気ままな旅

マイカーでの気ままな旅で、束縛された予定や時間にとらわれない、自由奔放な行動をとる旅の紹介です。

四国の名峰 瓶ヶ森への登山と周辺の山々

2013-08-21 21:46:45 | 

 2013年8月8日(木) 四国の主峰石鎚山(標高1982m)の東側にある、瓶ヶ森(かめがもり=標高1896m)に登るため、午後6時30分頃に、南大阪の自宅を妻と二人で愛車エステイマで出発する。 

 阪神高速湾岸線から神戸線を走行し、第二神明道路に入って行く。 

 この道路は国道2号線の加古川バイパスと姫路バイパスに直結、バイパス終了地点からは、一般道を3km程走ると山陽道自動車道竜野ICがある。  

 私は四国へ行く時には、このルートをよく利用する。  通常の高速道路を走るよりも経済的で、時間もさほど変わらないからである。

 山陽道竜野ICからは、岡山広島方面の倉敷JCTまで走行し、四国方面の瀬戸中央自動車道入って行く。

 瀬戸中央道をしばらく走行すると、トンネルがあり、それを貫けると、瀬戸内海に架かった大きな架橋があり、そこからは瀬戸内海の美しい夜景を楽しむことができる。  

 瀬戸大橋に入って直ぐに、瀬戸内海の真ん中にある、与島(よしま)PAの案内板が見えてくる。  それに従って与島PA内に入って行く。

 今夜は、この島にあるPA内で車中泊して、明朝に目的地の瓶ヶ森登山を計画している。  与島PAへの到着時間は、午後11時頃であった。 

 与島PAに到着すると、しばらく PA内の施設でのんびりと過ごした後、愛車に戻り、車中泊の準備に取り掛かる。

 愛車には、出発前から二人用の特製ベットを用意している。 

 睡眠中は、周りの方へ騒音などの迷惑行為を考へて、エンジンはOFFにすることにしている。 

 そのために、エアコンを使用することはできず、持参しているポータブルバッテリーから電源をとり、扇風機を一晩中回しながら睡眠をとる。

 猛暑の続く日本列島の中でも、瀬戸内海のど真ん中にある島の気温は涼しく、一台の扇風機でも十分に睡眠をとることが出来た。

                               車中泊をしていた瀬戸中央自動車道の与島PA

  8月9日(金) 朝6時頃に目覚め、車外にでると、さわやかな風が頬を横切っていく。

 瀬戸内海の小島にできたPAでの心地よい朝である。 今日も天気は良さそうで、雨の心配は全くなさそうであった。

 早速、洗面を済まして、出発の準備を整えると、午前7時頃には与島PAを出発する。

 愛車は、瀬戸中央道から高松道にはいり、途中から松山道を走行して行く。 

 早い時間帯にも関わらず、夏休みの影響か、高速道路を走行する車は、以前より多いように感じる。 

 1時間ほど走行すると伊予西条ICに到着する。 

 伊予西条ICから、一般道に入り、給油やコンビニで昼食の買い物などを済まして、国道194号を高知県の伊野方面に向かって行く。 

 20kmほど緩やかな坂道を走行して行くと寒風山トンネルが見えてくる。 

 このトンネルは、高知県と愛媛県の県境にある寒風山(1763m)の下を貫くトンネルであることから、寒風山トンネルと名付けられ、トンネルの延長も5432mと四国最長のトンネルである。 

 無料で通行できる一般道路トンネルでは、日本一の長さを誇っている。

国道194号の寒風山トンネル(5432m)をぬけると、Uターンをして瓶ヶ森(かめがもり)方面の林道に入って行く。

この瓶ヶ森林道は、吉野川源流域や、高知県と愛媛県の県境に造られた尾根沿い林道で、地元ではUFOライン、町道瓶ヶ森線とも呼ばれている。

寒風山トンネルから石鎚スカイラインの終点までの、延長27kmの舗装林道である。

この林道は、標高も1100m~1700m地点を走り、 石鎚山や伊予富士など四国山脈の雄大な眺望が楽しめる山岳道路でもある。

 (冬季期間12月~4月上旬は閉鎖)

寒風山トンネル(5432m)を貫けて、すぐに林道に入り、瓶ヶ森方面に向かって行く。

舗装された林道沿いには、背の高い木立が林立し、太陽光線を遮っている。 

高度を上げながらゆっくりと愛車を運転し走行して行くと、突然、四国山地の雄大な稜線をもつ山容が目に入ってくる。

瓶ヶ森林道からの寒風山(1763m)と笹ヶ峰(1860m)の光景。

写真左の寒風山登山には、旧寒風山トンネル出口付近の駐車場(1120m)に登山口があり、一般の方なら2時間ほどで寒風山に登れる。 

健脚の方なら、さらに2時間ほどで笹ヶ峰に登れる。

 両峯とも四国山地や瀬戸内海などの眺望が素晴らしい山である。

 寒風山の名前も、強い瀬戸内海からの季節風が、旧寒風トンネルの上にある峠を通り、傍にある寒風山にあたる。 

冬季には北西風をまともに受けることから、この名前がつけられたと伝えられている。

ダイナミックな山容の寒風山(1763m)、その奥にはなだらかな山容の笹ヶ峰(1860m)がある。

林道を走行しながら寒風山や笹ヶ峰のなど、眺望の美しい個所で愛車をとめ、撮影しながらゆっくりと走行して行く。

林道をさらに走行して行く。 四国山地の幾重にも重なる峰々の美しい光景が続いている。

 すると、眼前に、この様な岩肌をそのままくり貫いたトンネルが見えてくる。

さらに、そそり立つ岩壁の中に出来た林道を走行して行くと、目の前に富士山のような形状をした山容が現れてくる。 

伊予富士1756mである。

林道からの伊予富士(1756m)。 

日本全国にある郷土富士の多くが独立峰で、富士山の山容に似ていることから名づけられているが、

伊予富士は、石鎚連峯の一峯に過ぎない山である。

さらに伊予富士の眺望を楽しみながら走行して行くと、今度は、こんもりとした丘のような稜線をもつ山容が現れてくる。 

これが、東黒森(1735m)である。

車窓からは四国山地の尾根に出来た素晴らしい眺望が続いている。 

全国各地に、この様な眺望の素晴らしい山岳道路が幾つもつくられている。

この四国山地に出来た林道からの眺望も、そういった道路に匹敵、味わい深い眺望が楽しめる山岳道路である。

 瓶ヶ森林道は、石鎚スカイラインの終点まで続く延長17kmの道路であるが、 接続している石鎚スカイライン延長18kmを含むと、35km程のドライブコースである。

この林道は、車窓からは四国山地の峰々が、冬季をのぞく季節毎に、趣を変え、眺望を十分に楽しめる山岳道路である。 

 ただ、瓶ヶ森林道は全舗装されているが、道幅が狭く、対向車には十分な注意が必要である。

 それにひかえ 石鎚スカイライは完全2車線で道幅も広く走行しやすいが、道路からの眺望は、瓶ヶ森林道の方が良さそうに感じる。

私たちは四国山地の美しい眺望を楽しみながら、曲がりくねった林道を、さらに走行して行く。

すると、今度は目の前に、信州のビーナスラインを思い出すような、素晴らしい光景が眼に映ってくる。

この山は、自念子ケ頭(じねんごのかしら=標高1702m)で、林道脇に登山口があり、標高差100mほどで登れる手軽な山である。

私たちは、自念子ケ頭登山口近辺にある駐車場に愛車をとめ、散策を楽しんだ後、再び、愛車を走らせて行く。

車窓からは移り変わる四国山地のダイナミックな風景が広がっている。

さらに走行すると 眼前に屋根の形をした山が見えてくる。

この山が、今回の登山予定の瓶ヶ森(かめがもり=1896m)である。 

右側が瓶ヶ森山頂の女山(めやま)、左の険しい岩壁の山が男山(おやま)である。

林道をさらに走行して行くと、この様に 「全面通行止」 の看板が見えてくる。 

これ以上愛車を進めることは出来ない。 引き返そうか! どうしょうか!

 少し迷ったが、登山口までは500~600m位と、距離的にも近く、歩行だけならば通行することは可能ではないか! 

と考え、登山準備をして出発することにした。

出発してすぐにがけ崩れによる通行止めの個所が見えてくる。 

良く見ると何とか通れそうで、上部からの小石などの落石もなく、大きな落石も安定しているようである。 

 そう判断して、妻と二人で、通れそうな箇所を見つけ、掛け声をかけながら、そろりそろりと注意しながら進んで行く。

 何んとか無事に通ることが出来た。

 このがけ崩れ個所から、5分ほど林道を進むと 瓶ヶ森登山口に到着する。

瓶ヶ森登山口の前にある休憩施設、すぐ隣にはトイレなどの施設も整備されている。

林道沿いに咲いていた花

登山口にある瓶ヶ森登山と吉野川源流の案内板

林道からの男性的な山容を見せる瓶ヶ森男山(おやま)を望む、男山の左方向には、瓶ヶ森最高峰の女山1896mがある。

瓶ヶ森頂上への距離の案内図

瓶ヶ森(かめがもり)は、四国山地西部の石鎚山脈に属する山で、日本の三百名山および四国百名山の一つに数えられている。

また、瓶ヶ森を含む石鎚山脈一帯は、石鎚国定公園に指定され、石鎚山、笹ヶ峰と共に伊予の三名山とされている。

午前11時00分 周囲を笹に覆われた石畳の瓶ヶ森への登山道を登り始める。 

瓶ヶ森への登山には二つのコースがあるが、我々は先に男山に登り、そこから瓶ヶ森頂上の女山を目指すことにした。

少し登ると上空には、瓶ヶ森男山の山頂が見え、左側には白骨林とクマザサに覆われた広々とした原野が広がっている。

その奥には幾重にも重なる山稜が独特の美しい山岳風景を醸し出し、私たちを楽しませてくれる。

さらに登って行くと、クマザサの原野に白骨林が所々にたち、その後方には西日本の主峰石鎚山(1982m)が聳え、威風を放っている。

登山口にあたる瓶ヶ森登山口駐車場と瓶ヶ森林道、その奥には、富士山のような美しい形状の二つの山が聳え立ち、独特の山岳風景を醸し出している。

広々としたクマザサの原野にぽつりと立つ白骨林、複雑の形状と、柔らかい笹の原野や周辺の風景と、うまく調和しているように感じる。

それに後方にある、堂々として威厳を放つ名峰石鎚山1982mが、山岳情緒をいっそう高めてくれている。

さらに登山道を登り、高度を上げて行くと、クマザサの原野が山頂付近一帯まで広がっている。

広々とした笹の原野に、大小の樹木が所々にたち、公園のような美しさを見せている。

 後方には石鎚山が聳え立っている。

どこかの高原にできたゴルフ場を思い浮かべるような光景である。(氷見二千石原)

 山一帯がクマザサに覆われ、威風を放つ石鎚山とのコントラストが、美しさを一層引き立て、山岳情緒を高めてくれる。

  瓶ヶ森登山中腹にある心に残る光景である。

登山道からの眺望を楽しみながら、ゆっくりと登っていると、いつの間にか男山(おやま)頂上直下に到着していた。

 屋根が少し見えているところが男山の山頂で、登山道脇には、白い花をつけた花木が、私たちを和ましてくれる。

登山開始後、40分ほどで男山山頂に到着する。 山頂には、ごらんような石土古権現を祀る祠が立てられている。 

後方には石鎚山1982mが見えている。

男山(おやま)からは、なだらかな美しい稜線が、瓶ヶ森(女山=めやま)山頂1896mまで続く。

男山からの東側には西黒森(1861m)があり、その中腹を瓶ヶ森林道が走っている。

四国山地の幾重にも重なる山容の美しい光景が広がっている。

男山からクマザサと白い花にに覆われた登山道を、瓶ヶ森山頂である女山へ向かって登って行く。

男山から瓶ヶ森女山の頂上に向かう途中に出会った花

一面がクマザサに覆われた瓶ヶ森山頂の女山(1896m)の光景

男山から20分ほどで、瓶ヶ森山頂(女山=1896.2m)に到着する。 頂上には、蔵王権現を祀る祠があり、古くから石鎚信仰の対象とされている。

頂上周辺の眼下には、広々としたクマザサの原野が広がり、

その前方の山稜には、石鎚山や西黒森をはじめ、幾重にも重なる大パノラマの美しい山容を見せている。

 少し霞んで見えているが、このダイナミックな眺望に見とれながら、しばらくの間、瓶が森山頂で、時を過ごしていた。

瓶ヶ森山頂(女山1896.2m)から石鎚山(1982m)方面の眺望を楽しむ。

一面をクマザサに覆われた瓶ヶ森山頂の女山から男山方面の山稜を望む。 

頂上付近でしばらく休憩しながら眺望を楽しんだ後、下山ルートについて妻と相談する。 

先ほどの瓶が森登山口に戻ると、どうしても林道の崖崩れ個所を通行しなくてはならず、足も疲れていることから危険である。 

瓶が森頂上からは、西黒森方面の登山口へ下山するルートもある。

こちらの方は崖崩れの林道を通行する必要もなく、下山口から林道を1km程歩けば、愛車のある駐車場に行けるはずである。 

妻と相談した結果、西黒森登山口方面へ下山するルートを選んだ。 

西黒森方面へ下山する登山道から、一面にクマザサで覆われた瓶ヶ森(女山)山頂方面の光景

瓶が森山頂付近のクマザサに覆われた下山道からの光景、聳え立つ西黒森(1861m)の山容と林道が見えている。

頂上からの下山途中に登山道で見かけた山アジサイの花

この下山ルートは、結構急坂で、登山道のクマザサなどの草刈りも整備されておらず、クマザサに胸や腰の付近まで覆われている。

そのために、杖で笹をかき分けながら下山しなくてはならない。 

足元も笹で覆われ全く見えず、一歩一歩確認し、妻にも登山道の状況の声をかけながらの下山であった。

しかし、思わず所で大事故になりかねない、大きな事件が起こってしまった。

妻と二人、一歩一歩確認しながら下山している途中に、妻のことが気になり、私が立ち止まって振り向いた瞬間の一瞬に事故が起こってしまった。 

私が後ろの妻を見た瞬間、 妻が足を踏み外し、そのまま転倒、身体が横に回転しながら滑落していく。 

私も、一瞬、凍りつくように顔面蒼白になった出来事だった。

幸いにして、滑落した所に、平たい岩場があって妻の滑落が2~3回転して止まった。

私もびっくりし、妻に 「大丈夫か!」 と声をかけるが、すぐには返事がない。

大丈夫なのか!

