木祖村 Gリポート

木曽路や木祖村の話題を報告します。木曽川源流の里の議員日記。

10月5日 議会報編集委員会

2009年10月05日 | 木祖村議会と議員
10月5日 議会報編集委員会。

 今日は村報「広報きそ」の発行日でもあります。
 今年四月の議会報紙面刷新以来、掲載内容については広報と比較・調整しながら編集を行っています。これまで編集が別ということもあって、同じ表を掲載するなど内容が重複することもありました。また、議会報と村報では発行タイミングが異なるため、村政の情報提供や周知が遅れる場合もあります。

 10月の広報には前年度の決算内容がいち早く掲載されますが、今回の分にはなぜか毎年公表していた「財政指数」等が掲載されていませんでした。・・・それじゃなおさら、議会報で決算審査と一緒に掲載しよう。
 表紙は・・・やっぱり広報では成人式の写真を使ってきたか。ということで、表紙の写真もカブらないように配慮します。季節的に運動会の写真にしましょう。


 ふと窓の外を見ると、ENODENのバスが一台駐車場に止まっていました。
 水の始発駅フォーラムの企画でしょうか。ハイキング姿の観光客が村役場でトイレ休憩。

 ・・・来年NPO化して産業振興課から独立し、本当に山村ビジネスで収支を立てていくなら、ツアー企画のたびに、村のパンフレットなどを積極的にPRで配るべき。という同僚議員の意見あり。
 まあ来年道の駅ができたなら、もちろん積極的に連携し協力しあって誘客もしてゆくことでしょう。これからの発展を見守りたいと思います。


10月4日 小木曽地区運動会

2009年10月04日 | 活動日誌その他
10月4日 第22回小木曽区民運動会がこだまの森で開催されました。


 今年は元オリンピック代表選手(競歩)の酒井浩文さんもを呼んでの地区運動会です。子供たちのかけっこに競歩で勝負され、そのスピードにびっくりでした。

 村内では菅地区でも運動会が同時開催されています。一方、木祖村には「村民体育祭」というのが別にあり、こちらは薮原地区を中心に行われているようです。

 来賓席では隣に村長が座っていたので、かねてよりの疑問を素直にぶつけてみました。

 なんで木祖村はいまだに旧村の地区に分かれて別々に運動会をやっているのか。「村民体育祭」という行事があるのなら、村全体でやればいいじゃないですか?と。

 過去の事情は一応お聞きしましたが、今は人口も4千人を割り込み、ある地区は限界集落的な様相で自治力も低下しています。若いのがいないから参加できない区も出てくるという懸念は、身内同士で選手を配置すれば良い。区単位ではなく、性別や年齢別チーム編成などを工夫すれば良い。

 ふと会場の後ろに目をやると、来年オープン予定の新しいグランドが青々とした芝生も生え揃い広がっています。

 村長! 新しいグランドのお披露目も兼ねて、来年は、薮原・菅・小木曽合同で一度グランド全面を使った運動会をやってもいいんじゃないですか。と提案しました。

 異なる地区の住民が顔を合わせる機会を作り、村民が結集するのが本来の「村民運動会」の意義だと思います。

 

10月2日 木祖中・第59回おおとり祭

2009年10月03日 | 活動日誌その他
10月2日 木祖中学校「第59回おおとり祭」 9:00~
 早朝から激しい雨に見舞われたためか、出席議員も武居・中村・星と少ない顔ぶれ。父兄の出足もよくなかったのが残念です。明日のお天気に期待。

  


 恒例の全校制作「巨大アルミ缶壁画」は、今までのものより一回り大きく感じます。また、資源ごみを活用した「ペットボトル・アート」が登場し、点火式も行われました。冬に行われる薮原宿の「町並み雪明り」にも活用できるんじゃない?と、来賓からの評判も良いようです。

 今年のオープニングでは、パソコンとプロジェクターを使い、生徒が自主制作した「おおとり祭」CMのプロモーションがありました。中学生は黙っていても時代の流れに敏感です。これからも、もっと広く経験し、自由に表現をしてもらいたいと思っています。

木祖村平成21年9月定例議会/一般質問2

2009年10月02日 | 木祖村議会と議員
Q2、公共事業に源流の里らしい自然景観への配慮を


Q(星):長野県では県産材を利用した自然共生型の土木工事で、県民と地球にやさしい公共事業を推進している。自然環境に配慮した自然工法で本来の自然に近いものを将来のために残していく責任を、今私たちは負わされております。

①村内の道路・堰堤・護岸工事でも、現地発生土石や間伐材を利用した土留工や防護柵など、自然工法を積極的に取り入れ、源流の里らしい景観を作り出すような公共事業の展開を。

