黄色い拍子木

たまのをよたえなばたえねながらへば しのぶることのよわりもぞする

single

2008-03-15 22:33:54 | Weblog
デジタルカメラで撮った画像を整理していると、2003年9月の画像が
出てきました。被写体は母やプードル犬、黄色い花と自分でした。
その瞬間から5年ほどたった今、どれ程かはわかりませんが、私も
少しは大人になったのではと思います。

でも、周りのほうがよっぽど大人になっているんですよね。
ある人は結婚して、ある人は母親になって、ある人は父親になって。
この人はやっぱりシングルで。

そうね、同じシングルでも、私は8cmの方だと思います。

世間的に、シングルであることは未熟とみなされます。例え、たった
一人で日々の家事をこなし、生計を立てていても。父親は事ある度に
結婚の可能性があるか否かを詮索しますし、職場もそういう類の話が
ぽろり、ぽろり。本当に大きなお世話。私は結婚という事に、何の
メリットも感じないのですから。不感症?上等!

その点、母親は何も言いません。誰か結婚を「アフラ=マズダ」とする
ならば、そこに潜む「アンリ=マンユ」の可能性を指摘し、必ずしも
結婚が幸せに結びつかない事を示します。私だってそりゃあそうだ、と
思うのです。なんせ、何のメリットも感じないのですから。
とはいえ、母親はこの話とセットで
「・×・が一人でおったら寂しいやろうから、優しくしてくれる
誰かが追ったらええんやけどな。お母さんも安心できるし」という話を
します。

気遣っていただいて本当にありがたいのですが、ちょっと前まではこの話
すら、私は一笑に付していたのです。何たる親不孝。

でも、先日の喪より、私は考えが変わったのです。

あの日、私は生きている証として忙しくスーツなどを買い求めていました。
不祝儀袋に名前を書いたり、式場を確認したり。ひと段落した時、ふと
思ったのです。

寂しい気持ちを、誰かと分かち合いたいと。心の奥底から滾滾と湧き出る
寂しい気持ちを。些細な事でいいのです、思ったことを少しだけ話して、
寂しい気持ちを知って欲しい(分けてあげる)のです。

そう思うと、結婚をしようがしまいが関係なく、パートナーが居る事は
それを満たせるだけで素晴らしい事だと思ったのです。

ええ、オセンチですよ。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする