気ままな旅

マイカーでの気ままな旅で、束縛された予定や時間にとらわれない、自由奔放な行動をとる旅の紹介です。

顔を出さない富士山と山麓・湖の旅

2008-08-27 20:17:52 | 気ままな旅
  8月12日(火)朝早くから目覚める。富士山麓の道の駅「なるさわ」で車中泊していた。
 この近辺は大阪と違って、10度位の温度差がありそうで涼しかった。
 都会の中の熱帯夜を思い出してくる、ここは暑くて寝苦しいことは全くない。
 この涼しい自然の中で、ぐっすり眠ることが出来た。
 昨夜は、この道の駅の駐車場も、車は少なかったが、朝方の今は、多くの車が、車中泊をしている。
 今日も、天気は良さそうだが、目の前に見えるはずの、富士山の姿はなかった。
 本来は、この道の駅からの富士山の眺望は、すばらしいと聞いていた。
 この道の駅には、富士山と対面型の休憩室があり、ここから裾野に広がる大パノラマのロケーションのすばらしさは、抜群であるに違いない。
 しかし、残念ながら、富士山方面は厚い雲で覆われ、今日も富士山は望めそうになかった。
 自然の心地よい風が吹いてくる、車外にテーブルと椅子を持ち出して、朝食を摂ることにした。
 原生林の緑に囲まれ、青い空の下で摂る朝食も、格別の味であった。
 朝食が終わった後は、同じ道の駅の敷地内にある「なるさわ富士山博物館」に行った。
 この博物館では、富士山の自然と歴史を学ぶことが出来る。
 建物の中にある博物館の入口を入ると、8万年前にタイムスリップしたように、大きな恐竜が私達を出迎えてくれる。
 本物と変わらないぐらい、よく出来た恐竜で怖さを感じてくる。
 さらに中に進むと、三面マルチスクリーンがあり、繰り広げられる富士山のダイナミックな姿や、四季それぞれ移り変わる富士山の景観を映像で紹介している。 また、真っ赤な溶岩流マグマが流れて来る様子が、人目で分かる富士山の巨大な模型も展示されている。
 初めて、ここを訪れる方々には大変参考になると思う。
 見学を終えて外に出ると、物産館があり、多くの方々で賑わっている。
 物産館の外では、地元で採れた野菜などの産物を山高く積み、店内も、ブル-ベリーや、朝採れの高原野菜や土産品を、所狭しに陳列している。
 この道の駅は、地域活性化の一役を担っているようで、活気が感じてくる。
 道の駅の物産館を見終えた、私たちは、近くある鳴沢氷穴に向かって行った。
       
                 
              道の駅にある「なるさわ富士山博物館」の恐竜

          
          博物館にある富士山の生い立ちや火山活動等が分かる模型

 鳴沢氷穴は近くにあり、すぐに着いたが、駐車場が満杯で暫く待たされた後、車を止め、氷穴の入口へ向かって行った。
 氷穴は樹海の中にある、入口まで、大勢の方々が列をなしている。
 氷穴内の温度は0℃と表示されていた。
 見学を終えた方々が、寒そうに震えながら帰ってくる。
 この格好で大丈夫か、少し心配になってくる。
 この氷穴は、富士山の代表的な溶岩洞窟の一つで、内部の年間平均気温は3度と低く、一年中、氷で覆われている事からこの名がついたらしい。
 中でも、天上からの水滴が凍って出来た氷柱は、見事で4月ごろが最も成長するとのこと。
 氷穴の穴は下の方に伸びていっているらしい。
 一人しか通れない狭い階段が、下に向かって架けられた、縦穴環状洞窟である。
 階段を下り横方向の通路も、狭くて低く、はんで行くように進まねばならない。
 さらに、氷壁で出来た狭い通路を過ぎると、氷の見事な芸術品のような、何本もの氷柱 が現れてくる。
 金網で覆われて少し見づらいが、天上や壁、地面までが氷で覆われている。
 天上からの水滴がツララ状になって地面に落ち、大きさの異なる、何本かの氷柱が自然に形成されている。見事としか言いようがない芸術品である。
 最初は人工的に造ったものかと思ったが、自然に天上からの雫で出来た芸術品であった。
 「すばらしい」の一言で、地底に出来た神秘的で、幻想的な芸術の世界を創出している。
 自然の力で、このようなものが出来たものと感心する。
 氷穴内の温度は0℃で、夏服の私達の体も少しずつ冷えてきている。
 あまり永くはいられない。
 一通り見学した後、私達は地上の出口へ向かって進んで行った。
 
          
           鳴沢氷穴入り口 多くの方が列を作って氷穴内に進んで行く

           
            ただいまの氷穴内の気温  氷壁で囲まれた狭い通路

          
              天上からの水滴によって自然に出来た氷の芸術品

          
           網の間から撮影 神秘性を感じさす見事な氷柱の芸術品

          
                 富士山の裾野に広がる広大な樹海

 青木ケ原樹海は、富士山の大噴火によって出来た山麓から、西湖、精進湖、本栖湖に広がる30平方キロメートルの原生林である。
 100種類以上の苔やカエデ、シダなどの草木が群生、野鳥やシカなどの動物の宝庫でもある。

          
                 富岳風穴の入り口

 なるさわ氷穴の見学を終えた私たちは、次の目的地である富岳風穴へ向かった。
 富田風穴は、近くにあった。駐車場に車を止め、樹海に囲まれた通路を100m程行った所に入り口はあった。
 なるさわ氷穴のように、列が出来るような見学者はいない。
 この風穴も、富士山の噴火で流れ出た溶岩流によって形成された洞窟である。
 出入口の温度差や風圧により、風が通り抜けることから名前がついたようだ。
 また、この洞窟は、洞窟内で音が共鳴しないことでも有名である。
 洞窟内は玄武岩質で出来ており、音を吸収する性質をもっているらしい。
 入口から下に伸びている階段を降りると、そこから200m程、横穴が奥に向かって続いた洞窟である。
 一年中、風穴内の気温差は一定で、明治時代には蚕種の貯蔵に利用されている。
 氷穴と同じように氷結はあったが、凍結している範囲も氷の量も少なく、洞窟内の気温差にも違いがあるようである。
 
