気ままな旅

マイカーでの気ままな旅で、束縛された予定や時間にとらわれない、自由奔放な行動をとる旅の紹介です。

大阪の最高峰 金剛山(1125m)への登山

2011-10-05 22:13:41 | 

 2011年(平成23年)9月11日(日)晴、 私はかねてから、妻に金剛山へ 「登ろう!登ろう!」 と何度も話をしていたが今日まで実現してこなかった。  それが、急に金剛山への登山をすることになった。  今朝は5時30分に起床し、登山準備や弁当などの準備をして、妻と二人、午前7時頃に南大阪にある自宅を、愛車ラクテイス(1500cc)で出発する。 日曜日の朝、時間的にも早いせいか、国道170号もスムーズに流れ、河内長野市から、橋本市方面の国道371号に入って行く。  しばらく走行して石仏トンネルを抜けると今度は府道214号に入る。 10分ほど走ると、府道705号に入り、5分ほど走行すると千早登山口に到着する。 午前8時過ぎであった。 金剛登山口バス停の横にある駐車場(600円)に愛車を入れる。 その後、洗面を済まし、リュックや靴などの最終チエックをした後、午前8時45分に登山を開始する。

開始した金剛登山口は、金剛山ロープウエー乗り場の3km位の手前にある。 金剛山登山口からは、二つの登山ルートがあり、 一つは急坂の石段を登り、千早城跡(千早神社)を通る尾根道と、左側にあるフロノ谷を通るルートであるが、どちらを通っても後で合流することになる。

私たちは、最も多くの人達が利用する、ポピュラーなフロノ谷ルートを選んで登って行くことにした。

金剛山登山口バス停付近(前方の突き当たり付近の右側にフロノ谷ルートの登山口がある)

 

この道路を少し下った所にあるバス停を引き返して最初の辻を右に曲がり、舗装された道路をまっすぐに進んで行く。 

 道路沿いには喫茶店や駐車場・茶屋などの店舗施設が並び、突き当たりを右手に進むと舗装された林道の登山道があり、それを登って行く。

金剛山登山地図(金剛山=葛木岳1125m=赤字右上)

金剛山は大阪府千早赤坂村と奈良県御所(ごせ)市の境目にある山である。 標高は1125m。最高地点は葛木岳で、葛木神社本殿の裏側に位置し、神域のために立ち入りが禁止されている。

登山直後の林道 「妙見谷線」と書かれた登山道を登って行く。 見た目はなだらかであるが、登るときつい坂である。

林道の登山道をさらに登って行くとご覧のような砂防堤が見えてくる。 コンクリート壁面に加工木材を張り付けて独特の景観を見せている。

登山道脇に咲いていた可憐な花、登山者の心を慰めてくれる。

登山開始直後は舗装された林道の登山道であったが、途中から地道の登山道に変わってくる。 登山道は急こう配が続いている。 

急こう配の登山道を登りきると千早城跡を通るコースとこの地点で合流する。 合流点からからは、ご覧のような木立に囲まれた平坦な登山道に変わってくる。 登山道脇には休憩用のベンチなども造られ、小休憩する人達が見えている。

登山道脇の所々で大切に祀られている石仏、左には 「五戒」 が書かれ、右に御題目が書かれたものが設置されている。

五戒 「辛いことが多いのは 感謝を知らないから。  苦しいことが多いのは 自分に甘えがあるから。 悲しいことが多いのは 自分のことしか分からないから。 心配ことが多いのは 今を懸命に生きていないから。 行きづまりが多いのは 自分が裸になれないから。」 と書かれている。

しばらく登っていると元気な掛け声の夫婦に出会った。 良く見ると前月にNHKテレビで報道され、痴呆性の妻を支え、夫婦で金剛山登拝一万回達成のために頑張っている夫婦であった。  ご主人の顔の表情や、奥さんの出会った人達に笑顔で接する姿が印象的であった。

時折、急坂が続く木立に囲まれた山道をさらに登って行く。 するとヒノキや杉林の樹林帯からブナ自然林の樹林帯に変わってくる。 前からはにこやかな表情の女性が下山してくる。 

九合目あたりで山頂への「近道」と「楽な道」の、左右に分かれるルート案内が表示されている。 私たちは楽な道方向を選び進んで行く。   このルートは、しばらく平坦で緩やかな道であるが、最後に急こう配の階段がある。 この階段を登りきると、そこは頂上部で大勢の人達で賑わっている。  1時間20分の登攀時間であった。 頂上部には下記のような施設が存在している。