 私も心配になって、直ぐに3mぐらいの滑落場所まで降りて行く。

そして、妻の手をとりながら 「大丈夫か!」 と再び声をかけると

 少し痛そうにしていたが 「大丈夫」 との返事が返ってきた。

倒れたままの妻に、手を掛けて身体を起こすのを手伝いながら、

 「ほんとに 大丈夫か!」 「どこか痛くないか!」 の質問に、

「大丈夫だよ」 との返答が返ってくる。

妻は立ち上がって、両手足を動かし、身体に異常のない動作をする。

大した怪我はしてないようであった。

私も、突然の出来事に、心配していた最悪の事態は避けられ、ほっとするが、

妻に 「山にはどこに危険が潜んでいるか分からない」 「注意して下山しょう!」 など、

注意事項を自分にも言い聞かせるように話をしながら下山して行った。

このような山での転倒事故は、私たちにとっては初めての経験であった。 

今回は幸いにして大事に至らなかったが、もう少し危険な急峻の場所だったらなど考えると、身体に冷や汗を浴びるように、ぞっとしてくる出来事だった。

転倒後も、腰まで覆われた登山道を慎重に下山する妻、幸いにして大した怪我はしてないようで、歩き方も変わらなかった。

笹に腰まで覆われた登山道を西黒森登山口方面へ下山する。

クマザサに腰まで覆われた急峻な登山道を一歩一歩足元を確認しながら慎重に下山する。

登山道で転倒する事故が発生したが、何とか無事に林道横の西黒森登山口に下山することができてホットする。

30分ほどでの下山時間であった。

 西黒森登山口からからは、舗装された林道を15分ほど歩くと、愛車を停めてある駐車場に午後2時00分頃に到着する。

 

私たちは、四国の主な山への登山は、これまでに、四国第2の高峰、剣山1955m、第一の高峰、石鎚山1982m、に次ぐ、今回の瓶が森登山であった。

瓶が森登山は、老若男女を問わず、誰でも登れる気軽な山でもあるが、

広々としたクマザサの原野と白骨林、名峰石鎚山などの四国山地の風景の美しさも抜群である。

ただ、瓶が森林道から見る、四国山地の山岳風景の美しさには驚かされる。

おそらく、季節を問わず何回訪れても飽きることのない風景を楽しませてくれるはずである。

特に秋の紅葉時には、どのような光景が出現しているのか楽しみである。

石鎚山周辺には、紅葉の名所がたくさんあり、機会があれば 是非、訪れてみたいものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


花の名峰 大和葛城山への登山・・・まるで山一面が紅い絨毯 

2013-05-22 17:30:42 | 

  2013年(平成25年)5月14日(火) 晴れ、今日の空は晴れ渡り、登山には、もってこいの天気になっている。

 午前8時30分 南大阪の駐車場に合流し、3台の車に分乗して一路、大和葛城山(やまとかつらぎさん)の登山口である水越峠を目指して出発する。

今日の目的地である大和葛城山、毎年5月になると頂上付近にあるつつじが真っ紅な花をつけ、山一面を染める。

 

 南大阪から国道170号を走行し、富田林から国道309号に入って行く。 

 道路は渋滞もなくスムーズに流れ、山間部に入って行くと、新緑の若葉がいっせいに芽を出し、薄い緑の山容を現して、車窓からの景観を楽しませてくれる。 

ほどなくして 国道309号の水越トンネル近くにある登山口に、出発して1時間ほどで到着する。 

 今回の葛城山への登山は、南大阪のGPグループ13名の一行で、女性の方がリーダーである。 

 葛城山という山は、大阪近辺には二つあり、一つは大阪府と和歌山県境にある和泉葛城山(いずみかつらぎさん)標高858mと、

今回、私たちが登る、大阪府と奈良県境にある大和葛城山(やまとかつらぎさん)標高960mである。、

 この二つの山は、金剛生駒紀泉(こんごういこまきせん)国定公園に属し、都心にも近く自然が多く残っていることや、自然公園も多く存在することから、

ハイキングなどに多くの人たちが訪れて親しまれている山でもある。

 今回、私たちが選んだ葛城山への登山コースは、国道309号の水越トンネル(大阪側)入り口付近にある登山口からのコースである。

このコースは通常、天狗谷コースと呼ばれている。 私たち一行は、午前9時50分に、水越トンネル付近の登山口を出発する。

国道309号 水越トンネル(大阪側)この近くに葛城山や金剛山への登山口がある。

大和葛城山への登山準備を終え、水越峠トンネル近辺に集合する仲間たち。

水越トンネル付近から葛城山への天狗谷登山コースへ向かって行く。

水越トンネル付近から開始直後の葛城山への登山道

 

 水越トンネル付近を出発してしばらくは、簡易舗装された狭い道路を登って行く。 

 道路脇には水源地の施設や、民家もあり、この道路が地元の人たちにとって、大切な生活道路であることがわかる。 

 この様な長閑な里山風景を楽しみながら、さらに登って行くと、民家がなくなり、田植え前の田んぼが現れてくる。 

 時々、鶯が ホーホケキョ と鳴き声をあげ、里山の情緒を一そう高めてくれる。

 田んぼを横に見ながら、さらに進んで行くと、杉林の中に造られた登山道が現れてくる。

 登山道の横には、田んぼに治水するための、小さな水路が造られ、豊かな自然の恵みである清水が、流水音を発しながら流れている。

 また、 登山道の道沿いには、春を感じさせてくれる山野草や花が生育し、登山道を行く私たちの目を楽しませてくれる。

 これらの、山野草についてリーダーの女性の方に質問すると、ほとんどの名前を答えてくれ、その深い知識には、大変驚かされる。

 天狗谷道といわれるコースをさらに登って行くと、一面が杉林に覆われ、登山道の勾配もだんだんきつくなってくる。

杉林の中のきつい勾配の登山道をゆっくりと登って行く。

 

杉林につくられたきつい勾配が続くの登山道を、お互いに気遣いながらゆっくりと登って行く仲間たち。 

突然、現れた急坂の岩場を鎖を持って慎重に登る女性の仲間

 

 私たちは、それぞれに仲間の人達を気遣いながらゆっくりと登って行く。 

 そうしながら登っていると、後方から、話し声や足音と共に30人ぐらいのグループが近づいてくるのに気付くと、

 近くの仲間の人が、「お先にどうぞ・・」 と言って 道脇によりながら、グループの人達に先に行ってもらった。

 このグループは大阪府羽曳野市に住む、昔の青年や娘さん達のグループである。

 山で出会った人には、私たちの仲間全員が 「こんにちわ」 とあいさつする。

 相手の方も 「こんにちわ」 とあいさつを返してくる。 その逆もある。

 大自然の中で、小さなあいさつから、出会いがあり、短い会話がはじまる。 

 こういった見知らぬ人たちとの、山や旅での出会いも、私にとっても楽しみの一つである。

 水越トンネル付近を出発して、急坂の登山道を1時間ほど登って行くと、ベンチの置かれた休憩所が現れてくる。

 ここが青崩(あおげ)といわれる休憩地点で、天狗谷コースの急坂な登山道もここまでで、ここからはなだらかな坂道の登山道が頂上まで続く。

 急坂の登山道を登りきると1時間ほどで大崩(あおげ)の休憩所に到着する。 水分補給などして休憩する仲間たち。

 

 しばらくの間の休憩を済ませた後、緩やかな杉林の中に出来た登山道を進んで行くと、急に森が開け、若い男女3人が記念撮影をしている。

 前方には山の頂上部が見えているが、このコ―スは初めての私には、どの山の頂上部か良く分からなかった。

 

続いていた緩やかな登山道から開けた部分から頂上部が見えてくる。

 

 森が開けた個所からさらに進んで行くと、ほとんど平坦で、杉林の中は、太陽光線の木漏れ日が森一面を照らしている。

 時々、心地よいそよ風が汗ばんだ私たちの肌を、かすりながら通り抜けていく。

しばらく進んで行くと車も通れそうな道に出る。 そこで、山の案内図の看板を見入る仲間たち。

 この看板の個所から5分程進むと、大勢の登山者や、ロープウエーからの観光客が通行している道路に出てくる。(登山開始して2時間ほどで到着する)

 

 道路の両サイドには、店やレストランがあり、立派なトイレなどの建物も並んでいる。 

その間には展望広場があり、テーブルや椅子が並べられ、登山者たちが、飲み物や食べ物を並べたりしながら、ここからの大和盆地の展望や休憩したりして思い思いに過ごしている。

そんな中、私たちの仲間たちが、展望台からの眺望を楽しもうとやってくる。 

残念ながら、天気は晴れているが、春の霞が深く、大和盆地や大峰山系は霞んで良く見えなかった。

売店の裏側にある展望台に立って大和盆地や大峰山系の眺望を楽しむ仲間たち

売店裏側にある展望台からの大和盆地・飛鳥・や御所市内(奈良県)の眺望が楽しめる。

 

 大和盆地などの眺望が楽しめる展望台でしばらく過ごした後、私たちは葛城山の山頂に向かって行った。

 売店や休憩施設のある場所から10分ほどで、葛城山頂(標高960m)に到着する。

 葛城山頂は、最初、運動場のように広々としていて、ここが山頂なのかと思えるほどで、ほとんどの山の頂きのイメージとはかけ離れている。 

秋には、この山頂近辺は、ススキの穂で埋まるといわれている。

  私たちが、到着した折には、「葛城山頂」 と書かれたモニュメントをバックに、10人位のグループで記念写真を撮っていた。

広々とした葛城山頂上(標高960m)で記念撮影をする人たち。 頂上からは東西南北の眺望が楽しめる。

このグループが終わった後、すぐに私たちも、近くの方にお願いして記念写真を撮ってもらった。 

大和葛城山頂上(標高960m)で登山仲間たちと一緒に記念撮影

 

 記念撮影を終えた後、頂上からの眺望を楽しむ。

東には大峰山系や大和盆地、南には金剛山、西は本来ならば大阪湾や淡路島が見られるといわれているが、

この日は霞んでいて全く見えなかった。 

北には二上山から信貴生駒の美しい山並みが見れるはずであったが、この方面も霞んでみえていた。

葛城山頂のなだらかで平坦の道を、眺望を楽しみながらつつじ園の方に向かって行く。

 前方にはダイナミックの金剛山(標高1125m)が見えている。

葛城山頂からつつじ園に進みながらも、時々立ち止まって、360度の眺望を楽しみ、また進む、 

それを繰り返しながら進んで行くと、国民宿舎「葛城高原ロッジ」の建物が見えてくる。

 ロッジの前が一目100万本といわれる 自然つつじ園 である。

葛城山頂からのつつじ園に向かう、目の前には、金剛山(標高1,125m)のダイナミックな風景が姿を現し、堂々とした遺風を放っている。

つつじ園に到着した瞬間は、この光景がこの世のものかと思われるような素晴らしさに、誰もが思わず見とれてしまう。

見下ろすと、山全体が紅一色のつつじに覆われている、美しい光景を醸し出している。

葛城山つつじ園の花見台から、山一面が赤いじゅうたんのように色づいた、つつじの群生に驚嘆、誰もが思わず見とれてしまう。

山全体が紅く色づいたつつじの群生地の葛城山 つつじ園上部にある花見台からの光景

このつつじ園については次のような由来がある。

「昭和45年頃、高原に群生していた背丈2m近いカツラギササがいっせいに花を咲かせて、実をつけると枯れてしまった。 

そのあとに 今まで下積みになっていた野生のつつじがすくすくと成長し、美しいつつじが見られるようになった」

このようなことと、高原ロッジの方々などが、毎年のようにササ刈りに労力を惜しまずに努めた結果、

今日のような、人目、百万本といわれる葛城山のつつじになった伝えられています。

まだ、つぼみも多く満開ではなさそうだが、驚嘆すべき広さに咲き誇るつつじの群生地

花見台や近くのベンチなどに座り、高原一面のつつじや、堂々とした威風を放つ金剛山を見ながら楽しい昼食を摂る。

真横にある花見台やベンチには、多くの人たちが訪れ、赤く色づき、山一面に広がるつつじの群生する風景を楽しんでいる。

 

また、葛城山の自然つつじ園については次のようなエピソードも伝えられている。

「山麓の国道を走っていた路線バスの運転手さんが、葛城山の真っ紅なつつじを見て、

山火事と間違え、近鉄御所駅に急報する。

急報を受けた人達が、急いで山頂へかけつけたところ、

山一面に美しいつつじの花が咲いていた」 という微笑ましいエピソードが残っています。

昼食後には、花の美しさを楽しみながら、群生するつつじ園の中にできた遊歩道を下って行く。

この時点での、つつじの開花は6割程度といわれている。 つつじの見事な光景が続く中を下って行く。

つつじ園を下る途中の遊歩道で、記念撮影する仲間たち、遊歩道には多くの方が行き交っているために、

急いで撮ってもらった慌ただしい写真であるが、出来栄えは・・・・このような写真であった。

前のつつじは、まだつぼみで開花していないが、中ほどから上の方は満開になっている。

右横サイドからのつつじ園の景観、下の方から斜めに横切るように、広い遊歩道も整備され、広範囲につつじを楽しむことができる。

下の地域からからつつじ園の眺望を楽しむ仲間たち、上の方には幾つかの花見台が造られ、

訪れた人たちが思い思いに過ごしながら、素晴らしいつつじの花の光景をを楽しんでいる。

広い遊歩道を挟んで、真っ紅に色づいたつつじの花を楽しみながら、行き交いしている人たち。 

遊歩道もよく整備されている。中ほどから上は、所々に緑の樹木が混じっている。これはつつじなのかどうか・・・・・

まだ、つぼみも多く見られるがつつじも一本一本良く見ると、花の色も違っているのに気づく、

つつじの種類もヤマつつじ、ミヤコつつじなど10種類以上あるといわれている。

好天に恵まれ、葛城山や高原の自然つつじを満喫した私たちは、登って来た天狗谷コースとは違った、

ダイアモンドトレールのコースから下山することになった。 時間も丁度13:30分であった。

 

このダイアモンドトレールコースは、金剛・生駒・紀泉国定公園内の全長45kmを、

昭和43年、大阪府と奈良県が自然に親しんでもらう目的で整備され、起伏にとんだコースから多くの人達に親しまれている。

私たちの下山するコースは、葛城山(つつじ園)から、急坂の登山道を水越峠まで下山するコースで、約1時間の予定である。

ダイアモンドトレールは、水越峠から金剛山へは、3時間程で登頂できる。

つつじ園を出発した直後に、一人の仲間が足をつるアクシンデントに見舞われたが、

マッサージや杖などのメンバーの協力もあって、大事には至らず、一緒に下山することになった。

登山道はよく整備されているが、かなりの急坂で、登ってきた天狗谷道よりもこう配はきつそうである。

下から登ってくる方々と挨拶しながら話していると、70歳前後のカメラをぶら下げた男性は

 「今朝から金剛山に登り、葛城山へ登っているが、このコースはきついわ」 

と話をしていたのが印象的である。

急坂の続くダイアモンドトレールの登山道を下山して行く仲間たち

後続の人達が近づき、登山道の端に寄って、道を譲る仲間たち

水越峠の道路まで下無事に山した仲間たち。

アクシデントに見舞われた方も、無事に下山することができ、本人も、ほっとした表情を浮かべていたのが印象的であった。

(下山時刻=14時40分)

下山途中の道路脇に咲いていた白い花

この道を20分ほど下ると私たち駐車に到着する。 

 

仲間たちも好天に見舞われ、葛城山の高原一面に咲くつつじの素晴らしさに満足、

どの仲間も、疲れも見せずに軽やかに歩いて行く姿があった。

 

 その後、私たちは、駐車場に戻り、しばらく休憩した後、来た時と同じように、車3台に分乗して、南大阪の集合地点へ帰って行った。 

 私にとっては、今回の登山は、初めて参加するサークルであったが、ほんとに仲間の人達の自然に対する造詣の深さに驚くと共に、

葛城山の紅葉の素晴らしさ、何回訪れても飽きない素晴らしさを感じる登山であった。

 また、機会があれば、訪れたいと思いながら家路について行った。

そして、最後に みなさん ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


鈴鹿山脈の名峰 『御在所岳』への登山

2011-11-05 00:11:41 | 

 20011年10月8日(土)晴、

今日は三重県四日市市の西側に聳え、鈴鹿山脈の主峰である御在所岳(ございしょだけ=標高1212m)への登山の日である。 

 南大阪の自宅を妻と共に愛車エステイマで、午前8時に出発する。  

 走行する阪和自動車道や西名阪自動車道も、10月の三連休初日で、好天に恵まれているせいか、行楽を楽しむ車も多く、所々で渋滞が発生している。  

 この渋滞を抜けるのに15分~20分程度の時間を要した。 

 次の名阪国道も思った以上にスムーズに流れている。  

ところが名阪国道から東名阪道に入ってしばらく走行すると、今度は大きな渋滞が発生している。

渋滞の中、30分ほどの時間を要すして四日市ICに到着し、そこから、国道477号線に入って湯の山温泉方面を目指して行く。

 

