黄色い拍子木

たまのをよたえなばたえねながらへば しのぶることのよわりもぞする

意識不明

2017-01-12 15:39:55 | Weblog
フィリピンから帰ってきてから、記事を一度更新していたことすら、完全に忘れてしまっている始末。あまりにも長すぎる夏休みにて、私の意識はもうほとんど死んでいるように思われます。

いくつか立てた今年の抱負のうち、ひとつは「BLOGを更新する」にしました。今日、こうやって更新してしまえば達成できてしまうイージーすぎる目標です。今、手元には両手からあふれ出て我が家を完全に満たしてしまうほどの時間があります。どこに行ってもいいし、何をしてもいいのです。でも、どこにも行かないし、何もしません。何も、と言っても日常に必要なことはしますし、映画をみたり、ゲームをしたりはします。有意なことをしていない、例えば勉強するとか、もっといい仕事を探すとか。人間とは本当に自分勝手なもので、暇ができると怠惰になります、目標もない場合。

去年の今頃は、何年越しかの願望がまもなく成就するということもあり、生きている実感がありました。今は、まったくありません。ただ起きて、ただ食べて、ただ眠る、何という怠惰。親友曰く、こういう時期も必要とは言うけれど、周りにおいて行かれる孤独感や焦燥感があって、何を(それこそ優位なこと)をしていても、落ち着きません。

根本はわかっているんです。今、したいことがありません。一応、ほかの抱負として「大学を卒業できるだけの単位を取得する」とか「TOEICで今よりいいスコアを取る」とかもあるんですけれど、特にないから仕方なく。大賞該当が無くて、佳作ばかりが並んで白けてしまっている、そんな感じでしょうか。お内裏様とお雛様のいない雛飾り、頭のない達磨落とし、炭酸のないコーラ。満たされます? ほら、満たされないでしょう、想像するだけでむなしくなってしまうし、何をもって意味があるかという話もあるけれど、無意味に思えるでしょう。

今いるのは、IKEAのレストランの窓際。窓からは映画の「ヴァニラスカイ」で出てくる、あの空のような色彩のシンフォニー。36歳のおっさんがこんなところで何しているんでしょう。誤解を招かないように、これだけは言いたいのですが、会社を辞めてフィリピンに行ったことは全く後悔していません。むしろ、自分のしたいと思ったことを実際にできる人はどのくらいいるんだろう?と思うと、誇らしくすらあります。辛いのは、次のしたいことが無いだけでなくて、思いつきもしないし、思ったところで、本当に興味のあることがどうかがわからないということです。婚活が生活の柱で、結婚することが目標になっている女の、そのダイレクトすぎて、本人もうまく説明できないであろう純粋な野生と野蛮。そんなもの全くほしくない。でも、その姿勢がうらやましいのです。妬ましくすらあります。今、私にはないんだから。渇望が。ものすごく喉が渇いているのに、飲みたいものがわからないし、それは水ではないという錯乱です、私が今溺れて、どうしようもなくなっているのは。

餡子の入っていない最中。
押せば崩れるし、食べても失望する。満たされているのは無意味。

そうして、また今日も日が暮れる。
ヴァニラスカイも少しずつ、虎屋の羊羹みたく、粘りを増して静かな暗闇に染まっていきます。
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