気ままな旅

マイカーでの気ままな旅で、束縛された予定や時間にとらわれない、自由奔放な行動をとる旅の紹介です。

人々を魅了する庭園 金沢 兼六園

2008-07-19 08:23:41 | 気ままな旅
 7月10日(木)快晴の天気である。
 一人旅の女性と朝食を共にして分かれた後、私が現役を勤めていた頃の、仕事仲間が勤める営業所を訪問し、旧交を温めた後、私たちは、文化財指定庭園で特別名勝の「兼六園=けんろくえん」を訪れた。
 私は何回か兼六園を訪れているが、妻は始めてであった。

 加賀百万石の城下町 ”金沢” ロマンスあふれる街に成長し、多くの人々を惹きつけ、賑やかなで魅力ある街を出現している ”金沢”
 現在でも、江戸時代の面影を残しながらも成長し、
近代的なビルが林立する街 ”金沢”   
 その魅力がどこにあるのか!
 なぜか、金沢を訪れる人々の心を、ルンルン気分にさしてくれる。
 ロマンス溢れ、若者達で賑やう 金沢市中心部の街 香林坊 や 片町。
 若い人や金沢を訪れるビジネス客・観光客などを魅了し、繁栄を続ける街でもある。
 こうした金沢の中心部にあって、金沢の人々の誇りと伝統的な心のオアシスが、
特別名勝庭園に指定されている「兼六園」である。


 兼六園は、江戸時代の代表的な林泉回遊式大庭園の特徴をそのまま残している。
 元々は金沢城の外郭として、城に属した庭園であったらしい。
 兼六園は、加賀藩5代藩主、前田綱紀(つなのり)が1676(延宝4)年、この地にあった作事務所を場内に移し、蓮池御亭(れんちおちん)を建て、その周辺を作庭した。
 これが兼六園の始まりで、当時、蓮池庭(れんちてい)などと呼ばれていた。

 1759(宝暦9)年に金沢大火で、建物の大半が焼失するが、その後復興に取り組み、夕顔亭や翠滝(みとりたき)を築造している。
 
 1822(文政5)年には、12代藩主、前田斉広(なりなが)の豪壮な隠居所ー竹沢御殿が完成し、その庭には辰巳用水を取り入れて曲水をつくり、各種の石橋を架けている。
 藩主・斉広は奥州白河藩主・白河楽翁(らくおう)に庭園の命名を依頼した。
 楽翁は中国宋の時代の詩人・李格非(りかくひ)の書いた「洛陽名園記」の文中から採って、広大・幽邃(ゆうすい=奥深くて物静かなこと)・人力・蒼古(そうこ=古色を帯びてさびていること)・水泉・眺望の六勝を兼備するという意味で「兼六園」と命名した。

 その後、13代藩主・斉泰(なりやす)は霞が池を掘り広げ、曲水の新たな取り入れも行い、以前からあった蓮池庭と調和するように作庭して、今にみる雄大な回遊式大庭園の基本的な構図が出来上がっていった。

          
               徽軫灯篭(ことじとうろう)と霞が池

 形が琴の絃を支える駒(琴柱)に似ているところから名づけられたと言われている。 
 この霞が池と虹橋との調和や、池の向こう側に見える日本建築(内橋亭)との景観のすばらしさは、
世界に誇れる「日本の美の庭園」の代表的なものだと思う。
 また、ここからの景観は四季それぞれ変化し、楽しむことも出来る。

          
                    虹橋からの霞が池 

 虹橋は徽軫灯篭(ことじとうろう)の前に架かっている。
 琴の胴に見立てて別名「琴橋」とも言われている。
 この清水の川と虹橋や徽軫灯篭が、霞が池との調和やバランスが、うまくとれた庭園の見事さは、
 いつまで見ていてもあきない程である。
 やはり、日本庭園には、人の心を落ち着け、魅了する力を持っている。
 深く掘られ、バランスの良い形状や、清らかに流れる曲水に、配置した無数の石や燈篭などの石造、
樹木の枝ぶりが相まって、この庭園を形成している。

 また、この場所は兼六園を訪れる人たちの、絶好の撮影ポイントにもなっている。
 

          
                  霞が池の畔の唐崎松(からさきのまつ)  
 