 湯の山温泉は歴史的にも古く、養老2年(718年)淨薫和尚が薬師如来のお告げにより発見されたと伝えられ、傷ついた鹿が傷を癒したという伝説から別名 「鹿の湯」 ともいわれている。 

神経痛や外傷に効果的であることと、美肌の特効薬湯とのこともあって、美人の湯として女性に人気が高い温泉である。

 

 四日市ICからの国道447号をしばらく走行すると、湯の山温泉街の入口当たりに案内標識があり、右方向の鈴鹿スカイラインと呼ばれているドライブウエイに入って行く。 

 この道路は三重県と滋賀県の山岳部をつなぐ全長11.9mの道路で、良く整備されているがきついカーブが連続する。

 県境で標高800mの武平峠の下にあるトンネルを抜けると滋賀県側に達する。

 今回の御在所岳登山の幾つかのルートの中で、私たちは武平峠からのルートを選んで登山する予定であった。 

武平峠から頂上までは1時間40分、遅くても2時間もあれば十分に登れると考えていた。

  ところが、鈴鹿スカイラインを10分ほど走行すると 「全面通行止め」 の看板が見えてくる。 

 思いもかけない出来事に当惑するが、車を下りて、車を誘導しているガードマンに状況を確認してみると 

 「この道路は土砂崩壊でこれ以上進めない。 御在所岳登山は、近くの広場に車を止め、100m程先にある登山口から登りなさい」 

 とのことであった。 

 仕方なく予定を変更して中道登山ルートから登ることになった。

 この道は急坂な岩場が多く、2時間30分以上かかりそうなコースである。  

早速、登山準備を整え、午前11時30分、妻と二人で杖を持って登山を開始する。

鈴鹿スカイライン 「全面通行止め」 の為、予定の登山ルートを変更、急峻な登山道である中道ルートから登ることになった。

 

御在所岳の中道ルート登山口

 

 登山道の入り口には、入山届を出すようにと、届出用紙と筆記具が置かれている。 

必要事項を記入し、ポストに投函して登り始める。 

  登山道の上空には、御在所岳と麓の湯の山温泉を結ぶ赤いゴンドラのロープウエーが行き来し、

絶壁の岩壁の上に立つ御在所岳の山容と、中腹には、白い鉄塔が美しい姿を見せている。

御在所岳の山容と登山道の上空を走るロープウエーの赤いゴンドラ・白い鉄塔が美しい光景を見せている。

 

私は過去2回御在所岳には登っているがこのルートからの登山は初めてである。 

登り始めた直後から雨水でえぐられたような登山道や、ごつごつした岩が点在する登山道を登って行く。 

 

 ごつごつした石が転がって登山道を登って行く。

大雨の時などには川のようになるのか、谷のようにえぐられた登山道

 

 谷のような道を登っていると、今度は岩肌がむき出しになった場所に出てくる。

 一瞬、登山道が急に消えてなくなったように感じる。

 下から登ってきた青年が私たちを追い越し、難なく登って行く。

 妻が先に登って行くが簡単ではない。 

私が下から 「手と足の位置をと・・」 大きな声で指図しながら登って行く。 

 少し登ると、木の根が網のように地面に張り出し、それをしっかりと掴みながら登って行く。

大雨で登山道が崩壊、四つん這いになって三点を支持しながら崖を登って行く。

    さらに登って行くと、今度はごつごつした巨岩が点在する急坂の登山道に変わってくる。

急坂が続く登山道でこのような岩場を幾つか越えて登って行く。 御在所岳の堂々とした威厳と、麓の視界が一層広がってくる。

 

 少し登った行くと斜めに寄り添う様に倒れている奇岩が見え、岩と岩との間に、トンネルのような小さな空間が出来ている。 

それが登山道で、かなり背をかがめて通らないと、リュックが引っ掛かって通れない。 

 

二枚の板状の巨岩が重なり合うような姿のおばれ岩(負ケレ岩) この小さな岩間が登山道になっている。

折重なるような板状になった二枚の巨岩(おばれ岩=負ケレ岩)、どうして倒れないのか不思議である。

 

板状になった二枚の巨岩の間に出来た登山道をどうにかくぐり抜け、さらに登って行くと、おばれ岩の上に出てくる。

  そうすると、視界が一気に広がり、上空には御在所岳の絶壁に架けられたロープウエーの赤いゴンドラが行き来している。

その彼方に、槍ヶ岳のような美しい山容を誇る鎌ケ岳(標高1157m)が姿を現してくる。

 東側には伊勢湾や四日市市などの景観が見えているが、残念ながら少し霞んで見えている。

さらに急坂な岩場を四つん這いになりながら登って行く。 

今回の登山は平坦な山道がほとんどなく、このような岩場が連続して続く険しい登山道である。

四つん這いになって、三点支持をとりながら岩場を慎重に登って行く。

岩場を登って行くと展望台のような見事な眺望の場所に出てくる。 崖の上には単独登山の男性が、パノラマの眺望を楽しんでいる。

 

この辺りが5合目ぐらいに位置している。 

さらに登って行くと、今度は二つの岩の上の溝に斜めに乗った四角い岩が見えてくる。 

この岩が有名な地蔵岩である。 

どうしてこのように岩が乗っているのか! 自然にできたとは思えない・・・・不思議さがある。

自然に出来たものと思えないような四角い石が上に乗っている地蔵岩

どのようにすれば、このように石が乗せられるのか! 議論をしたくなる不思議な地蔵岩

 

地蔵岩を横目で見て通り過ぎていくと、今度は眼下に地蔵岩が見え、その後方には麓の街並みの景観が美しく見えている。

しばらく、休憩を摂りながらここからの眺望を楽しんだ後、登山道をさらに登って行く。

はるか彼方に御在所岳頂上が見えている。 右側は崖っぷちで足がすくむような深い谷になっている。危険を感じ左側の道を登って行く。

 

 危険な崖っぷちの登山道を通り過ぎ、少し登って行くと、岩場があり、下は崖になっている。

崖の下から数人の人達が四つん這いになりながら登ってくる。 

ここも危険な場所で、 もし落下すれば数十メートルの谷底に落ちて行きそうで足がすくんでくる。

 崖下からは、我々の気持ちとは裏腹に、家族連れで小学校の低学年と思われる男の子が、親の指示のもとに、

鎖を持ったり、どの岩場に手足がかけられるのか、模索しながら難なく登ってくる。 

子供といえども相当熟練しているように感じる。

 私たちもこの家族が登りきった後、降りようとすると体が緊張してくる。 

バックになって三点支持する場所を探しながら降りて行く。 

下を見ると恐怖が湧いてくる。 

見ない様にして手足を動かしていると、どうにか降りることができた。

 下まで降りると今度は急坂の登りに変わってくる。

岩場(キレット)を登ってくる子供連れの人達、子供は難なく登りきってしまう。

岩場のキレット、中道登山道を登ってくると、この岩場の上に出てくる。 頂上に行くためには必ずこの岩場を通過しないといけない。

岩場に屋鎖やロープも張られているが、一瞬緊張する。

このキレットを通過して林に囲まれた登山道を登って行くと、絶壁の中に出来た大きな岩場に出てくる。 

この岩場を横切り、大きな石段のような場所を降りていく。 

高さのある岩場には、鎖やはしごが架けられ、それを支えにして降りたり、横に進んで行くと、通常の登山道に出てくる。

ここからのパノラマの光景は抜群であるが、我々には緊張感の方が大きく、ゆっくりと眺望に浸っている余裕はなかった。

絶壁の岩場に出来た登山道、鎖やはしごなどで支持しながら、大きな岩場を右に左に体を変え、少しずつ降りていく。

前からは、数人の男の親子が通り過ぎて行く。

 絶壁の岩場には鎖が取り付けられ、登山道を登ったり降りたりして進んで行く。

鎖の付いた岩場で行き交う家族連れのグループ、元気よく下山して行く。

間もなくの紅葉の季節では、鮮やかな色の樹木が登山者を癒してくれる。

湯の山温泉街方向の東側の景観 

登山道のすぐ横を走るロープウエー、絶壁の上にある岩が 「大黒岩」 高さ10mもある。

 

絶壁の中に出来た岩場を緊張しながら通り過ぎて、急坂の登り坂を登って行くと、ようやく平坦な道に出てくる。

すると、目の前には展望台があり、行ってみると大パノラマの絶景が広がっている。 

ここが大展望の富士見岩である。 

 時間も午後3時丁度であった。 登りはじめてから3時間30分を要している。

頂上部分の平坦地にある富士見岩 眼下の麓には湯の山温泉街や麓の街並みが見えている。 天気が良ければ富士山も見える。

御在所岳の南側に位置し、美しい山容を見せる鎌ケ岳(標高1157m)

頂上部にある中道ルート下山口やロープウエー駅方面・御在所岳頂上方面の分岐点になっている。

 

富士見岩からの大パノラマの眺望を楽しんだ後、私たちは御在所岳頂上方面への道を選んで進んで行く。 

5分ほど林のなかの舗装された道路を進んで行くと、

正面に展望台とスキー場などの施設、その上にある御在所岳頂上(1212m)が見えてくる。

北側には国見岳(1165m)の山容が見え、その奥には鈴鹿山脈の山峰がうっすらと霞んで見えている。 

御在所岳の頂上部分は山上公園として整備されている。

 

スキー場の上にある御在所岳頂上(標高1212m)

湯の山温泉と御在所岳にある山上公園は、赤いゴンドラのロープウエーで12分で結ばれ、ロープウエーを降り立つと、そこは素晴らしい眺望が広がる山上公園になっていて、四季を通して訪れる人達も多い。

 山上公園内には、レストランや自然学校、スキー場などの施設があり、

ロープウェー駅から乗り継ぐとリフトで御在所岳頂上までハイヒールやスーツの服装で行くことも出来る。

 

頂上にある山上公園広場で、ボール遊びなどをして楽しむファミリー

山上公園で手洗いや休憩を少しした後、綺麗に整備された道路を頂上に向かって歩いて行く。 

頂上への道路からは、南側に鎌ケ岳が見え、

御在所岳頂上部の延長線上には、長者池や御岳権現などのある山上公園の美しい風景が見えている。 

晴れていれば琵琶湖などが眺望できますと 書かれているが、この霞では望みようがなかった。

御在所岳頂上への平坦な道を、周りの景色を楽しみながら進んで行く。

20分ほど進んで行くと御在所岳頂上への最後の石段の下に出てくる。 この石段を登りきった所に頂上がある。

私どもは疲れも知らず頂上を目指してゆっくりと石段を登って行く。

石段を一段一段登って行くと話し声が聞こえ、登るに従ってこのような光景が目に入ってくる。 午後3時50分頃であった。

 とうとう頂上にたどり着くことができた。

 私どもにとって御在所岳登山は、過去にない厳しさの登山であった。 

特に妻にとっては厳しかったようで、急坂の登山道に危険なさまざまな岩場越えが、一難去って、また一難やってくるような登山であった。 

どうにか無事に頂上にたどり着くことができた。 

眺望は、霞がかかり視界がはっきりしないのが残念であるが、

ここからの大パノラマの眺望も格別で、疲れもいっぺんに飛んでいくような爽快な気分であった。

御在所岳(標高1212m)の頂上部に建てられている一等三角点の碑

御在所岳頂上部も山上公園の中にあり、三重県と滋賀県の県境になっている。御在所岳一帯も鈴鹿国定公園に指定されている。

御在所岳頂上からの南西の眺望 長者池や御岳大権現などがある。

時間があればゆっくりと散策などして楽しみたいと考えていたが、残念ながら頂上からの眺望だけに終わってしまった。

今回も頂上から歩いて下山する予定であったが、通行止めと、思いもかけない急坂で予想以上に時間がかかってしまっていた。 

この時間帯から下山すると、麓の登山口まで日没を過ぎる可能性が高くなっていた。

 念のために懐中電灯などは準備しているが、険しい岩場の登山道は日が落ちてしまうと危険であった。 

妻と相談して、頂上からリフトで乗り継ぎロープウエーで下山することにした。

御在所岳頂上からロープウエー乗り場まではリフトが運転されている。 ロープウエーの時間もあり、リフトで下山する。

 

リフトの降り場とロープウエー駅は同じ建物内にある。 

着いてから少し時間があった為に、駅の上にある展望台(朝陽台)に行って見ることにした。

ロープウエー山上駅の上にある朝陽台。 レーダー雨量計や御岳神社などがあり、ここからの360度の眺望も、また、抜群である。

朝陽台の石仏から御在所岳頂上方向を望む。

朝陽台で過ごせる時間は10分ほどであった。

360度の眺望が望める場所でもあるが、

日は西に傾き、夕日が楽しめるような時間帯で、登山中に見えていた麓の眺望も霞んで見えにくくなっている。 

それでも一通りの見学を終え、ロープウエー乗り場に急いで向かって行く。

御在所岳山頂駅の赤いゴンドラ、別名パノラマロープウエーと呼ばれている。 高低差780mをわずか12分で結んでいる。

ロープウエーコンドラから見た、先程登ってきたキレットの険しい岩場、キレットを右側から降りて、左側に登ることになる。

 

御在所岳は、ロープウエーからの眺望も抜群で、

これからの紅葉の季節には、大小の岩と紅葉した樹木のコントラストが有名な紅葉の名所である。

あまりにも鮮やかなために撮影さしてもらった。 ロープウエー駅内の御在所岳ロープウエーのポスター

 

ゴンドラの窓から見る奇岩や森、ロープウエーの中ほどに建つ白い鉄塔の美しさも、周りの景観にうまくマッチして抜群に見える。

 麓に見えていた温泉街の建物が、だんだん近くに見え始めた頃、湯の山温泉駅に到着する。

湯の山温泉駅から中道登山口まで歩いて戻らなければならない。 

30分ぐらい舗装された車道を登って行くとようやく駐車場に到着する。

到着してすぐに車を動かし、日帰り温泉を目指して走行して行く。

愛車で5分ほど行った所で、日帰り入浴もできる、

三重県勤労者福祉センターが経営する希望荘(宿泊施設)の温泉施設が見つかった。

高層建築と建物の美しさの希望荘に到着すると、4階の温泉施設に案内され、料金500円を支払って入って行く。

伊勢湾が見渡せる所に露天風呂が造られている。 

ここからの四日市方面の淡い光を放つ夜景を楽しみながら、温泉に浸っていると、

登山の疲れを癒してくれると共に、心身をリフレッシュしてくれる。 最高の気分であった。

妻と待ち合わせた一時間後には、入浴を終え、温泉施設から30分ほどの場所にある、永年の友の家に向かっていた。

今夜は久しぶりに会う友と杯をかたむける楽しさが自然と湧いてくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


大阪の最高峰 金剛山(1125m)への登山

2011-10-05 22:13:41 | 

 2011年(平成23年)9月11日(日)晴、 私はかねてから、妻に金剛山へ 「登ろう!登ろう!」 と何度も話をしていたが今日まで実現してこなかった。  それが、急に金剛山への登山をすることになった。  今朝は5時30分に起床し、登山準備や弁当などの準備をして、妻と二人、午前7時頃に南大阪にある自宅を、愛車ラクテイス(1500cc)で出発する。 日曜日の朝、時間的にも早いせいか、国道170号もスムーズに流れ、河内長野市から、橋本市方面の国道371号に入って行く。  しばらく走行して石仏トンネルを抜けると今度は府道214号に入る。 10分ほど走ると、府道705号に入り、5分ほど走行すると千早登山口に到着する。 午前8時過ぎであった。 金剛登山口バス停の横にある駐車場(600円)に愛車を入れる。 その後、洗面を済まし、リュックや靴などの最終チエックをした後、午前8時45分に登山を開始する。

