木村草太の力戦憲法

生命と宇宙と万物と憲法に関する問題を考えます。

うう、頭痛が

2011-11-21 20:17:06 | 憲法学 判例評釈
うう。い、痛い。
今日はお昼から頭痛がしております。
痛いです。悲しいです。

ちょっと頭が痛いので、少し横になろうとしたところ、
憲法問題の神様が枕元に立ちまして、曰く。
「おお、こんなところに憲法学者(若手)がおる。
 便利じゃ。
 実はわしは聞いてみたいことがあったのじゃ。」

「は、はあ。」

「実はのう、法文の明確性の問題というのがあるじゃろ。
 不明確な法文で、公権力の行使を基礎づけることは
 できるのかのう。」

「は、はあ。どういうことです?」

「つまりのう、『モケケピロピロな営業には停止命令を出してよい』と
 国会の先生方がお定めになったらじゃの、
 営業停止命令がでるわけじゃ。」

「出るでしょうねえ。頭が痛いのですが。」

「通説によれば、停止命令違反で刑罰じゃいんとかそういう場合はともかく、
 営業停止命令の対象になった人は、根拠法不明確ゆえに無効だと主張できんのじゃよ。」

「はあ。そうなるはずですねえ。」

「問題はそこから先じゃよ。もし、この命令が根拠法なしに出されたら、
 命令対象の人は、違憲だと主張できる。」

「そうでしょうな。いたた。法律の留保に反し自由を制約されない権利の保障は、
 自由権条項の基本中の基本内容です。それにしても頭痛が。」

「そうじゃ。そして、モケケピロピロな営業云々という条文は、
 そもそも、停止命令の根拠法になるのか?
 不明確な法文というのは、何をやっていいのかが分からん法文なのだから、
 根拠法としての機能を果たさないはずじゃ。」

「はあ。そうすると、どうなるのですか?」

「カンの悪いやつじゃのう。
 要するに、わしは、
 明確性の要請は、法律の留保の要請に吸収されてしまい独自の意味を持たないのではないか
 といいたいのじゃ。」

「いたた。そんな難しいこと、すぐには答えられません。」

「じゃったら、このくだらないブログを観てくれている
 優しい全国の閲覧者に問いかけてみると良い。
 おぬしよりよっぽど頼りになるイカした連中じゃ。」

「いたた。あまりに難しい問題で頭痛がさらにましてきた。」

・・・。
というわけで、みなさん、答えを教えてください。
どうなの、この論点。いたた。

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14 コメント

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法文の明確性の問題 (初学者)
2011-11-22 00:40:43
道路交通法規で「安全な速度で走行する場合には歩道を走行しても良い」とされている自転車の歩道走行を警察が「許された場合に該当しない」として反則切符・罰金で取り締まる場合、同法規は、法律による行政の原理・民主的コントロールに基ずいて警察に交通取り締まり権限を与えており、本件交通取り締まり自体は一応、「法律の留保の要請」は満たしており、公定力を有していると考えても良いのではないか。
しかし、「安全な速度」という文言は不明確であるので、「明確性の要請」は満たしていないと言えるから、取消訴訟により争える場合が考えられる。
従って、法律による行政の原理・民主的コントロールに服しているか否かを審査する「法律の留保の要請」による審査と、当該行政行為自体の「明確性の要請」による審査とは、その要請の根拠を異にし、双方が意味のある審査検討過程として有効なのではないでしょうか。
先生の問題意識を理解できていなければごめんなさい。
返信する
憲法の神様へ (あとうともき)
2011-11-22 01:24:04
わたくしは,
法律の留保の要請は議会が行政機関の活動の実体的要件・効果を形式的に定めることで満たされるため,
その内容については裁判所が憲法31条に適合しているかを審査する必要があると考えます。

つまり,法律の留保の要請は議会の判断を尊重して,
「法律」という形式が満たされていればそれに応えたことになるが,
当該法律が憲法の要請に応えているかを判断するには,法律の違憲審査権を有する裁判所により,無効(有効)部分を確定する作業を経る必要がありましょう。