          
         富岳風穴もなるさわ氷穴と同じように氷があったが量は少ない

          
          内部気温は一定の為、蚕種や種などの貯蔵が行なわれていた

 富岳風穴の見学を終えた私たちは、富士五湖の一つである本栖湖へ向かった。
 よく整備された青木原樹海の中を通る、国道139号線の景観はすばらしかった。
 樹海に育つ樹木の枝間は、緑の葉で覆われた、隙間のないグリーン地帯であった。 通常の山道にある樹木のグリーン地帯とは明らかに違っていた。 
 富士山からの痩せた溶岩流の上で、育って成長している樹木には思えなかった。
 永い歳月をかけ、他の草木や種を運ぶ鳥達の恩恵を受けながら、腐食物が出来、その上に、自然に育った樹木である。
 青々とした様子から、肥沃な土地の上に育った樹木のように思えてならなかった。
 車は程なくして本栖湖畔に到着した。
 
 本栖湖は富士五湖の中で最も西にある湖で、水深138mと一番深く、全国の湖の中でも屈指の深さを誇っている。透明度も抜群である。
 富士山の噴火前は、本栖湖、精進湖、西湖は一つの湖で、せの海と呼ばれていたらしい。
 富士山の噴火により、3つの湖に分断されたと言われている。
 その証拠に3つの湖の水位は、常に同じで、地下でつながっているようである。
 湖面ではウインドサーフィンやヨット、釣りなどのレイクスポーツも多彩である。
 また、湖畔では、キャンプ場も整備され、日本各地から訪れる人たちで賑わい、多くのテントが 張られている。
 湖畔の駐車場に車を止めると、浜辺の隅に黄色い船体をした船が浮かんでいる。
 妻が「乗ろう」 といってきた。
 出航時間を調べると「間もなく出航します。急いで発着場に行ってください」
 言われた。
 すぐに発着場に向かって行った。
 何とか間に合い乗船することが出来たが、変わった形をした船である。
 船体は黄色で塗られ、まるで潜水艦のような形をしている。
 本栖湖遊覧船「もぐらくん」である。
 デッキには多くの方が湖上からの景観を楽しんでいる、船内は満席で多くの人たちがいる。
 外国人の家族も多く賑わっている。
 船体の中央部分には、水中の様子が分かるように、透明のガラスがはめ込まれ、透き通った水中を、無数の魚が泳いでいるのがよく見えている。
 この船は、本栖湖内を30分間、遊覧してくれる。
 湖面では、色彩色豊かなウインドサーフィンを楽しんでいる人たちも多く、思い思いの方向に進んでいる。 
 中には、すごいスピードのウインドサーフィンがあり、そのスピードには驚かされる。
 本栖湖からの景観は、千円札にも採用されているが、相変わらず富士山の方向は厚い雲で覆われ、残念ながら見ることは出来ない。
 船内で、妻が外国人グループの人と、何か話しをしている。
 どうやらこの人たちは、日系ブラジル人の人たちのようである。
 浜松から50人ぐらいのグループで湖畔に来て、キャンプをしているようだった。

         
          本栖湖遊覧船「もぐらくん」30分周遊の旅に案内してくれる

          
             もぐらくんの船内この部分から水中の様子が見える
           
               ウインドサーフィンを楽しむ人達

           
              船内で知り合った日系ブラジル人家族と

           
         千円札の本栖湖からの富士山の撮影場所 残念ながら富士山は雲の中

           
           天気がよければ上の場所からこのような富士山が見えたはず・・・

          
               東洋のスイスとして海外に紹介されていた精進湖
 
 精進湖は富士五湖の中で、周囲5kmと最も小さく四季折々の表情を見せてくれる湖である。
 ここからの富士山の景観もすばらしく、魅力に惹かれた一人のイギリス人により、避暑地として、東洋のスイスとして海外に紹介されている。
 精進湖から眺めると、まるで手前の山(大室山)を抱き抱えるように見えるここから「子抱き富士」と呼ばれている。(この富士も今日は見えない)
 本栖湖との間にあるパノラマ台からの眺めは、まさに絶景とのこと。

          
               富士五湖の中で4番目の大きさの西湖
 
 西湖は富士五湖で4番目に大きい湖で、富士山の火山活動によって生じた堰水湖である。
 西湖の南側には青木原樹海が広がる。
 近くにキャンプ場や民宿等があるが、富士五湖の中では最も観光化が進んでいない湖である。
 近くに、かつて、日本一美しい萱葺きの集落があった。
 最近になって、霊峰富士と神秘な森、青木ケ原樹海を望む西湖の地に「西湖いやしの里」として甦っているらしい。
 私も、いつの日かここからの富士山を眺めたい!と思いながら西湖を後にした。 


          
         近くには民宿やキャンプ場があり、林間学校等で利用される西湖

          
           河口湖岸から突き出たボート乗り場で釣りを終えた人たち

           
                  数十羽の水鳥が浮かぶ河口湖 

            
                 河口湖の北側から温泉街方面を望む
 
 西湖の見学を終えた私たちは、次の目的地である河口湖へやってきた。
 河口湖は、富士五湖の中で2番目に大きい湖で、富士箱根伊豆国立公園に指定されている。
 富士五湖の中で最も長い湖岸線を持ち、最も低い標高地点にあり、水深も精進湖と並び3番目の深さである。
 河口湖は、湖畔に温泉などがあり、富士五湖の中では最も早くから開発され、周辺は近代的な建物や、オルゴールの森、キャンプ場などが整備されている。
 河口湖からは富士山が美しい山容を見せ、湖面に映る逆さ富士や周辺の山稜から見る富士山は、まさに絶景で、多くの雑誌等で紹介されている。
 私が訪れた河口湖の時間帯は、たそがれ前で、湖面に数十派の水鳥が湖岸でえさをあさっていたり、湖岸から少し突き出たボート乗り場では、釣りを楽しんでいる人達がいた。
 今日の宿泊先は、まだ決めていなかったが、山中湖方面にある道の駅「富士吉田」へ向かって行った。
 
            

            


白糸の滝・陣馬の滝・田貫湖へ・・・・富士五湖への旅

2008-08-24 16:37:34 | 気ままな旅
 8月10日(日)浜松市内で、日系ブラジルの人達への説明会を22時頃終え、シャワーを使わさしてもらった私達は、富士五湖を目指して出発して行った。
 出発が深夜の12時頃であった為に、1時間ほど走った所にある、道の駅「掛川」で車中泊をすることにした。
 深夜の道路は、空いていて車はスムーズに走れる。
 道の駅「掛川」は、整備された国道1号線バイパス沿いにあった。
 道の駅に到着して睡眠の準備をして横になると、直ぐに深い眠りに入った。