開始した金剛登山口は、金剛山ロープウエー乗り場の3km位の手前にある。 金剛山登山口からは、二つの登山ルートがあり、 一つは急坂の石段を登り、千早城跡(千早神社)を通る尾根道と、左側にあるフロノ谷を通るルートであるが、どちらを通っても後で合流することになる。

私たちは、最も多くの人達が利用する、ポピュラーなフロノ谷ルートを選んで登って行くことにした。

金剛山登山口バス停付近(前方の突き当たり付近の右側にフロノ谷ルートの登山口がある)

 

この道路を少し下った所にあるバス停を引き返して最初の辻を右に曲がり、舗装された道路をまっすぐに進んで行く。 

 道路沿いには喫茶店や駐車場・茶屋などの店舗施設が並び、突き当たりを右手に進むと舗装された林道の登山道があり、それを登って行く。

金剛山登山地図(金剛山=葛木岳1125m=赤字右上)

金剛山は大阪府千早赤坂村と奈良県御所(ごせ)市の境目にある山である。 標高は1125m。最高地点は葛木岳で、葛木神社本殿の裏側に位置し、神域のために立ち入りが禁止されている。

登山直後の林道 「妙見谷線」と書かれた登山道を登って行く。 見た目はなだらかであるが、登るときつい坂である。

林道の登山道をさらに登って行くとご覧のような砂防堤が見えてくる。 コンクリート壁面に加工木材を張り付けて独特の景観を見せている。

登山道脇に咲いていた可憐な花、登山者の心を慰めてくれる。

登山開始直後は舗装された林道の登山道であったが、途中から地道の登山道に変わってくる。 登山道は急こう配が続いている。 

急こう配の登山道を登りきると千早城跡を通るコースとこの地点で合流する。 合流点からからは、ご覧のような木立に囲まれた平坦な登山道に変わってくる。 登山道脇には休憩用のベンチなども造られ、小休憩する人達が見えている。

登山道脇の所々で大切に祀られている石仏、左には 「五戒」 が書かれ、右に御題目が書かれたものが設置されている。

五戒 「辛いことが多いのは 感謝を知らないから。  苦しいことが多いのは 自分に甘えがあるから。 悲しいことが多いのは 自分のことしか分からないから。 心配ことが多いのは 今を懸命に生きていないから。 行きづまりが多いのは 自分が裸になれないから。」 と書かれている。

しばらく登っていると元気な掛け声の夫婦に出会った。 良く見ると前月にNHKテレビで報道され、痴呆性の妻を支え、夫婦で金剛山登拝一万回達成のために頑張っている夫婦であった。  ご主人の顔の表情や、奥さんの出会った人達に笑顔で接する姿が印象的であった。

時折、急坂が続く木立に囲まれた山道をさらに登って行く。 するとヒノキや杉林の樹林帯からブナ自然林の樹林帯に変わってくる。 前からはにこやかな表情の女性が下山してくる。 

九合目あたりで山頂への「近道」と「楽な道」の、左右に分かれるルート案内が表示されている。 私たちは楽な道方向を選び進んで行く。   このルートは、しばらく平坦で緩やかな道であるが、最後に急こう配の階段がある。 この階段を登りきると、そこは頂上部で大勢の人達で賑わっている。  1時間20分の登攀時間であった。 頂上部には下記のような施設が存在している。

「金剛山頂上の名所跡案内図」 ご覧のように頂上には様々な施設がある。

史跡 「金剛山」 の説明

「金剛山は海抜1125m葛城山脈中の最高峰なり、頂上付近一帯に役小角(えんのおづめ)の開きし転法輪寺の跡を存し、法起菩薩を祀られる修験道の霊場として、夙に著名なり、今絶頂に葛木神社を奉祀し、転法輪寺を再建す。 その西北方平坦にて展望よき処、所謂国見城址なり、元弘2年(南北朝時代=1332年)、楠木正成再び義兵を起こすや、その詰城 「千早城」 の背面防御の地なり。 北條氏の大軍分かれて三方より楠木城に迫るや、その大和口に当てるは蓋し、この山なるべし。  昭和9年3月13日指定  文部省」 と書かれた説明文が 頂上直前の参道添いに掲示されている。  

登山道から頂上部に登り、左に進んで行くと 「金剛山頂」 と書かれた案内板と時計が設置され、広場では多くの登山客が休憩したり、弁当を広げたりして思い思いに過ごしている。

金剛山頂広場からは大阪市内や大阪湾、六甲山系の見事な景観が姿を現している。

金剛山頂広場から大阪市内や六甲山系方面の景観。手前にある白い塔は大阪府富田林にあるPLの塔

手前にあるPLの塔。 後方は大阪市内や六甲山系の山峰

私たちは金剛山頂広場からの大パノラマや昼食を楽しんだ後、山頂にある転法輪寺に向かって行く。  転法輪寺の前にある境内付近には、売店や登拝回数捺印所などの施設があって、多くの人たちが訪れて賑わっている。 

山頂にある売店などの施設前で、のんびりとくつろぐ人達

金剛山登拝回数捺印所で、自分の登拝カードに印を押してもらって確認する登山者

金剛山にはこのように、登山回数を記録してくれるシステムがある。 会員(現在は4000名といわれる) になれば登山毎とに、この場所で回数スタンプを捺印してくれる。

金剛山登拝回数が1000回以上を達成した登拝者名が掲示されている。

登山回数100回以上の登山者には、毎年5月に表彰式が行われる。 10,000回以上の登山者も記録されている。 毎日登山しても27年間以上の年月が必要となる計算である。

金剛山は、大阪市内から60分程度の距離にあり、健康登山、回数登山、自己改革登山など、朝の出勤前や夕方の仕事が終わってから毎日、登りに来る人たちが数多くいるといわれている。

役小角(えんのおづめ)が修業した金剛山頂にある葛城修験道の大本山 「転法輪寺」(てんぽうりんじ)

御本尊 : 法起(宝基)大菩薩

御利益 : 五穀豊穣、悪虫退散、米を造り、人を造り、家を造り、人間の幸福を守らせ給う。

御奉祀 : 1300年前より

御姿 : 五眼六臂

御真言 : おんばさらけん ばざらや たらまや めいしやらてい そわか

御祭事 : 毎年七月七日(れんげ祭り)

建物 : 鎌倉時代の建築様式                                                                                                             

 金剛山は修験道の開祖、役小角(えんのおづめ=役行者)が修行した山として知られている。 役行者は今から約1,300年前、16歳の時から、この山で修行し、全国各地の霊山へ駆け巡ったと伝えられ、 山頂付近には役行者が開いたとされる転法輪寺(葛城修験道大本山)がある。 近くには一言主を祭神とする葛木神社がある。 

毎年7月7日の役行者の命日には、一言主ノ神を祀る葛木神社と法起菩薩を本尊とする転法輪寺との珍しい神仏習合のれんげ祭りが行われている。

参道の石段から転法輪寺本堂を望む

転法輪寺本堂の全景

転法輪寺本堂より境内を望む

転法輪寺の境内にあり、修験道の開祖として崇拝されている 「役小角」 を祀る行者堂

役小角(えんのおづめ)(役行者神大菩薩) 様 (行者堂の説明掲示文)

今から1300年以上前、奈良県御所市茅原の吉祥草寺のお生まれになり、白鳳時代の七世紀後半を中心に、この金剛山(元の名称は葛城山)や大峰山(金峰山)などで活躍されました。 「続日本記」 によりますと、文武天皇(在位3年=699年、飛鳥時代)は、韓国連広足(からくにのむらじ)の讒言(ざんげん=事実をいつわって悪くいうこと)により、伊豆島へ、島流しになったと伝えられていますが、日本国中で伝説を残し、各地の霊山をお開きになられました。 江戸時代の後期には 「人変大菩薩」 の菩薩号を賜り、現在でも修験道の開祖として、山伏たちに崇拝されています。

御宝号 (七反)  

「南無神変大菩薩」 (なむじんべんだいぼさつ)

御真言 (七反) 「おん ぎゃくぎゃく えんのう うばそく あらんぎゃ そわか」

十三仏を表現しているといわれる石組でできた 「十三重の塔」

十三重の塔は、当山有縁無縁の萬霊を回向供養するために建立されました。(掲示説明文)

「 十三物とは、人が亡くなり、天上界へ辿り着くまでの世界 『中有(中陰)』 を司る七佛と、浄土天上界にて三十三回忌を迎えるまでの六佛いいます。 

1.不動明王 2.釈迦如来 3.文殊菩薩 4.普賢菩薩 5.地蔵菩薩 6.弥勒菩薩 7.薬師如来 8.観世音菩薩 9.勢至菩薩 10.阿弥陀如来 11.阿しゅく如来 12.大日如来 13.虚空蔵菩薩  」 と書かれている。

人々にために尽くしてくれる牛王(ごおう)の像

 牛王の由来 「牛王像は当時のご本尊の化身にして 人のために働き 人のために一切を捧げる 尊い姿を現しています。 尚、背には金剛山という名の起りや 由緒が刻みこまれています。 ・・・・ と書かれている。

赤い灯篭のある葛木神社への参道としめ縄がかけられ、威厳を感じさしてくれる夫婦杉

転法輪寺からこの参道を通り進んで行くと、参道沿いに夫婦杉の他に福石や石造りの宝剣塔などがあり、10分ほどで葛木神社に通じる。

多くの人たちが訪れる金剛山頂にある葛木神社

 

葛木神社の由緒  日本の名峰金剛山は、大阪、奈良、和歌山に跨る金剛生駒紀泉国定公園の最高峰であって、海抜1125mあります。

古来高天(たかま)山とも呼ばれ、神武天皇大和平定の際、葛(かつら=くず)の網をきせて、土賊を掩殺(おおい)せられてから、葛城という名がついたといわれています。

「人皇第十代崇神(すじん)天皇(BC97年~BC30年)戌寅七年 御造営神戸祠を附し給う。」 とあり、神社の創始は、約二千年前の崇神天皇の御代で、事代主を奉祀していました。

後の古事記・日本書紀に人皇第二十一代雄略天皇(456年~479年) 御狩りに登山された時、葛木一言主神(ひとことぬし)が御出現され、「善きことも一言、悪しきことも一言、只一言のたまえばかなう神一言主である」 と宣言され、葛木一言主を奉祀し、一言だけ願いをすれば、叶う神として有名になりました。 又、日本で初めて手を拍って物を受け渡しされた故事により、拍手の元祖、一言恵比寿とも言われ、商売繁盛の福の神とも称せられます。

主際神 : 葛木一言主大神

副際神 : 大楠公、後醍醐天皇その他

社殿 : 関西では珍しい大社造

きれいな御影石で出来た石段とな葛木神社の参拝口  

 

関西では珍しいといわれる大社造りの葛木神社神殿

静かなたたずまいに鎮座している葛木神社神殿の横にある十三末社

金剛山最高峰1125mは、葛木神社本殿の裏に位置しているが神域のために立ち入りは禁止されている。

金剛山という山名は、大日岳(1094m)、葛木岳(1125m)、湧出岳(1112m)の三峰の総称である。

 

私たちは金剛山頂にある施設や絶景、葛木神社への参拝や見学を終えた後、午後1時00分、元来た登山道からの下山を開始する。

30分ほど下った途中からは、登ってきた登山道と違う千早城跡のコースを選んで下山する。

このコースもほとんどが林の中に覆われた登山道で、5分ほど進むとコンクリートで頑丈に出来た休憩所があり、汗を流しながら昆虫採集する親子の姿があった。   この休憩所を少し進むと、千早神社の境内に出てくる。 

右手には十段位の石段の上に銅でできた鳥居があり、その奥では威厳を感じさす堂々とした神社があり、拝殿では父と娘が横に並んで参拝している姿があった。 何か微笑ましさを感じさしてくれる。 

 私たちも境内から石段を登り、銅でできた鳥居をくぐって拝殿に進んで行く。 森の中の静かで厳かな雰囲気の中で妻と二人で拝殿に立って参拝する。

 

荘厳な雰囲気を持つ千早神社本殿で参拝する父と娘

 この神社については 次のように書かれている。

千早神社  :  千早城本丸跡にもと八幡大菩薩を祀って、千早城の鎮守として創建する。 後に楠木正成卿・正行頼臣・久子刀自を合祀して楠社と称する。  明治七年再建、同十二年に更に祠を建て、社名を千早神社とする。 昭和七年現在の社殿社務所を新築する。

御祭神

本殿 : 楠木正成卿 楠木正行頼臣 久子刀自

相殿 : 大市媛命(坂本神社) 天太王命(下中津神社)

末社 :  椋木神社(大物主命) 廣内神社(金山彦命) 平 神社(應神天皇)

 金剛山周辺には太平記の英雄楠木正成の城であった千早城上赤坂城、下赤坂城の城跡や楠公誕生地など、正成ゆかりの史跡が点在している。

 

 私たちもこの静かで荘厳な雰囲気を持つ神社で参拝を終えた後、一般の参拝客とは逆方向に神社境内を下って行く。

千早神社の銅でできた立派な鳥居

「史跡 千早城跡について : 元弘二年(1332年=南北朝時代) 楠木正成が構築し、翌年五月まで百日間、藁人形等の奇策をもって鎌倉幕府軍の攻撃に堪えて建武中興の原動力となった難攻不落の名城である。 

 標高約660mで、城の南(妙見谷)、北(風呂谷)、西(大手口=現在地)の三方は急斜面で、府道との比高は150m、東方だけが尾根伝いに金剛山に通じる天然の要害である。 

五百数十段の石段を登ると、四の丸があり、それより本丸までの奥行が約300mである。

太平記に、敵は百万騎、身方は僅かに千人足らずにて 「誰ヲ慿(たの)ミ何(いつ)ヲ待共(まつとも)ナキニ城中ニコラヘテ防ギ、戦イケル楠木ガ心の程コソ不適ナレ」とある。

昭和9年3月13日 史跡指定 文化庁・大阪府教育委員会・千早赤坂村教育委員会」 と府道からの登排口に書かれて掲示されている。

 

 私たちは神社の境内にあたる、千早城跡の本丸や四の丸を通り、五百数十段の急こう配で出来た石段をゆっくりと下って行く。

石段の上に建つ鳥居、この石段も登山道の一つであるが、急こう配できついのか、このルートで登ってくる人には出会わなった。

五百数十段の急こう配の石段。 金剛山への千早城跡の表登山口は、この場所の石段から登山が始まる。 

 

開始した金剛登山口には、13時50分に下山する。下山時間50分ほどであった。 金剛山登山は、若い時に一度登ったきりで、今回は2回目の登山で、妻は初めてであったが、私どもにとって大変印象深い登山であった。

 今回の金剛山登山で驚いたことは、登山道がよく整備されていることと、登山する人達が男女を問わず、子供からお年寄りまでの幅広い年齢層と、登る人たちの多さにも驚かされる。 それに登ることによって自らの精神や身体を鍛錬する練成会と言う組織があって、登山回数を記録するカードへ捺印する制度もある。  毎日の出勤前や出勤後に登山をする人達などの会員が、4,000人程いられることも驚きで、頂上部の境内には100回以上の登拝回数達成者名が掲示されている。 中には10,000回を達成した人もいられるとのことであった。

