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愛と青春の悩める老人(シリーズ:生まれ出ずる悩み)

2021-02-19 08:35:23 | 夢洪水(散文・詩・等)

      愛と青春の悩める老人      
  (シリーズ:生まれ出ずる悩み)  


ワシは、ひかえめで、おとなしくて、あまり責任を負わぬ人間になるべきだったが、そんな人間を、とことん軽蔑してやまない人間なのじゃ。しかし、ワシが積極的で情熱的で、ちゃんと責任を果たす人間になるためには、あまりにも無能じゃった!

ワシは前者のタイプの中に、必死に埋まり込まねば、生きてなんかこれなかったのじゃ。しかし、後者のタイプの中でも、殆ど偶然による無能の勝利を願ってきたのじゃ。まったく、そのような甘い期待がワシを蝕んできたのじゃ。全能になろうなんて、実に大それた夢を抱いている、ワシャー、この愚か者め!何故、ロボットじゃいけなかったのじゃ?

何故、小心者でいけなかったのじゃ?ワシはワシ。自分は自分の中だけで生きていればよいのじゃ。ワシの、殆ど偶然でもよいから、奇跡的な無能の勝利を意識していれば、いいのじゃ。よいではないか。他人には分からぬワシだけ、内に秘めた偉大な勝利を感じていればよかったのじゃ。

しかし、ワシは、この年になっても耐えられそうもないのじゃ。わかっちょるんじゃ。全てが屈辱なんじゃ。女房の顔も、息子や孫の態度も。家族の不参加。何もしない息子夫婦の怠惰。自分の利益にしか身体を動かさぬ娘の高慢で利己的な生き方。まったく、ワシャー我慢ならん。

それでいて、ワシのような弱い立場の人間の領域には、こそこそと調子よく足を踏み入れて、次第に安心と分かると、大きな顔をし始めるんじゃ。最近の奴らには道徳も理念もありゃしないのじゃ。

奴らの求めるものは狡知と、欲望の充足だけなのじゃ。そのために、偽善いや、いいわけじみた奸計を練るのじゃ。汚らわしいのう!見事に汚らわしいのう!無意識の域まで、しっかりと穢れているのう。腐っとるんじゃぁぁ!奴らは、その動作の中にチラチラと軽蔑の念を浮かべるのじゃ。ワシが老人じゃから少しボケとると思うとるに違いないのじゃが、あいにくワシは感性豊なのじゃ、まだまだ。

しかしワシは平静を、どうしても保て無いのじゃ。だからといって、ワシも負けてはならないのじゃ。全力で、逆にワシが奴らを軽蔑する事だけに意識を集中し、侮蔑の言葉を空想するのじゃ。それでもって、やっとワシの中に、一つの高尚な平穏が現れるのじゃ。それは、一つの安心じゃ。生きることと死ぬことへの安心なのじゃ。

ワシは高校時代から60才を過ぎるまで、いつも死を意識しとったのじゃ。何万回も、自殺しようと思ったのじゃ。18才の時、とにかく60才までには死んでしまおうと決意したものじゃ。その死の決意の意識こそ、ワシの誇りだったし、理想だったわい。その意識があるということが耐えず、ワシを元気づけ、励まし、明るさを保つ糧となったんじゃ。

全ての生、息をしたり、太陽を見て暖かい陽射しを正面から浴びたり、わいわい仲間と話しをしたり、それら全ての対極にあるもの、それが死なのじゃ。その死を、耐えず意識してるっちゅー事が、ワシに、世間のたわけどもに対する超然たる優越の感情を与えずにはおかなかったのじゃ!

凡人どもめ貴様らみたいな、たわけたアホぅとは違うんじゃ、と心密かに、死の意識を隠し持つのだわい、この快楽よのう。ワシは生あるもの全てに対して、誇らかで高い気分で満たされてきたのじゃ!

時が、たったのぅ、一度だけ自殺らしき事をやって、還暦を迎えたわい。60才になった時、ワシの身体から強い力のようなものが、すぅっと、地の底か空気天井へ消えていったのじゃ。ワシに死の意識を与えるワシは完全にモヌケのからと化してしまったのじゃ。ワシは死ななかったのじゃぁあ!