 8月11日(月)天気は快晴で、南の上空には発達した積乱雲が見え、その間の青い空からは、真夏の太陽がサンサンと輝いている。
 今日も暑そうである。
 昨夜は遅くなったせいか、ぐっすり眠ることが出来た。
 妻も私もすこぶる元気である。
 早速、朝食の準備に取り掛かり、車中で朝食を済ました後、8時半頃に道の駅「掛川」を静岡方面に向かって出発して行った。
 今までは東名高速道路を利用していて、国道1号線バイパスを走るのは始めてであるが、信号機もほとんどなく、快調に愛車エステイマは走っていく。
 これだと高速道路を利用して走る必要性はないと思った。
 車は程なく、富士山を望む浮世絵で有名な油比海岸に差しかかる。
 私もここから望む海と富士山の景観が好きである。
 構図的によくまとまっているからだ。
 ただ、ここの地形は、山の急傾斜が海岸まで迫った狭い場所を、新幹線や在来線、高速道路や1号線などが通行する交通の要衝になっている。
 しかし、残念ながら期待した、ここからの富士山の姿はなく、富士山方面は、厚い雲また雲で覆われている。
 車は富士市内で1号線から、国道139号線を富士宮方面へ向かって行った。
 しかし、この道路は、スムーズに走れた1号線バイパスとは違って、大渋滞の道であった
 白糸の滝の駐車場には、11時半ごろの到着となった。
 この近辺からも、きれいな富士山が見えるはずであるが、富士山の姿はなかった。
 白糸の滝への入り口付近には、夏休みとお盆の休みが重なっているためにか、多くの観光客が訪れ賑わっている。
 家族連れの観光客も多く訪れている。
     
           
              轟音を発しながら勇壮に流れ落ちる「音止の滝」 
 
 食堂やみやげ物店の立ち並ぶ一角に、轟音を発しながら流れ落ちる「音止の滝」はあった。
 この滝は、白糸の滝と隣り合わせに、芝川の本流にかかっている滝で、大量の水が大きな水柱となって、落差25mを轟音とともに、流下している迫力満点の滝である。
 滝の前にある撮影ポイントの場所では、我先を急ぐように、多くの人達が記念写真を撮っている。
 この滝には伝説があった。
 「その昔、曾我兄弟が仇討ちの手はずを話し合う声が、滝の轟音に消され聞こえない。
 嘆いた曾我兄弟は神に念じたところ、その思いが通じたのか、話し合っている間は、滝の音は打ち消され、止まったといわれている。
 滝の名前は、この伝説からつけらた。
 しかし、この滝の勇壮な姿と轟音は今も変わることなく続いている。」

                     
                       展望台からの白糸の滝

 音止めの滝周辺のみやげ物店などが重なる、白糸の滝つぼまでの遊歩道を進むと、突然、右側の木陰の間から、白糸の滝の全景が姿を現してくる。
 足の不自由な人たちは、ここから景観を楽しめることができるとのことである。
 白糸の滝は、日本の名瀑として、その名を天下に轟かしている。
 この滝の上流に川は存在せず、富士山の雪解け水が、溶岩断層から湧き出し、滝を形成しているらしい。
 幅200m、高さ20mの崖から、絹糸を何本もたらしたように、大小数百の滝が流れ落ちる様子から、「白糸の滝」と名づけられたようである。
 この滝の景観の美しさに、私は自然と心を引かれていく。
 この滝の正面には、勢いよく流れる白い糸を引くような滝があり、その周辺の崖は、半円を描くように近づき、高さ20mの、崖の生い茂った樹木の間からは、幾数もの大小の滝が、白い糸を引くように流れ落ちている景観の美しさは見事である。
 この滝は、優雅さの中に女性的な美しさがあり、エメラルドグリーンに輝く滝つぼと、それを取り囲むように、流れ落ちる白糸が、幻想的な世界をかもし出している。
 また、この滝は、国の名勝及び記念物と、日本滝百選にも指定されている。
 ただ、残念なのは、ここから見えるはずの富士山が、機嫌が悪いのか、全く顔を出してくれないことであった。

           
              滝からの河原で戯れる家族連れの観光客
 
 夏休みと盆の休暇が重なった為か、家族連れで河原は賑わっている。
 水は冷たく、泳いでいる姿はなかったが、弁当を広げたり、網などをもって親子で楽しむ様子が見られた。

           
             幾筋もの白い絹糸をひきながら流れ落ちる白糸の滝

            
          木の間から流れ落ちる2段の滝 絶壁にある木陰から流れ落ちる滝
            
           
               エメラルドグリーンの滝つぼに流れ落ちる滝  
            
          
            富士山からの透き通った湧き水が流れ落ちる白糸の滝

 白糸の滝の見学を終えた私達は、国道139号線を朝霧高原方面に向かって行った。
 ここからは、よく整備された道で、渋滞もなくスムーズに走行できた。
 朝霧高原で昼食を済ました後、近くにある井之頭湧水群の一角の陣馬の滝に向かって行った
 陣馬の滝は、五斗木川にかかる滝である。
 滝の前の河原では、少数の族連れが、シートなどを敷いて、のんびりと過ごしている。
 河原の前には高さが低く、水量の少ない、幾数かの滝が流れ落ちている。
 滝の裏側は、洞窟のように空洞になっていたり、段差があったりして、静かに流れ落ちている。
 滝の周辺では、滝の岩場に登ったり、滝裏の空洞の部分をバックに、記念写真を摂っている光景も見られた。
 エメラルドグリーンの滝つぼと、幾数かの滝との景観も、家族愛のような、静かさと温かさを感じる。
 私も、透き通った滝つぼの中に足を入れてみると、その冷たさに驚きを隠し得なかった。
 この滝は、源頼朝が富士の巻狩りで近くに陣を張ったことから 「陣馬の滝」と呼ばれるようになったとのことである。
 毎年8月下旬には、「陣馬の滝まつり」が開催される。
  