それに、山頂部分の施設の多さにも驚かされる。 いにしえの時代から、日本人は自然を敬い、山々には神が宿るという山岳信仰心がうまれ、自分たちの生活と共存さしている。  特に役行者は、葛城山中深く分け入り、自らの心身を限界まで修業する場と考えて実践している。 後には多くの修行者を導き、日本独特の山岳信仰や神道・宗教・修験道などに大きな功績を残している。

現在日本では、自然と対峙するアウトドアーがブームになっている。 大都会のわずらわしい日常生活の中で、ややもすると人間性を見失いそうな孤独感、単調作業からくる生き甲斐感や社会的貢献などに問題点があって、惰性的に暮らしている人が多いと言われている。 そんな中で大自然に身を置き、自然と一体となって、自然に直接触れ合うことで、家族の絆や職場などの人間関係を深め、自らの人間力を高めてくれるという修業性が、山などの大自然にはあるように思えてくる。

今回は妻と二人で登った金剛山。 私たちも登山を通じて身体や精神力を高めることも目的のひとつであるが、杉やブナの生い茂る登山道で 「こんにちわ」 という一言の挨拶を交わしながら登って行く。 小さな子供から80歳代のお年寄りまでの多くの方々からも 「こんにちわ」 という言葉が返ってくる。 ある時には立ち止まって登山情報などを自然の中で交換する。  登山者全員の頂上へ登るという共通した目的からの共通意識があり、小さなコミニケーションを図っていると、一人ひとりの登山者に対して自然と親しみが湧いてくる。 頂上へ登った時の達成感や爽快な気分と共に、何か大きなエネルギーを頂いているように感じてならない、今回の登山であった。  

 

 

 

 

 

 

 

 

 


日本の名峰「乗鞍岳(3026m)」登山その2

2011-08-23 15:17:25 | 

 乗鞍岳(のりくらだけ)は、山岳道路 [乗鞍スカイライン(岐阜県側)及び乗鞍エコーライン(長野県側)] の開通により、3000m峰で最も手軽に登れる山として、多くの人達に愛され続けている山である。 

北アルプスなど日本を代表する山岳群の大展望、夏スキーの出来る大雪渓、咲き乱れる高山植物など、楽しみの尽きない山でもある。

乗鞍岳は、中部山岳国立公園内に位置し、岐阜県と長野県にまたがり、長野県側の麓には乗鞍高原が広がっている。 

山名は、馬の背に鞍を置いたような山の姿に由来している。

乗鞍岳は、北アルプス南部の剣ヶ峰3026mを主峰とする山々の総称で、大日岳、朝日岳、摩利支天岳、富士見岳、屏風岳など23の山、7つの湖、8つの平原があり、広大な裾野が広がっている。 日本百名山、新日本百名山にも選定されている。

2011年(平成23年)8月14日(日)奥飛騨温泉郷内のオートキャンプ場で昨夜から4人で過ごし、朝早くから起床、平湯温泉街からタクシーで乗鞍スカイライン終点の畳平までやって来る。

バス終点となる畳平(たたみだいら)の標高は、2702mで、森林限界を超えた高山帯に位置している。

私は乗鞍畳平までは、過去、マイカーで何度も訪れている。(マイカー規制以前) 

最初は乗鞍スカイラインの岐阜県側が多かったが、長野県側のエコーラインも、何度も走行して畳平まで訪れている。

 何度訪れても、また、来たくなる不思議な魅力を持った山である。  

季節によって変わる乗鞍からの眺望や自然の光景は、魅力一杯で、私たちの心を引き付け、虜にするような力を持っている。

平湯温泉から乗鞍までの山岳道路から、北アルプスの山々や御嶽山などの大眺望

頂上に近い畳平の平原、それをとり囲む森林限界を超えた美しい山々や池、夏でも消えない雪

それらが うまく調和し 乗鞍独特の景観をかもしだし 訪れた人たちを魅了している。

訪れば 訪れる程 味わい深いものを感じさしてくれる。

ただ 何度も来ているのに 何か、物足りなさを感じていた。

それは、過去一度も 乗鞍岳の最高峰に 登頂してないという物足りなさである。

頂上への登頂は何故か計画する度に消えて実現していない。

今回、やっと 永年の思いが 永年の夢が実行できる時が 現実としてやってきた。

畳平バスターミナルからの風景。左が富士見岳、正面にはコロナ観測所が見えている。

 

乗鞍岳畳平バスターミナルに到着した後、出発準備を整え、同じターミナルにある乗鞍本宮 中の社で乗鞍登山と道中の安全を祈願して参拝し、午前8時50分 登山を開始する。

クマ出没注意の表示が出されている(畳平バスターミナル)

歩き始めて、お花畑寄りの歩道に近づくと、「クマ注意」 と書かれた表示があった。 近くのガードマンに尋ねてみると、

「昨日、畳平にあるお花畑にクマが出没、まだ、クマがどこにいるか確認が取れていない。確認がとれるまで立ち入れ禁止」 とのことだった。

乗鞍スカイライン(岐阜県側)及び乗鞍エコーライン(長野県側)終点の畳平バスターミナル(標高2702m)にて 後方は富士見岳(2817m)と西側の麓に帯のように見えるのが登山ルート。

 

 サー乗鞍登山開始だ、 畳平から乗鞍岳の最高点である剣ヶ峰(3026m)へは、鶴ケ池の脇から富士見岳(2817m)の山頂または西面を経由するコースと、畳平バスターミナル下のお花畑を経由するコースがある。 

お花畑のコースはクマ出没により立ち入り禁止になっている。

 私たちは、鶴ケ池の脇から富士見岳の西面を経由するコースを選び、4人で歩いて行く。 

 畳平から鶴ケ池の脇に差し掛かった頃、二人の若い女性が、池をバックに写真撮影をしている。 

私がひとことの挨拶をした後、「一緒に撮ってあげましょうか!」 というと、気軽に応じてくれて、女性のカメラで撮影をする。 

今度は私たち4人を一緒に撮ってもらった。 

その後もこの若い女性達とは、度々一緒になって、会話したり、写真を撮ったりすることになる。 

東京から来られたようで、愛らしい品の良いお嬢さんである。

畳平の直ぐ近くの東にある池、水量の多い時期は、首の長い鶴のような形をしていることから名づけられた、と言われる鶴ケ池(2694m)

 

鶴ケ池の脇の道を進んで行くと、幾種類もの花が咲いている。

名前は分からないが2700mの高山で花を咲かせ、訪れた私たちの目を楽しませてくれる。

 

鶴ケ池に咲いていた花

鶴ケ池の横に造られた幅広い登山道から正面の富士見岳(2817m)に向かって歩いて行くと、幅広い県境広場に着く、右に曲がって行くと最高点の剣ヶ峰に通じる。 

 

鶴ケ池近辺の登山道脇に咲いていた花

富士見岳西側の道から畳平バスターミナルと鶴ケ池方面を望む。左の山が恵比須岳2831m、右側が魔王岳2760m

畳平を出発して10分ほどで富士見岳下の分岐点に到着する。 右のコンクリートのよう壁に沿って行くと乗鞍岳頂上の剣ヶ峰に通じる。

 

富士見岳下の道路脇に咲いていた、可憐な花びらをつけたコマクサ

富士見岳下の西側にある道をしばらく行くと、山間の雲海に浮かぶ見事な御嶽山3067mが顔を出している景観が見られた。

雲海に浮かぶ御嶽山の眺望を楽しみながら、さらに進んで行くと残雪の残る池が綺麗な水を湛えて見えてくる。

不消ケ池(きえずがいけ)で、白い残雪が水面に映り、コバルトブルーの美しい色彩を現している。 自然が作り上げた神秘的な造形である。 後方の山頂にはコロナ観測所(摩利支天岳)が見えている。

緑の絨毯を敷いたような光景の中で、池面と残雪の美しい姿を見せる不消ケ池と不動岳2875m、後方は恵比須岳2831mの見事な景観。

不消ケ池(きえずがいけ)を右手に見下ろしながら進んで行くと、、コロナ観測所のある摩利支天岳方向の道(一般者は通行禁止)と剣ヶ峰へ通じる肩の小屋方面へと道が分かれている。 

 

乗鞍岳の東側は、長野県側になり、眼下に見下ろすような絶壁の斜面が続き、その下には位ケ原(くらいがはら)の平原が広がっている。 

平原の中には曲がりくねった乗鞍エコーラインの山岳道路があり、数代のシャトルバスが行き交っている。

乗鞍エコーラインの山岳道路(乗鞍高原と畳平を結んでいる=長野県側)

 

私たちはコロナ観測所のある摩利支天岳との分岐点を肩の小屋方面に向かって行く。 

正面には乗鞍岳の山峰が見え、その麓には大雪渓が広がり、雪渓の上で夏スキーを楽しんでいる人達が見えている。

大雪渓を抱いた乗鞍岳(最高点の剣ヶ峰3026m、蚕玉岳(こだまだけ)2979m、朝日岳2975m)の山峰と大雪渓。

多くの登山客で賑あう肩の小屋、 冷たい飲み物や軽食なども摂れる。 奥に見える赤い屋根は東大宇宙線研究所。

肩の小屋からは朝日岳の東斜面を経由して、朝日岳(正面)と蚕玉岳(左側)の窪みの部分を目指して行く。 

 

この登山道は、砂礫やごろごろした石や岩が多く歩きにくいコースであるが、一歩一歩、杖を突きながらゆっくりと登って行く。 

乗鞍岳登山(剣ヶ峰)最大の急斜面の登山道である。

上空を見上げると、朝日岳の東斜面に出来たジグザグの登山道には、子供から老人までの多くの登山客が、列をつくるようにして登っている姿が見えている。

肩の小屋から少し登った所で、ブラジル人夫婦がダウン、彼女は登山が初めてとのことで、無理からぬことか!

その後も、皆で励ましながら登って行く。

ごつごつした石と砂礫の登山道を30分ほど登った所、眼下には肩の小屋とコロナ観測所のある摩利支天岳が見えている。

肩の小屋から40分ほど登ると朝日岳と蚕玉岳の窪みの部分に到着する。

肩の小屋の反対方向には、美しい水面と残雪を見せる権現池(一の池)が姿を現し、後方には白い夏雲が覆い、その下の雲間には山々の山稜が見えている。

 視界がはっきりしていれば、この方向に名峰 白山(2702m)が眺望できるとのことだった。

肩の小屋から朝日岳2975mの東斜面を登ってくると写真中央の窪みの部分に到着する。

蚕玉岳2975mの頂上での記念の撮影、後方は乗鞍岳最高峰の剣ヶ峰3026m、右が大日岳(奥ノ院)3014m

残雪と美しい水面を湛える頂上直下の権現池(一の池)と、それを取り囲む高山帯らしい外輪山の景観

 

権現池は、乗鞍の湖沼群では最大で最高所に位置し、国内では御嶽山の二の池に次いで2番目の高さにある山上湖である。

権現池の周囲には、剣ヶ峰など八つの外輪山が取り巻いている。

 

蚕玉岳からふくらみを越え、緩やかな稜線を進むと剣ヶ峰(3026m)頂上への登り口と、下りの分岐点に達する。 左側が登り専用。

分岐点から少し登ると冷たい飲み物や記念品などを販売している頂上小屋がある。 上空には剣ヶ峰山頂が聳えている。

頂上小屋を少し登ると、剣ヶ峰頂上にある朝日権現社に、午前10時40分到着する。 畳平から1時間50分の所要時間であった。

剣ヶ峰頂上には朝日権現社と乗鞍本宮(鞍ケ嶺神社=くらがみねじんじゃ)奥宮が背中合わせで祀られている。

剣ヶ峰頂上の乗鞍本宮神社。(朝日権現社と同じ頂上で背中合わせに祀られている)

 

頂上の神社前の敷地は狭く、登頂を果たした多くの方々が参拝をしたり、記念撮影をしたりして楽しんでいる。

私たちも乗鞍本宮神社と朝日権現社に登頂御礼の参拝をすませて、しばらく頂上からの眺望を楽しんでいた。

剣ヶ峰頂上にある鳥居の奥では、「剣ヶ峰3026m」と書かれた木碑を中心にして多くの人達が記念撮影をしている。

私たちもご覧のように剣ヶ峰(乗鞍岳)頂上3026mで記念撮影する。

剣ヶ峰頂上からの蚕玉岳2979mと後方の朝日岳2975mを望む。 後方はコロナ観測所のある摩利支天岳2872m。

剣ヶ峰3026mの頂上から大日岳(奥ノ院)3014m、屏風岳2968m、その後方の薬師岳2950mを望む

剣ヶ峰頂上から 夏の発達した雲間に顔を出し、雲上に浮かんでいる御嶽山(3067m)の景観

剣ヶ峰頂上から南側の景観、南方の雲間の上空には中央アルプスの峰々がうっすらと見えている。

剣ヶ峰頂上より東側の景観、 乗鞍エコーラインと大雪渓が見えている。

剣ヶ峰頂上にいた私が、下山途中の彼女たちを偶然に発見、声をかけて撮影をさしてもらった。

東京から来た若い女性達と美しい水面を湛える権現池(二の池)のショット。何故か権現池の風景と若い女性はうまく調和しているようだ。

剣ヶ峰頂上から下山する人達、後方の蚕玉岳やコロナ観測所のある摩利支天岳が見えている。

蚕玉岳で、剣ヶ峰頂上への登頂をあきらめて待っていたブラジル人夫婦。

ブラジル人夫婦いわく 「肩の小屋からやっとの思いで蚕玉岳(2979m)まで登ってくると、その上に、高々と聳える剣ヶ峰が見えてきた。

もう、ここが限界で、上に登る気力がなかった。 ここで待っていることにした」 とのことだった。

頂上から蚕玉岳まで下山してくると、また東京の仲の良さそうな二人の女性に会った。

私たち夫婦と一緒になって記念の撮影と、眼下のエコーラインをバックにした写真を撮らさしてもらった。

二人とも礼儀正しく、性格のよさそうな可愛らしい女性である。 

この女性たちは、昨夜は麓のホテルで一泊した後、剣ヶ峰の登頂を果たし、下山後の午後12時30分発のバスで帰京されるとのことだった。

蚕玉岳から下山中に、ブラジル人夫妻の妻が、足を滑らせて尻もち、それを夫が抱きかかえるように起こす微笑ましい光景があった。

初めての登山、急傾斜地でしかも、下りの登山道、下はごろごろした石ころや砂礫で滑りやすくなっている。

その後も、三回ほど同じようなことを繰り返していたが、幸いにも全く怪我はなかった。

頂上から肩の小屋まで30分ほどかかって下山した後、少し休憩をとって、出発地の畳平方面に帰って行く。

肩の小屋からブラジル人夫婦と畳平に帰る途中に、妻と二人で富士見ケ岳2817mへ登ることにする。

(ブラジル人夫婦は先に畳平バスターミナルに帰るとのことだった)

富士見岳2817mから乗鞍岳主峰の剣ヶ峰、摩利支天岳と、眼下に残雪と美しい水面を放つ不消ケ池を望む。

帰路の道路から富士見岳には15分ほどで頂上に到着するが、登るに従って山名の由来の通り360度の景観が楽しめる山である。

石を積み上げた富士見岳頂上と、眼下の素晴らしい眺望を楽しむ人達

乗鞍岳主峰の剣ヶ峰と 「富士見岳2817m」 と書かれた木碑を中央にして記念の撮影

富士見岳頂上から 眼下の乗鞍エコーラインをバックに撮影(東側=長野県側)

畳平バスターミナルと鶴ケ池 (畳平が一番美しく見える場所と言われる富士見岳からの撮影)