「金剛山頂上の名所跡案内図」 ご覧のように頂上には様々な施設がある。

史跡 「金剛山」 の説明

「金剛山は海抜1125m葛城山脈中の最高峰なり、頂上付近一帯に役小角(えんのおづめ)の開きし転法輪寺の跡を存し、法起菩薩を祀られる修験道の霊場として、夙に著名なり、今絶頂に葛木神社を奉祀し、転法輪寺を再建す。 その西北方平坦にて展望よき処、所謂国見城址なり、元弘2年(南北朝時代=1332年)、楠木正成再び義兵を起こすや、その詰城 「千早城」 の背面防御の地なり。 北條氏の大軍分かれて三方より楠木城に迫るや、その大和口に当てるは蓋し、この山なるべし。  昭和9年3月13日指定  文部省」 と書かれた説明文が 頂上直前の参道添いに掲示されている。  

登山道から頂上部に登り、左に進んで行くと 「金剛山頂」 と書かれた案内板と時計が設置され、広場では多くの登山客が休憩したり、弁当を広げたりして思い思いに過ごしている。

金剛山頂広場からは大阪市内や大阪湾、六甲山系の見事な景観が姿を現している。

金剛山頂広場から大阪市内や六甲山系方面の景観。手前にある白い塔は大阪府富田林にあるPLの塔

手前にあるPLの塔。 後方は大阪市内や六甲山系の山峰

私たちは金剛山頂広場からの大パノラマや昼食を楽しんだ後、山頂にある転法輪寺に向かって行く。  転法輪寺の前にある境内付近には、売店や登拝回数捺印所などの施設があって、多くの人たちが訪れて賑わっている。 

山頂にある売店などの施設前で、のんびりとくつろぐ人達

金剛山登拝回数捺印所で、自分の登拝カードに印を押してもらって確認する登山者

金剛山にはこのように、登山回数を記録してくれるシステムがある。 会員(現在は4000名といわれる) になれば登山毎とに、この場所で回数スタンプを捺印してくれる。

金剛山登拝回数が1000回以上を達成した登拝者名が掲示されている。

登山回数100回以上の登山者には、毎年5月に表彰式が行われる。 10,000回以上の登山者も記録されている。 毎日登山しても27年間以上の年月が必要となる計算である。

金剛山は、大阪市内から60分程度の距離にあり、健康登山、回数登山、自己改革登山など、朝の出勤前や夕方の仕事が終わってから毎日、登りに来る人たちが数多くいるといわれている。

役小角(えんのおづめ)が修業した金剛山頂にある葛城修験道の大本山 「転法輪寺」(てんぽうりんじ)

御本尊 : 法起(宝基)大菩薩

御利益 : 五穀豊穣、悪虫退散、米を造り、人を造り、家を造り、人間の幸福を守らせ給う。

御奉祀 : 1300年前より

御姿 : 五眼六臂

御真言 : おんばさらけん ばざらや たらまや めいしやらてい そわか

御祭事 : 毎年七月七日(れんげ祭り)

建物 : 鎌倉時代の建築様式                                                                                                             

 金剛山は修験道の開祖、役小角(えんのおづめ=役行者)が修行した山として知られている。 役行者は今から約1,300年前、16歳の時から、この山で修行し、全国各地の霊山へ駆け巡ったと伝えられ、 山頂付近には役行者が開いたとされる転法輪寺(葛城修験道大本山)がある。 近くには一言主を祭神とする葛木神社がある。 

毎年7月7日の役行者の命日には、一言主ノ神を祀る葛木神社と法起菩薩を本尊とする転法輪寺との珍しい神仏習合のれんげ祭りが行われている。

参道の石段から転法輪寺本堂を望む

転法輪寺本堂の全景

転法輪寺本堂より境内を望む

転法輪寺の境内にあり、修験道の開祖として崇拝されている 「役小角」 を祀る行者堂

役小角(えんのおづめ)(役行者神大菩薩) 様 (行者堂の説明掲示文)

今から1300年以上前、奈良県御所市茅原の吉祥草寺のお生まれになり、白鳳時代の七世紀後半を中心に、この金剛山(元の名称は葛城山)や大峰山(金峰山)などで活躍されました。 「続日本記」 によりますと、文武天皇(在位3年=699年、飛鳥時代)は、韓国連広足(からくにのむらじ)の讒言(ざんげん=事実をいつわって悪くいうこと)により、伊豆島へ、島流しになったと伝えられていますが、日本国中で伝説を残し、各地の霊山をお開きになられました。 江戸時代の後期には 「人変大菩薩」 の菩薩号を賜り、現在でも修験道の開祖として、山伏たちに崇拝されています。

御宝号 (七反)  

「南無神変大菩薩」 (なむじんべんだいぼさつ)

