山上の役講
大道
役講といふものを説明して下さい。
宮城
それについて大峰山の本堂といふのは共同管理の仏堂であつて寺院ぢやない。麓の村の吉野、洞川の両村が関係して、その両村に五ケ寺があつて、それが勤番寺院となつてお守りするわけです。そして春秋に戸開式、戸閉式といふのがありまして、五月八日に開けて九月二十七日に閉めます。その期間大峰山の本堂に下の村から出張してをります。その戸開、戸閉に立会ふ役をする講がある。それが役講で八ツあります。その役はいろいろありまして鍵をあらためる役とか戸を開ける役とか、いろいろ年番で奉仕するんです。それで、さういふ役をするために相当大峰山に勢力をもつてゐるといふわけです。
大道
世襲ですか、すいふ役をする人は。
宮城
講は決つてゐますが人は変わります。
大道
先達といふのと関係ありませんか。
宮城
先達はその講以外にも沢山あります。何千、何百と講はありますが、その内八ツだけが役をする。
林学者 江崎政忠 氏
一つの講に何人位ありますか。
宮城
それは盛衰がありますから時によつて違います。役講は大阪、堺に決つてをります。
大道
汽車に乗ると若い子供まで連れて沢山乗りますね山上参りが、あれは役講と関係ありませんか。
宮城
関係あるのもあれば、ないものも沢山あります。
大道
今迄一番多いのは一人で何遍位山に参りましたか。
江崎
百度とか百五十度とかいふ石が立つてゐますね。
奈良県観光課長 坂田静夫 氏
今の五ケ寺といふのは昔からあつたんですか。
宮城
昔は此外にも沢山の寺がありましたが、五ケ寺が護持院として決つたのは維新後です。
坂田
洞川といふ道筋も昔からあつたんですか。
宮城
あつたんです。
江崎
これはずつと大昔からあつたかどうか分からぬが、少なくも高野山が開けてからは、相互にお参りをする。その道たつたらう。
宮城
徳川時代に宮様がお詣りになつた記録もありますが吉野から登つて大峰の小篠に一週間滞在された。その間に洞川に下つてまた小篠まで帰られたやうに見えてをります。
大道
熊野行幸といふのはどういふ道を行かれたんですか。
宮城
海岸です。
大道
山に行かれたのもありましたね。
宮城
白河上皇など行かれたことは伝へられてゐます。