今日は終戦記念日です。
そして「敗戦記念日」でもあります。
あらかじめ書いておきますが、この「敗戦記念日」と言う
言葉に恨めしい気持ちや臥薪嘗胆などと言ったものは
込めておりません。単に事実としての「敗戦」です。
アメリカと大東亜戦争を戦い、そして敗北しました。
ただ、その事実が存在しているだけです。
そしてその事実の一部部分として祖母の兄が戦争で
死んだ事実、祖父がシベリアに抑留された事実、
数多の日本人が空襲で焼け死んだ事実、南洋で戦死
した事実があります。
彼らを弔う事が「悪」でしょうか。
国のためと命を失くした国民を、内閣総理大臣が
弔うことは当たり前の事ではないでしょうか。
諸外国が何と言っているのか、わが国を囲い、八尋に
広がる海の波音がかき消してしまうので、私には
聞こえません。
ただ、それを不謹慎と声高に言うものたちが同じ
日本人に居るという事に憤りを感じます。彼らの犠牲が
あり、生き延びた者たちが居たからこそ、私がここに
居るという事実があるのです。無くなった私の祖母の
親族、祖父の親族を一国の総理大臣が弔ってくれる、
私ですら顔も知らない彼らを弔ってくれるのです。
これをどうして罵り、挙句妨げることが出来るでしょうか。
そして「敗戦記念日」でもあります。
あらかじめ書いておきますが、この「敗戦記念日」と言う
言葉に恨めしい気持ちや臥薪嘗胆などと言ったものは
込めておりません。単に事実としての「敗戦」です。
アメリカと大東亜戦争を戦い、そして敗北しました。
ただ、その事実が存在しているだけです。
そしてその事実の一部部分として祖母の兄が戦争で
死んだ事実、祖父がシベリアに抑留された事実、
数多の日本人が空襲で焼け死んだ事実、南洋で戦死
した事実があります。
彼らを弔う事が「悪」でしょうか。
国のためと命を失くした国民を、内閣総理大臣が
弔うことは当たり前の事ではないでしょうか。
諸外国が何と言っているのか、わが国を囲い、八尋に
広がる海の波音がかき消してしまうので、私には
聞こえません。
ただ、それを不謹慎と声高に言うものたちが同じ
日本人に居るという事に憤りを感じます。彼らの犠牲が
あり、生き延びた者たちが居たからこそ、私がここに
居るという事実があるのです。無くなった私の祖母の
親族、祖父の親族を一国の総理大臣が弔ってくれる、
私ですら顔も知らない彼らを弔ってくれるのです。
これをどうして罵り、挙句妨げることが出来るでしょうか。