畳平バスターミナルの下に広がるお花畑、お花畑にはご覧のような木道の遊歩道が整備されている。

多くの人達が訪れて木道の遊歩道を歩きながら高山植物を楽しんでいる。

乗鞍岳の剣ヶ峰と富士見岳の登山を終え、午後1時20分、畳平バスターミナルに帰ってくる。

朝の出発の折は、まばらだった登山客やバスは、ご覧のように多くの人達が訪れて賑わっている。

平湯温泉までの帰りも、ブラジル人夫妻の希望によりタクシーを利用することになった。

 

乗鞍岳からタクシーで平湯温泉まで帰ってくると、愛車に乗り換え、近くにある日帰り温泉「ひらゆの森=500円」に立ち寄った。

昨日から滞在しているオートキャンプ場は、体の洗い場がなく、女性とタクシー運転手のお勧めにより決定した。

ひらゆの森温泉は、露天風呂もあり、泉質の種類も多く、十分な広さのある温泉であった。

夏の登山で汗まみれになった体を洗い流したり、登山の疲れを癒してくれる最高の温泉であった。

 

永年の思いや夢であった、乗鞍岳最高峰剣ヶ峰3026mへの登山。

剣ヶ峰以外にも富士見岳へも登れ、過去に一度も頂上に登れずに帰って行った時の物足りさはなく、

永年の夢であった乗鞍岳の登頂を果たし、晴れ晴れとした心の満足感が私たちを覆っている。

剣ヶ峰から広がる大展望、外輪山や山上湖、夏でも解けない雪などが

しっかりと心の中にしみ込んでいる。 

富士山周辺の魅力も大きいが、乗鞍の魅力もまた大きい。

いつの日か 心の中まで魅了された私たちを、乗鞍は、再び、呼びもどすかも知れない。

そんな予感に浸りながら、宿泊地である奥飛騨温泉郷のキャンプ地へ帰って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


日本の名峰「乗鞍岳(3026m)」登山その1

2011-08-20 22:13:00 | 

 2011年(平成23年)8月13日(土) 今朝は、かつてから岐阜県と長野県にまたがる日本の名峰、乗鞍岳(標高3026m)へ登りたいとの思いが、やっと実現する日がやってきた。  

 当初は妻と二人で登る予定であったが、妻の知人でブラジル人夫婦が2日前に急遽同行したいとの連絡が入ってくる。 その為に、いつものような車中泊での気ままな旅の予定を、オートキャンプへ変更せざるを得なかった。

 出発2日前、はたして、乗鞍岳周辺のオートキャンプ場が予約できるかどうか分からなかったが、取り合えず現地の名簿を調べれて連絡すると3件目の電話でようやく予約することができた。 奥飛騨温泉郷 「合掌の森」 オートキャンプ場である。

 昨日から、愛車エステイマにキャンプの必要機材を積み込み、今朝は日用品などの準備をして、午前7時00分頃、南大阪の自宅を出発、大阪市西区にあるブラジル人夫婦宅へ迎って行く。  

 午前8時前には到着、ブラジル人夫婦が同乗してくる。 このブラジル人夫婦は、日本にきて10年以上たっているが、今回のような旅行は初めてで、車内では、にこやかな雰囲気のもとで話がはずんでいる。

 愛車は、阪神高速道路→近畿自動車道→第二京阪道路に入って行く。 

 この地点まだは、渋滞もなくスムーズに走行していたが、京滋バイパス入口に差し掛かった所から大渋滞が発生してくる。 

 渋滞を抜けるには、バイパス終点の瀬田東JCTまでかかりそうで、結局、一時間を要した。  

 やっと渋滞をぬけ、名神高速道に入ってからも、さらに渋滞が栗東ICまで続いていく。

 栗東ICを過ぎると名神高速道路は、交通渋滞もなくスムーズに流れていく。

 30分ほど走行した所にある多賀SAで少し休憩をとることにした。 

 SA内の道路案内所で岐阜県高山市までの渋滞情報を確認する。 

 それによると 中央高速道路は、瑞浪ICを中心に20kmの渋滞が発生している。 東海北陸自動車道は、白鳥IC付近で6kmの渋滞と、高山清見IC近辺で2~3kmの渋滞が発生しているとのことだった。 

 私は高山の目的地までの幾つかの走行ルートの中で、東海北陸自動車道を選定して、多賀SAを出発して行く。

走行中の名神高速道路 前方に見える山は伊吹山(1377m=滋賀県)

 

多賀SAからの名神高速道路はスムーズに流れ、愛知県の一宮JCTからは東海北陸自動車道に入って行く。 

東海北陸自動車道の車窓からは、広々とした濃尾平野の中を木曽川が太陽光線の光を浴びながらゆっくりと流れている。 

やがて、愛車は山間部のトンネル区間に入って行く。 所々のトンネルの狭間から、長良川の清流で鮎釣りをしている方たちが見えている。

 高速道路の開通していない私の名古屋在住時代のことが思い出されてくる。 

長良川と並行して走る、風光明媚な国道156号を走行して、冬は奥美濃でのスキー、夏はひるがの高原での避暑などに、よく出かけたものであった。

 やがて愛車は、清流と夏の徹夜踊りで有名な郡上八幡を過ぎて行く。 

白鳥からは車線が対面通行で狭くなってくる。 その為にか、この辺りから、また、渋滞が発生、抜けるのに20分ほど要する。 

やがて、高速道路は海抜1000m前後のひるがの高原に向かって高度を上げて行く。 

山岳急斜面に沿うように造られた高速道路の高架橋が、独特の美しい景観を見せている。

 車窓からは、高い山稜に囲まれた山裾に、幾つかのスキー場が左右に見え、別荘の屋根が緑の森林の中に点在し、自然と一帯となったリゾート地の風景をかもしだしている。  

 さらに走行し、ひるがの高原地帯に入って行くと、赤い屋根やサイロなどの牧場が見えはじめ、数頭の乳牛がおいしそうに牧草を食べている風景に変わってくる。  

やがて愛車は、ひるがの高原SAに到着する。 しばらく休憩することにした。

ひるがの高原SA内で 後方の大日岳1709mと麓のスキー場。 ひるがの高原は四季を通じて季節の趣があり、人気も高く訪れる人も多い。

東海北陸自動車道下り線での渋滞に突入(荘川付近)

 ひるがの高原SAを出発したのは午後2時を回っている。 予約してある奥飛騨温泉郷のオートキャンプ場には、テント設営や夕食の準備などから、出来れば4時頃までには着きたいと思っていたが、少し超過しそうである。 

高速道路での、お盆時期に断続的に発生する渋滞の状況では、予定時間通りに到着するのは無理なようである。

 所々で渋滞している東海北陸自動車道を走行して行くと、愛車は間もなく高山清見ICに入って行く。 

ここから一般道で高山市内へと思っていたところ、中部縦貫自動車道(高山ー平湯ー松本)が部分開通していて、10分足らずで高山市街まで入って行く。 

この地点から、国道41号を富山方面に少し走行して、平湯温泉方面の国道158号に入って行く。

  

  車窓からの奥飛騨温泉郷近辺の山並み

 

 国道158号をしばらく走行して行くと平湯トンネルに差し掛かり、抜けると平湯温泉街が見えてくる。 

そこから国道471号を下って15分程行くと奥飛騨温泉郷の街並みがあり、スーパーで少し買い物をした後、「合掌の森」オートキャンプ場に向かって行く。 

10分ほどで森の中に出来たオートキャンプ場に、午後5時頃に到着する。

 案内所で2日分の料金2万円を支払って、指定されたオートキャンプ場内のサイトに入って行く。

支払い明細 (5000円=車サイト)+(1000円×大人4人)+1000円(電気代)=合計 10000円×2日=20000円

森に囲まれたキャンプ場内にある露天風呂(混浴)、奥には女性専用の露天風呂がある。

車3台は止められる余裕のあるオートキャンプ場サイト

 

キャンプ場のサイトに到着して、食堂として利用するタープや、テントの設営にとりかかる。 

4人で力を合わせると直ぐに出来上がり、バーべキュー用のコンロや食卓テーブル、4人分の椅子などを用意すると1時間30分ほどで全ての準備が完了する。

食事前に入口近くにある露天風呂に全員で行くことになった。 

お風呂は手前にある混浴露天風呂と、奥にある女子専用の露天風呂に分かれている。 

森の中で小鳥や蝉のさえずる声を聞きながら、静かに入浴していると、ほんとに幸せを感じる。 

ブラジル人夫婦にとっては初めての露天風呂であり、キャンプであった。 

やはり、露天風呂は最高のようで、また、来たくなる心境のようであった。

全員で入浴を済まし、キャンプサイトに帰ってくると、直ぐに夕食の準備に取り掛かる。 

30分ほどで全ての準備が出来上がる。 日も落ち、暗闇の中でのタープの淡い灯りがともり、賑やかな夕食が始まった。 

 気温は随分と下がってきている。 暑い大阪の気温のことを考えると嘘のような涼しさである。 半袖シャツでは寒いぐらいである。 

 皆で杯をかたむけながら味わうビールやワインの味は最高である。

 しかし、1時間ほど経過した8時頃には、大粒の雨が降り出し、明日の天気が気になってくる。

 夕食も終わりに近づいた10時頃、雨は、まだ、降り続けている。 

夕食の片づけをして、それぞれのベットに入って、私も横になると直ぐに眠ってしまった。 

 夜中の3時半頃にトイレで目をさまして、外に出ると、明るいお月さんが空を照らしている。 

私は直ぐに今日の乗鞍登山は上天気であると確信する。

また、ベットに戻り、横になってしばらく眠った後、午前6時には起床する。 

起床すると洗面を済ますと、早速、コーヒーなどを沸かし、朝食や登山準備を整えて、午前7時過ぎには全員で平湯温泉バスターミナルを目指して出発する。

「平湯バスターミナル &レスト&スパアルプス街道 平湯」 の景観

 

 バスターミナルに到着して駐車場を探していると、タクシーの運転手が来て、乗鞍まで6800円で行くけどどうだ! との話があった。 

バスでは2000円/一人かかり、まだ、バスの出発まで30分以上の時間があることと、山の天気は変わりやすく、午前10時を過ぎると雲に覆われて山からの景観が悪くなる恐れがあることから、皆で相談した結果、タクシーで乗鞍岳畳平バスターミナル(標高2702m)まで行くことにした。

※乗鞍岳へのマイカーによるルートは、乗鞍スカイライン(岐阜県側=全長14.4km)と乗鞍エコーライン(長野県側)の2ルートで、どちらも日本を代表する山岳道路である。

 2003年より乗鞍の自然保護のためにマイカー規制が実施されている。 

両ルートとも麓のバスターミナルにて、シャトルバスやタクシーなどの交通機関を利用することになり、一般車の乗り入れは禁止されている。

私たち4人を乗せたタクシーは、平湯温泉を7時40分に出発し、温泉街を走る国道471号から、曲がりくねった山岳道路を走行して平湯峠(標高1684m)まで登って行く。 

 平湯峠から乗鞍スカイラインに入り、終点の畳平(標高2702m)まで、わずか40分足らずの間に約1000mの高度を上げて行く日本一の山岳道路で、私たちを乗せたタクシーはスカイラインをゆっくりと走行して行く。 

高度を上げて行くに従って、北アルプスの主峰、奥穂高岳、槍ケ岳、笠が岳、焼岳など、まさに雲上の世界が眺められる。

乗鞍スカイラインは景観の美しい絶好の山岳コースである。 

 

乗鞍スカイラインからの焼岳(2393m=手前中央)、奥穂高岳(3190m=中央奥)、槍ヶ岳(3180m=左)など北アルプスの主峰を望む

乗鞍スカイラインの車窓からは、富士山のような美しい山容を見せる笠ケ岳(2898m)が見えている。

 

平湯峠のスカイラインを出発して、しばらくの間は、道路脇に背の高い樹木が生い茂り、美しい樹林帯を見せていたが、高度を上げるに従って、車窓からの景色は一変していく。  

やがて、スカイラインは森林限界を超え、さらに高度を上げていくと、背の高い樹木はなくなり、全てが低層な緑の植物に覆われ、高度な山岳地帯独特の美しい景観に変わってくる。

森林限界を超えると、このようなヘヤーピンカーブを何回か繰り返しながら登って行くシャトルバスと、高山地帯独特の美しい景観が見渡されてくる。

曲がりきった幾つかのカーブを登りきると、ご覧のような桔梗ガ原の美しい平原が姿を現し、その奥に乗鞍岳頂上の剣ヶ峰(3026m=右奥)の見事な眺望が見えてくる。

 桔梗が原の平原をさらに進むと、正面にコロナ観測所が見え、終点の畳平バスタ―ミナル(2702m)に近づいていく。 正面のコロナ観測所と手前にある不動岳(2875m)。

畳平バスターミナル直前の車窓からは、富士見岳2817mと鶴ケ池の高山地域独特の景観が現れてくる。

 

午前8時20分、乗鞍スカイライン終点の畳平バスターミナル(2702m)に到着する。 

時間が早いのか訪れている人達もまばらである。

畳平に到着して洗面や軽い朝食を済ました後、近くにある乗鞍本宮神社へ参拝する。

絶好の登山日よりに恵まれ、さわやかに流れる乗鞍の空気が、青い空の下、四方を山に囲まれた美しい景観と共に、私たちを心地よくさしてくれている。

 サーこれからが登山開始だ。 4人はリュックを背負い、杖を持って、ゆっくりと乗鞍岳頂上の剣ヶ峰3026mに向かって歩き始める。

 


四国の名峰 石鎚山(標高1982m)への登山

2011-08-03 14:32:01 | 

平成23年7月15日(金) 今日は西日本最高峰、四国の名峰である石鎚山(標高1982m)への登山を計画していた出発の日である。

石鎚山登山は予てより登りたいと思っていたが、なかなかチャンスが訪れなかった。 今回も一週間ほど前から天気予報が気になり、注意を払っていたが、登山日の16日(土)は、申し分のない天気予報であった。

 今年になって妻がはじめたパートのため、南大阪の自宅を出発出来るのが、午後7時頃にならざるをえなかった。  

 15日(金)出発日の当日は、私が自宅で愛車に必要な荷物を積み込むなどの準備をした後、妻を勤め先まで迎いに行く。 妻を迎えた後、近くのスーパーで夕食の買い物を済まして、阪神高速道湾岸線を走行して行く。 途中から神戸線に入り、第二神明道路、国道2号線の加古川バイパス、姫路バイパスを終点まで走行、そこから3kmほど先にある山陽自動車道龍野ICに入って行く。

今夜は高速道路での車中泊を予定しているが、明日の登山予定を考えると、どうしても四国に入り、出来れば松山道の石鎚山SAまでは行きたいと思っていた。 しかし、山陽道龍野ICに入った時点では時間も午後10時近くになっていた。

 今回利用している愛車は、燃費の良いトヨタラクテイス(1500cc)を使用している。  山陽自動車道でもほとんど休憩をとらずに、倉敷JCTから四国方面の瀬戸中央自動車道に入って行く。 いつもは瀬戸内海の真ん中にあり、風光明媚な与島PAで休憩するが、そのまま走行し、高松道、松山道に入って行く。 時間も午後11時を過ぎている。 そのまま走行していくと12時前後には、石鎚山SAに到着出来そうであった。 

 休憩も撮らずにかなり高速走行した結果、予定通り12時10分に石鎚山SAに到着する。  到着すると直ぐに車中泊の準備に取り掛かった。 ラクテイスは後部座席を倒すと、座席がフラットになり、身長170cm位の人までは、真っ直ぐに足を伸ばして眠ることができる。 車の全ガラス面には手製で造った、プラスチックのパネルを嵌めこむと、外から車内は全く見えなくなる。 冬季には断熱材としての効果もある。   夏場にはいつもポータブルバッテリーを持参しているため、エンジン停止状態でも、車内に備えている小型の扇風機で、一晩中回して涼をとることも可能である。 (エンジンをかけた状態では、騒音や振動が激しく眠ることができない為にいつもOFFにする)