         
                 家族連れで賑あう陣馬の滝 

          
                  滝の岩場に登り記念撮影する母と子

            
           洞窟のような滝つぼで記念撮影をする、若い女性を眺める少女

           
         富士山からの湧き水の恩恵を受け、優雅に流れ落ちる陣馬の滝

 陣馬の滝の観光を終えた私達は、近くにある田貫湖(たぬきこ)に向かった。
 田貫湖は富士五湖には入らず、広大な朝霧高原の一角にある、東西1km、南北0.5km、周囲4kmの小さな湖で、富士山の全景を真東に仰ぎることが出来る。
 田貫湖の湖水には、霊峰富士山はもちろん、近くにあり伝説を秘める天子ケ岳を映し、神秘な湖として知られている。
 今日は残念ながら富士山の姿はないが、いつの日かここを再び訪れ、霊峰富士山の姿を、是非、見て見たいと思った。
 田貫湖畔は、季節ごとに移り変わる景色を、楽しむことが出来そうである。
 湖には、何艘かのボートが浮かび、ゆっくりと漕ぎながら、思い思いの方向に向かって進んでいる。
 湖畔からは、何人かの釣り人が、専用のデッキにどっと腰を下ろし、永い釣り竿を垂れて釣りを楽しんでいる。
 また、周遊道路では、家族連れでサイクリングを楽しんだり、また、併設のキャンプ場では、幾張りかのテントが張られ、この季節独特の景観をかもし出している。
 しばらく、田貫湖畔で景観を楽しんだ後、私達はすぐ近くにある、小田貫湿原へ向かった。
 
          
           湖面に映る霊峰富士山の景観が美しい神秘な湖 田貫湖

          
               炎天下の田貫湖で釣りを楽しむ人々

          
                 田貫湖畔のキャンプ場

 小田貫湿原(おだぬきしつげん)は、田貫湖の北側近くに位置する、静岡県側の富士山麓では、唯一の低層湿原で、大小125あまりの池が点在している。
 湿原の中央部分には、遊歩道の板が架けられ、小田貫湿原ならではの、珍しい昆虫や植物を真近に見ることが出来る。
 
          
            小田貫湿原 中央部分には板の遊歩道が整備されている

           
           湿原に咲く花  上部は満開、下部は時期を過ぎているのか枯花になっている  

          
                湿原の木の枝に 飛んできた黒い蝶々

 一時間ほどで小田貫湿原の散策を終えた私達は、朝霧高原にある道の駅「朝霧高原」へ向かった。
 道の駅「朝霧高原」は、国道139号線沿いにある、大きな道の駅であった。
 牛の牛舎風の建物には、地場野菜や乳製品など、地元の特産品が一杯である。
 食堂なども整備され、大きな駐車場には、数百台のバスやマイカーが止まっている。
 ここからの富士山も美しいはずであるが、ポスター写真などを見て想像するしかなかった。
 道の駅で、温泉の情報を仕入れ、近くにある「朝霧高原温泉グリーンパーク」へ向かった。
 この温泉は、天然温泉であるが、現在は温泉のみの営業で、キャッチフレーズは露天風呂から見える富士山の美しさであった。
 2階部分にある露天風呂からの景観は、確かに良さそうであった。
 露天風呂では、初老の温厚なおじいさんが先に入浴していて、親しそうに色々と話しかけてくる。
 同じ静岡県の藤枝市からこられ、宣教師をされているようで、2泊3日の予定で家族と観光しているとのことであった。
 このような方々との出会いは、色々な情報をもたらしてくれる。
 旅の楽しさのひとつにもなっている、大切なひと時である。
 温泉の湯も、無色透明であるが、体が良く温まり、よい湯であった。
 
 温泉での入浴を終えた私達は、一旦、道の駅「朝霧高原」に戻って、今日の車中泊を、どこにするか検討していたが、この道の駅では、テレビの映りが非常に悪かった。
 北京オリンピックの放送を、楽しみにしていたのにがっかりである。
 そこで、道の駅の本を開き、近くの道の駅を調べたところ、明日の進行方面に「なるさわ」という道の駅があった。
 私どもは、すぐに移動を開始し、20分ほどで道の駅「なるさわ」に到着した。
 周囲の日は暮れ、たそがれ時を迎えている。
 道の駅の適当な場所に駐車して、テレビをつけたところ、最高の画質で映り、オリンピック放送を、楽しむことが出来そうであった。
 程なくして夕食の準備も整い、車中での北京オリンピック放送を見ながらの夕食も、茶の間と何ら変わりはなく、妻と最初にかたむける、杯の味も格別であった。
 
 
 
           

石段に硬貨置き厄除け 「薬王寺」 ・・・徳島県

2008-08-18 16:46:33 | 気ままな旅
 室戸岬の観光を終え、近くの室戸海洋深層水体験交流センター 「バーデハウス室戸」で昼食を済ませた後、荒波にもまれる断崖風景の海岸道路を徳島方面へ向かって行った。
 海岸が見渡せる道路の脇には、亜熱帯の花である、ハマユーやハイビスカス、それに赤や黄色の花などが咲いている。
 さらに愛車は、サーフインのできる浜や海水浴場、ホエールウオッチングの出航港などを通り過ぎていく。
 所々で小さなリアス式海岸のような入江になっていて、湾の中には小さな島や岩礁などがあって、白い波が打ち寄せている。
 いつまでたってもあきない光景である。
 通行途中に美しい浜辺のある海岸が目に入ってきて思わず車を止める。
 高知県と徳島県の県境近くにある大砂海水浴場である。
 都会近くにある賑わった海水浴場ではないが、ご覧のような大変美しい海水浴場で、水も非常にきれいで、思わず体を沈め、泳ぎたくなるような気分にさしてくれる。
 車はさらにR55線を北上、程なくして道の駅「日和佐」に到着する。
 道の駅「日和佐」からは目の前に薬王寺の塔や、南の海側にある山頂には白亜の天守閣の日和佐城が見えている。

          
                水のきれいな大砂海岸海水浴場

                 
          道の駅「日和佐」から見た威容を誇る白亜の天守閣「日和佐城」


                    
                        薬王寺入り口

 四国霊場第23番札所「医王山 薬王寺」は阿波路最後の霊場である。
 四国一の厄除けの寺(根本道場)として信仰を集め、年間百万人の人が参拝すると言われている。
 この寺は弘仁6年(815年)平城天皇の勅命を受けて、弘法大師がこの寺を訪れ、42歳の自分と、大衆の厄除けを願って、厄除け薬師如来を刻んで本尊として安置した。
 厄除けの寺としては全国的にも有名であり、最初の33段を女厄坂、次の42段を男厄坂と呼ぶ石段があり、さらにその上には、男女厄坂61段の還暦の坂がある。
 厄年の人たちが、一段一段と登り小銭を置き、厄を落としていく風習が残っている。
 さらに、この石段の下には、薬師本願経を一石一字にしるして埋められている。
 
 御詠歌には
    皆人の病みぬる年の薬王寺 瑠璃の薬を与えまします
 
          
                      薬王寺山門

           
              33段の女厄坂           61段還暦の厄坂 
 
 山門をくぐって本堂までに33段の女坂、さらにその上にある42段の男坂へと続いていく。
 本堂の前を通り、さらに進むと61段の還暦の坂がある。
 還暦の坂を登ると瑜祇塔(ゆぎとう)に出る。 