 13代藩主が、近江の琵琶湖畔唐崎から種子を取り寄せて実生から育てたもので、園内で最も枝ぶりが見事な黒松です。
 冬には雪吊りがほどこされ、北陸の冬の風物詩となっている。

          
              唐崎松の枝が霞ケ池まで伸びている見事な枝ぶり 
 
 唐沢松のすぐ横には霞が池があり、池の中には蓬莱島がある。
 見事な松の枝ぶりに、一瞬、時のたつのも忘れる程である。
 この松と池の景観をバックに多くの観光客が記念の撮影をしている光景が見られた。

          
                     雁行橋(がんこうばし)

 11枚の赤戸室石を使って雁が列をなして飛んでいる姿に作られているので雁行橋と呼んでいる。
 また、一枚一枚の石が亀甲の形をしているので別名を亀甲橋(きっこうばし)ともいう。  

          
                     七福神山(しちふくじんやま)

 12代藩主・斉広(なりなが)が造営した竹沢御殿に附帯していた庭園の一部。
「福寿山」とも呼ばれるこの山は、曲水、築山、雪見灯篭など、当時の雰囲気をそのまま伝えている。
 また、七福神になぞえた七つの自然そのままの石を配置しているのも大きな特徴である。
 
                     
                         明治紀念之標

 中央に日本武尊像を、左に石川県戦士尽忠碑を据える明治紀念之標は、西南戦争で戦死した郷土軍人の霊を慰めるものです。
 銅像の身長は5.5m、明治13年(1880)に建てられた、日本で最初に建てられたと言われている。
 両脇に植えられた赤松は「手向松」(たむけまつ)と呼ばれ、当時、京都の東西両本願寺の門跡から移されたものである。
 
          
           木の根が地上2mもせり上がった根上松(ねあがりまつ)

 大小40数本もの根が地上2mまでせり上がった奇観は大変な迫力で、兼六園名物のひとつになっている。
 この松は13代藩主・斉泰(なりやす)が土地を盛り上げて若松を植え、根を深く土で覆い、成長後に土を除いて根を表したものだと伝えられている。

          
                青々として一面に広がっている庭園の苔

 この景観は庭園を一層、静寂なものに感じさせてくれている。
 苔は日本の庭園や日本建築の建物との相性を一層深め、訪れる人たちの落ち着きと心を魅了してやまない。  

          
            花見橋より四季それぞれに変化する花が楽しめる曲水 

 擬宝珠(ぎぼし)の欄干のある花見橋、四季それぞれの眺めがすばらしい所からこの名前がついたとのこと。
 花の季節になると、緩やかに流れる曲水に沿って、桜、カキツバタ、さつき、めつつじなどが咲き誇り、訪れた多くの人を魅了する。 

           
                   鶺鴒(せきれい)島  

 昔、いざなみ、いざなぎの尊が、男女和合の方法を鶺鴒から教わったという故事より、その名がつけられた。
 この島は、正面に「三社」と書かれた石額がかかった鳥居を据え、その奥に陰陽石(誕生)、相性の松(結婚)、五重の石塔(死)を配置して、
人生の三儀式を表している


           
               落ち着いた雰囲気が漂う時雨亭(しぐれてい) 

 5代藩主、綱紀(つなのり)が初めて本園を作庭した頃からあった建物で、蓮池御亭(れんちおちん)と呼ばれていた。
 それは6代藩主、吉徳(よしのり)によって、建て替えられたが、藩政後期には時雨亭と呼ばれ、今の噴水の前にあった。 
 明治の初めに取り壊されたが2000(平成12)年3月に、この地に再建されたものである。

           
                     自然の水圧によってあがる噴水 
 
 この噴水は上にある霞が池を水源としており、自然の水圧で上がっている。
通常、水の高さは3.5mで霞が池の水位の変化によって変わる。 
 1861年(文久元)年、金沢城二の丸の居間先に噴水があがっていたが、兼六園の噴水はその試作とも言われている。
 日本最古の噴水である。      
             
 午後3時頃、兼六園の観光を終えた私たちは大阪への家路についた。
 北陸自動車道で敦賀ICを経由して、琵琶湖の景観の良い国道161号線から湖西道路を京都東ICまで通行し、名神高速道路を経由して自宅に帰って来た。
20時頃であった。  

