木村草太の力戦憲法

生命と宇宙と万物と憲法に関する問題を考えます。

ご質問について

これまでに、たくさんのご質問、コメントを頂きました。まことにありがとうございます。 最近忙しく、なかなかお返事ができませんが、頂いたコメントは全て目を通しております。みなさまからいただくお便りのおかげで、楽しくブログライフさせて頂いております。これからもよろしくお願い致します。

駒村連載「平等権」

2011-09-14 21:57:34 | 作品情報 『憲法の急所』
さきほど、法学セミナーの最新号に目を通してまいりました。

今月号の駒村連載は「平等権」。
平等専攻の私としては、とても気になるところ・・・と思って
読みましたところ、冒頭で、どこかで見たような気がする議論だなと思い
註をみると、私の論文が引用されている・・・。うれしい。

駒村先生は、ジュリストの研究会でご一緒させていただいたのですが、
私のような若輩者の論文もしっかり目を通して下さっていて、
しかも、適切に要約した上で、コメントを下さり、
本当にうれしかったのを良く覚えております。

その研究会では、
「国家と文化」に関する憲法理論、憲法25条の新解釈などが、
提示されており、『憲法の急所』の中でも引用し紹介させて頂いております。
ぜひ、みなさまも、ジュリスト1405号の駒村論文、ご覧ください。

駒村先生の論文の魅力の一つは、
これまで登場してきた議論を、非常に広い視野で集め、
それを適切に要約・解説した上で、
議論を発展させる視点を示してくれるところにあります。

今回の「平等権」も、
私の議論、長谷部先生のベースライン論、ドイツの「人の区別」論などを
必要十分な要約と解説のもとに紹介し、
それを論証するための枠組みを整理してくださっております。
ぜひぜひ、ご覧ください。


ちなみに、駒村連載につづき、山本龍彦先生の連載でも、
私の「処分違憲」の個所が引用されておりました。
まことにありがとうございます。

現在、このブログでは、法令審査の方法の連載が続いており、
今後の展開にどきどきです。


さて、ちなみに、先日とある筋から入った情報によりますと、
これまでのところ、『憲法の急所』が一番売れたのは、慶大生協だとのこと。
(首都大生、もっとがんばるのじゃ~。)

憲法判断の方法や違憲審査の方法の領域では、
小山先生の『作法』、駒村連載、山本連載など、
慶應大学の先生の活躍が目立っており、
三先生の御膝下での『急所』の健闘、本当に、うれしいです。

『急所』の議論は、
小山先生や駒村先生の議論からも、
あるいは芦部先生や長谷部先生の議論からも、
そして、キングオブイケメンの南野先生の議論からも、
それほど違和感なく入っていけるはずですので、
慶大生の皆様も、他大学生(特に首都大生)の皆様も、
各先生の議論とあわせまして、『急所』もよろしくお願いいたします^-^>



激闘、王位戦

2011-09-14 21:41:06 | 将棋
というわけで、周知の通り、
広瀬王位VS羽生二冠の王位戦が終戦いたしました。
まさに激闘。
七番勝負、どれも見どころがあり、
中でも第一戦、第六戦はしばらく忘れられない名局だったと思います。
素晴らしいタイトル戦でした。

広瀬前王位の羽生二冠を挑戦者にしても、
自分のスタイルを崩さず、ひょうひょうと向かってゆく姿。
羽生新王位の強烈な終盤力。
感動的でした。

私も、いつかこの王位戦のように人に深い感動と勇気を与える
論文をものしてみたいものです。

また、四間飛車穴熊の行方が気になりますが、
ぜひ、広瀬前王位には捲土重来して、四間飛車復活ののろしを上げてほしいです!
(次は棋王戦に出て、久保棋王と闘ってほしいです。)



ところで、広瀬前王位といえば、
『四間飛車穴熊の急所』。
私、実は、アマゾンでタイトルに「急所」が入っている本ランキングで、
広瀬前王位に勝利したことがあります^-^>




しかし、『憲法の急所』は、
いまだに羽生新王位の『将棋序盤の指し方入門』に勝ったことはなく、
さすがは将棋界の第一人者!とおもっていたのですが、
この度、7月の各大学生協売上ランキングがでまして、
一番左が、東京大学なのですが・・・。



なんと、まず、7月の1位。

冗談で東大で一番売れた本と言っていたのですが、
マジだったとは!