②最近計画が浮上した林道神谷峠線や鳥居峠線については、一部の土木業者のための一時的な事業との声も聞かれる。村では今後「水の始発駅フォーラム」という官制NPOにより山村ビジネスを展開する予定もあり、これらの作業道を将来的には一般に開放し峠への遊歩道として解放すれば、新たなハイキングルートや村民の山菜とりといったレクリエーションに活用することも可能かと思われます。税金を投入する以上、村民の土木・林業・木工関係者のみならず、できるだけ多くの一般村民にも公共事業の効果が享受できるしくみを作っていただきたい。この点についても村の考えを伺いたい。

A(副村長):①ご指摘のとおり、河川工法でも布団カゴや蛇カゴを使う工法が進められ、笹川上流でも自然石を積み上げた工法が災害復旧で行われる時勢となってきた。
 小学校前の砂防堰堤は加重や構造上永久構造物が必要とされたが、将来的には周囲の自然景観に合わせた吹き付けなど、今後の課題と考えている。

②神谷峠線については政権交代により凍結となった。計画されていた作業道は、原則切り土・盛土で、構造物は作らない。造林や除間伐がすんだら遊歩道にもなるし、放置すれば自然に戻る。今後も自然景観を重要視し、最大限の配慮をしながら工事を進めてまいりたい。



木祖村平成21年9月定例議会/一般質問1

2009年10月01日 | 木祖村議会と議員
9月17日の6月定例議会。
 星梓の一般質問および村の答弁の内容は以下のとおりです。

Q1:永久橋・菅橋の保存管理について

Q(星):旧菅橋は、岩淵バイパス等国道用地交渉の際、土地所有者との間に「旧菅橋は絶対に取り壊さずに、村で永久橋として保存してゆく」との条件があったと聞く。
 昭和8年に完成した旧菅橋は、鉄筋コンクリート製のアーチ型永久橋で、本村にに現存する橋としては形式も年代的にも貴重な近代建造物。木祖村村誌においても、本村の街道史・交通史から一定の評価がされている文化財です。
 しかし現状は廃墟と化して荒れ放題で、長野県環境部の水質監視測定点でもあるのに、橋周辺は糞尿やゴミで景観が悪化する一方です。
 史跡指定の措置を講ずるまでもなく、永久橋である菅橋は貴重な村の近代遺産として子供たちや後世に伝えることが重要です。当時の所有者が、条件をだされた意図を正しく理解したうえで、村は適切な措置を講じる義務がある。

 ①村はこの20年間、一体どのような保存管理を行ってきたのか。まずは過去の経過について説明を。

 ②当該地周辺には源流の里木祖村の歴史と景観がある。本来ならば旧中山道の変遷や菅の歴史を学ぶうえで史跡公園化したり、遠足の対象地となってもおかしくない。景観行政からも、現国道から降りる歩道や日義の巴淵周辺程度に整備されても良いと考える。
 1990年の菅橋周辺の一連の工事からすでに20年が経過しようとしている。具体的な行動で示していただかないと、今までだまされたというわけではないが、どうなっているのかという事がたくさんある。今後どう取り組むのか。後世に残す為の具体的な計画をお示し下さい。

A(教育長):①旧菅橋は本来ならば撤去されるのが普通だが、なぜか今日に至っている。それが保護保存のためか、撤去費用が無いからなのかわからない。当時の所有者との約束や経過についてもはっきりしないので、ここでは返事が出来ない。

 ②近代遺産に指定するのであれば、国の基準に基づき調査したい。また、相当の修復・復元工事に予算もいる。それらをつめた上で具体的な方向を決めてゆきたい。

Q(星):過去20年間村が何もしてこなかった事ははっきりしている。書面の有無にかかわらず、関係者と村との約束はきちんと履行されるべきです。検討したい・調査したいではなく、是非とも当時の用地交渉に関係していた現副村長はじめ、この任期中には菅橋の保存に着手していただきたい。この際村長並びに副村長の決断を求めたいと思いますが、誠実なご答弁をお願いします。

A(副村長):当該地の話は野中杏一郎氏の件だと思われ、私も後から聞いた話で詳しい経緯がわからない。ご本人と一度詳細を確認したい。
 個人的にも旧菅橋は残すべき土木遺産と考えている。以前木曽建設事務所と話をした際、当時の設計図があれば修復保存は容易とのことであった。
 まずは周辺の環境整備やヤブ刈りなどはできると思う。是非とも残せる方向で検討し、実施したい。


(2問目に続く)