御真言 (七反) 「おん ぎゃくぎゃく えんのう うばそく あらんぎゃ そわか」

十三仏を表現しているといわれる石組でできた 「十三重の塔」

十三重の塔は、当山有縁無縁の萬霊を回向供養するために建立されました。(掲示説明文)

「 十三物とは、人が亡くなり、天上界へ辿り着くまでの世界 『中有(中陰)』 を司る七佛と、浄土天上界にて三十三回忌を迎えるまでの六佛いいます。 

1.不動明王 2.釈迦如来 3.文殊菩薩 4.普賢菩薩 5.地蔵菩薩 6.弥勒菩薩 7.薬師如来 8.観世音菩薩 9.勢至菩薩 10.阿弥陀如来 11.阿しゅく如来 12.大日如来 13.虚空蔵菩薩  」 と書かれている。

人々にために尽くしてくれる牛王(ごおう)の像

 牛王の由来 「牛王像は当時のご本尊の化身にして 人のために働き 人のために一切を捧げる 尊い姿を現しています。 尚、背には金剛山という名の起りや 由緒が刻みこまれています。 ・・・・ と書かれている。

赤い灯篭のある葛木神社への参道としめ縄がかけられ、威厳を感じさしてくれる夫婦杉

転法輪寺からこの参道を通り進んで行くと、参道沿いに夫婦杉の他に福石や石造りの宝剣塔などがあり、10分ほどで葛木神社に通じる。

多くの人たちが訪れる金剛山頂にある葛木神社

 

葛木神社の由緒  日本の名峰金剛山は、大阪、奈良、和歌山に跨る金剛生駒紀泉国定公園の最高峰であって、海抜1125mあります。

古来高天(たかま)山とも呼ばれ、神武天皇大和平定の際、葛(かつら=くず)の網をきせて、土賊を掩殺(おおい)せられてから、葛城という名がついたといわれています。

「人皇第十代崇神(すじん)天皇(BC97年~BC30年)戌寅七年 御造営神戸祠を附し給う。」 とあり、神社の創始は、約二千年前の崇神天皇の御代で、事代主を奉祀していました。

後の古事記・日本書紀に人皇第二十一代雄略天皇(456年~479年) 御狩りに登山された時、葛木一言主神(ひとことぬし)が御出現され、「善きことも一言、悪しきことも一言、只一言のたまえばかなう神一言主である」 と宣言され、葛木一言主を奉祀し、一言だけ願いをすれば、叶う神として有名になりました。 又、日本で初めて手を拍って物を受け渡しされた故事により、拍手の元祖、一言恵比寿とも言われ、商売繁盛の福の神とも称せられます。

主際神 : 葛木一言主大神

副際神 : 大楠公、後醍醐天皇その他

社殿 : 関西では珍しい大社造

きれいな御影石で出来た石段とな葛木神社の参拝口  

 

関西では珍しいといわれる大社造りの葛木神社神殿

静かなたたずまいに鎮座している葛木神社神殿の横にある十三末社

金剛山最高峰1125mは、葛木神社本殿の裏に位置しているが神域のために立ち入りは禁止されている。

金剛山という山名は、大日岳(1094m)、葛木岳(1125m)、湧出岳(1112m)の三峰の総称である。

 

私たちは金剛山頂にある施設や絶景、葛木神社への参拝や見学を終えた後、午後1時00分、元来た登山道からの下山を開始する。

30分ほど下った途中からは、登ってきた登山道と違う千早城跡のコースを選んで下山する。

このコースもほとんどが林の中に覆われた登山道で、5分ほど進むとコンクリートで頑丈に出来た休憩所があり、汗を流しながら昆虫採集する親子の姿があった。   この休憩所を少し進むと、千早神社の境内に出てくる。 

右手には十段位の石段の上に銅でできた鳥居があり、その奥では威厳を感じさす堂々とした神社があり、拝殿では父と娘が横に並んで参拝している姿があった。 何か微笑ましさを感じさしてくれる。 

 私たちも境内から石段を登り、銅でできた鳥居をくぐって拝殿に進んで行く。 森の中の静かで厳かな雰囲気の中で妻と二人で拝殿に立って参拝する。

 

荘厳な雰囲気を持つ千早神社本殿で参拝する父と娘

 この神社については 次のように書かれている。

千早神社  :  千早城本丸跡にもと八幡大菩薩を祀って、千早城の鎮守として創建する。 後に楠木正成卿・正行頼臣・久子刀自を合祀して楠社と称する。  明治七年再建、同十二年に更に祠を建て、社名を千早神社とする。 昭和七年現在の社殿社務所を新築する。