そして,自由を侵害された国民の側からいえば,
命令に従う義務のないことを争うためには明確性の理論が必要ということになります。


初学者さんの意見を敷衍したにすぎないかもしれませんが,
愚見を申し上げさせていただきます。


また,木村先生お大事にどうぞ。

あとう
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Unknown (Jiro)
2011-11-22 01:52:03
お風邪でしょうか?くれぐれもご安静に。

それにしても、やっかいな問題ですね。
木村先生の問題意識とズレているかもしれませんが、
ちょっと考えてみました。

憲法問題の神様の理論は、
通説によれば明確性を問題にできない営業の自由について、
法律の留保論をもってくることにより、
実質的に明確性の問題を主観的に主張することをねらっているように思います。
これをおしすすめると、
明確性の問題は、表現の自由でのみ主観的に主張することができるといわれているが、
結局は法律の留保の問題であるから、
あらゆる自由権で明確性を主観的に主張することができる
との結論を導けそうです。

もっとも、結局は法律の留保の問題だという論理は、
明確性のみならず実質的正当化においても同様であると思います。
すなわち、
①不明確な法文は根拠法たりえない→根拠法なし→法律の留保違反
②実質的正当化をクリアできない→法文違憲・合憲限定解釈・一部違憲→根拠法なし→法律の留保違反
になると思います。
そうだすると、根拠法なし・法律の留保違反との結論を導くためには、
なぜ根拠法なしになるかを論証しなければならず、
そこでは実質的正当化と並列的に明確性の問題が出てくるので、
明確性を法律の留保論とは別に考える意義はあると思います。
返信する
Unknown (社会の底辺)
2011-11-22 02:11:48
>「・・・無効だと主張できんのじゃよ。」

憲法の神様、わたくしにはこの表現だと、主張できるのか主張できないのかが、曖昧不明確です。
返信する
Unknown (しがない大学生)
2011-11-22 03:49:47
頭痛はつらいですよね、、、
ゆっくり休んでください。
僕は頭痛持ちでして、朝から頭痛がする時なんかはさっそくテンションが下がってしまいます。

さて、憲法の神様の問題ですが、僕は明確性の要請は法律の留保の要請とは異なる独自の意味があると思います。

法律留保の原則は行政に対する民主的コントロールをその趣旨とします。
そして、ある程度明確でない法律を作った場合というのは国会が行政に裁量を認めるものであり、“行政にこの程度の裁量を与えますよ”という形でコントロールしようとしているのだと思います。
ただ、モケケピロピロといった意味不明な文言では法律はないようなもので、コントロールも何もあったもんではありません。
ある程度の要件・効果が読み取れなければ、行政に対するコントロールにはなりません。
この意味で、法律留保の原則は明確性の要請を含んでいると思います。
ただし、ここでの明確かどうかの判断は、一般人を基準にする必要はなく、行政が要件・効果を判断できるかどうかを基準にすれば足りると考えます(ここは、もっと深く考えないといけないところだと思いますが、いまのところの結論です。)。

他方、表現の自由や刑罰が問題になる場合は、国民一般の予測可能性の担保という趣旨での明確性の原則が要請されます。
とすれば、この場合の明確かどうかの基準は一般人が判断できるかどうかになります。

まとめると、法律留保の原則で問題となる明確性といわゆる明確性の原則は趣旨・判断基準が異なる(後者のほうが厳しい)ので、独自の意味があると思います。

憲法の神様の問題に答えられているかわかりませんが、考えをまとめてみました。
返信する
>みなみなさま (憲法の神様)
2011-11-22 21:09:16
いやいや、全国のイカした閲覧者の方々、
ご回答ありがとう。わしは心よりうれしいぞい。

それにしても今回のコメント投稿者の方々は
ハンドルネームが謙虚すぎるのう。
わしがイカしたハンドルネームもかんがえてしんぜよう。

>初学者どの
ふむふむ。いいせんいっておるな。
しかし、根拠になるんだったら「安全な速度」というのは
明確だということにはならんかの?