世界遺産「白川郷合掌造り」と再び出合った女性

2008-07-14 14:28:43 | 気ままな旅
 御母衣ダム湖畔の荘川桜の見学と、神戸から来た一人旅の女性と別れて、一足先に世界遺産「白川郷荻町集落群」へ向かった。
 天気も途中から完全な雨模様の天気となってきた。
 30分足らずで荻町駐車場に到着する。
 駐車場からは、すぐ横の荘川に架かっている出会い橋を渡ると、荻町の合掌集落へ着く。
 世界文化遺産に登録されたせいか、訪れる観光客も以前より多く感じる。
 最初に訪れたのは、明善寺の鐘楼門で、合掌造りで出来ためずらしい建物である。
 お寺の本堂や庫裏(くり=お寺の台所、住職または家族の居間)は合掌造りで、
出来ており、この鐘楼門の萱葺きと相調和して、見事に造られている。(重要文化財)
  

         
           雨天の展望台からの世界遺産「白川郷荻町集落群」

          
              激しい雨が降り注ぐ中での白川郷荻町集落群

 萩町の観光を終えた私達は、駐車場に戻り、白川郷萩町集落の全景が望める展望台へ愛車を走らせて行った。
 展望台はすぐ近くにあった。 
 残念ながら激しい雨に見舞われ、展望台からの景観はご覧のような写真となった。
 天気がよければ、白川郷荻町集落群の全景が、見事に映し出されているはずの、絶好の撮影ポイントであったが残念である。

          
        周りの景観に合わせて造られた白川郷荻町明善寺の合掌造り鐘楼門

          
       全国的にもめずらしい合掌造りの鐘楼門、隣接する建物との調和がすばらしい。        
   
          
            白川郷で一番大きな合掌造りの建物で明善寺の庫裏

          
                    白川郷荻町合掌造り集落の景観 

          
         左の建物はNHKテレビで屋根の葺き替え工事で放映された建物 

          
                    白川郷出会い橋近辺にある建物 

          
            本物の合掌造りの萱葺きで出来た 道の駅 「白川郷」

 雨が降りしきる中での、展望台からの観光を終えた私達は五箇山集落の方へ向かった。
 国道156号線へ入るとすぐに道の駅「白川郷」があった。
 最初はこの建物の景観を見てなんだろう。
 合掌の萱葺きの屋根が、近代的な背の高い建物の上にある。
 白川郷の景観と調和さして、うまく造ったものと感心する。
 道の駅の前には、どぶろく祭りが行なわれる神社があった。
 毎年、秋にはどぶろく祭りが行なわれ、参拝者に出来立てのどぶろくがふるまわれる。
 立ち寄ってみることにした。
 この建物は、白川郷の合掌造り同様に、出来た道の駅の建物である。
 地域情報や地元の特産品などを販売している。
 また、中には合掌造りの仕組みが学べるミュージアムがあり、無料で解放されている。 
 ミュージアムの合掌造りの仕組みを、目の当たりで見ることが出来、建物の構造も良く分かる、大変貴重な資料館だと思う。
 
 道の駅「白川郷」の観光を終えた私達は、国道156号線を五箇山方面に向かってはしって行った。
 ここから先は、私にとって初めての、体験コースである。 
 20分程で世界文化遺産五箇山「菅沼集落群」の駐車場に到着した。
 先ほどまで降っていた雨はあがっている。
 到着した駐車場には、荘川桜の公園で別れた、一人旅の女性の車が駐車していた。
 すぐに合えるだろうと思って、私達は菅沼集落の観光に出かけた。
 白川郷の集落と比較すると、小さな集落である。
 駐車場から竪穴が掘られエレベーターが設置されている。
 地下3階に下りると、地下道があり、T字で左右に分かれている。
 私達は左側の地下道を選んで進んで行った。
 200m程進むと出口があり、その周辺は、キャンプ場などに整備されている。
 その奥には、合掌集落が数件建てられているが、人の住んでいる様子はなく、どこかから移築して集められ、集落を形成しているように思える。
 キャンプや林間学校のような時に、解放されるのだろうか!
 
