さて、こうして考えてくると、
やはり、この事件のポイントは、
市有地を神社用地として無償提供することが
宗教的行為といえるか、にある、ということになろう。
最高裁は、無償のままでは、この第二ハードルを超えられないとしたわけだが、
市の側にもそれなりの言い分があったはずである。
公有地が宗教施設用地として提供されるケースには
明治期に多くの寺社地が公共団体に供されたという沿革に基づくケース、
地域コミュニティーの支援と称して、
町内会への支援などの一環として提供されたケースなど
様々なものがある。
もっとも、この空知太神社の場合、
明治国家以前に存在した神社の土地が
明治期に国家に提供されたという事情はなく、
神社用地の提供は、どうも次のような経緯に基づくもの
だったようである。
時は昭和28年(既に日本国憲法が施行されている)。
この地域の住民A氏は、
空知太神社のために土地を提供していたのだが、
町内会がその土地の固定資産税を負担してくれないことに
悩んでいた。
この土地を市に寄贈し、その上で、土地を町内会に
無償貸出しさせれば、税金を免れることができる。
そこでAさんは、土地を市に寄贈することを考えていた。
・・・。
もっとも、これを真正面からやれば
宗教団体に対する免税措置であり、当然違憲。
しかし、ここで、もう一つ、空知太小学校という要素がからむ。
当時手狭になっていた学校用地の拡大のため、
市は、学校近隣の土地を入手できないか、模索していた。
そこに学校隣地1200㎡を持っていたAさんが、
この土地、ポーンと提供しましょうと申し出る。
そして、その際、
「ついでに、この神社用地(確か250㎡くらい)も、
もらってくれないか?」と。
市は快諾し、さしあたり小学校についてはめでたしめでたし。
要するに、市の神社用地の無償提供は、
実質的にはAさんへの固定資産税減免措置であり、
それは、学校隣地との交換条件として行われた、という経緯が
あったようである。
そうすると、神社用地の提供については、
宗教支援ではなく、土地取引の一環、経済行為目的を認定できる。
よって、この事案で目的効果基準をあてはめれば、
目的は世俗的(経済取引目的)とされ、
効果も世俗目的の強さからすればたいしたことない、
と評価された可能性があるのである!
・・・。
しかし、もちろん、ここには重大な留保がかかる。
要するに、ここで行われているのは、
市がAさんから、学校隣地1200㎡を買い取り、
代金として、毎年、神社用地の固定資産税相当額を
Aさんに支払う
という経済取引なのだ。
そうすると、
毎年支払っている神社用地の固定資産税相当額の累計
(ローン支払い合計)が、
代金および利息を上回った時点で、
神社に土地をただで貸す(Aさんの資産税を減免する)理由はなくなる!
をを、最高裁は、こういうことを認定したのか。
私は、はたと膝を打った、のだが、この膝打ちは
租税法専攻の先輩の手により、根本から崩されることになる。
今、私が話した理屈を逆に言えば、
固定資産税累計額が、学校隣地の代金+利子を
上回らない時点では、無償提供が正当化される。
さて、学校と空知太神社は、ほぼ同じ地域にあるから、
その土地の平米単価は、ほぼ同じと大雑把に考えよう。
学校隣地側は1200㎡と広大な土地であり、
この代金に、毎年利子がつく。
固定資産税は、まぁ、いろいろ複雑な計算があるが、
毎年、資産額の10%にも満たない。
ここまでお話ししてくれば、もはや結論は明らかであろう。
神社用地250㎡の固定資産税は、
おそらく、学校隣地1200㎡也の代金の利子に満たない。
そうすると、永遠に、ローンは返せない。
ということは、永遠に土地の無償提供は合憲である。
・・・。
最高裁の結論とはあわない。
ここから、最高裁判決について、二つの仮説が成立する。
第一の仮説は、最高裁判決には、このローンスキームを覆す
何等かの工夫がある、というものである。
他方、
第二の仮説は、最高裁には電卓がなかった、というものである。
どちらが正しいのだろうか?