 長ドライブのせいか、車内で横になると直ぐに眠りにつく。 心地よい扇風機の風が、体にあたり、暑さを忘れさしてくれ、ぐっすりと眠ることができた。

7月16日(土)朝6時頃に目覚めると、すぐに車外に出て天気を確認する。 今日は予報通り登山にはもってこいの上天気になりそうであった。 早速、出発の準備と朝食を摂り、7時頃には石鎚山SAを出発する。

 石鎚山には幾つかの登山ルートがあり、私たちは、石鎚スカイラインの終点である土小屋からのルートを選らんだ。 当初は松山自動車道の西条ICから山麓下谷まで行ってロープウエーを利用、山頂に至るコースを考えていたが、私たちの登山後の予定である高知の実家に帰省することと、ブログなどを参照した結果、土小屋からのルートがベストであると判断した。

 石鎚山SAを出発して松山道を20分程進むと川内ICに到着する。 一般道の国道11号に出て、しばらく走ると石鎚山方面国道494号と書かれた案内標識がある。 標識に従って右折し走行して行く。 この道路は道幅も狭く、曲がりくねった山岳道路である。 40分ほど走行して行くと石鎚スカイラインにでてくる。 

石鎚スカイラインは 紅葉の名所で知られる面河渓(おもごけい)の入口から石鎚山の登山口である土小屋までの18kmのドライブルートである。 途中の展望台からは、石鎚山や日本滝百選の一つである御来光の滝などが遠望できる。

 曲がりくなった石鎚スカイラインを走行して行くと、車窓からは四国山脈の奥深い山稜が幾筋にも分かれ、豊かな緑の自然と共に遠近感ある美しい山々の景観を楽しませてくれる。 アルプスのような山稜で何時まで経っても飽きのこない景観である。 そんな中でも特にひときわ高く聳えたつ石鎚山の美しさは抜群である。

石鎚スカイライイから見る石鎚山(標高=1982m)、西日本の最高峰の山である。

古くから信仰の山として親しまれてきた石鎚山、日本100名山にも数えられ、わが国で最も古くから讃えられた名山のひとつである。 「日本霊異記(にほんりょういき=平安時代初期に作られた日本最初の仏教説話集」 にもその名が現れている。 石鎚神のいます山としてあがめられ、まだ山岳が仏教の影響を受けない昔からの名山であった。

石鎚山の山名は、山岳宗教「石土毘古神 (いわづちびこのかみ)=石鎚神社の祭神として知られる神で、木造建築の基礎の土台や壁などから家を守る神として知られている) を古くから祀っていたことから石鎚山と呼ばれるようになった。

一般に石鎚山とは、石鎚祠や神社の建物がある弥山(みせん=標高1974m)、と弥山からやせ尾根を15分ほど行った所にある最高峰の天狗岳(標高1982m)、さらに尖がった岩壁の南尖峰(なんせんぽう)の三山を総称して石鎚山と呼ばれている。

石鎚スカイラインの終点で石鎚山の登山口でもある土小屋(つちごや)駐車場(標高1492m)と、そこからの西側の景観

ひときわ美しい山容を現している土小屋駐車場からの石鎚山の景観

石鎚スカイラインの終点にあり、石鎚山登山口の土小屋にある売店や宿泊施設

石鎚山頂上の奥社には行けない人達の為の土小屋にある石鎚神社遙拝所。

石鎚スカイライン土小屋(現在地)→石鎚山登山ルートの図

石鎚スカイランの土小屋駐車場に到着してから、直ぐに登山準備を整えて、リュックとカメラを背負って登山を開始する。 私たちが歩き始めた頃、父兄を交えた小学生100人位の一行と一緒になった。 年に一度の愛媛県からの学校の行事で先生と保護者が引率している。

土小屋登山口から石鎚山の山頂まで4.6kmの標識がでてくる。 午前10時00分、私たちは木立に囲まれ、よく整備された緩やかな登山道をゆっくりと登って行く。

登山開始直後のよく整備された緩やかなアーチ型の登山道をゆっくりと進んで行く。

緩やかな登山道を登り、しばらく行くと右手に瓶ケ森(標高1896m)の女性的な山稜が見えてくる。

登山道から見る瓶ケ森(標高1896m)の景観

さらに緩やかな登山道を登って行くと一面笹に覆われた中に立つブナの原生林が現れ、下流域から心地よい涼しい風が吹き抜けていく。

石鎚山系のブナ林は標高1200mあたりから多く見られ、栄養分を多く含むブナの果実は、人間が食べられる程のようで、野生動物にとっては、貴重な餌になっているとのことであった。

 

ブナの林を抜けると今度は左側に雲のかかった石鎚山頂が見え、道脇には休憩しやすいように原木で造られた長椅子が置かれている。 

 

石鎚山を前方に見ながら少し登って行くと、下山途中の人達が休憩をとっている。 この人達と一言の挨拶を交わした後、さらに登って行く。

登山開始から一時間近くたった頃の登山道左側の景観、石鎚スカイラインの通行ルートが見渡せる。

さらに石鎚山の山頂部分を見ながら、緩やかな登山道を登って行く。

南尖峰に聳え立つ矢筈岩、この下に登山道があり、約400mに渡っての区間が、落石の危険地帯である。

鋭い岩壁のある南尖峰下の落石危険地帯の登山道、落石などで崩れやすいのか! ご覧ように木橋で出来ている。

この危険地帯を抜けてしばらく行くと、西条側のロープエーからの表参道と合流する鳥居のある地点に到着する。

この地点から最後の急こう配が頂上まで続く、石鎚登山の最大の難所で険しさが伝えられている。

頂上までの急斜面には、二の鎖(49m)、三の鎖(62m)のある岩壁が登山者を待ち構えている。 

しかし、私たちは、登山人数の多さや体力から考えて、鎖ルートは危険と考え、う回路で登頂を目指すことにする。

ロープウエー方面からの登山道との合流地点で、石鎚山岳信仰の信者の白装束を着た多くの方々が休憩をとっている。 ここから山頂まで急斜面で二の鎖(49m)、三の鎖(62m)があるが鉄桟橋の迂回路も整備されている。

合流地点で石鎚山信仰の衣装をまとった方々も、ここで休憩をとっている人が多い(鳥居上部から撮影する)

左側が急坂の二の鎖(49m)ルート、右側ルートがう回路方面、経験者や若い人を除き一般の方々は迂回路ルートを登って行く。

迂回ルートも急坂で鉄でできた階段や鉄板で、急斜面を横切るように作られている。 時々、手や橋を滑らせた脱落事故も発生している。頂上まで急坂が続く迂回路の鉄桟橋は、道幅約2mぐらいで、中央に手摺が付いているが、谷側には何もなく、谷底深い絶壁の斜面に作られている。 その為に通行する折には、どうしても緊張感が漂ってくる。 高所恐怖症の方は大変である。

最後の鉄桟橋を通過すると、間もなく南面が開け、面河本谷が眼下に広がり、南北を尾根で挟んだ山稜には、北側が雲で覆い尽くされ、幻想的な風景を見せている。

う回路の急斜面の続く最後の鉄桟橋を登り切った頂上付近の景観、尾根北側は雲に覆われている。

尾根を境に北側は、すっぽりと雲に覆われ、幻想的な風景を見せている。

頂上(弥山)への最後の石段で左側には売店や宿泊施設があり、真っ直ぐ行った奥が石鎚神社のある弥山頂上である。

弥山頂上にある鎖で覆われた、石鎚神社を支える神聖な岩場

午後12時10分 弥山頂上にある石鎚神社前に到着する。 登り始めてから2時間10分である。

 弥山頂上に立った時、登りきった感動が湧いてくる。 決して難しい登山ではなかったが、とうとう西日本最高峰、四国の名峰である石鎚山の頂上に立つことができた。 

 頂上からの視界は北側が雲で得覆われているが、南側は良好な視界が広がり、美しい四国の屋根と言われる山容を見せている。 いつまでたっても飽きることのない景観である。 

ご覧のように弥山頂上にある石鎚神社の境内には、多くの登山客で賑わい、昼食を摂ったり、休憩をしたりして、思い思いに楽しんでいる。

弥山頂上(標高1974m)の石鎚神社前で、思い思いに過ごし、くつろぐ人達。 中央の木板でできた看板には 「石鎚山標高1982m」 と書かれ、標識の前では、記念撮影を撮る人達も多く見られた。

弥山頂上の岩場に腰掛けて弁当を広げている若い女性と、後方にある石鎚山最高峰の天狗岳(1982m)

石鎚山最高峰の天狗岳(標高1982m)であるが、ご覧のように北側はすっぽりと雲で覆われている。

弥山から石鎚山最高峰の天狗岳(標高1982m)へ行くためには、難所であるこの鎖場を降りなくてはならない。 私たちも降りて天狗岳に行こうとしたが、疲れと妻と二人は危険と判断して天狗岳への登山は断念した。 天狗岳にはこの鎖場を降りると15分ほどで行ける。 帰りも同じルートである。

多くの信者や登山客の参拝で賑やう石鎚神社の頂上社

弥山頂上の石鎚神社のさらに上にある小さな鳥居と右奥にある石の祠

石鎚山弥山頂上からの展望や石鎚神社への参拝、昼食などをして過ごした後、13時30分、元来た道を下山して行く。

急こう配の下り坂は、脚膝への負担も大きく、階段は半歩半歩、ゆっくりと下山する。 (土小屋と西条ロープウエー方面の合流地点)

急こう配の続く合流地点を過ぎると緩やかな下り坂が続き、土小屋との中ほどの木の長椅子などのある地点では、多くの人達が休憩している。

この地点を過ぎてからも最初の登山口である土小屋に向かって、列をつくりながら下山する人達

私たちも下山を続け15時15分には土小屋登山口に到着する。 到着した後、土小屋にある石鎚神社遙拝所の神殿にて道中無事に登山できたことへの御礼の参拝を済まし、マイカーをとめてある駐車場に帰っていく。

永年の願いであった石鎚山にやっと登ることができた。 石鎚山は古くから日本七霊山に数えられた四国の名峰である。 3年ほど前には同じ四国の名峰である剣山(標高1955m)にも登っているが、石鎚山は一味違った趣のある山である。 石鎚スカイラインの土小屋周から見る石鎚山は、奥深い山々、切り立った谷の上に聳え立つ雄姿を見せてくれる。 周りの瓶が森(標高1896m)や笹ヶ峰(標高1860m)などの美しい山々も見渡される景観の良さも抜群の山である。

石鎚山の豊かな自然は、登山道の脇まで続き、特にブナなどの巨木の自然林、その下を覆い隠す樹木、そこにはマイナスイオンの涼しい冷気を感じ、心地よい気分に浸ることができた。 まさに自然豊かな山岳や森林環境があった。

そして、頂上付近の断崖絶壁で出来た岩場、その先に尖がった細長い貝のような頭の部分の片方は、切り立った絶壁、もう片方は深い谷底まで続く険しい斜面で構成されている。 猫の額ほどの頂上部には神社が造られていて、山岳信仰の強い信仰と、信念を感じさせられる山である。

現在では鎖やう回路が造られているが、開山当時は一般の人達は近づけない、仙人や修行者たちのみに、登ることを許された、神の山であったろうと思われてくる。

現在は、子供から大人までの老若男女が多く登山し、頂上付近では登頂を果たした人達でごったがやしている。 地元や一般の人達から大変親しまれた山であるように思える。

私も、今回石鎚山に初登頂したが、秋の紅葉シーズンには、また、来てみたくなる山である。

ただ、体力的に5年前の御嶽山登山の時よりかなり劣ってきているようで、今後、自宅近くの山やウオーキングなど、日頃の鍛錬の大切さを感じさしてくれた今回の登山であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


山が深紅のじゅうたん・・・葛城山

2009-06-20 15:48:35 | 
 平成21年5月18日(月)昨日までの雨もあがり、太陽光線が窓間から差込み明るい朝を迎えている。
 今日はかつてから行きたいと思っていた、大和葛城山(やまとかつらぎさん)へつつじ見学の登山を予定している。
 どうやら絶好の登山日和で、地元の情報によるとつつじも満開とのことである。

 大和葛城山は金剛生駒紀泉国定公園に属し、標高は960m、山頂付近はなだらかな高原状となり、生駒山系の山並みや大和盆地、晴れた時には淡路島など東西南北の眺望が楽しめる。
 山頂には「高原ロッジ」の宿泊施設などもあり、ロープウエーなどを利用すると、気軽に訪れることができる。 
 その為に四季を通じて多くの人たちが訪れるリゾート地である。
 春は山一面の紅いつつじ、夏は納涼や夜景、秋はススキの広がり、冬は樹氷など白銀の世界の景観などが季節ごとに楽しめる。
 
 今朝は早く起床し、登山準備を整え、南大阪にある自宅を妻と二人、愛車マークⅡで7時過ぎには出発する。
 国道170号線を走行し、富田林から国道309線に入り、水越峠を経由して葛城山ロープウエー乗場の駐車場までやって来た。午前8時30分に到着する。
 ロープエー乗場には 「一目百万本」 といわれるつつじ群落を見ようと、多くの人たちが訪れている。
 私達は、ロープウエー乗り場の横にある、登山道入口から、午前8時45分に出発する。
 登山道も歩きやすいように綺麗に整備されている。
 登山道を進むと、左側には川が流れ、正面には砂防堤が見えている。
 そこから急坂の坂道を登ると、すぐになだらかな道が続いている。
 上空をロープエーが通過していく。歩き始めて15分ほどで 櫛羅の滝 に到着する。

          
         山頂まで続く葛城山ロープウエー 良く整備された登山道を登り始める

 櫛羅の滝には、次のようないわれがある。
  弘法大師がこの地を訪れ、天竺のクジラの滝によく似ているので、供尸羅(くじら)と名づけた。
 供屍羅の供屍という字は「供に屍」と書くので、いけないとあって、領主の永井信濃守が屍の二字を櫛と改めたという。
 この滝に浴するものは不動明王の功徳によって脳病によく効くといわれている。
 また、その昔、役の行者 小角が櫛羅の滝で修行中に 母親が一緒に修行をしようと訪れたが 、この滝を母に譲り、 少し上にある二の滝で修行するようになった。
 「尼ヶ滝」「不動滝」とも呼ばれている。
  落差は10mほどであるが、 台風などの災害で滝つぼは失われ、平成元年に修復されている。

           
     静かな音を立て流れ落ちる 「櫛羅の滝」 渓谷沿いの登山道を登って行く

 櫛羅の滝を過ぎると林の中の登山道を暫く進んで行くと、安位川沿いにできた小さな砂防提が見え、そこから急坂の道となる。
 手摺の着いた木の階段などが多い道である。 
 25分ほど登るとニの滝(行者の滝)に到着する。
 ニの滝には糸を引くような細い水が流れ落ちている。
 ニの滝からは、今まで続いていた渓流の道筋から離れ、檜(ひのき)林の道に変わってくる。
 林の中に作られた緩やかな登山道で、枝間から陽光が射し、林一帯を陰と陽に分離して、幻想的な世界をかもし出している。

           
 糸を引くように流れ落ちるニの滝(行者の滝) 檜(ひのき)林の中の登山道を進む

 檜林の道を25分ほど進むと、檜林からブナなどの雑木の林に変わってくる。
 さらに進んで行くと沢にごつごつした岩があり、若い男女のペアーが、石の上に腰を下ろして休憩をしている。
 岩の奥には小さな湧き水が出るのか、岩間に水が溜っている。その横の石には「大阪 開運講」 と彫られている。  

