天台寺門修験

修験道の教義は如何に

修験第三十六號 (昭和四年五月一日發行) 質疑応答③ - 僧祇に就て -

2011年05月27日 08時46分51秒 | 修験問答

 

 僧祇に就て

 問

 修験道(しゆげんだう)の法階(ほふかい)に一僧祇(そうぎ)、二僧祇(そうぎ)、三僧祇(そうぎ)とありますが、僧祇(そうぎ)とは大体(だいたい)どう云(い)ふ意味なのですか、御尋(おたづ)ねします。

 

 僧祇(そうぎ)と云(い)ふのは経典(きやうてん)にある阿僧祇劫(あそうぎこう)と云(い)ふ言葉(ことば)から来たのでありまして阿僧祇劫(あそうぎこう)と云ふのは無数時(むすうじ)と云ふ事であります。ある長い長い年月と云ふ意味です。お釈迦様(おしやかさま)が前生(ぜんせい)に於(お)いて三阿僧祇劫(あそうぎこう)の修行(しゆうぎやう)をせられて、遂(つゐ)に成佛(じやうぶつ)せられたと云(い)はれてゐます。而(しか)して修験道(しゆげんどう)に於(お)いて僧祇(そうぎ)を法階(はふかい)の名称(めいしよう)にしたのは、三ケ度(ど)の入峰修行(にふぶしゆうぎやう)に於(お)いて阿僧祇(あそうぎ)の功(かう)を積(つ)むと云ふ意味で、入峰修行(にふぶしうぎやう)の功徳(くどく)を釈尊前生(しやくそんぜんせい)の修行(しゆぎやう)にたとへたものであります。無数時(むすうじ)と云ふのも、必(かなら)ずしも時計(とけい)の上(うへ)からの時(とき)のみを云(い)ふのでなく、精神修養上(せいしんしうやうじやう)について考へねばならないのであつて、西方十萬億里等(さいほうじうまんおくどなど)と云ふ事も、方角(ほうがく)の西(にし)の方(ほう)十萬億里(じうまんおくり)の彼方(あなた)と物質的(ぶつしつてき)に解(かい)するよりも、霊界(れいかい)を以(もつ)てながめねばならないのであります。