 地下道の反対側に行ってみると、屋根の葺き替え工事中の建物や、店も数多くあり、活気が感じられる。
 こちらが菅沼集落の中心地である、店の人の話によると、
「世界遺産に登録されたおかげで、たくさんの観光客が訪れ、店の売上も急速に伸び、こんなに嬉しいことはない」 
 と話しをしていた。
 程なくして菅沼集落の観光を終え駐車場に戻ると、係り員の人が
「隣に車を止めていた女性から、次の観光地へ先に行って待っています」
 との伝言を伝えてくれた。
 
 私達も愛車に乗り、次の目的地「世界遺産 五箇山相倉(あいのくら)集落」に向かった。
 20分ほどの距離とのことであった。
      
          
                  五箇山(菅沼)合掌造り集落群  

          
                  五箇山(菅沼)合掌造り集落郡

          
             菅沼合掌造り集落群の中にある店舗の合掌造り

          
              店舗で販売されている色鮮やか飾り商品

 菅沼地区から上空に雲のかかった、深い山沿いの景観を、楽しみながら走行していて、時間を見ると出発して30分が経過していた。
 通り過ぎている、確認しょうと通行中の人に聞くと、やはりそうであった。
 車をUターンして元の来た道を戻って行った。
 相倉集落の入り口の道はすぐに分かり、そこから10分ほどで相倉集落駐車場に到着したが、一人旅の女性の車はなく、観光を終え出発した後であった。
 縁がなかったナーと思い、私達は相倉集落の観光に出かけた。

 相倉集落は山間部に出来た集落で、白川郷や菅沼集落とは、地形的に違っていた。
 合掌造りの建物も小さくこじんまりとしているが、ここにも生活の臭いがあり、
 人々の山間部に出来た、農村生活の活気が感じられる。
 時間も5時をまわっているせいか、隅々まで観光することは出来ず、中心部のみの観光となった。
 程なくして相倉集落の観光を終えた私達は、金沢方面へ国道304号線を選んで出発して行った。

          
                      五箇山(相倉)合掌造り集落群

          
                   田園の広がる相倉合掌造り集落群
 
 相倉集落からの国道304号線は長いトンネルがあり、急カーブの多い山間部を通る道でよく整備されている。
 愛車は国道304号線を金沢方面へ向かっている。
 車窓の景観も山間部から平原部に変わり、カーブも少なくなった。
 程なくして、道の駅「福光」が見えてきた。
 寄ってみる事にした。
 道の駅の駐車場に入ると、驚いたことに、あの一人旅の女性の車が目に入ってくる。
 道の駅の建物の縁側部分に椅子があり、そこに女性が一人で座っている。
 女性も私達の車に気がついたのか、笑いながら手を振っている。
 「もう合うこともないだろう!」
 とあきらめていただけに、何か久しぶりに対面したようで、私達にも喜びが沸いてくる。
 女性に「今夜の宿泊先は決めたの」と尋ねると、「まだ、決めていません」とのことであった。
 「じゃー今日は私どもは金沢市内のはずれにある道の駅「内灘サンセットパーク」
 で車中泊するけどドー」と話しをすると、彼女も同意して、車中泊することになった。
 夕食も一緒にすることになって 「私どもが買い物して、道の駅「内灘サンセットパーク」へ行くから、あなたは、一足、早く行っていてほしい」 旨の話しをする。
 早速、打ち合わせも終わり、この道の駅「福光」を後にして、出発して行った。
 
 途中で道路脇にある大型スーパーが見つかり、そこで買い物することにした。
 新鮮でおいしそうな食材が並んでいる。
 3人分の食材と飲み物を買って、落ち合い先である道の駅「内灘サンセットパーク」に向かった。
 30分ほどで到着するが、彼女の車は、まだ到着していなかった。

 道の駅の駐車場のはずれにテントが張ってあり、中にはテーブルと椅子が設置してあった。
 「アーこの場所で食事をしよう」 と決め、食材を運んで彼女の到着を待っていたが、30分程たっても到着してこない。
 「道を迷っているのだろうか!」
 携帯電話を交換していて良かった。
 カーナビの地図を見ながら誘導して、15分ほど経過して彼女の車が到着した。
  メデタシ、メデタシ