18才から60才まで、ワシは死でいっぱいじゃった。毎日毎日。大学へ行き、就職し、結婚し、子供を作り、仕事をし、孫ができて、定年を迎えるまで、ワシは毎日、死を読んでいたのじゃ。太宰治や芥川龍之介が一番、貢献してくれたようじゃ。最近の文学はダメじゃ、漫画なんぞ、以ての外じゃ、あんなもの読んだら家系の恥じゃ。ワシは太宰の自殺のヶ所を何千回も酔いしれて読みまくってきたんじゃ!

ワシが人生で初めて心の底から感動を覚えたのは18才の頃じゃった。素晴らしい時代じゃった。それから60才まで、死を意識して超然と人々と付き合い、楽しげに暮らす事の素晴らしさじゃ。ワシは回顧する。18才から60才、あれは全てワシの人生の頂点と言っていいほどじゃ。

凡俗でたわけた貴様らが、どんな人生観を、どんな論理を知識を、まくしたてて、ワシを脅かそうとしたって、ワシの中に静かに不敵に流れる死の覚悟に対しては、何の効力も持たなかったのじゃぁぁぁぁぁアア!ざまーみさらせぇぇぇエエ。ワシは、得意だったもんね。貴様ら、たわけどもは、薄汚いブタなのじゃっとな。へーっへっん。薄ら笑いを、いつも浮かべてたのう。貴様ら、たわけどもの、あざけり笑いにも平気で同調してやったんじゃ、かっかぁ~。そんな事は何でもなかったのじゃー。じゃがのう、ワシは60才までに死ぬつもりじゃったもので、なんと気づいたら死ぬ予定を通過してしまったのじゃ。 死はワシの60才までの空想の中で実行されてしまったのじゃ。空想の中で理想は自殺を遂げ成就し、ワシは、現実のワシは、抜け殻になって、ポンと放り出されてしまったのじゃ。その後のワシに、ワシは何を要求したらよいのじゃろう。60才で定年を迎えてしまったワシに・・・・。

死の意識は単なる遊びだったんじゃろうか?抜け殻になったのは、単にワシが老いぼれて定年を迎えて、はじめて無職になって暇で暇で仕方がないからじゃろうか?それならば、それでよいんじゃ。それなら、まだ、ワシはワシの理想に望みをたくせるのじゃ。遊びを続けていけばよいのじゃ。くちびるに死を、心に死を持てじゃ!それにしても暇じゃ、、、いかん、いかん、遊びを続けるのじゃ。そうでなくては、決して定年前の平穏は得られないじゃろーう。

じゃが、今、死の決意ができるかのう。こんなに老いぼれて屈辱的で、ひねくれ、女房にも息子達にも疎外され、すっかり無感動になってしもうた、このワシが。還暦、過ぎてから幾年月、ワシは死ぬための感動なんか、実は、もう、ちっとも感じる事ができないのじゃ。うっうっ。還暦前に、やはり後に楽しみを残そうなどと、みみっちい事を思わずに、きっぱりと死ぬべきじゃったのかものぅ。

ワシは生きる死人なのじゃぁっぁあああああアア!もう、たわけた他人どもに触れて欲しく無い・・・ない・・・ないんじゃぁあぁあアア!ワシの消えてしまった死を、汚してほしくないのじゃ。お前たち、妻や息子たちや孫たちや友人や世間のたわけどもとは、縁を切りたいんじゃ。ちっくっしょーーーーーぃいっ!でも、ワシは貴様らタワケらに、どうにも切っても駄目な期待を持っとるらしいのじゃ。ガッチョーン!ほいほいと、のこのこニコニコ、てめぇらと供に行動してしまうのじゃ。くそぉ、たわけ!たわけ!ワシは、ますます、生きながら死んでゆくのじゃ。無感動にじゃ! 本当は貴様らタワケどもを全員、叩き殺してやりたいんじゃ。
かぁーーーーーーー!目玉を抉り出し、脳味噌を握りつぶし、内臓をぐちゃぐちゃに踏み潰しても、ワシは、まだ足りないんじゃ。貴様らタワケどもが憎いんじゃぁ。
ワシを邪魔くさそうに扱う、その薄ら笑いが死ぬ程、憎い!黙って念仏唱えてろジジイって顔に書いてある、その黙った顔が、ワシをぶちのめすんじゃ。くそぅ!スカタンめ!

タワケめ、死にやがれい!苦痛にまみれて死にやがれい!お前もじゃ!お前もじゃ!全員じゃ!皆、泣き叫んで死ねばいいんじゃぁあ!


