総本山三井寺 智證大師円珍 様
問者
「三井修験の起源は如何に。」
みいしゅげんのきげんはいかに。
答者
「抑々我が宗祖智證大師円珍日本天台の蘊奥を極め給うや承和十二年御年三十二歳にして高祖役の行者の芳躅を慕い大峰葛城の嶮を攀じ、熊野三山の深邃に分け入り那智の瀧に一千日の参籠苦行をなし給い、縁起相傳の行儀を享け修験道を継承復興し、天台寺門と修験道との結合即ち三道融会の宗風を樹てられたるに始る其の後増誉、行尊等傳統の門葉、名僧、智識陸続として現れ本山修験今日の隆盛を見るに至りたるものなり。」
そもそもわがしゅうそちしょうだいしえんちんにっぽんてんだいのうんおうをきわめたもうやじょうわじゅうにねんおんとしさんじゅうにさいにしてこうそえんのぎょうじゃのほうしょくをしたいおおみねかつらぎのけんをよじ、くまのさんざんのしんすいにわけいりなちのたきにいっせんにちのさんろうくぎょうをなしたまい、えんぎそうでんのぎょうぎをうけしゅげんどうをけいしょうふっこうし、てんだいじもんとしゅげんどうとのけつごうすなわちさんどうゆうえのしうふうをたてられたるにはじまるそのごぞうよ、ぎょうそんなどでんとうのもんよう、めいそう、ちしきりくぞくとしてあらわれほんざんしゅげんこんにちのりゅうせいをみるにいたりたるものなり。