さて、立法裁量と違憲審査基準論の関係について、
よしのさまよりご連絡をいただきました。
立法裁量の概念は
立法裁量について (よしの)
2011-11-29 00:13:03
初めまして、先日新司法試験に合格しましたが、合格後も「憲法の急所」を拝読するほど憲法が好きな者です
さて、一つ質問させて頂きたいことがございます。
先生は、なぜ審査密度・基準を設定する過程で立法裁量というワードを使わないのですか?
著書を拝読した限りでは、先生は違憲審査を判断代置的に行っており、裁量を前提にしていないように見えます。
最近の多くの最高裁判例においても立法裁量についての言及が見受けられますし、
芦部通説においても裁判所として立法府に対してどの程度踏み込んで審査するかといった思考方法がとられているように理解しています。
宜しくお願い致します。
>こんにちは。合格おめでとうございます。現在、修習がはじまったところでしょうか。
大変な責任の伴う研修、そして今後のお仕事、どうぞ頑張ってください。
また、修習所の教官の方々に、『急所』をお勧め頂ければ幸いです^-^>
さて、ご質問の点ですが、
関連してsnow様が次のようなご指摘をされています。
Unknown (snow)
2011-11-29 14:40:10
こんにちは。よしの様の質問に関することなので、二重質問とならないために、重ねて質問させてください。
私は、比例原則は裁量統制の役割を果たすので、先生の審査基準のお立場からすると
立法裁量によって審査基準が左右されるはずがないというお考えなのだろうと、勝手に理解していたのですが、このような理解でいいのでしょうか。
一時期、審査基準基準論と立法裁量論の関係について大混乱を来していましたので、先生の本に出会って救われたと感じた部分なのです。
どうもありがとうございます。
これは基本的に、snow様のおっしゃる通りです。
結論から申しますと「立法裁量だから」という理由で
「違憲審査基準論を緩やかにする」という議論を採っている方は
芦部先生や最高裁判例含め存在しませんし、そのような立場は理論的に誤っています。
(この点は、まず『急所』104頁にもヒントになる記述がありますので、そちらもご参照ください。)
ええと、ですね、
「これは立法裁量だから厳格審査じゃないはずです」という議論は、
立法裁量の定義の理解が不十分なわけです。
立法裁量というのは、「合憲・合法な立法府の選択の幅」のことをいいます。
そして、どのような立法府の選択が合憲であるか(どのような立法が立法裁量の中にあるか)?は、
違憲審査基準を適用して、この立法の選択は合憲、この立法の選択は違憲と判断して、
はじめてわかることです。
つまり、立法裁量というのは、
何らかの理由で設定された違憲審査基準の適用の結果認められるものであって、
違憲審査基準を設定するための理由や要素にはならないわけです。
また、「広範な立法裁量が認められる」ということと「緩やかな審査基準を適用する」ことは、
同義ということになります。
なので、
「広範な立法裁量が認められるから、緩やかな審査基準になる」という議論は、
「緩やかな審査基準を適用すべきだから、緩やかな審査基準を適用すべき」と言っているのと一緒で、
ただのトートロジーです。
さらに、「広範な立法裁量を認めるべき理由」は、
要するに「緩やかな審査基準を適用する理由」ですね。
なので、「A:〈これこれこういう理由〉でB:裁量を広範に認めるべきだから、C:緩やかな審査をする」という
文章は、判例にもしばしば登場しますが、
ここでのBは、Cの理由ではなく(B=Cです)、AがCの理由だということになります。
なので、この文章には、Bの部分はなくてもいいのです。
私が、違憲審査基準設定時に、立法裁量と言う言葉を使わないのは、
この言葉をつかうと、Bの部分がCの理由になっているという誤解を招きやすいからです。
というわけで、比例原則が裁量統制基準であるというsnowさんの理解の通りということになりますね。
よしのさま、これでいかがでしょうか?
よしのさまよりご連絡をいただきました。
立法裁量の概念は
立法裁量について (よしの)
2011-11-29 00:13:03
初めまして、先日新司法試験に合格しましたが、合格後も「憲法の急所」を拝読するほど憲法が好きな者です
さて、一つ質問させて頂きたいことがございます。
先生は、なぜ審査密度・基準を設定する過程で立法裁量というワードを使わないのですか?