御祭神

本殿 : 楠木正成卿 楠木正行頼臣 久子刀自

相殿 : 大市媛命(坂本神社) 天太王命(下中津神社)

末社 :  椋木神社(大物主命) 廣内神社(金山彦命) 平 神社(應神天皇)

 金剛山周辺には太平記の英雄楠木正成の城であった千早城上赤坂城、下赤坂城の城跡や楠公誕生地など、正成ゆかりの史跡が点在している。

 

 私たちもこの静かで荘厳な雰囲気を持つ神社で参拝を終えた後、一般の参拝客とは逆方向に神社境内を下って行く。

千早神社の銅でできた立派な鳥居

「史跡 千早城跡について : 元弘二年(1332年=南北朝時代) 楠木正成が構築し、翌年五月まで百日間、藁人形等の奇策をもって鎌倉幕府軍の攻撃に堪えて建武中興の原動力となった難攻不落の名城である。 

 標高約660mで、城の南(妙見谷)、北(風呂谷)、西(大手口=現在地)の三方は急斜面で、府道との比高は150m、東方だけが尾根伝いに金剛山に通じる天然の要害である。 

五百数十段の石段を登ると、四の丸があり、それより本丸までの奥行が約300mである。

太平記に、敵は百万騎、身方は僅かに千人足らずにて 「誰ヲ慿(たの)ミ何(いつ)ヲ待共(まつとも)ナキニ城中ニコラヘテ防ギ、戦イケル楠木ガ心の程コソ不適ナレ」とある。

昭和9年3月13日 史跡指定 文化庁・大阪府教育委員会・千早赤坂村教育委員会」 と府道からの登排口に書かれて掲示されている。

 

 私たちは神社の境内にあたる、千早城跡の本丸や四の丸を通り、五百数十段の急こう配で出来た石段をゆっくりと下って行く。

石段の上に建つ鳥居、この石段も登山道の一つであるが、急こう配できついのか、このルートで登ってくる人には出会わなった。

五百数十段の急こう配の石段。 金剛山への千早城跡の表登山口は、この場所の石段から登山が始まる。 

 

開始した金剛登山口には、13時50分に下山する。下山時間50分ほどであった。 金剛山登山は、若い時に一度登ったきりで、今回は2回目の登山で、妻は初めてであったが、私どもにとって大変印象深い登山であった。

 今回の金剛山登山で驚いたことは、登山道がよく整備されていることと、登山する人達が男女を問わず、子供からお年寄りまでの幅広い年齢層と、登る人たちの多さにも驚かされる。 それに登ることによって自らの精神や身体を鍛錬する練成会と言う組織があって、登山回数を記録するカードへ捺印する制度もある。  毎日の出勤前や出勤後に登山をする人達などの会員が、4,000人程いられることも驚きで、頂上部の境内には100回以上の登拝回数達成者名が掲示されている。 中には10,000回を達成した人もいられるとのことであった。

それに、山頂部分の施設の多さにも驚かされる。 いにしえの時代から、日本人は自然を敬い、山々には神が宿るという山岳信仰心がうまれ、自分たちの生活と共存さしている。  特に役行者は、葛城山中深く分け入り、自らの心身を限界まで修業する場と考えて実践している。 後には多くの修行者を導き、日本独特の山岳信仰や神道・宗教・修験道などに大きな功績を残している。

現在日本では、自然と対峙するアウトドアーがブームになっている。 大都会のわずらわしい日常生活の中で、ややもすると人間性を見失いそうな孤独感、単調作業からくる生き甲斐感や社会的貢献などに問題点があって、惰性的に暮らしている人が多いと言われている。 そんな中で大自然に身を置き、自然と一体となって、自然に直接触れ合うことで、家族の絆や職場などの人間関係を深め、自らの人間力を高めてくれるという修業性が、山などの大自然にはあるように思えてくる。

今回は妻と二人で登った金剛山。 私たちも登山を通じて身体や精神力を高めることも目的のひとつであるが、杉やブナの生い茂る登山道で 「こんにちわ」 という一言の挨拶を交わしながら登って行く。 小さな子供から80歳代のお年寄りまでの多くの方々からも 「こんにちわ」 という言葉が返ってくる。 ある時には立ち止まって登山情報などを自然の中で交換する。  登山者全員の頂上へ登るという共通した目的からの共通意識があり、小さなコミニケーションを図っていると、一人ひとりの登山者に対して自然と親しみが湧いてくる。 頂上へ登った時の達成感や爽快な気分と共に、何か大きなエネルギーを頂いているように感じてならない、今回の登山であった。  

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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1 コメント

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 (秋田美知香)
2017-07-20 15:52:07
毎日歩いてすごいでね🐭
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