昨日の夕方、闇夜に愛され始めた神戸空港にて。
友人たちと神戸空港でお茶を飲んだり、飛行機を眺めたり、
デッキから三宮市街を眺めていました。恋の話をしながら。
幸か不幸か、全員に恋人は「今のところ」なく、自由を謳歌
しつつも、力強くも弱気な孤高のハートを持て余していたの
でした。
そのときにふと思ったこと。
甘い言葉やくさいせりふを言ってみたい!と言う話になって、
「それはないわ~」なんて言い合っていたのですが、そういう
ものこそ、本当は言わなくてはならないではと思ったのです。
幸せである、満ちている、そういうものを結晶化した角砂糖や
金平糖のような言葉を、です。
誰もが恐れているんですよ、そういう仕草や言葉を放った瞬間に
ネガティブな烙印を押されてしまうことを。でも、いわれた方は
呆れつつもそんなに嫌な気持ちにはならないでは無いでしょうか。
少なくとも、私は分かりやすいアクションに、分かりやすい
リアクションを意識せずに返してしまうでしょう。まあ、そんな
瞬間そのものがないんですけどね、残念ながら。
使いすぎてはいけません。
でも、一度だけ、少なくとも一度だけは黄金色の夢を紡ぐのに
必要なのです。
同じような体験が、先日見に行った、宝塚歌劇の「Me & my girl」で
ありました。ストーリーは良くあるコメディ&ハッピーエンド
(でも社会への皮肉もチラリ)でしたが、見終わった私はとても
満ち足りた気持ちになりました。忘れかけていた幸せの色は何か、を
思い起こされたような、そんな気持ちです。最近、こういう分かり
やすい話が評価される事が少ないように思います。
もちろん、喜劇ばっかりじゃ世間は終らぬ春に塗れてしまうでしょう
から、たまには。
きっと、誰もが幸せに触れること、それを表すことを「タブー」と
しているのでしょうね。なぜでしょう。ひとまず、テレビを投げ捨て
れば何かが分かると思うんですけどね。
友人たちと神戸空港でお茶を飲んだり、飛行機を眺めたり、
デッキから三宮市街を眺めていました。恋の話をしながら。
幸か不幸か、全員に恋人は「今のところ」なく、自由を謳歌
しつつも、力強くも弱気な孤高のハートを持て余していたの
でした。
そのときにふと思ったこと。
甘い言葉やくさいせりふを言ってみたい!と言う話になって、
「それはないわ~」なんて言い合っていたのですが、そういう
ものこそ、本当は言わなくてはならないではと思ったのです。
幸せである、満ちている、そういうものを結晶化した角砂糖や
金平糖のような言葉を、です。
誰もが恐れているんですよ、そういう仕草や言葉を放った瞬間に
ネガティブな烙印を押されてしまうことを。でも、いわれた方は
呆れつつもそんなに嫌な気持ちにはならないでは無いでしょうか。
少なくとも、私は分かりやすいアクションに、分かりやすい
リアクションを意識せずに返してしまうでしょう。まあ、そんな
瞬間そのものがないんですけどね、残念ながら。
使いすぎてはいけません。
でも、一度だけ、少なくとも一度だけは黄金色の夢を紡ぐのに
必要なのです。
同じような体験が、先日見に行った、宝塚歌劇の「Me & my girl」で
ありました。ストーリーは良くあるコメディ&ハッピーエンド
(でも社会への皮肉もチラリ)でしたが、見終わった私はとても
満ち足りた気持ちになりました。忘れかけていた幸せの色は何か、を
思い起こされたような、そんな気持ちです。最近、こういう分かり
やすい話が評価される事が少ないように思います。
もちろん、喜劇ばっかりじゃ世間は終らぬ春に塗れてしまうでしょう
から、たまには。
きっと、誰もが幸せに触れること、それを表すことを「タブー」と
しているのでしょうね。なぜでしょう。ひとまず、テレビを投げ捨て
れば何かが分かると思うんですけどね。