 3人の賑やかな夕食が始まった。
 最初はみんなでビールで乾杯だ。
 彼女もお酒は好きらしい。
 性格的にもあっさりしていて、終始にこやかな表情が絶えない。
 旅で初めて出会った人とは思えないように、私たち3人はすぐに、ハートがうちとけていった。
 しばらくして、彼女が、最近起こった自分の状況を語ってくれた。
 大変な辛い思いをされ、それを自分で決断し、これからの新しい人生をおくっていこうとしている。
 私達は彼女にエールをおくり、これからの人生を、前向きに生きていってほしいと思った。
 そして、その先には、必ず大きな幸せが待っている。
 この彼女なら、今までの辛いことをバネにして、必ず幸せを掴んでくれるに違いない。
 自分の幸せをつくっていける、強い自分の可能性を信じて、生きていってほしいと思った。
 
 三人で始まった夕食も、時間のたつのも忘れ、いつしか時間も経過し、PM11時を回っていた。
 テーブルを片付け、車中泊の準備にと取り掛かった。
 彼女の車を外から見えにくいように、少し工夫したり、助手席で睡眠をとりやすいように、持ち合わせの板を使って、その上に布団や毛布などで、即席のベッドつくりを手伝ったりした。
 ベットの感想を聞くと、「動きやすいので良さそうだ」といってくれた。
そして、私達も愛車に戻り、睡眠の準備をして、横になるといつしか深い眠りに入っていった。
 
          
                一人旅の若い女性と再び出合って夕食の乾杯


 7月10日(木)金沢市のはずれにある道の駅「内灘サンセットパーク」で車中泊している。
 天気は霞んでいるが良さそうだ。
 6時30分に起床し、朝食の準備を始める。
 朝食の場所は、駐車場よりも少し高台にあり、展望の良い所で、テーブルと椅子が調度設置してある、屋根にも日よけの萱を敷き詰めた、絶好の場所であった。
 そこからは内灘の湖と、日本海が眼下に広がり、両方を川で結んでいる。
 川の上には、格好の良い形状の橋が架かり、周りの景観とマッチするように作られている。
 7時過ぎには彼女も起床し、また、賑やかな朝食が始まった。
 私の妻が日系ブラジル人であるせいか、朝食の食材はいつも賑やかだ。
 彼女もおいしそうに食べてくれる。
 やはり、外で景観を楽しみながらの朝食も楽しく、味も格別である。
 朝妻がたてたコーヒーの味も最高である。

 今日の彼女は、能登半島の観光に出かける予定で、私どもは、金沢市内にあり、日本三大公園のひとつでもある「兼六園」を観光する予定にしている。
 一時間ほどで朝食も終わり、それぞれ、別の方向の道を行くことになった。
 先に彼女が、能登半島方面に、ご覧のようなボーズを残しながら出発して行った。
 そして、出発して行った彼女の車を目で追いながら、これからの旅の道中の安全と、彼女のこれからの人生が幸せであることを祈らずにはいられなかった。
 私どもも、すぐに市内の兼六園に向かって、出発して行った。 

          
                 道の駅で車中泊、朝食を共にする

            
             別れ際にご覧のような愛らしいポーズの一人旅の女性
             

太平洋と日本海の分水嶺「ひるがの高原」と一人旅の若い女性

2008-07-13 12:12:17 | 気ままな旅
 7月8日(火)は岐阜県美濃加茂市内の、ブラジル人夫婦の経営する店で仕事をしていた。
 朝早くから来ているが、私の顧客も何人か訪れ、慌しい一日であった。
 本来の計画では、仕事を終えた後、高山方面に向かって、明日は乗鞍岳(標高=3026m)に登る計画をしていた。
 しかし、明日の気象予報は思わしくなかった。
 仕事を終えて、20時頃に店の外に出ると雨が降っている。
 私は妻に「明日の乗鞍岳登山は延期しょう」と言うと妻もうなずき、今回の登山の中止が決まった。
 この日は、近くの道の駅「日本昭和村」で、昨夜に引き続き車中泊をすることにした。

