黄色い拍子木

たまのをよたえなばたえねながらへば しのぶることのよわりもぞする

或る家族

2006-01-31 23:19:23 | Weblog
今朝、ある些細な出来事がありました。

私はその出来事を通して、私達「三人」の家族は今まで
どおりのように暮らしてはいけないことに気がつきました。
今までどおり、比較的安寧に家族という枠を、関係を維持
するなら

・父との関係を切断する
・私が家を出て行く

のどちらしかないように思われます。母にとって終の伴侶に
なるであろう父を母から引き離すなんてことはできそうにも
ありませんので、必然的に後者の選択肢になるのでしょうか。

今まで、家族が私を束縛してきたかのように思っていましたが、
それは大きな間違いでした。私が母を束縛し、更にいえば
家族を束縛してきたのかもしれません。これ以上、壊れて
バラバラになって、痛いくらいの孤独感を感じるのはイヤでした。
早く人生が終わってしまえばいいなんて考えるのもイヤでした。

でも、結果として親密すぎる家族は呼吸困難な関係になって
いたのかもしれません。ただ息苦しいだけの、生活をするため
だけの集団に成り下がっていたのかもしれません。

色々と書き連ねていますが、本当の事などは何も解かりません。
でも、こういう風に思うということは、そういったことの片鱗が
家のいたるところに染み出しているのでしょう。

家族って何なんでしょうね。我が家のように比較的安寧な家族も
居れば、子が親を殺す、親が子を殺す考えられないような絶望
満ちる家族も居ます。

たった一人の人間でも複雑であるのに、それらが群体として生活
する家族という存在。そのそれぞれにはそれぞれの意味があり、
日々は営まれています。

私は、そこにどのような意味があるのか、今は全く見つけることが
できません。

それがため、家を飛び出し、たった一人で暮らしたいのかもしれません。

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