しかし、行政法をよく勉強しているようじゃ。
初学者だのと謙虚なことをいわずに、
「行政法二段」と名乗るがよい。

ふーむ。勝手に段位を認定すると
行政法の神様におこられるのう。
管轄侵害じゃとか、認定根拠法云々とか、うるさいのじゃよあいつ。

>あとうどの
ふーむ。確かに過度の広汎性が問題になるような場合は
実質的判断ということもあるかもしれんのう。

しかしの、根拠法が不明確というのは
一般人の理解では、どんな処分を基礎づけているのか
さっぱりという事案なのじゃよ。

そうそう、わしが声をかけた憲法学者(若手)の頭痛は回復し、
今日はすっきりしておったようじゃ。
心配かけてすまんのう。わしからよくいっとく。

>Jiroどの
ふーむ。そうかそうか。
しかしの、実質的正当化が問題になるケースは
実質的判断が必要じゃ。

じゃが、明確性の判断というのは、
その法律からどんな処分が導けるかを
一般人の理解から判断するというもので、
法律の根拠の有無そのものではないかの?

>社会の底辺どの
これまた、すごいハンドルネームじゃのう。
わしの言葉にケチをつけるとは、なかなかの強心臓じゃ。

よし。お主は「名古屋のトラ」と名乗るがよい。
名古屋在住じゃなかったら、「日本の獅子」ないし
「東アジアの九尾の狐」でもよいぞい。

>しがない大学生どの
ほほほ。面白いのう。
一般人の解釈と行政の判断はちがうと。

確かに国会が「例のあれやっていいよ」といって
国会とツーカーの官僚の皆様なら
あああれか、とピンとくるかもしれん。

しかしのう、法解釈の限界は
行政機関の理解ではなくて、一般人じゃ。

じゃから、行政がピンとくるかどうかは、
法律の根拠論ではなかろうのう。

それに法律の留保の要請は、国民に対する要請でもあるし。

いやいや。しがない大学生というには、かなりの実力じゃ。
お主は、憲法学生リーグA級を名乗るがよい。


そういうわけで、もう一歩ふみこんでくれるかのう。

いやいや、みんな本当にありがとう。
返信する
Unknown (atk)
2011-11-23 17:39:25
木村先生こんにちは。初めまして。


「一般に萎縮効果排除の要請が働かない権利に対する非刑罰的な法規制」

については

「従来の通説からすれば、刑罰でないから31条の要請は働かず、基本権条項による萎縮効果排除の要請も働かない」

そうだとすると、『モケケピロピロな営業には停止命令を出してよい』

といった明らかに不明確な条項ができた場合の対処に窮するといった問題意識でしょうか。

① 法律の留保の要請には明確性の要請は含まれていないと考えた場合
→本件では従前の通説の唱えていた明確性の根拠(31条、21条等)は働かないことになるから、このような規制も実質的正当化に踏み込まない限り違憲無効とならない

② 法律の留保の要請には明確性の要請も含まれていると考えた場合
→この場合には、当該法例は法律の留保違反ということで形式的に違憲無効とできる。


帰結としては②の方が妥当に思われるが、②をとるとすると法律の留保の要請の中に明確性の要請は吸収され、後者は独自の意義を持たないことになるのではないか。

ということですかね。。。


解決方法としては、②の方向性を取りつつ

「法律の留保の要請には最低限の明確性の要請は含まれる。31条や21条が問題となる場合には、その明確性の要請が厳格化される」

といった方向性が妥当かと個人的には思います。(法律の留保の中に明確性は吸収させつつ、従来の学説が掲げていた31条や21条は明確性の要請を高める法理として存在意義を残す)

そうだとすると、問題となるのは21条や31条が働かない場面における「最低限」の明確性の要請をどのように定義づけるのかという点ですね。。。

しがない大学生さんと似たようなアプローチになりますが

① 刑罰を課す法律や、萎縮効果が問題となる条項が問題となる場合の明確性とは

「通常の判断能力を有する一般人が適用対象を判別できる程度の明確性」が要求される

② それ以外の法律についても、法律の留保に内在する明確性の要請から最低限度明確性が要請されるが

「裁判所が実質的正当化の判断を判断できる程度の明確性」が要求される

と考えるのはどうでしょうか。

仮にこの程度の明確性が満たされていないとすると、裁判所が実質的正当化の審査さえすることができなくなり、違憲審査による救済が不可能になり、法治国家の要請に反するような気がします。このような場合には裁判所としては実質的正当化の審査に入ることなく違憲無効とすることが許されると考えていいと思います(現に、『モケケピロピロな営業には停止命令を出してよい』という条文の違憲審査はほぼ不可能なのではないでしょうか笑)。