 7月9日(水)朝6時過ぎに目覚める。天気は曇り空である。
 朝食をすました後、私達は、世界遺産にも登録され、国選定 重要伝統的建造物群保存地区に指定されている、岐阜県白川郷合掌造り荻町集落へ行くことにして出発して行った。
 美濃加茂ICから東海環状自動車道で美濃ICまで行って、そこからは長良川沿いで景色の楽しめる、国道156号線を北上するルートを選んだ。
 長良川は、最近雨が多く降ったせいか少し増水している。
ダムのない清流、長良川の景観は、どこの場所から見ても、よどみのない透き通った清水が、山間の所々に出来た奇岩の渓谷を這うように流れる様や、ゆったりとした水面を形成して、流れ様などの美しい光景を、眺めているだけでも、あきることがなかった。
 曇り空の天候から、途中であいにくの雨模様の天気となったが、長良川の川岸から所々で鮎釣りをしている人を見かける。
 かつて、休日になると、両岸が鮎釣りの人達で、埋め尽くされていた光景が思い出されてくる。
 車は程なく、徹夜踊りで有名な郡上八幡を通過して、白鳥、長良川鉄道の終点である北濃駅をも通過して行った。
 この当たりは、かつての真冬には、道路が雪で白一色に覆われる地域でもある。
 標高1000m近いひるがの高原の坂道に取り掛かかり、愛車は高度を上げて行く。
 程なくして、道路脇にある夫婦滝駐車場に到着した。
 
 滝は、駐車場から100mぐらいのすぐ近くにある。
 流れ落ちる轟音が聞こえてくる。
 ブナなどの大樹林に覆われた森の中で、川岸の出来た歩道を少し進むと、二つの滝が寄り添うようにして流れ落ちている夫婦滝が見えてくる。
 以前より水量が多く感じる。
 岩の上には苔があり、水量がこれ以上増水しないことを意味している。
 清流には苔が良く似合うと思う。
 この位置からの清流と滝の光景が、すばらしく見えてくる。
 上空から水量と共に落ちてくる、空気がしずくを運んで私の肌を湿らし、発生するマイナスイオンが、心地よく感じられてくる。

          
             長良川の清流と寄り添うように流れ落ちる夫婦滝

            
              苔のある岩と夫婦滝    滝つぼに流れ落ちる夫婦滝


 夫婦滝から国道156線を5分ほど走ると、そこには、ひるがの高原の平原部で太平洋と日本海を隔てる分水嶺公園がある。
 写真のように、太平洋と日本海に、水が分かれて流れていく様子を、見ることが出来る、日本では数少ない光景の場所である。
 ひるがの高原は標高900mに広がる高原で、岐阜県の美濃と飛騨地区の境にあり、清流長良川の最源流でもある。
 高原の中には、牧場のほか、花と動物のテーマパークの牧歌の里や、湿原植物園、スポーツ施設など多数の見どころや、遊びどころがある。

            
           分水嶺看板、長良川から伊勢湾と荘川から富山湾に流れる

            
               分水嶺 左側が太平洋、右側が日本海へ流れる

           
                分水嶺 右側が太平洋、左側が日本海へ

           
              ウインターリゾートの中心地 ひるがの高原スキー場
 
 ひるがの高原の中心部で、近くには水芭蕉の群生地などがある。
 この高原は、別荘なども多く建てられ、夏場にはスポーツトレーニングや避暑・観光などでやってくる人たちで賑わう、人気の高い高原である。
 私も若かりし頃、この高原で何日か過ごしたことが思い出されてくる。
 冬場はスキーのメッカで、この近辺には大規模なスキー場が幾つかあり、スキー客でも賑わっている。
 特に最近は、東海北陸自動車道の開通で、関西方面からこられる方が多いようだ。 
 
           
                 ひるがの高原に咲く花 

 ひるがの高原の散策を終えた、私達は20分ほど行った所の、御母衣ダム湖畔にある、荘川桜を目指して車を走らせて行った。
 

           
                 二本の荘川桜 樹齢400年 

            
             ダム建設に伴って水没の境内から移植された荘川桜

           
                荘川桜の公園からの御母衣ダム

 荘川桜の公園の駐車場で、道の駅で買った弁当で昼食をすませた後、写真撮影をしていたところで、神戸から来た若い女性と知り合った。
 マイカーを運転しながら、一人旅を続けているとのことであった。
 愛想の良い、しっかりした娘さんで、昨夜、神戸を出発、東海北陸自動車道を利用して、この地域を訪れたとのことで、次は白川郷、五箇山の合掌造り群落を観光して、金沢まで行きたいとのことであった。
 途中で妻が、我が家自慢のブラジルコーヒーの準備が出来たとの、呼びかけがあり、娘さんにも勧めたところ、気軽に応じてくれた。
 コーヒーの味も一口飲んで「おいしい」と愛らしい表情で言ってくれた事が印象的である。
 行先が同じ方向であることから、「また会うかも知れないネ」と言って、私どもは先にマイカーを白川郷方面へ走らせていった。
  