                       
                      
                           隋求の鐘(右側)
                    数え年の数だけ打ち鳴らし厄除けをする


           
                     医王山 薬王寺本堂  
 本堂では毎日早朝より薬師護摩経を厳修し、参拝者の申し込みによって、厄除け、その他の所願成就を祈願している。
 現在の本堂は、明治21年に再興されたもので、内陣につかわれている28本の柱は旺宿を現している。

            
            本堂の横にある霊碑堂 この前を通ると61段還暦の厄坂がある 

  司馬遼太郎著 「空海の風景より ・・・石段に厄年の男女が織るように上下しており、登る者は一段ごとに 一枚ずつの一円硬貨を落としていく   」

                   
         何事の願いも聞いてくれる観音様     瑜祇塔(ゆぎとう) 
  
             

 瑜祇塔(ゆぎとう)は、薬王寺開創並びに弘法大師の四国八十八ヶ所開創1150年を記念して、薬王寺第21世 故今川哲雲師が中心となって、昭和38年9月に建立したものである。
 この塔の本尊は金色の五智如来で、塔の地下室には大日如来を中心に、阿しゅく、宝生、阿弥陀、不空成就の如来が安置されている。
 また、階上は寺宝などを展示した資料になっている。
 塔の最下部の外側には、大浜海岸のウミガメの彫刻が四方に配置されている。

            


           
               瑜祇塔(ゆぎとう)下部のウミガメ

            
              境内からウミガメの産卵で知られる大浜海岸の景観
               
             ※ 近くにはウミガメ博物館がある    

 私は何度か、この前の道を通り過ぎているが、立ち寄ったのは今回が始めてであった。
 厄年には、近くの神社で厄除けをしていただいて覚えがあるが、このように徹底した厄除けがあるお寺は始めてであった。
 多くの参拝者が訪れ、「 一石 一字 厄坂に刻まれた、薬師本願経に 己が厄を落としていく 」 この、真剣な様子が目に浮かんできそうである。
 そして、厄が除かれ、全ての人々が健康で幸せな日々を過ごしてほしいと願わずにはいられなかった。

 薬王寺の見学を終えた私達は、徳島港を目指して出発して行った。
 徳島港からはフェリーで2時間で和歌山港へ到着。
 和歌山港からは、高速道路を利用すれば40分ほどで、大阪にある我が家に到着する。

空海の風景〈上〉 (中公文庫)
司馬 遼太郎
中央公論社

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空海の風景〈下〉 (中公文庫)
司馬 遼太郎
中央公論社

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土佐東部 「室戸の心にしみる旅」

2008-08-17 16:15:13 | 気ままな旅
 道の駅「キラメッセ室戸」で車中泊していた私たちは、朝早く駐車場前の太平洋から、静かに打ち寄せる、さざ波の音に目覚めた。
 今日も天気は良さそうだが、日中は明るい太陽が、さんさんと照りつけ、樹木の間から降り注ぐ光線が陰を一層際立たせたり、室戸の岬に開けた太平洋の海面を目映いばかり輝かせてくれるに違いない。
 朝食を済ませた後、私たちは、宿泊した道の駅の、すぐ近くにある室戸スカイラインに入って行った。
 高度を上げていくに従って、亜熱帯の樹木が生い茂り、見渡す限りの、青い海、太平洋が広がり、沖合いからは白い漁船が数隻、海面に航跡を残しなが帰港している様子が見えてくる。
 そして、スカイラインの中ほどには、白い風力発電の羽根がゆっくりと回転し、回りの景観から際立って見えてくる。
 程なくして私たちは、四国霊場第24番札所の最御崎寺(ほつみさきじ)へ向かった。
 室戸には室戸三山と称して、他に25番札所津照寺(しんしょうじ)と26番札所金剛頂寺(こんごうちょうじ)がある。
 この三寺はいずれも弘法大使が大同年間(806年~810年)に開基したと伝わる。
 最御岬寺は高知県最初の四国霊場で、地元では東寺と呼ばれ、金剛頂寺を西寺と呼んでいる。
 最御崎寺は弘法大師が自ら刻んだといわれる秘仏、虚空蔵菩薩を本尊としている。
 また、この寺には数々の宝物が残り、3体が国の重要文化財に指定されている。

           
             室戸スカイラインから太平洋と室戸市街を望む

           
             四国遍路 第24番 最御崎寺(ほつみさきじ)

          
                   最御崎寺(ほつみさきじ)本堂

          
                 空海の七不思議のひとつの鐘石 

 最御崎寺境内にある鐘石で、硬い石質安山岩で、上部にでこぼこのくぼみがあり、くぼみに置かれている石を持って叩くとカーン・・・鐘のような金属音。
 空海七不思議のひとつで、この音は冥土まで届くといわれている。
                     
                     室戸岬に立つ中岡慎太郎像
 
 明治維新の勤皇の志士、陸援隊を結成、海援隊の坂本竜馬と共に、日本の礎を築く薩長同盟締結に貢献するが、京都近江屋で竜馬と共に刺客にあってたおれる。
この時30歳であった。この像は地元の青年達によって昭和10年に建立されたものである。

          
                  多くの観光客でにぎあう室戸岬最端部 

          
             岬に自生して岩にへばりついている 「あこうの根」

 あこうは、亜熱帯植物で室戸岬一帯に自生し、たこの足のように木根を垂れ、岩肌を抱きしめているような奇観を現し、天然記念物に指定されている。 

          
                空海ゆかりの灌頂ケ浜(かんじょうがはま)

       弘法大使が灌頂の会式をした浜で、今、尚その清さを伝えている。
  
 ※灌頂(かんじょう)は仏教で行なわれる重要な儀式のひとつ。頭頂に水を灌ぎ、正当な後継者とする為や、定められた修行を会得して、次の段階に進む場合などに行なう儀式。 

           
                     悲しい伝説の巌 ビシャゴ巌
 
 この巨大な巌には悲しい伝説がある。昔、「おさご」と呼ばれる、それはそれは美しい清らかな女性が住んでいた。 
 その余りの美しさに多くの男達が朝夕この所に舟を漕ぎ寄せて来て、彼女に愛を求めようとしてきました。彼女はその煩わしさに耐えかねて、ついに美女が生まれないように祈りながら巌頭より投身したと伝えられています。が、「おさご」の命をかけての願いも空しく、その後も室戸にはたくさんの美女が生まれています。

