木村草太の力戦憲法

生命と宇宙と万物と憲法に関する問題を考えます。

ご質問について

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法令の審査方法(3)

2011-09-15 16:57:24 | 憲法学 憲法判断の方法
例によって、話はインドゾウとアフリカゾウから始まる。
洋菓子キングは、甲州街道沿い。近くには、富士見台公園がある。
その名の通り、富士山が良く見える、近所の子供たちに人気の公園だ。
もちろん、ゾウのおもちゃもあるが、おそらくアフリカゾウだと思う。

私「私は、憲法判例を理解したり、憲法論を組み立てる時に、
  細かい分類にこだわる必要はないはずで、
  さしあたり、ゾウをゾウだと扱っとけばいいだろ、って立場だね。
  図鑑をつくんなきゃいけないとか、
  そういう場合は、インドゾウとアフリカゾウを区別すればいい。」

ツ「ああ。なるほどね。
  でもさ、市川先生は、
  事実から出発する審査と文面から出発する審査を区別したい、と。
  じゃあさ、君はそもそもそういう発想をどう思っているんだい?」

私「そりゃ、その、アレだな。まその、アレだよ。」

ツ「歯切れが悪いな。」

  ツツミ先生は、コーヒーカップを口に当て、
  からっぽであることに怪訝な顔をした。
  飲みきったカップを口に当てるという、この行動は
  ツツミ先生を見ているとしばしば観測される行動である。
  いま、言いたいのは、とにかくおかわりを頼め、ということである。

  ツツミ先生は、気を取り直して、続けた。

ツ「だから歯切れよく答えて欲しいのだよ。
  質問者に回答できないじゃないか。」

  ツツミ先生は、調子に乗って尋問を続けた。
  そういうわけで、私は観念することにした。

私「よし、歯切れよくいうとだね、私の理解では、
  というより、法命題論を前提にした古典的な理解、
  そして、それに再び目を向けている最近の学者の一般的な理解からは、
  文面審査と適用審査の違いは、『量的』なものであり、
  『質的』な差異ではない、ということになる
。」

ツ「ほほう。文面審査・適用審査の区別は誤っていると。」

私「いや別に、文面審査と適用審査の区別をしろっていう主張を
  全否定しているわけじゃないんだよ。
  それを区別すること自体は、誤りではない。
  ただ、重要な区別じゃないってことだよ。
  市川先生や、あるいはさかのぼって芦部先生も、
  論文のニュアンスを読む限り、
  その区別が相対的なものだって気付いているよ。」

ツ「でも、文面審査・適用審査区別しろって主張する人もいるだろ。
  これはすごーーく重要な区別だって、いう人もいるような気がする。」

私「そうだね。
  でも、切手マニアから見れば、切手の絵柄の違いは、えらい違いだが、
  マニアじゃない人が見れば、違うのはわかるが、どっちも五十円切手だ。」

ツ「わっははは。確かにそうだな。」

  切手マニアに(切手に、ではない)造詣の深いツツミ先生は、
  ゴキゲンになり、コーヒーカップを(以下略)。
  とにかく、おかわりを頼め。

私「つまりだね、結局、文面審査・適用審査にかかわらず、
  どんな違憲審査の対象も、
  法律から導かれる法命題なんだよ
。」

ツ「ここまでの議論だとそうなるな。
  文面審査っていっても、
  『公務員は政治活動してはならない』っていう条文は、
  それ自体では違憲審査のしようがなくて、
  それに反した場合、何も制裁がないのか、懲戒されるか、刑罰が科されるか、
  そういう制裁条項を見て、
  内容を法命題の形に整理しないと、違憲審査の対象が画定できない。」

私「そうそう。
  だから、立法に対する司法審査(違憲立法審査)ってのはさ、
  結局、法律から導かれる法命題の憲法適合性審査っていうのが
  厳密な言い方なんだ。」

ツ「そりゃそうだ。確かに、文面審査とかいう審査の対象も、
  法文それ自体ではなくて、そこから導かれる法命題だってことになる。」

私「そうだろ。」

ツ「アレ?でも、処分審査あるいは適用審査って呼ばれている審査の方はどうなんだ?、
  法命題の審査とは言わずに、
  この場合、適用することの審査とか、処分の審査とかいうだろ。」

私「ここは、この前確認しただろ。
  いいか、行政処分でも刑事処罰でもいいんだが、
  国家機関が、根拠法なしに処分をすることってできるか?」

ツ「そりゃありえないだろ。
  根拠法なしの処分ってのは、
  自称大蔵大臣の私人が、行政処分を自称して命令してるだけで、
  はたから見ればコントみたいな状況だ。わはは。
  ほら、平将門が『わしゃ、天皇じゃー。わしの命令は勅令じゃー。』っていってたろ。
  あれと一緒だよ。」

  ツツミ先生は、日本史上の屈指の内戦を「コント」と表現した。
  私は、将門殿の怨念が怖いので、勇気がある奴だ、と思った。
  そういえば、関東地方には各地に「将門の首塚」がある。
  このことからもわかるように、
  将門はいくつも首があるヒドラのような人間だったのである。
  そんな奴の怨念は、かぶりたくない・・・。

私「・・・(汗)。ま、将門の乱がコントかどうかは、別にして、とにかく、
  根拠法がない処分という観念はありえない。」

ツ「ということは、正当化しがたい処分も、処分である以上、
  その根拠法があり、
  根拠法から導かれる法命題に当てはめた結果として
  その処分がなされてる
、ってことか。」

私「そうだね。例えば、愛媛玉ぐし事件の知事による出金も、
  地方自治法の知事の権限規定を根拠にした、処分であり、
  自治法の条文には、玉ぐし料の支出を禁ずる文言がなかった。
  非常に包括的に知事の権限を基礎づけてたわけだよ。」

ツ「ということは、玉ぐし判決は、その地方自治法から導かれる
  『知事が必要と考えた場合は(要件)、
   神社に玉ぐし料を支出してよい(効果)』みたいな法命題を審査し、
  違憲にした上で、事案を処理してるってことか。」

私「その通りだね。
  こういうわけで、処分それ自体の審査ってのは、多分観念できない。
  処分審査や適用審査っていわれる審査方法も、
  結局、処分を基礎づける法命題の審査をしてるってことになる
。」

ツ「よーく分かった。文面審査も適用審査も、結局、法命題の審査をしてる
  っていう点で、変わりはない、五十円切手だと。そういうことだね。

私「そだね。」

ツ「じゃあ、切手マニアの人がやる
  処分(適用)審査/法令(文面)審査の区別って、
  結局、なんなんだ?」

  こういうとツツミ先生は、ようやく、コーヒーのおかわりを頼んだ。

               (つづく)