一般に、二重否定は肯定の意味になるが、二重肯定は否定の意味にならない。
たとえば、「わたしはウソつきではない、わけではない」という二重否定。
これは、わたしはウソつきだという肯定の文章になる。
(クレタ島のパラドクスを例文にしたため、話がややこしくなった。
どうやら、わたしには、正しい例を挙げる才能がないようだ。)
他方、「わたしには夢がある、と断言できる」と二重肯定。
別に否定にならない。
しかし、二重肯定は否定にならない、というのは本当なのだろうか?
ここで次のような例を考えて頂きたい。
あなたは、いま、ジュースを買おうとして、自販機の前にいるとする。
そこに、このような商品があった。
「リンゴあっぷるジュース」
リンゴの上にアップル。
リンゴであることを痛いほど強調しているが、
なぜか、これは少なくともリンゴではない、という空気が漂わないだろうか。
さらに、このジュースに次のような()を付け加えてみよう。
「リンゴあっぷるジュース(リンゴ味)」
リンゴジュースがリンゴ味なのは、当たり前なのに、
もはやこのジュースは、絶対にリンゴジュースではない。
このように、二重肯定というのは、否定にならないとされているが、
相当に怪しい空気を醸し出すのである。
もちろん、このような一例だけをもって、二重肯定一般を貶めるのは妥当ではないかもしれない。
しかし、次のような一文を見てほしい。
大学説明文の案内文である。
「ハーバード大学(教育水準は大学並みです)」
・・・。
大学が大学並みの教育を行うのは当たり前である。
しかし、どうだろう。
あのハーバード大学ですら、二重肯定の()一つで、台無しである。
たとえば、「わたしはウソつきではない、わけではない」という二重否定。
これは、わたしはウソつきだという肯定の文章になる。
(クレタ島のパラドクスを例文にしたため、話がややこしくなった。
どうやら、わたしには、正しい例を挙げる才能がないようだ。)
他方、「わたしには夢がある、と断言できる」と二重肯定。
別に否定にならない。
しかし、二重肯定は否定にならない、というのは本当なのだろうか?
ここで次のような例を考えて頂きたい。
あなたは、いま、ジュースを買おうとして、自販機の前にいるとする。
そこに、このような商品があった。
「リンゴあっぷるジュース」
リンゴの上にアップル。
リンゴであることを痛いほど強調しているが、
なぜか、これは少なくともリンゴではない、という空気が漂わないだろうか。
さらに、このジュースに次のような()を付け加えてみよう。
「リンゴあっぷるジュース(リンゴ味)」
リンゴジュースがリンゴ味なのは、当たり前なのに、
もはやこのジュースは、絶対にリンゴジュースではない。
このように、二重肯定というのは、否定にならないとされているが、
相当に怪しい空気を醸し出すのである。
もちろん、このような一例だけをもって、二重肯定一般を貶めるのは妥当ではないかもしれない。
しかし、次のような一文を見てほしい。
大学説明文の案内文である。
「ハーバード大学(教育水準は大学並みです)」
・・・。
大学が大学並みの教育を行うのは当たり前である。
しかし、どうだろう。
あのハーバード大学ですら、二重肯定の()一つで、台無しである。
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