           
       空海が修行した御厨人窟(みくろど)と修行の場となった神明窟(しんめいくつ)

 室戸岬で青年大師が荒修行したゆかりの洞窟は二つある。寝泊りした御厨人窟(みくろど)と、修行の場となった神明窟(しんめいくつ)で、ここで修法したことが信仰の焦点になっている。
 一説によると 大師は、口に入った明星を、つばきとともにはきだしたが、この星は海底に沈み、いまだに金色を放っているとある。
  これは鎌倉時代の伝承を伝えたものであるが、いまだにこの伝承は室戸の海に生きているらしく、夕日の照る海上を眺めていると、今でもこの伝承が伝わってくるらしい。

                     
                           室戸青年空海像

 弘法大師は19歳の青春時代、高知県室戸岬の洞窟において難行苦行の末に悟りを開かれた由緒ある場所より、100m先の室戸阿南国定公園を目前に控えた絶景の地を「明星来影の丘」と定めて、昭和59年にご覧のような総高21mの室戸青年大師像を建立している。

           
                  お釈迦様の涅槃像(ねはんぞう)
 
今から2500年前の2月15日、お釈迦様は80歳の生涯を閉じられたのは、中部インドのクシナガラの町外れにあるサラソージュの林の中でした。
 お弟子の阿難がただ一人付き添う中を、北を枕にして世を去られました。
お釈迦様は死の直前、弟子の阿難に言った有名の言葉があります。
 「もろもろの全ての出来事は過ぎ去るものである。
                  人間は誰でも修行して励みなさい」

           
           胎蔵界曼荼羅の諸尊がステンドガラスで現らわされている

 大師像の下の建物中には、木片に残された弘法大師の手形やステンドガラスの胎蔵界曼荼羅などが展示されている。
(胎蔵界は母胎、女性を意味し、理、心を表す、物理的原理。
 それに対し金剛界は男性を意味し、智、頭脳を表す、精神的原理)
 また、基壇外壁には、ブロンズで造られた、弘法大師生涯の有名な場面が9枚、はめ込まれている。
 こういった弘法大師の歩んだ修行の場や、施設を旅しているとなんとなく心が落ちついてくる。
 それに室戸の自然がそうさせるのだろうか!
 どこまでも続く太平洋の水平線、青い空や紺碧の海、強風により海から陸方向へ伸びている樹木の枝や荒々しい景観など、この地域独特の雰囲気をかもし出している。
 空海という名前も、この地域の自然の現象や、景観から生まれたものだといわれている。
 四国霊場も阿波の国の霊場を 発心の道場、土佐の国を修行の道場、伊予の国を菩薩の道場、讃岐の国を涅槃の道場と、人生にたとえられている。
 土佐第一番目の霊場近くに、青年大師空海が修行した場所の縁に触れることができたことに対して、幸せを感じざずにはいられなかった。 
 

            
            国道よりしめ縄でしっかりと結ばれている夫婦岩を望む 

             
            夫婦岩で会った野宿をしながら巡礼の旅をする学生と妻

 室戸岬から10kmほどの美しい太平洋の海岸線を行ったところに夫婦岩はあった。
この近辺に広がる海岸線の景観の美しさは、私たちのドライブを一層楽しくさしてくれている。
 大きな二つの岩をしめ縄で結んでいることから、この名前がついたと思う。
 ここで、東京から来て歩き遍路を続けている学生にあった。
 鍼灸の専門学校の学生で、一週間ほど前から四国霊場巡礼の旅を、野宿しながら続けているとのこと、夏休みの終わる8月末で続けたいとのことであった。
 妻がこの学生の一つ一つの言葉にいたく感激し、車内のクーラボックスで冷やしてあったスイカや飲み物を差し出すと、こんな真夏の中を何キロ歩いてきたのだろうか、冷えたスイカを口に入れ、「最高です」 といって、おいしそうに食べてくれたことが印象的であった。
 私達は、この若者の道中の安全を祈りながら、次の目的地へ向かって行った。
 







夢の青いスイレン 「モネの庭」

2008-08-15 21:08:04 | 気ままな旅
 私はかつてからモネやルノワールの絵に親しみを感じていた。
 特にモネの庭は、池の側に大きな柳の木があって、池にはスイレンの花が咲き、庭では洋装の少女達が、家族だんらんのひと時を過ごしている様子が目に浮かんでくる。
 数年前に高知県東部を通行中に「モネの庭」の看板が目に入り、一度行ってみたいと思っていた。
 今回、たまたまチャンスが訪れ、「モネの庭(高知県東部北川村)」に行くことになった。
 天気は快晴であったが、前回に投稿した高知の家で、蜂のトラブル等があって、出発が大幅に遅れ、モネの庭に到着したのは午後4時頃であった。
 閉館時間は5時で、全体を見学する時間はなく、的を絞って見学することにした。
 この庭園は、スイレンの花咲く「水の庭」や、四季の花々が年間を通して咲いている「花の庭」、今年3月に開園した「光の庭」などがある。
 それに、子供達が楽しめる「遊びの森」や1時間ほどかけて、ゆっくり散策できる「自然の森」などで構成されている。
 私は「水の庭」を中心に散策することにした。

         
          フランスの画家モネがこだわったスイレンの花咲く水の庭

         
           最もモネが情熱を注いだ夢の花「青いスイレン」

 この庭園で咲いているスイレンは、ほとんどが、連作「睡蓮」の舞台となったランス/ジヴェルニーの「モネの庭」から株分けされて栽培されている。
 スイレンはモネが晩年、最も情熱を注いだモチーフのひとつであったが、気温の低い北フランス/ノルマンデイー地方のヴェルニーでは花開くことはなかった。
 モネが仕入れていたところと同じ南フランスにある、水性植物園から、苗を持ち帰り、土佐の温暖な気候のこの庭園で育てたところ、ご覧のように、モネがどうしても咲かせたかった、夢の青いスイレンが咲いていた。
 やはり、この庭にはスイレンが良く似合っていると思った。
日本にも色々な形式の庭があるが、水と花や周りの樹木を自然の形で活かし、その周りでくつろぐ人たちを描き、出現させた「モネの庭」にも自然と心が惹かれてならない。 
          
