黄色い拍子木

たまのをよたえなばたえねながらへば しのぶることのよわりもぞする

from to

2006-12-01 20:58:23 | Weblog
そして、彼は逝ってしまいました。日が落ちて間もない頃に。
それでも、やはり地球は回りつづけるのです。

とてつもなく悲しいけれど、もう持病で苦しむ事もなく、
盲目や難聴で困ったりしなくてもいい彼自身の事を考えると
安堵のようなものを感じます。とても、とても、変な気持ち
です。

祖母が亡くなった時、残された親類一同(勿論私含む)の
感情が壊れてしまった事を思い出しました。泣いていたかと
思えば笑い、笑っていたかと思えば嗚咽する、そんな感情が
混乱している状態をです。

暫くは寂しい日々が続くだろうなぁ・・・君が尻尾を振って
出迎えてくれたり、休みの日に起こしに来てくれたりしない
からね。でも、君が逝ってしまう時、あまり苦しまなかった
のは本当に良かったと思うよ。

知り合いの牧師様に聞きました。キリスト教では飼い犬が
死んだとき、何処にいくのですか?と。そうしたら、「大好き
だった人、もしくは愛してくれた人と一緒にいるよ。その人の
声が聞こえるように」との事。

仏教なら、涅槃に行くのでしょうか。すでに逝ってしまった
家族と一緒に輪廻の輪を回るのでしょうか。であれば、
向こうには祖母が待っているだろうから、彼も寂しい思いを
して、私たちを待つ事も無いでしょう。

数十年なんてすぐだよ。私たちを忘れずにいておくれ。
また会う、日まで。
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ABORTオプション付きの死

2006-12-01 11:33:26 | Weblog
幸いにも、彼は目を覚ましました。でも体調は思わしくなく、
相変わらず息荒く、心臓発作に伴う咳もしています。目は
空いているものの、虚ろに何処でもない何処かを見つめて
います。

ここ数日私自身の体調も思わしくなく、3月末で転職に伴い
消滅してしまうであろう有給休暇を消化せねばと言う思いも
あり、本日はお休みを頂きました。ズル休みといえば、そう
言えなくも無く。

家人が仕事に出かけた後、彼は突然むくりと起き上がり、
何をするでもなく立ちつづけ、ばたりと倒れました。私は
ハッとなり、来るべきときが来たと覚悟を決めましたが、まだ
彼は生きていました。ただ、自分自身を支える力すらなくなって
いる事を知るには十分すぎる挙動です。

もう自力では登ることも出来ない、お気に入りのソファに
横たわらせてやり、ブランケットをかけてやりました。安心した
のか、モゾモゾと寝苦しそうにする事も無く、少し楽そうな
表情を見せました。

昨日、「チョコレート」とタイプしたときに涙が零れました。
草むらを風のように駆け抜ける姿や、怒られてションボリとする
姿、かくれんぼをしていて私を見つけたとき、ちぎれんばかりに
尻尾を振って喜ぶ姿。それらの懐かしくも、確かに実在した
かつての彼の姿が脳裏に浮かんだのです。

突然バタンと倒れたとき、驚きはしましたが泣きはしません
でした。生きる限り、逃れる事の出来ないシャットダウンが彼に
来る事を、覚悟できたからかもしれません。それでも、そのときに
悲しみは止め処もなく溢れるのだろうけれど。

さて、話は変わりますが、友人夫妻に女の子が誕生しました。
母子とも健康との事で、安堵しております。彼女が健やかに、
幸せに育っていってくれる事を祈らずにはいられません。

友人に新しい命が授かった事を母に言うと、決まってこう言い
ます。「出産って凄く危険な事なんやで。」と。当たり前のように
存在しているような感がある私も母も、ギリギリのラインを渡り
ながら世に生まれ出たのですよ。微妙でどちらかが、あるいは
二人ともこの世のもので無かった可能性があるのです。人に
限らず、プードル犬も他の生命も何もかも。

一方、リンクを辿りて行き着く先に、2週間後に自殺する人の
ブログがあります。最新の記事では今すぐに死にたいのだとか。
彼の精神状態はあまり良くないのは自殺したい、という事で十分
すぎるほど判るのですが、今死ねない人が、2週間後に死ねる
でしょうか?私は死ねないと思いますよ。

死にたいのなら、誰にも迷惑を掛けずに死になさい。迷惑には
心理的なものも含まれていて、身の回りから散々嫌われてから
死になさい。自殺により、誰かに感傷を与える可能性が有るの
なら、もしくはそれを願っているのなら、自殺する資格は無いの
ですよ。自殺により、誰かの心を殺しているのなら自殺では無いの
ですよ。世の中でもっとも下劣な犯罪、テロと何ら変わりません。

それ以前に、もったいないですよ。現状が厭なら逃げればいいの
です。近くでも、遠くでも。距離ではなく空間から。撤退の英断を
下す前に自決するなんて馬鹿げています。私みたいに、逃げれば
いいのですよ。

「逃げて逃げて逃げつづければ、何処かにたどり着く」の台詞は
なんの小説だったでしょうか。

1時間に1回、彼の寝息を確かめます。そして、息をしていることに
安堵するのです。

まだまだ生きたい彼や生きたかった母の友人は死に向かい、
向かったのに、なぜ自ら死に行く人がいるのでしょうか。存在する
ものに無意味な物は何も無いのなら、この矛盾にはどのような
意味があるのでしょうか。

今日も何処かで誰かが生まれ、何処かで死んでいきます。
そのうち、いくつかの命が自らシャットダウンされています。
明日も、あさっても。
コメント (2)
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