木村草太の力戦憲法

生命と宇宙と万物と憲法に関する問題を考えます。

ご質問について

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第四問 メタスコ星人の主張適格?

2011-09-29 11:21:15 | Q&A 急所演習編
過度の広汎性ゆえに無効の法理について、
はちみつボーイさんと、アジシオ太郎さんとの間で
次のようなやりとりがされておりました。


過度の広汎性ゆえの無効 (はちみつボーイ)

 「急所」p166に、
 「過度に広汎な法文は、違憲部分と合憲部分を明確に区別できないため、
 結局あらゆる行為との関係で不明確な法文である」との記述があるのですが、
 いまいちピンときません。

 いかに違憲部分が広汎であろうと、
 合憲部分の中心に位置付けられるような行為との関係においては、
 やはり明確であることに変わりないように思うのです。

 ご回答よろしくお願いします。


はちみつ!!! (アジシオ太郎)

 おう。
 アジシオ太郎だ。

 本当にそうかな?
 例えば、『急所』にでてくる三人集会条例だと
 「合憲部分の中心に位置付けられるような行為」って、
 何になるんだ?


アジシオ太郎様へ (はちみつボーイ)

 そうですねえ…、たとえば
 「あるD高校の学生30名が、近隣に位置するK高校の学生に暴行を加える計画で、
  凶器を所持し、決起集会を行った」という事例はどうでしょうか。

  この集会行為が「三人以上の集会をした者」に当てはまることは、直知可能なほどに明確でしょう。
  また、この行為に刑罰を科すことは、十分に正当化できるでしょう。
  私の言う「合憲部分の中心に位置付けられる行為」とは、このような行為を想定しました。


はちみつボーイへ (アジシオ太郎)

 おう。ありがとう。
 では、もう少し質問させてくれ。

 三人集会条例の適用対象を
 はちみつの指摘する集会に限定する
 合憲限定解釈ができるか、考えてみてくれ?

 もし、できないと思うなら、
 三人集会条例のどの部分が合憲なのかを、
 明確な定式で示してくれ!


アジシオ太郎様へ (はちみつボーイ)

 うーん…、
 まず、法文の意味を限定するうえで、
 なんの手がかりも認められない以上、合憲限定解釈はなしえないでしょう。

 合憲部分の定式化については、たとえば、
 急所p165のように「周囲の者に極端な恐怖心を生じさせる態様での三人以上の集会に刑罰を科す部分」としてみてはどうでしょうか。
 私の挙げた決起集会がこれにあてはまることは、十分明確だと思います。


はちみつボーイへ (アジシオ太郎)

 おう。恐怖心な。
 
 では、最後の質問だ。
 三人集会条例の合憲部分って、これだけか?
 例えば、凶器を隠し持った人々の集会は?
 公務員の政治活動のための集会は?
 管理者の許可なしにやった公民会での集会は?

 三人集会条例の合憲部分を全部書き出してみてくれ!

アジシオ太郎様へ (はちみつボーイ)

 思いつくままに書き出すと…
  ・全裸で行う集会
  ・薬物を使用するための集会
  ・深夜に大音量で行う集会
  ・喧嘩をして腕っぷしを競うための集会
  ・許可を得ずに公道に座り込む態様での集会
  ・人の名誉を毀損するための集会
  ・人の営業を妨害するための集会
  ・テロ活動の実施を呼びかけるための集会
  ・未成年者が飲酒をするための集会

 うーん、僕の乏しい想像力でもこれだけのものがでてきました。
 他にもきっとたくさんあると思います。
 合憲部分を画定するのって難しいなあ…


さて、このやりとりに示されているように、
「三人以上の集会を罰する」条例の合憲部分を画定することは、
ほとんど不可能です。

さて、部分無効の処理をする場合、
違憲部分を包摂する明確な定式  又は
合憲部分を表示する明確な定式  を表示し、
法文のどの部分が合憲で、どの部分が違憲か、明確に画定する必要があります。
というのも、それができないと、法文の意味を不明確にしてしまうからです。

しかし、三人集会条例のような条例の場合、
はちみつさんがおっしゃっているように、
違憲部分が、あまりにも多く、
それを明確に表示することはほぼ不可能です。

また、逆に
合憲部分を表示する明確な定式を示すこともできないでしょう。

こういう場合、部分無効の処理をするとしたら
<社会的に許容される集会に適用される部分が違憲>とか、
<悪質な集会に適用される部分のみが合憲>といった
定式での処理にならざるをえません。

もちろん、こうした処理が可能なら
この条例を、この暴徒集会のような<悪質な集会>に適用することは合憲だから、
という理由で、有罪の結論を導けるでしょう。

しかし、これは「悪質な集会は罰する」という法文を適用しているのと等しくなります。

そして、「悪質な集会は罰する」という法文は、明らかに不明確でしょう。

よって、こうした過度に広範な法文に依拠した処罰は
不明確な法文による処罰と同義なのです!!

さて、こう考えてくると、
過度に広範な法文というのは、

<その事件を起こした者との関係では合憲だが、
 萎縮効果がひどいので第三者との関係で違憲>

なのではなく、端的に

<不明確な法文の一種だから違憲>

と考えるべきでしょう。

こんなわけで、最近の学説は、過度広汎性の場面で
第三者の主張適格を論じることは必要ない、
と言っているわけです。

びっくりです。
なんと、昔華やかだった第三者の主張適格の論点は、
今は昔の学説になりかけているのです。

さて、そういうわけで、
「過度に広範な法文」というのは、
正確に言うと

「法文だけを独立に読めば明確(三人集会)だが、
 憲法と併せて読んだ場合、
 違憲部分が明確に確定できないため
 不明確になってしまう法文」

なのですね。

はちみつさま、アジシオさま、ありがとうございました。