著書を拝読した限りでは、先生は違憲審査を判断代置的に行っており、裁量を前提にしていないように見えます。
最近の多くの最高裁判例においても立法裁量についての言及が見受けられますし、
芦部通説においても裁判所として立法府に対してどの程度踏み込んで審査するかといった思考方法がとられているように理解しています。
宜しくお願い致します。
>こんにちは。合格おめでとうございます。現在、修習がはじまったところでしょうか。
大変な責任の伴う研修、そして今後のお仕事、どうぞ頑張ってください。
また、修習所の教官の方々に、『急所』をお勧め頂ければ幸いです^-^>
さて、ご質問の点ですが、
関連してsnow様が次のようなご指摘をされています。
Unknown (snow)
2011-11-29 14:40:10
こんにちは。よしの様の質問に関することなので、二重質問とならないために、重ねて質問させてください。
私は、比例原則は裁量統制の役割を果たすので、先生の審査基準のお立場からすると
立法裁量によって審査基準が左右されるはずがないというお考えなのだろうと、勝手に理解していたのですが、このような理解でいいのでしょうか。
一時期、審査基準基準論と立法裁量論の関係について大混乱を来していましたので、先生の本に出会って救われたと感じた部分なのです。
どうもありがとうございます。
これは基本的に、snow様のおっしゃる通りです。
結論から申しますと「立法裁量だから」という理由で
「違憲審査基準論を緩やかにする」という議論を採っている方は
芦部先生や最高裁判例含め存在しませんし、そのような立場は理論的に誤っています。
(この点は、まず『急所』104頁にもヒントになる記述がありますので、そちらもご参照ください。)
ええと、ですね、
「これは立法裁量だから厳格審査じゃないはずです」という議論は、
立法裁量の定義の理解が不十分なわけです。
立法裁量というのは、「合憲・合法な立法府の選択の幅」のことをいいます。
そして、どのような立法府の選択が合憲であるか(どのような立法が立法裁量の中にあるか)?は、
違憲審査基準を適用して、この立法の選択は合憲、この立法の選択は違憲と判断して、
はじめてわかることです。
つまり、立法裁量というのは、
何らかの理由で設定された違憲審査基準の適用の結果認められるものであって、
違憲審査基準を設定するための理由や要素にはならないわけです。
また、「広範な立法裁量が認められる」ということと「緩やかな審査基準を適用する」ことは、
同義ということになります。
なので、
「広範な立法裁量が認められるから、緩やかな審査基準になる」という議論は、
「緩やかな審査基準を適用すべきだから、緩やかな審査基準を適用すべき」と言っているのと一緒で、
ただのトートロジーです。
さらに、「広範な立法裁量を認めるべき理由」は、
要するに「緩やかな審査基準を適用する理由」ですね。
なので、「A:〈これこれこういう理由〉でB:裁量を広範に認めるべきだから、C:緩やかな審査をする」という
文章は、判例にもしばしば登場しますが、
ここでのBは、Cの理由ではなく(B=Cです)、AがCの理由だということになります。
なので、この文章には、Bの部分はなくてもいいのです。
私が、違憲審査基準設定時に、立法裁量と言う言葉を使わないのは、
この言葉をつかうと、Bの部分がCの理由になっているという誤解を招きやすいからです。
というわけで、比例原則が裁量統制基準であるというsnowさんの理解の通りということになりますね。
よしのさま、これでいかがでしょうか?
立法裁量の定義をそのように捉えることで、先生のおっしゃることには十分納得することが出来ました。
読者に対してAの部分を勉強することに意義があるという点を示唆していることにも感服致しております。
ただ、どうしても私の感覚的に府に落ちない点がございまして、全くロジカルではないのは自覚しているので恐縮なのですが、その点を確認をさせて下さい。
おそらく受験生的な通説(芦部説の劣化コピー)ですと、
「立法裁量が広い⇒手段については必要性は検討できず関連性しか検討しない⇒なぜならば、必要性については立法府の判断を尊重して裁判所は審査をしないから。仮に審査をすれば違憲ともなりうる(?)。」
という発想になるのではないかと思っているのですが、
木村先生のご理解ですと、
「立法裁量が広い⇒審査基準は緩やか⇒手段は関連性だけ検討すれば足りる⇒なぜならば、裁判所は立法府の立場に立って必要性も審査できるが、審査しても必要性に欠けることはほぼないので効率性の観点から関連性だけ審査すれば足りるから」
という発想になると思っております。
これを比較すると、おそらく前者の「必要性を審査できない」「必要性については立法府の判断を尊重して裁判所は審査をしない」という箇所が間違っているのだと思うのですが、その理由が分かりません。
ご指摘いただけますでしょうか。
また、以上の点については先生におきましては非常に手応えのない質問だと自覚しておりますので、
もしよろしければもう一点の質問として、
請求権についても、立法裁量というワードをあまり使わない理由を自由権とパラレルに補足説明して頂けませんでしょうか?
