやう)に基(もとづ)いた大乗戒(だいじうかい)であつて、圓戒(ゑんかい)または圓頓戒(ゑんどんかい)、圓頓菩薩戒(ゑんどんぼさつかい)と称(せう)せられ、所依(しよえ)の経(きやう)に約(やく)して梵網戒(ぼんもうかい)とも申します。即(すなは)ち私共(わたくしども)の先天的(せんてんてき)に備(そな)へた覚性(かくせう)【性具眞如佛性(ぜうぐしんによぶつせう)の戒体(かいたい)】を受戒宣誓(じうかいせんせい)することによつて顕現(けんげん)し、三聚浄戒(さんじうぜうかい)を実践錬成(じつせんれんせい)することにより、積極的救済行為(せつきよくてききふさいかうい)として自利利他二行(じりりたにげう)を圓満(えんまん)に成就(せうじゆ)して、佛意(ぶつい)に契合(けいがう)した菩薩生活(ぼさつせいかつ)を営(いとな)む標準規矩(へうじゆんきく)となすものであります。


修験第百十三号 新編寺門天台宗学読本(3) ―第一編 ―

2015年05月26日 15時13分10秒 | 新編寺門天台宗学読本

  故 直林敬煩 監修

  吉田光俊   編

 第二章 宗学の組織

 第三節 五箇法門と三道

 禅(ぜん)

 禅(ぜん)は禅那(ぜんな)の略で、思惟修(しゆゐしゆ)または静慮(ぜうりよ)の意味であります。即(すなは)ち実践(じつせん)を遊離(いうり)した概念的(がいねんてき)な文字言語等(もんじげんごとう)に偏依(へんい)せず座禅観法(ざぜんかんぽう)により端的(たんてき)に見性成佛(けんせうぜうぶつ)して、涅槃妙心(ねはんめうしん)なる天眞独朗(てんしんどくらう)の境(けう)を悟(さと)る法門(ほうもん)であります。禅(ぜん)は別に教相(けうそう)を立(りつ)する必要を認めないのであるが、その本義(ほんぎ)とするところは是心是佛(ぜしんぜぶつ)を宗要(しうよう)として無所得空(むしよとくぐう)に立脚(りつきやく)してゐる。


修験第百十三号 新編寺門天台宗学読本(3) ―第一編 ―

2015年05月23日 08時20分41秒 | 新編寺門天台宗学読本

    故 直林敬煩 監修

  吉田光俊   編

 第二章 宗学の組織

 第三節 五箇法門と三道

 密 教

 第二に密(みつ)とは、大日(だいにち)・金剛頂(こんごうちよう)・蘇悉地(そしつぢ)の三経(さんきやう)に基いて、阿字本不生(あじほんぷせう)の理(り)を究(きは)め【教相(けうそう)】 、身口意三蜜(しんくいさんみつ)の事業を修して【事相(じさう)】 如来(によらい)の三蜜に融会(ゆうゑ)して即身成仏(そくしんぜうぶつ)する法門(ほうもん)であつて、教(けう)に約して密教(みつけう)、秘密教(ひみつけう)、真言教(しんごんけう)といひ、所依(しよえ)の経より大日(だいにち)とも陀羅尼蔵(だらにどう) 、実践(じつぜん)に約して遮那業(しやなごう)と称するのであります。


修験第百十三号 新編寺門天台宗学読本(3) ―第一編 ―

2015年05月20日 16時06分04秒 | 新編寺門天台宗学読本

 

   故 直林敬煩 監修

  吉田光俊   編

 第二章 宗学の組織

 第三節 五箇法門と三道

 五箇法門の解説 圓教

 五箇法門(ごかのほうもん)とは宗学(しうがく)を構成する圓(ゑん)・密(みつ)・禅(ぜん)・戒(かい)・修験道(しゆげんどう)の五法門(ごほうもん)であり、三道(さんだう)は圓・密・修験の三法門(さんほうもん)で五箇法門の中特(ちうとく)に重要な根幹(ごんかん)をなすものであります。いま少しく之(これ)を解説致しますと、まづ圓とは法華経(ほつけきやう)を根本聖典(こんぽんせいてん)として中道実相(ちうだうじつそう)・三諦圓融(さんだいえんゆう)の哲理(てつり)を会得(ゑとく)し(教)、四種三昧(ししゆざんまい)の実践(じつせん) (観)によつて、私共凡夫(わたくしどもぼんぷ)の現前(げんぜん)に起る一念(いちねん)の心も即(すなは)ち真如実相(しんによじつそう)と観照(かんせう)して佛(ほとけ)の境界(けうかい)であります実相に開示悟入(かいじごにゆう)する法門である。圓(ゑん)は不偏(ふへん)または完全といふ意味で、教(けう)に約(やく)して圓教(ゑんけう)といひ、所依(しよえ)の経(きやう)に約(やく)して法華(ほつけ)、また観(かん)に約して止観業(しかんごう)と称(せう)しますし、従来(じうらい)の狭義(けうぎ)の天台学(てんだいがく)はこの圓教を指(さ)したのであります。


修験第百十二号 新編寺門天台宗学読本(2) ―第一編 ―

2015年05月17日 08時52分01秒 | 新編寺門天台宗学読本

 第二章  宗学の組織

 第二節  教観二門

 教観の関係

 要するに教理門(げうりもん)と観行門(くぁんげうもん)は、教なる知識(ちしき)が行動の根底(こんてい)となつて本當(ほんたう)の価値が生じ、観なる実践的行動は必ず正當(せいたう)なる知識に基くことを要します故、教の反面は即(すなは)ち観であり、観の存するところ必ず教に依(よ)るのであつて、両者は別箇(べつこ)に存在することは許されないのであります。教は目の能(よ)く物を見て善悪美醜(ぜんさくびしゆう)を知る如(ごと)く、観は目の視(み)る所に基いて親(した)しく足を運ぶ様なもので、、一方にのみ偏(へん)するは甚(はなは)だ不可(ふか)なることであります。古人(こじん)が教或(けうあるひ)は観の一方に偏執(へんしゆう)するは文字の法師(ほつし)、暗證(あんせう)の禅師(ぜんじ)と斥(しりぞ)け、智行一致(ちげういつち)し教観雙(けうくわんなら)べ備へ、解行相資(げぎうあひたす)へよと示(しめ)されましたことは今家宗学(こんげんしゆうがく)の肝要(かんえう)とする所であり、宗徒(しゆうと)の深く銘記(めいき)せねばならぬ点であります。この教観二門(けうくわんにもん)は宗旨(しゆうし)の理論実践(りろんじつせん)の総(すべ)てを包轄(ほうくわつ)して居(を)りますので、こそを宗議(しゆうぎ)といひ、学することを宗学(しゆうがく)または宗乗(しゆうぜう)とも称(せう)します。

 (紙数の関係上極ゝ大要のみ掲載いたしました。次号は「五箇法門と三道」「統一原理の諸問題」に就て)