          
              庭の片隅に咲いていた青く美しい洋風の花        
          
              モネの庭には柳の木と蓮の葉が良くにあう  

          
         モネが地中海を描いた作品をテーマにして造られた「光の庭」
 
 この光の庭は今年3月に開園したばかりのせいか、全体としてテーマからいっても、私には分かりにくかったが、今後どのように育てていくのか楽しみの庭園でもある。

 今回は見学時間がなく「水の庭」と「光の庭」のみの散策で、他の施設は見ることが出来なかった。
 こういった広大な敷地に築造された庭園や施設の見学は、やはり半日以上の時間が必要であった。
 当初、私は、この庭園は「洋風の建築物の一角に造られたこじんまりとした庭園」を想像していたが、山裾の一角に造られた広大な庭園であった。
 「花の庭」などの施設は全く見学できず残念であったが、機会ががあれば、また、来たいと思ってこの庭園を後にした。 
 

土佐の山里での蜂との奮戦

2008-08-07 12:20:10 | 気ままな旅
 8月2日(土)私たちは、故郷である高知県佐川町へ法事のために帰省した。
佐川町にある実家は、一昨年の大掛かりな改装工事も終え、近代的な明るい家に生まれ変わっている。
 日常生活をする上での機能面も向上して、大変生活しやすい家にもなっている。
 通常は無人の家であるが、今年の4月よりNPO地域活性化隊員の女性が一年間の予定で住んでいる。
 私どもの法事などで帰省する折には、家を空けてもらっているが、何かと話しや話題もあって、今回は一緒にコーヒなどを飲んで過ごす時間も多かった。
 さすがNPO女性隊員、考え方や気配りなどがすばらしい。
 地元の方々からも、気楽に接して人気の的になっているようだ。
 地元で採れた野菜や果物などの差し入れも多いようである。

 家に帰り、この女性隊員との歓談が終わった後、勝手口や居間の前でもある付近に、やたらと蜂が飛び回っていることに気がついた。
 蜂はスズメバチと言う大きな蜂で、マスコミ等でも蜂の被害で、しばしば話題になっている。
 屋根の軒下に数十匹がたむろしている姿が見える。
 こんな大きな蜂に刺されたら、たまらないと恐怖が湧いてくる。
 幸いにして人を襲ってくる気配はなそうであるが、季節によっては、ちょっとの刺激で集団で襲ってくることも考えられる。
 これは何とかして退治しなければと思った。   

                 
               今回、居間天上の屋根裏に作られていた巣 

           
                      今回退治したスズメバチの巣              

 夕食の準備で近くのスーパーに行った折り、蜂退治のスプレーを販売していた。
 表示内容を見ると、10m先まで30秒間の噴射が可能と書いてある。
 早速、購入して効能を確かめてみる事にした。
 夕食が終わった8時ごろ、懐中電灯をもって外に出てみる。
 周辺は真っ暗である。
 屋根の軒下を懐中電灯で照射してみると、スズメバチが壁や垂木に群がっているのが見える。
 私は頭と顔に白いタオルをほうかぶりしているが、完全武装をしているわけではない。
 蜂の習性から、夜は飛ばないと思っている。
 数匹のスズメバチに襲われたらたまったものではない。
 噴射後には、すぐに逃げることも考えて行動を開始した。
 懐中電灯で蜂のいる所を照らし、そこをめざしてスプレイを噴射する。
 スプレイは勢いよく噴射し、蜂のいる場所全体を包み込むように散布していく。
 驚いた蜂の数匹が飛び立って、私の方を目指して、何匹かが襲ってくる。
 私が顔にかぶっている、白いタオルにあたって来るが手で払う。
 私は10秒間ぐらい噴射して、すぐに家の中に退散、追ってくる蜂はいない。
 15分ほど経過して、外の様子を見ると、無数の蜂が庭や通路に落ちてもがいている。
 屋根の軒下を照射すると、まだ数匹がいる。
 もう一度スプレイを噴射する。
 軒下には一匹のスズメバチも見当たらなくなった。
 「どうやら蜂は退治できたようである」と思った。

            
               以前に玄関上の屋根裏に作られていた巣 

 翌朝、スズメバチが退治できたかどうか、確認するために外に出てみる。
 庭や通路には無数のスズメバチの死体が散らばっている。
 軒下を見ると、そこには、数は少ないものの、相変わらずスズメバチが飛び回っているではないか、 私はがっかりする。
 もっと大きな問題がありそうだ。
 屋根の軒下の蜂をよく観察してみると、垂木と壁の間に隙間があって、そこから蜂が出入りしているように見える。
 まさか、家の中の、屋根裏に巣を造っているのではと、恐怖を感じる。
 念のために、屋根裏を、居間の押入れの中にある、出入れ口の蓋を開け、除いてみると、大きな蜂の巣があり、壁にはスズメバチが群がっているのが見える。
 なんてことだ、無人の家とは言え、付近には家もたくさんあり、こんな大きな蜂が家の中に巣を造るなんて、考えてもみなかった。
 大変な驚きとショックな気持ちであった。
 天上入り口のの蓋を閉じて、思案することにした。
 さて、どうして退治するか! 
 このまま放置しておくと、巣の中の幼虫が巣立って、数も益々増え、住民や近所の方々に恐怖を与え続けることになる。
 いっそ、業者の方に依頼しょうかとも考える。
 私の滞在は明日の昼頃までで、これからは法事が始まる。
 
 近くにあるお寺で法事を済ました後、姉や甥夫婦と夕食を共にしている時に、甥から「バルサン」を使用したらとの話しがあった。
 私はこれだと思い、夕食の終わった後、ドラッグストアーに行って、担当員の説明を聞き、試してみる事にした。
 ご存知のとおり、バルサンはアブラ虫やダニなどを、天上などに置くことによって、無色の気体が家中に流れ殺虫する薬剤である。
 
 夕食後の8時ごろ、昨夜と同じように外から、先ほど買ったスプレイを、蜂のいる屋根の軒下に向かって噴射する。
 その後に家の中に入り、屋根裏に通じる蓋を開け、懐中電灯で照射すると、巣の近辺にはスズメバチが群がっている。
 私はバルサンを仕様書通りに実施して梁の上に置き、スプレイを蜂の巣の方向に向かって10秒ほど噴射して、天上の蓋を閉じる。
 早く閉じないと、蜂が後ろに回って刺されたら大変だ。狭い屋根裏の出入り口では身動きが出来ない。
 蜂退治の全ての作業が終わった後、すぐにせきと、のどの痛みを感じ、妻と家の外に出て待機することにした。
 バルサンの使用を開始して2~3時間は家にいないほうが良さそうだ。
 妻と相談して、近くの公園まで車で行って、車中で待機することにした。
 川の側で、照明もあり、車が待機できる適当な場所であった。
 私どもの旅の基本は、車中泊であるから、車内にはベットも用意してあって、横のなると、すぐに二人とも眠ってしまった。
 ところが、11時ごろ、外から声がするので、目を覚ますと二人の警察官が立っていた。
 県外ナンバーであることから不審に思ったのだろうか!
 免許証を見せ、理由を説明すると、納得してすぐに立ち去って行ったが、故郷で職務尋問されるのは初めてであった。
 警察官が立ち去った後も、車中で4時ごろまで眠りについて帰宅した。
 帰宅した家の中には、ガスの臭いはなく、いつもと変わりはなかった。
 その後も6時半頃まで仮眠して、外の様子を見るとスズメバチの姿はなかった。
どうやら蜂退治に成功したらしい。
 念のため、屋根裏をのぞくと数匹の蜂がいたが、再びスプレイを噴射して退治する。
 しかし、今まで気が付かなかったが、玄関上の屋根裏にもご覧のような大きな蜂の巣があった。
 巣の形態から、スズメバチではないようだが、以前にも蜂がよく出入れしていたようである。 