            
                神戸からこられて知り合った一人旅の女性と妻

          

 

健康と新緑の散歩道に咲く花と景観

2008-07-12 12:20:51 | 気ままな旅
 私は常日頃から、「健康は自分で作っていくもの」「決して与えられるものではない」と考えています。
 時代が常に変わっていくように、私たちの体も常に変っていっています。
 無理をしたり、不規則な生活をしていますと、すぐに体に現れてきます。
 若い時によく、自分の体に対して、
 「自分はどれぐらい良い事をしているのだろうか!」 また、
 「どれくらい悪いことをしているのだろうか!」
と、友達と話しをしたり、よく考えたりしたものです。
 結果は、いつも暴飲暴食や食生活の乱れ、運動不足など、生活の乱れが多く、
体調不調も当然だと思って、多いに反省した時期がありました。
 
 「体を大切にしよう!」
 「体に対していい習慣を身につけ、出来る限り継続していこう」
 と考えるようになり、現役の頃は毎朝、出社前にTV体操を10分間、約20年間続けてきました。
 現役を引退した今は、自営業に代わり、朝のウオーキングや軽い山登りを続けて、健康増進を図っています。

 下の写真は、家の近くのウオーキングコースの一部を、撮影して掲載しています。 
 自宅に植えてあるラベンダーにとまった蝶々から、散歩コースからの景観を撮影しました。
 同じコースであっても四季それぞれに変化する光景を、毎日のように目にしたり、観察したりしていますと、なんとなく心に安らぎを感じてきます。
 植物も動物も全てのものが生きているんだ。
 これが自然で、こういった環境を大切にしていかなければと、思えてきます。
 こうした、朝のウオーキングは私たちに健康と英気を与えてくれます。
 いつまでも続け、一度しかない自分の人生を、健康で前向きに、目標をもって、後悔のない人生を生きていきたいと思っています。
 
            
              ラベンダーの花にとまった色鮮やかな羽をつけた蝶々 

                       
                 咲き始めたむくげの花 秋頃まで花を楽しむことが出来る
     
             
                新池と散歩コースでよく登る標高172mの和田山

            
                     散歩道沿いに咲く満開の紫陽花の花

            
                  散歩中に公園で出会った愛らしい犬

             
              散歩道沿いの公園のように整備された所で咲く紫陽花

             
               一年で最も華やかな散歩道に咲く紫陽花 
  
             
                 新緑の枝葉に季節感を感じさせてくれる木の花 

              
                   池と田植えの終わった田園風景 

               
          団地西部からの光景、電柱の向こう側は関西空港、夜景の美しい場所である

最も聖域な奥の院 「山上の聖地  高野山」  その②

2008-07-02 18:36:46 | 気ままな旅
 根本大塔などの壇上伽藍(だんじょうがらん)の見学を終えた私達は、車を金剛峰寺(こんごうぶじ)近くの駐車場に移動さして、目の前にある金剛峰寺の、緑に囲まれた正門の階段を、一歩一歩昇って行った。
 この正門は、金剛峰寺の建物の中でも一番古いらしい。
 正門を抜けると目の前に金剛峰寺本坊の大きな建物があった。
 この建物が、全国に四千余の末寺をもつ高野山真言宗の総本山である。
 豊臣秀吉が1593年(文禄2年)に亡き母の追善菩提の為に、応其上人に命じて建立した建物である。
 本坊は東西約60m、南北約70m あって、持仏間、大広間、梅の間、豊臣秀次が切腹した柳の間、奥書院などの建物があり、いづれも当時を代表する絵師である、狩野元信、探幽、探斉等によって描けられた有名な襖絵である。
 その他に別殿、奥殿、新書院、茶室等の建物がある。
 現在の本坊は1863年(文久3年)に再考されたもので、文化財建築物である。

          
                 高野山真言宗の総本山「金剛峰寺」本坊

           
               小玄関(一般参詣入口)側からの金剛峰寺本坊

 本坊には大きな梯子が屋根まで架けられている。
 その屋根は、檜の皮を何枚も重ねた桧皮葺(ひわだぶき)になっている。
 屋根の上には大きな桶が置かれている。
 この桶には、普段から雨水を溜めておき、万が一に火災が発生したときに、火の粉が飛んで屋根が燃え上がらないように、桶の水をまいて湿らし、少しでも類焼を食い止める役割を果たしているそうである。

