真面子の社会観察日記

社会で起きている様々なできごとを真面目に言いたい放題!

桂歌丸師匠が亡くなって寂しい

2018年07月05日 | Weblog
日曜夕方の楽しみは笑点だった。子供の頃から日曜だけは家族全員で笑点とサザエさんを観て、早めの夕食を済ませて、明日からの1週間の準備に取り掛かったものだ。先日桂歌丸師匠が亡くなった。笑点の司会を降板した頃から体調不良なんだろうと思っていたし、体重が38キロくらいしかないって聞いてやせ細ったな=というのが感想だった。 

「まだ生きてます」「死ぬ死ぬ詐欺なんて言われてます」。ここ数年、桂歌丸師匠はしばしば自分の病状を噺(はなし)のマクラに使ったそうだ。車イスで会場に入り、酸素吸入器を鼻につけて演じる。「声が出なかったらただのミイラ」と自らを笑いにした様子が、時折TV番組で放映されたいた。

まだ81歳だった。まだというのは、父が82歳で亡くなって20年経つのだが、当時でさえ「まだお若いのに」っと言われて、そういうものなのかと思ったものだが、今、81才の逝去は早すぎると言える。肺気腫などで入退院を繰り返し今年4月から入院していたそうだ。

「笑点」大喜利メンバーの三遊亭円楽(68)は、地方の仕事先で歌丸さんの死を知った。日本テレビを通じてコメントし「とうとうしゃれにならなくなりました。4月、5月そして6月20日にも、お見舞いに行って話ができました。4月は目が合うだけ…。前回は笑っていろいろと、下世話な話をして、タタタタ~パパパパ~パンダの宝はパンダ!! としゃべる筋肉のリハビリの姿も再現してくれました」と振り返った。

笑点の楽しみの一つに、歌丸さんと円楽さんとのやりとりだった。円楽さんが結構辛辣なことを言っても、歌丸さんが笑い飛ばしたり、座布団を大量に取り上げたりは観ていて楽しいものだった。お互いの信頼関係ができているからこそ、長年の親しさゆえに、歌丸さんの死去ネタで笑いをとることが出来たのだろうと思う。

円楽さんが、「人の心の中の思い出、寿命、皆様もそれぞれの思い出の中に、歌丸師匠を生かしておいて下さい。本当の父親、育ての親の先代。守ってくれた最後の父親との別れです。楽さんと呼んで、そばに置いて下さってありがとうございました。頼る人がいなくなりました…合掌」としのんだ。


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