・・・ワシの中のワシの死は、もう、還暦過ぎてから老いてしまったからのう。老いた死は、ワシに無気力と無力と憤懣と退屈しかもたらさぬんじゃのう。死を決意させる感動すら、ないのじゃ!!ただ、生きたふりをするのみなのじゃ!さよなら、ワシの死。ちゃんちゃら可笑しいわい。ワシは死んだ生き老人として、物みたいに暮らしてゆく事じゃろーな、すっとこどっこいが。

ワシは人類の死滅を念願するのじゃ、イッシッシィ。楽しみは、それぐらいかのぅ。しかし、のう、生きてる限り、ワシにも無意味な欲の広がりが、時々、湧きあがるのじゃ。しかし、しかしじゃ、静かに、それは納まり消えるのじゃ。我慢じゃ。忍耐力さえ、あればじゃ、次第に、さらに老いて痴呆が進み徘徊でも、し始めたとしても、感動が無くとも、自然に死んでゆく事ができるのじゃ。ほら、みぃ。死は、やはり生きる糧じゃないかいな。死は、カスガイってね。がっはっは。

しかし、まあ、今後、現実問題どうするかのぅ。やはりワシは、静かにじっと内にこもっていようかのぅ。何も起きないのぅ。たわけた他人に言われれば、余りに屈辱的な事以外は無表情のニコニコで、すんなりと従ってやるんじゃ。そして屈辱が身体中を流れ始めたら、ダッシュでトイレの横のワシの部屋に逃げ込むのじゃ。そして、こーして、ぶつぶつ書くか、寝るかの、どちらかってことになるんじゃろうのぅ。もう、ワシは読書と日記と最低限の欲望の充足以外は何もしないのじゃ。何も、してはいけないのじゃ!ちゅーちゅーたこかいな。

仕事、するかのぅう。やはりのう、暇なんじゃ。けんどコロナ不況じゃし、サラリーマンで特に技能を持ち合わせぬワシにはなかなか仕事が見つからないのじゃよ。取り合えず、仕事を見つけるまで、当分の間は部屋に逃げ込んでおるんじゃ。ふん、所詮、仕事を見つけたら、この今のワシの中に仕事が入り込むだけじゃ。タワケどもに要求したり、自ら行動を起こしたり、タワケどもに挑んだりしてはいけないんじゃ。ワシは完全な受動人間になるのじゃ。それが、いかに、口惜しくてもじゃ。そうするのじゃ。それがワシの生きる道。そうせねば、ワシは限り無く続く、自己撞着と自分の無能に悩まされることになるからじゃ。

ああーよっこいしょっと。ワシは、遥かな光の溢れる草原で、ひとりぼっちになりたいのぅ。静かに、静かに。美しく厳しく正義感にあふれた、優しいオナゴたちと一緒に、ひとりぼっちになりたいのぅ。いひひぃ。でも、それも幻想なんだからのぅ。ラリパッパじゃ!

おお!ピンと来たぞな、もし!
ワシは、突然わかったのじゃ!ワシは愛してるから完全なものを求めてきたんじゃ。愛してる!完全なものを求めてる!からこそ、腹を立ててしまったんじゃ。たわけめ。本当に嫌いな人間はワシを、ただゾッとさせ、怖がらせるだけじゃ。きゃつら、たわけには、ワシは完全なんて一寸も求めとりゃせん。きゃつらは唯、消えてしまえば良いのだ。ワシの目の前から永久にのぅ。愛する人も嫌うタワケもワシは同じ様に憎むが、嫌いなタワケに対しては、おびえが混じるのじゃ。愛する人には、仄かな希望が混じるのじゃよ。その区別を、はっきりとつかむ事じゃ、ニガしては、いけないのじゃ!

と還暦を迎え、定年で無職になってから、ワシは、このように毎日毎日、延々と人生に悩み続け、気付くと、もう実は90才を過ぎておったのじゃ。仕事は無い、無いんじゃぁぁぁぁ!たわけめぇぇエエ!ワシには、まだまだ未来があるのでのぅ、仕事も探さにゃならんし、人間関係の悩みも尽きぬし、あれこれ戦略をねらねばならんでのう。しかし、老いても老いても悩みは尽きぬものじゃのぅ。自殺を支えに内に死を抱き死の理想に燃えて生きてきた還暦までの人生が懐かし~~~い!

しかし、なかなか死なんのう。いったい、ワシは、いつ死ぬんかいな!かえるのつらにしょんべんじゃぁー!

こりゃまた、失礼いたしましたぁぁっぁぁあ-------------!

かぁーーーー、ぺっ!ぺっ!


       kipple



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