黄色い拍子木

たまのをよたえなばたえねながらへば しのぶることのよわりもぞする

Hyper sweet words & actions

2008-03-30 22:19:26 | Weblog
昨日の夕方、闇夜に愛され始めた神戸空港にて。

友人たちと神戸空港でお茶を飲んだり、飛行機を眺めたり、
デッキから三宮市街を眺めていました。恋の話をしながら。
幸か不幸か、全員に恋人は「今のところ」なく、自由を謳歌
しつつも、力強くも弱気な孤高のハートを持て余していたの
でした。

そのときにふと思ったこと。

甘い言葉やくさいせりふを言ってみたい!と言う話になって、
「それはないわ~」なんて言い合っていたのですが、そういう
ものこそ、本当は言わなくてはならないではと思ったのです。
幸せである、満ちている、そういうものを結晶化した角砂糖や
金平糖のような言葉を、です。

誰もが恐れているんですよ、そういう仕草や言葉を放った瞬間に
ネガティブな烙印を押されてしまうことを。でも、いわれた方は
呆れつつもそんなに嫌な気持ちにはならないでは無いでしょうか。
少なくとも、私は分かりやすいアクションに、分かりやすい
リアクションを意識せずに返してしまうでしょう。まあ、そんな
瞬間そのものがないんですけどね、残念ながら。

使いすぎてはいけません。
でも、一度だけ、少なくとも一度だけは黄金色の夢を紡ぐのに
必要なのです。

同じような体験が、先日見に行った、宝塚歌劇の「Me & my girl」で
ありました。ストーリーは良くあるコメディ&ハッピーエンド
(でも社会への皮肉もチラリ)でしたが、見終わった私はとても
満ち足りた気持ちになりました。忘れかけていた幸せの色は何か、を
思い起こされたような、そんな気持ちです。最近、こういう分かり
やすい話が評価される事が少ないように思います。
もちろん、喜劇ばっかりじゃ世間は終らぬ春に塗れてしまうでしょう
から、たまには。

きっと、誰もが幸せに触れること、それを表すことを「タブー」と
しているのでしょうね。なぜでしょう。ひとまず、テレビを投げ捨て
れば何かが分かると思うんですけどね。
コメント (3)
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形あるものはいつか

2008-03-30 21:45:26 | Weblog
夕飯を食べ終えて、後片付けをしているときにマグカップを
ひとつ割ってしまいました。白地に薄い青で花の絵が絵付け
された、1000円のマグカップ。

突然、大音響とともに、あとは静寂で。
数秒の内に起きた惨事に、親しい人を突然亡くしてしまった
ような感触に襲われました。不覚にも、少しだけ泣いてしまい
ました。

たかだか1000円のマグカップ。
でも、もう二度と戻らないのです。破片は四方に飛び散り、
かつて私を幸せにしてくれた機能は二度と再現できないのです。

さようなら。
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