黄色い拍子木

たまのをよたえなばたえねながらへば しのぶることのよわりもぞする

或る本

2006-01-31 22:25:53 | Weblog
会社帰り、本屋を覗いていた時に一冊の本が目に入りました。
「完全自殺マニュアル」という、白い装丁の何処にでもありそうな
本です。この本には思い出深いエピソードがありますが、私は
一度も読んだ事はありません。

高校生の頃、私は本の好きなただの男子高校生で、趣味をかねて
図書委員を担当していました。図書委員は図書館の受付当番が
あったり、館報を書かなければならなかったリと面倒くさい事も
多かったのですが、図書館の蔵書を購入することが出来るという、
とても素晴らしいメリットもありました。

学校近くの書店に行って、思い思いの本をダンボールに詰めて
行くのは何とも贅沢な気がしました。自分の小遣いでは買えない
雲ばかり載った写真集や話題の新刊、そしてその時の興味から
無意識に手に取った本。そんな本のうちの一冊が「完全自殺
マニュアル」でした。タイトルのインパクトに惹かれて、中身を
捲ることもなくダンボールに詰めました。

次の日、購入した蔵書にラベルを貼ろうと書店から送られた
ダンボールを覗きましたが、「完全自殺マニュアル」はありません
でした。確かに入れたはずなのになぁと思い、司書の先生に
聞いたところ、返品したとのことでした。その後「そんな本を
学校の図書館に置くことはできない」と軽く怒られました。

私もそんなに読みたかったわけじゃない。でも、タイトルに
惹かれてなんとなく、なんとなく。

17歳の私は、自殺したかったのかもしれない。その頃は自分が
この世に居ても居なくても地球は回るし、ニュースは止め処なく
生まれ続けるし、早く人生が終わってしまえばいいのに、って
思っていました。

結局そんな事もなく、あの頃に比べると格段に幸せでも不幸でも
ないけれど今もこうして生きています。いいか悪いかなんて判断は
つきません。ただ、私は居ても居なくてもどちらでもいいのではない
だろうか?という一番重い元素がにび色に光る気配に似た感情は
相変わらず、心の隅々を隙間なく埋めているけれど。

死に近づきたくなる衝動と、そうでない感情と。私の中ではそれらが
絶え間なく鬩ぎ合っています。それはさっさと終わってしまえば良いと
考えていた「人生」が終わるその日まで続くのでしょう。それらが
鬩ぎ合っている理由や答え、原因なんかが解かることは決して
無いにしても。
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3 コメント

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その本 (ジャスミン)
2006-02-01 00:49:28
俺も同じく高校生の頃、手に取った事があります。

君と違うところは、ちゃんと読んだところ。



知ってるかなぁ?

この本は、実は『自殺を防止する』

という事を前提に書かれているんだよ。



一度読んだらわかると思うけど、

死ぬのって結構大変なんだよ。

あえて方法をすべて書く事によって

そんな面倒な事をするよりも、

とりあえず今を頑張って生きる方がまだ楽だって事を

読者に教える為の本なのです。
返信する
旅先で (Mee)
2006-02-01 13:51:21
旅先で、時々、今は亡き人たちのことを思い出していました。



私は今、これを見て驚いたりしているし、また新たに色々見て食べて経験していくだろうけど、あの人達にはもう無い、ということを考えたりしていました。



高校生の時、友達が死んでしまって、なんで彼が居なくなったのに地球が回るのか理解できませんでした。

なぜ、普段通りに同じテレビ番組をやっているのか。



彼を知らない人にとっては同じ日々でも、私にとっては人生が変わってしまった日でした。
返信する
Unknown (・×・)
2006-02-04 00:35:10
>>ジャスミソさん

どういう内容って言うのは知ってたよ。

他人の伝聞だけど。それでも、読まずにいるのは

本当は読みたくないからなのかも。



どんな方法でも、形状でも、死に向かう

瞬間は苦しいんやろうねぇ。老衰でさえ

しんどいと思うよ。だって息が止まるんだからね。



普段はいえない事も、言っては気まずい事も

こうしてここに書けるから、何かしらの黒い

モノが溜まらずにいれるんでしょうね。



>>Meeさん

旅行は楽しかったみたいで何よりですね。

私も宇都宮、結構楽しみです。嗚呼、マグリットが

待っている。



何があっても地球は回るんですよ。



私は祖母が死んだ時に、Meeさんがご友人を亡くされた

時のような感情を抱きました。本当に昨日と大して

違わない日常が流れ、テレビはクダラナイバラエティを

流していました。でも、この地球上の何処を探しても

祖母はいないんです。祖母を構成していた物質は寸分

違わず地球上にあるはずなのに、もう祖母の形をして

いないんです。



凄く寂しいし悲しいけれど、私はそのことに希望の

ようなものを感じました。
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