(「あまり」というのは、効果については多少言及されていることを意識しているからです。)
おそらく「立法裁量が広い=請求が認められにくい=要件が厳しい・効果が弱い」という方向であろうことは予測がつくのですが。
宜しくお願い致します。
初歩的な質問で申し訳ありません。
「合憲である理由を
想定できない場合」
にのみ違憲とする基準です。
(それが違憲が明白という意味)
これに対し、合理性の基準は
「正当な目的が構成できること」および
「目的と規制が合理的に関連していること」
の論証がない限り違憲と判断される基準です。
全然違います。
「明白性の原則」は
「合憲である理由を
想定できない場合」
にのみ違憲とする基準です。
(それが違憲が明白という意味)
といった場合の、
当該法律について
「合憲である理由を想定」できるのか、
という判断はどういうことをすればよいのでしょうか?
最も合憲的な適用例の目的手段審査的なことをするということでしょうか(法文審査的?)?これで違憲なら、合憲部分は全くないといえるので、「合憲である理由を想定できない場合」にあたるとおもうのですが、、
なんかおかしいですよね。違和感ありすぎです。。助言いただけるとありがたいです。
合憲である理由を想定できるかどうか
考えればよいのです。
そもそも、明白性の原則を適用するということは
ほぼ合憲の結論をとることと同義です。
なお、最も合憲的な適用例うんぬんということではなく
その審査対象の適用例について判断をすることになります。
おそらく、子羊さまは
「違憲審査の対象画定」の問題と
それにより画定された審査対象の
「違憲審査の基準」の問題を混同しています。
典型的適用例を審査対象として
審査基準に、明白性の基準を採用することもあれば、
当該適用例を審査対象にして
審査基準に明白性の基準を採用することもあります。
ですはい!
「違憲審査の対象画定」の問題と、「違憲審査の基準」の問題を混同していたのは理解できました。「明白性」は後者なのですね。
どうしてもすっきりしないのは、
自由権制約の場合には「違憲審査の基準」は、目的正当性や手段の必要性、相当性、関連性について、立法事実にてらして判断する、というものだと思っているのですが、
「こうした目的手段等審査を基準にする違憲審査の基準」と「明白の原則」との異同がはっきりしないのです。
目的や手段、必要性、関連性といった要件であれば、それに該当するかどうかを判断すればよく、大変分かりやすいのですが、
「明白の原則」だと、
先の目的や必要性、手段、関連性といった要件とは関係なく、
ただ「合憲である理由を想定できるかどうか」だけが基準になるということだと
「なにが」合憲である理由になるのか、その基準がよくわからないのです。
例えば、小売市場事件だと、「立法府がその裁量権を逸脱し、当該法的規制措置が著しく不合理であることの明白である場合に限って」といい(明白原則)、
しかし当てはめでは、「目的」を中小企業保護政策で合理的、「手段」も不合理であることが明白とはいえない、といい、目的や手段について審査しているように読めます。
ということは、「明白原則」は、「合憲である理由を想定できるかどうか」は、目的や手段を基準にしているということなのでしょうか。
すみません。冗長になって読みづらくなってしまいましたが、要は「明白原則」でも(目的手段審査と同様に)目的や手段といった点について着目するのかどうか、という点が混乱しているみたいです。
お知恵をお貸しいただけると嬉しいです。
当然、目的手段審査と同じ発想をとります。
基準内容を正確にかくと
目的が不当であることが明白ないし
目的と手段が関連していないことが明白
という基準ということですね。
最後に民訴?の問題になるのかもしれませんが、(すみません。長々お付き合い頂いて‥これが最後です涙)「明白原則」も「合理性の基準」も、合憲性の推定が働くのを前提にすると、
違憲というには、
「明らかに」目的が不当、もしくは「明らかに」関連性がないことまで要求する「明白原則」の方が(逆に「合理性の基準」は目的手段審査で「明らか」までは要求してない)、
「合理性の基準」と比べて、より緩やかな審査基準ということになるのでしょうか?(ひょっとしたら民訴の理解不足からきている根本的な疑問なのかもしれません。自覚できていないのですが‥)
違憲の推定は、あくまで
裁判所が調べたうえで、わからなければ
ということですが、
明白性原則は、
「調べなくてもわかる」というレベルの
明白な目的不当、立法事実不在を要求します。