           
           大阪 開運講と彫られた岩  ぶななどの雑木林の登山道を進む

 さらに進むと道脇の山稜が熊笹に覆われ、ブナなどの樹木が多くなっている。
 登山道も右に曲り、木の土留めで出来た急坂の道を登って行くと、森の中に小さな建物が見えはじめている。
 これが頂上部に広がる丘陵地に作られた葛城天神社である。
 登り初めて、神社まで1時間25分で到着する。

          
         熊笹に覆われ ぶなの雑木などが生い茂った頂上付近の登山道

          
              頂上部近辺に自生しているブナなどの原生林

 「 葛城天神社は、葛城の霊峰に鎮座しています。
 天の神の始祖国常立命を祭神としておまつりしてあります。
 境内の界隈を「天神の森」と称し、古代祭祈の遺跡で加茂(鴨)氏の祖の神跡とも伝えられ「鴨山」とも呼ばれています。
 古来葛城地方に繁栄した加茂氏を初めとする諸民族がこの天つ神の御神偲を敬い奉仕して来たそうです。
 今日なお人々の信仰篤く、国土安全、万民快楽、五穀豊穣の栄をかけてお祈りし、ご霊験まことにあらかたでございます。 」 と記載されている。
    
          
 頂上部にある葛城天神社、役の行者神変大菩薩や大日大聖不動明王も祀られている。

 ロープウエイ駅の近くには葛城天神社があり、その境内に役行者神変大菩薩の祠がある。
 そこに役行者ついてその生い立ち、行跡、岩橋のことなどが記されている。
「 役行者  役行者は名を小角、姓は役公といい舒明天皇六年、この山の麓御所市茅原の里で生まれました。
 父は加 茂間賀介麿又の名大角、母は渡部岐比売又の名自尊女と伝えられています。
 幼少より天性聡敏七才にして仏道に志し その蘊奥を極め、当時麻の如く乱れた人心を救済されようとして十七才で発願され、この葛城の深山幽谷で荒修行を重ね蔵王権現を感得し、修験道を開創されました。
 その足跡は山岳修行の先駆者として日本全国の霊山に残されておりますが、とりわけここ葛城山は役行者が四方の山をうち眺め吉野大峰の如何にも程近いさまに、葛城から大峰に岩橋をかけ客僧達の通い路にされようとした伝説とともに山岳宗教修験道発祥の霊地として崇敬されているのであります。」

           
           役の行者神変大菩薩         大日大聖不動明王

 「 大日不動明王は、大日如来が世の中の一切の悪魔と煩悩をうちけるため、化身されているという尊い明王であらせられます。
 金剛石の上にいかめしいお姿で立っておられるが、心には悲しみの徳と、おおらかな知恵を蔵され、悪を払い、善を救い給う慈悲のお姿であります。
 不動明王を信ずる者は、その身の左右を離れず影の形に随う如く利益をなし給う。 」 と記されている。

           
          ロープウエー山頂駅からつつじの大群落地入口まで続く遊歩道

 葛城神社前の広い遊歩道には、ロープエーを利用してきた人たちと合流する為に
多くの人たちが行き交っている。
 私達も「一目百万本」といわれるつつじの大群落地を、早く見たいと思い遊歩道を進んで行った。
 途中にはみやげ物や食堂などの店舗もあって、多くの人たちで賑わっている。
 店の東側には展望台があって、ご覧の写真のような、大和盆地に属する御所の街並みが見えている。
 美しい光景である。やはり高い場所から眼下の景観を見るのは美しく、思わず見とれてしまうほどである。
  
          
              頂上部から御所市方面の街並みを望む 

 遊歩道をさらに進むと、目の前には国民宿舎「葛城高原ロッジ」が見え、横を通り過ぎて行く。
 そうすると目の前には、紅いじゅうたんを敷き詰めたように、つつじの群落が見え多くの人たちで賑わっている。圧巻である。これほどの規模で、山一面が紅一色の景観は始めてみる光景である。
 正面には金剛山が堂々とした山容を現し、葛城山の紅い山稜とうまく調和さしている。
 つつじ群落地の頂上部分には、木の板で出来た十畳ほどの広さを持つ展望台が幾つか造られ、大勢の人たちが弁当を開けたりして思い思いに過ごし、深紅のじゅうたんのような景観を楽しんでいる。
 私もこれほどの、山の頂き全部がつつじの大群落であることに驚き、しかも圧倒されてしまいそうである。
 時期的には、少しピークを過ぎ、花びらは散り初めているが、全体の色彩には影響なく、見事な自然の紅い花園を演出している。

          
 山頂部分からの谷間にかけて大群生、花の谷間に当たる部分にも展望(花見台)が造られている。
          
    大群落地の中にも幾つかの遊歩道が造られ、周遊出来るようになっている。
   
          
 紅いじゅうたんの葛城山から金剛山(1125m)を見ていると、金剛山は堂々として葛城山と良く似合っている。

 こうして見ていると金剛山は頼もしい男性的な山で、葛城山は赤い衣装を美しく着飾った女性的な山で、春の決まった時期に姿を表し、お見合いをしているように思えてくるから不思議である。

          
 山頂の頂きにはご覧のような花見台(展望台)が造られている、五条方面の山稜の展望 

          
 満開のつつじを撮影する人達、紅いつつじと青い空、白い帯状の雲が見事なコントラスト描いている。

          
          谷間に紅いつつじが大群生、一目百万本の見ごたえを感じる

          
          群落地の入り口からの反対方向の紅いつつじ山の全景

          
             紅いつつじの枝間から見上げる紅一色のつつじ山

          
         紅いつつじが山稜にうねりを造り、違った景観を見せている。

          
 谷間にある紅いつつじを見上げると、頂上付近では多くの人たちが展望台からの景観を楽しんでいる。

          
紅いつつじ群落地の反対方向にもこのような美しい草原が広がっている。この奥に葛城山頂がある。

          
紅いつつじの大群落地の反対方向にある葛城山頂(標高960m)多くの人たちで賑わっている。
        
 私たちは、かつてからの念願であった、紅いつつじの咲く季節に来たいと思っていた、大和葛城山の登山がやっと実現した。
 山登りも一時間25分と私達には手頃な山であった。
 山頂部の山の頂き一面に咲き誇る紅いじゅうたんのつつじの大群落は、想像していた以上のすばらしさであった。
 これほどの大群落が自然に出来たこと事態に大きな驚きと感動である。
 葛城山頂は、高原の中の公園にあるような平坦地の山頂であったが、多くの人たちで賑わい、山頂を吹き抜けていく風心地よさと、360度広がる山頂からの眺望を楽しんでいるようであった。
 ただ、天気は悪くないが視界はかすんで見えているのが残念である。
 私達も葛城山頂で暫く過ごして、十分に満喫した後、元来た登山道を下山して帰って行った。   

小富士山への登山 (関西空港近くの山)

2008-03-14 18:42:38 | 
 3月9日(日)朝 7時30分頃に起床する。
 外は快晴の天気のようだ。
 今日は近くにある標高260mの小富士山(こふじさん)またの呼び名は、泉州富士山で、この山に登ろうと思い、妻と二人で出かけて行った。
 小富士山は大阪府の南、関西空港もある泉佐野市の、郊外にそびえる独立峰である。
 私がこの山のことを知ったのは、最近のことで、それまではこの山については、全くといいほど知らなかった。
 小富士山の登山口に当たる、水呑地蔵駐車場に車を止める。
 登山口は、水呑地蔵の奥の院へ通じる鳥居があって、石段を登って行く所にあった。
 参拝道は奥の院までで、そこから上が登山道である。 
 私達はこの参拝道を一歩一歩登っていった。
 参拝道はよく整備された道で、回りには、たくさんの石仏や、像が立っている。
 かなりきつい、つづら折れの急坂な参拝道を登って行く。
 高度が上がるにつれて、水呑地蔵の駐車場や近隣の建物が、眼下に見下ろせるようになってくる。
 10分ほど登ると奥の院に到着した。
 そこからの道は、道の地肌を落ち葉が覆ったり、岩がむき出しになって、けもの道のような登山道である。
 この道は、急坂で滑りやすく、道の周りの樹木を手で掴んで、体を支えながら、登って行かなくてはならなかった。
 ほどなくして、山頂部の北側の峰に到着した。
 ここからの眼望はすばらしい。
 眼下には阪和自動車道が、曲線を描きながら走っている。
 その左向こうには、浪商学園(大阪体育大学や浪商など)の建物やグランドなどが見渡される。
 右側の山稜は今月一日に登った雨山である。
 ここからの景観もすばらしい。
 特に白いコンクリートで出来ていて、山をまたぐ高速道路と山稜、奥に見える街並みのコントラストが美しく見える。
 いつまでたってもあきない景観である。
          
               
                 小富士山(こふじさん) 標高=260m

                
             水呑地蔵入口(登山口)      像の前の参拝道
      
           
              コンクリート舗装の参拝道から登山道の山道へ

                
              北峰からの阪和自動車道、浪商学園方面望む
     
          
                 犬鳴山方面と後方の和泉葛城山系

                
                  北峰から雨山(後方)を望む

 雨山からの、稜線の奥にそびえる山脈が、大阪府と和歌山県の、境目を位置する和泉葛城山系である。
 眼下の東側は、泉佐野市郊外の大木周辺で、その奥には、大阪府の奥座敷と言われている犬鳴温泉がある。
 ここから南側に位置した、こんもりとした山が見える。
 そこが頂上である。
 登山道は、あまり整備されておらず、まるで藪の中を抜けるような道で、どこが林で、どこが道か迷いそうであった。
 頂上にはすぐに着いた。
 頂上には一本の松ノ木があり、その松ノ木に「小富士山 標高=260m」と書いた小さな看板がかけてあった。ここが頂上であることがすぐにわかる。
 頂上からは、関西空港方面の眼望がすばらしい。
 今日は少し霞んでいて見えにくいが、本来ならば淡路島や、明石海峡大橋などが良く見えるはずである。
 南側には稲倉池やゴルフ場が見える。
 稲倉池に隣接するグランドでは、少年野球の試合をやっている。子供達の歓声が、山々にこだまして、耳に入ってくる。

                          
                 小富士山頂上 標高=260m
          
                   
                   頂上から関西空港方面

                 
                    頂上より稲倉池望む

 頂上からの眼望を楽しみ、しばらくした後、稲倉池方面へ下山して行った。
 こちらの登山道は、尾根伝いの道で、整備もされている。
 下山する登山道から見る小富士山の姿も、写真のように美しく見える。
 ほんとに小富士山という感じである。
 下山するに従って、少年野球をする、子供達の歓声が、大きく聞こえてくる。
 ほどなくして稲倉池に到着する。
 稲倉池の南側には、池造成工事の、安全を祈願して建てられた神社がある。
 そこで、休憩を取りながら、少年野球を観戦する。
 堺市と高石市などの、3チームで争っているようだ。
 私の子供が小さかった頃の、少年野球が懐かしく思い出される。
 しばらく観戦した後、車道を水呑地蔵駐車場まで歩き、そこから帰宅した。
 家を出発してから帰宅するまで、4時間が経過していた。
      
                    
                     頂上から稲倉池への登山道
      
           
               稲倉池への登山道からの小富士山を望む
       
          
                 稲倉池横グランドからの小富士山

 
 帰宅して、日本全国どこにでもある「ふるさとの○○富士山」について調べてみた。
 富士という名前の山は、富士山のような三角形の稜線をもつ美しい山である。
 従って「○○富士」と名がつけられ、人々から親しまれている山が多いようだ。
 まず、私がよく耳にする「ふるさとの○○富士」として思い出される、代表的な山を列記する。 
   
 ①利尻富士     利尻山     1721m    北海道
 ②蝦夷富士     羊蹄山     1898m    北海道
 ③津軽富士     岩木山     1625m    青森県
 ④吾妻小富士   吾妻小富士   1707m    福島県
 ⑤八丈富士     西山        844m     東京都
 ⑥近江富士     三上山      425m    滋賀県
 ⑦伯耆富士     大山      1729m    鳥取県
 ⑧讃岐富士     飯野山      422m     香川県
 ⑨豊後富士     湯布院岳    1584m    大分県
 ⑩薩摩富士     開聞岳      922m     鹿児島県 
 などである。

 また、全国の「ふるさと富士山」の数を、地区別に数えてみると・・

     北海道             15
     東 北             31
     関 東             55
     中 部             72
     近 畿             57
     中 国             43
     四 国             17
     九 州             32
    
     合 計            322以上 (富士市HPより)

                        このような数字であった。    

  


木曽御嶽山登山の思い出(2007年8月) その④

2008-03-09 15:33:12 | 
 御嶽山登山もいよいよ最終稿に入ってきた。
 天候は晴れているが所々雲に覆われている。
 八丁ダルミを過ぎ、少しきつい坂があったがほどなくして頂上の山荘に着いた。 眼前に石で出来たきれいな階段が頂上に向かって伸びている。
 3000mを越す山の頂上にこんな立派な階段があることに驚く。
 御嶽山頂上への階段を一歩一歩登って行く。
 高度が高くなったせいか、あるいは4時間近く登って、足腰が疲れているせいか、意外ときつく感じる。
 ほどなくして階段を登りきって、ついに御嶽山頂上(標高=3067m)に到達した。
 
 私どもにとって今回の登山ほど大きな意味のある登山はない。
 前稿にも触れたが、山の急な斜面や道の階段などは、とても登れないと思っていた。
 それが今回の登山で、頂上まで登れたことで、私達に大きな自信を植え付け、山をすごく身近に引き寄せてくれたように感じる。
 これからも、機会があればこういった山に登りたいと思い始めていた。

 御嶽山頂上の目の前には立派な御嶽神社奥社がある。
 社があり神様の像も立っている。
 早速、ここまで無事に登れてこれたことを、神様に感謝しつつ御参りをする。
 神社の前には広場があり、その隅の場所で多くの方が思い思いに眼望を楽しんでいる。
 私達もこの頂上の広場で弁当を開き、眼望を楽しみながら遅い昼食をとった。
 昼食の味も、また格別であった。
 ほんとに頂上からの眼望はすばらしい。
 特に東側の雲のない、摩利支天山(2959m)と後方の継子岳(2859M)との稜線や、眼下にはすり鉢状の一の池、美しいコバルトブルーの水を湛えるニの池との、山岳高所独特のコントラストは、最高の美しさで、全ての登山者の心を魅了してやまないと思う。
 南側は雲で追われていて、中央アルプス方面の眼望は出来なかったが、その他の眼望は十分楽しめる。
 眼下に見える雲、雲と雲の間から覗く風景もこの上もなく美しく感じる。
 神社横の西側の地獄谷方面の展望もすばらしいが、崖っぷちのごつごつした急斜面から轟音と噴煙を上げる地獄谷の景観は、自然の恐ろしさを感じる。
 右奥の緑の稜線の頂上が継母岳(2667m)が美しく立ちはだかっている。
 その奥には霊峰白山の景観も、楽しめるはずであったが、雲に覆われて見ることは出来なかった。
 しばらく、頂上での景観を楽しんだ後、ニの池方面へ下山していった。
 ニの池の左斜面には残雪が残っている。ガスも少しかかりだし、王滝経由で登ってきた道を下山して行った。
 
         
         頂上の御嶽神社奥社への階段
 

       御嶽山頂上にある御嶽神社奥社 


御嶽山頂上3067mからニの池、摩利支天山、継子岳を望む


    頂上からすり鉢状の外周を持つが水のない一の池


崖っぷちのようなごつごつした谷間から噴煙を上げる地獄谷


頂上から噴煙を上げる八丁ダルミ近辺と後方の王滝奥の院


   頂上からの一の池、ニの池、摩利支天山、継子岳


      八月末でも残雪の残る斜面とニの池