さて、そして、その東大の7月の10位はなんと
羽生先生の『大局観』!
勝った。

広瀬・羽生両名に勝ったので、これはもう、
名誉王位と名乗って良いかと^-^>

というか、なんて失礼なんでしょ。私って。おほほほ。

はい。失礼いたしました。

練習でお金をとるのは・・・(2)

2011-09-14 14:20:14 | 憲法学 判例評釈
リサイタルをリハーサルと勘違いしてはならない。

これは、人類普遍の原理と言っていいだろう。
これを憲法に書き込んでいる国もあるくらいだ。
いや、さすがに、そんな国はないかもしれない。

他方、人々の価値観を尊重し、
思想・良心の自由を保障しなければならない。
これも、人類普遍の原理である。
これを憲法に書き込んでいる国もあるくらいだ。

ところで、思想・良心の自由との関連で
最近、問題となっているのは、
公立学校の式典において、
教職員に対し、
法律で「国歌」とされている歌曲の斉唱および
法律で「国旗」とされている旗に向かっての起立などを
命じる、という事案である。

この職務命令に違反すると、
命令違反を理由に、懲戒処分が科される。

懲戒処分というのは、
戒告(公式に注意された、という記録が残る)
減給(給料を減らされる)
免職(組織から追放される)といった
組織内部での制裁である。


ところで、現状、
法律で「国歌」とされている君が代については、
これを国歌と扱うべきでないと考える人が、
相当数存在する。

因みに、君が代については、
しばしばその歌詞の解釈が問題となり、
文科省や教育委員会が解釈をしたりする。
しかし、文科省や教育委員会に
歌詞を解釈してほしくない。
古今和歌集の解釈など、コッパ役人風情には、雅がすぎるというものだ。
(ここまでいうと言い過ぎというものだ。)

・・・。話がずれた。

とにかく、
君が代は、国歌ではない、と考える人の割合は、
恐らく、
アボガドは野菜ではない、と考える人の割合より
はるかに高い。

様々な事情から、君が代という歌曲に
感情的反発を覚える者もいる。

因みに、最近、サンデル先生の著作が
たくさん売れた(本当にうらやましい)影響で、
雑誌記事や著書で、「これから~の話をしよう」
というタイトルがやたら増えている。

私は、「これから正義の話をしよう」という
タイトルを考えた人は、偉いと思うが、
「正義」部分を変えるだけの安直なタイトルを
つける者には、強い感情的反発を覚える。

すなわち、このタイトルは、
「~」部を自分が話したいタイトルに
変えるだけで、自分のタイトルになる。
このため、このタイトルの「~」部を変えるだけ、
というのは、非常に安直で、非創造的なタイトルの付け方である。

つまり、そういうタイトルをつける者は、
自分の創造性のなさを、そのタイトルによって実証しているのだ。
そんな人の本を・・・。

・・・。また、話がずれた。


考えてみて欲しい。
自分が共感できない歌曲を、
強制的に歌わされる痛みというものを。

私は、昔、学校の音楽の時間に
共感しようのない歌曲の歌唱を義務付けられた。
その曲のタイトルは忘れたが、
その内容は、ワニよりも人間が「兄さんだ」というものであった。
許し難い傲慢な歌詞である。
そんな歌詞を書く詩人は、ワニに食べられてしまえば良い。
本気でそう思った。

その曲の歌唱を強制された屈辱感は、
一生忘れない、つもりであり、
私は、君が代について、強い感情的反発は
持っていない、つもりであるが、
共感できない歌曲の歌唱を強制された教職員の方々の
気持ちは分かる、つもりである。

そして、今私は、つもりが三回も続く文章を書いたが
ちょっと、くどいかもしれない。

・・・。何か話がズレた気がするが、

君が代斉唱を内容とする職務命令に違反したことを理由に
懲戒処分が科された、という事例で、
多くの憲法学者の先生や学生は、
これは「思想・良心の自由の侵害」だと考えるらしい。

しかし、ここにはある種の思い込みがあるのではないか。