 昼頃に外に出て様子をみると、飛び回っている蜂の姿はなく、退治できたように思えた。
 
 今回は法事の為に帰省したが、蜂退治でごったがやした毎日であった。
 そして、退治できた安堵な気持ちと、疲れを同時に感じ、土佐の里山を後にした。 
 


 
 

浜松でのブラジル結婚式

2008-08-01 09:19:24 | 今日の出来事
 私たち夫婦は、前日に名古屋で行なわれたトランポリンを、出演者から招待状が届き、観劇した後、浜松で行なわれる日系ブラジル人の結婚式に参列するため、式場に向かった。

 結婚式場はJR浜松駅から南側の数キロの所にあった。
 私にとってはブラジル人同士の結婚式参列は始めてで、どのような結婚式になるのか、胸がワクワクしていた。
 
最初に式場をみて、あまりにも華やかで、明るい雰囲気に驚かされる。
 式場の飾りや椅子やテーブルが、白と赤を用いて明るい雰囲気をかもし出している。
 最前にはテントのような形をして、白でおおわれた祭殿がある。
 この祭殿は神父より結婚の契りのセレモニーが行なわれる場所である。
 予定時間を少し過ぎてから結婚式が始まった。

          
             結婚式の時間まで車の中で待機している花嫁

          
                   明るい雰囲気の式場

           
              華やかな花に囲まれた結婚式用のウエデイングケーキ

                   
                  飾り付けられた花と果物・ケーキ・お菓子

            
                   結婚式用の料理やケーキ・果物

 結婚式が始まって最初に登場するのは、神父夫妻である。
 この神父夫婦は、花婿の両親でもある。
 神父夫妻がお互いに腕を組みながら床に張られている、赤いジュウタンの上をゆっくりと歩いて祭殿の方へ登場していく。
 次に花嫁の両親も、腕を組みながらゆっくりと登場する。
 厳かな雰囲気である。
 次に、また夫婦が同じように、腕を組みながら次から次へと登場していく。
 全員の登場が終わると、下記の写真の愛らしい少女が、きれいに着飾った指輪の入った籠を持って登場していく。
 雰囲気も一層厳かに盛り上がってきている。
 
           
          結婚指輪の入った着飾った籠を厳かな雰囲気の中で持参する少女

                   
                    真剣な表情で登場する花婿

 色の白い花婿がスーツ姿で登場する、友達もたくさん来ているようだ。
 歓声がわいてくる。
 それに笑顔を振り向けて応える花婿。
 今、行なわれている結婚の慶びの表情が伝わってくる。

           
                 満面の笑顔で登場してきた花嫁
 
 続いて白のウエデイングドレスに身を包んだ花嫁が、手にオリーブオイルの入った瓶をもって、満面の笑顔で登場する。
 2年前にブラジルから日本に来た時に合って以来であるが、見違えるように成長し、美しい女性になっているのに驚かされる。
 まるで、女優さんのような美しさである。
 花婿もこんな美しい女性を、娶れてさぞかし満足だろう。
 
           
               新郎から出された腕を笑顔で応える花嫁
 
 祭殿前で待っている花婿が、後から登場してきた花嫁に腕を差し出し、満面の笑顔で応える花嫁の姿があった。
 やはりブラジルは、西洋文明社会の一員である、このような動作が自然と出てくる。
 日本の社会では、なかなかこのような自然な形にはならない。
 新郎新婦は、ここから祭殿の前まで行って、結婚という洗礼の儀式に臨んでいく。
 やがて、マイクを片手に持った、神父からの結婚の儀式が始まった。
 私にはポルトガル語が分からないので、何を言っているのか理解できないが、横の妻の話によると、
「このカトリック系を母体とした宗教は、結婚した以上は永遠であり、離婚することも、離婚を考えることも、神は許さない」
 と言っているとのことであった。
 神父さんセレモニーの話しは、波のように、時には激しく、時には静かに、流暢よく話されていたが、一時間近くも話されたのには驚かされる。

            
               用意された祭殿で始まった結婚のセレモニー

                   
               神父からの言葉に厳粛な表情の新郎新婦

          
             晴れて夫婦になって新郎の両親と焚き合う新郎新婦

 長かったセレモニーも終わり、晴れて夫婦になって、抱きしめながら両親と慶びを分ち合っている。
 家族愛を深く感じる光景である。

           
               慶びにわく花嫁の両親と記念の撮影

            
                    新郎新婦を囲んで記念の写真
 
 今回の結婚式ではお酒類は一切出なかった。
 宗教の関係でお酒を禁じているらしい。
 私も数多くの結婚式に参列しているが、お酒を飲まなかった結婚式は始めてであった。
 会場の雰囲気は、お酒があるないに関わらず大変盛り上がっていた。
 ブラジルの人独特の明るさがあり、さすがサンバの国のイメージが伝わってくる。
 
 このブラジルの結婚式も、決して日本のような豪勢な結婚式ではない。
 むしろ質素であると思われる。
 日本のように出席する時のお祝い金や、一人一人に出される豪勢なお膳、引き出物などのお返しもあるわけではなかった。
 新郎新婦の考えも、式にお金をかけるよりも、これからの生活を重視する考えに徹しているようだ。
 これからの人生を、誰にも頼ることなく、自分たちの力で切り開いていこうとする二人の姿勢が感じられる。

 これからは、夫婦二人で、力を合わせ、健康にに注意しながら、すばらしい家庭を築いてほしいと思う。
 二人が前向きで輝いた、幸せな人生であってほしいと思う。

 そして、この若い夫婦や家族の、これからのご多幸を願わずにはいられなかった。