他方、裁判所が違憲審査できる程度の明確性が要請されている場合には、国民としては仮に当該条項に基づく処分を違憲だと考えれば裁判所への救済を求め得るのであるから、保護に欠けることはないといえると思います。


このように裁判所を主体に考えるのは「国民への行為規範性」という観点から問題があるとのご批判がありそうですが、そもそも②の場面では「刑罰では無く、萎縮効果排除の要請も働かないため、不明確でも国民は萎縮しない」というのが出発点になっているため、そのような批判は該当しないと考えます。

ただ、そもそも「刑罰では無く、萎縮効果排除の要請も働かないため、不明確でも国民は萎縮しない」という前提が妥当なのかどうか(経済的自由に対する非刑罰的規制でもあまりに不明確な条項であれば国民は行動を萎縮するのではないか)という問題はあるように思いますが。。。

長文すいませんでした。ご批判等よろしくお願いします。
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>atkくん (憲法の神様)
2011-11-24 15:15:06
がんばってかいてくれてありがとう。

まさにのう、明確性について
「厳格な要請」と「緩やかな要請」が区別できるのん?
という話じゃな。

厳格な明確性の要請はクリアできないが
緩やかな明確性の要請はクリアできるという
わけのわからん法文なんてあるんかい?
と聞いてみたかったのじゃ。

じゃから、おぬしは問題はしっかり理解しておる。
じゃが、回答が煮え切らん。
こういうケース、あるのか?どうなんじゃ?
返信する
Unknown (atk)
2011-11-24 21:17:01
憲法の神様

こんばんは。

個人的には、厳格な明確性の場面においても判例が

「通常の判断能力を有する一般人」

という基準を採用し、しかもそこで想定している一般人のレベルは相当高い人(「淫行」の解釈等を見ると、少なくとも僕よりは判断能力が高い人が一般人として想定されているようです笑)が想定されていることから、神様がおっしゃっているけーすは想定しがたいのかなと思います。

例えば

①「モケケピロピロな営業」=Aという危険な化学物質を用いた営業

という用語の使い方が、行政機関や裁判所内部では隠語として使われているが、一般人は実際上ほとんど知らない場合


②覚せい剤の隠語として使われている(らしい)
「シャブ、ネタ、ブツ、クスリ、スピード、S、エス、アイス、アンポンタン、冷たいの、冷たいやつ、冷たい奴、キンギョ、金魚、ロケット、宇宙食」という言葉を使った法文

ex 「冷たいやつを販売する営業には停止命令を出していい」

といった法文は、私の素朴な感覚ですと

「通常の判断能力を有する一般人」だと意味が解らない(健全な一般人なら隠語等知らないのがむしろ望ましいはずです)

が、裁判所等の専門機関は意味を判断できる法文に該当し、厳格な明確性はクリアできないが、緩やかな明確性の要請はクリアできるという法文は想定できるように思うのです。


ただ、最高裁判所だと、上記の法文はいずれも「通常の判断能力を有する一般人」(と裁判所が想定している有能なお方)の判断能力に照らし明確性の要請をクリアできるとなりそうですね。。。。


ただ、これは判例が一般人という言葉を使いつつもそこで想定されている一般人が相当程度高貴なお方を想定なされていることに起因する事実上の問題であって、観念的には区別できる、というのが私の意見です。

・・・と書いているうちにモケケピロピロという言葉に大分愛着がわいてきてしまった感があります。。。。

神様、こんなところでどうでしょうか。


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>atkくん (憲法の神様)
2011-11-26 12:32:43
ほほう。そうか。一生懸命考えてくれとるのう。

でも、自分でも気づいとるように、
最高裁の想定するような一般人を想定するなら
観念的にもやっぱり、明確性は想定されんじゃろう。

この点は、そのうちわしの躓いた憲法学者(若手)が
記事にするはずなので、しばしまたれい。

そうそう、一つヒントをいっとくとの、
法律上の概念には、
程度が問題となる概念と、
有無が問題となる概念があるんじゃ。

この二つを混同すると、えらいことになる。
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