 本坊入り口で内拝券(500円)を払って建物の中に入る。
 表玄関のある個所には、木の器に大きな活花を置き、その横には奥の院の霊木である高野杉を輪切りにして展示している。
 この高野杉は樹高57m、直径2.877mの巨木であったらしい。
 さらに進むと、大広間や持仏間(じぶつま)、梅の間などが続く。
 どの部屋にも狩野一族などが描いた襖絵が描かれている。
 どの襖絵を見ても、惚れ惚れするような大きな襖絵である。
 さすが同時の第一人者が描いた絵は違うと思った。
 写真撮影をと思っていたが、残念ながら、全て撮影禁止になっていて、一枚も撮る事が出来なかった。
 
 別殿の東西の間には、それぞれ4つの部屋が並んでおり、西側の間には、四季の花鳥が描かれ、東の間には、弘法大使の入唐から、高野山草創までの、風景が描かれている。

 新別殿は169畳の大広間で、我々参拝者にお茶のサービスをしてくれる。
この大広間では、大勢の参拝者が訪れた時などに、僧侶の法話が随所行なわれている。
 この部屋の正面には弘法大師像の絵が掛けられ、毛筆の「心」や阿弥陀如来聖衆来迎図なども掛けられている。
   
           
               通路横の細長い庭に造られた見事な石庭

                    
                         弘法大師絵図
           
           
                  壁に掲げられた書「 心 」

           
           阿弥陀如来聖衆来迎図(あみだにょらいしょうじゅらいこうず)

 信者が臨終の時、阿弥陀如来が多くの菩薩を率いて、音楽を奏でながら雲に乗って迎えに来る場面を、厳かな中にも美しく劇的に描いている。
 
          
                  金剛峰寺 蟠龍庭(ばんりゅうてい)

 この庭園は客殿を中心に500余坪( 2340m2)に及ぶ、わが国最大の石庭である。
 勅使門より観るに、左に雄龍、右に雌龍を配した金胎不二(こんたいふに)を表す。
 雲海の中で雌雄一対の龍が、奥殿を守っているように表現されている。
 龍は四国産の青い花崗岩140個、雲海には京都の白い砂が使われている。
 
 金胎不二(こんたいふに)とは 仏の専門用語で金剛界(智、頭脳を表す、男性的)と胎蔵界(理、心を表す、女性的)という意味である。
 不二とは 対立していて二元的に見える事柄も、絶対的な立場から見ると、対立はなく、一つのものであることを言うらしい。 

          
                  金剛峰寺 蟠龍庭

          
                   金剛峰寺 蟠龍庭

 この大きな石庭を観て感じることは、この高野山そのものが、八葉蓮華の峰々に囲まれ、その中央に大日如来の仏都があり、そこに密教宇宙の中心をなす根本大塔を置き、その両サイドに胎蔵界と金剛界の基点となる伽藍を配置しているようである。
 従って、この大きな石庭の中心思想は、弘法大師の目指した真言密教の聖地「高野山」そのものを表しているように思えてならない。

          
               2000人分のご飯が炊ける三つの釜

 この台所は金剛峰寺主殿と共に昭和30年代に和歌山県の指定文化財に指定されている。
 大勢の僧侶の食事を賄ってきただけに、釜も大きく、柱や梁なども煤で真っ黒になっている。
 大釜は二石釜と呼ばれ、ひとつの釜で7斗(98kg)のご飯が炊ける。
 従って三釜で2石(280kg)、約2000人分のご飯が作られていたようである。

           
              女人堂 親切なおじさんがいて色々と教えてくれる

 金剛峰寺の見学を終えた私達は、中心部から少し離れた所にある、女人堂へ愛車で異動する。
 女人堂は、かつて、女性の聖地への立ち入りが禁止されていた頃の入り口で、女性の為の籠リ堂としての女人堂が造られた。
 現在は、この不動坂口女人堂だけが残っている。
 この時代に、弘法大使の御廟を遥拝したいという女性達は、不動坂口の女人堂を基点に、厳しい山道が続く、女人道を歩きながら、遠くにある峰々の遥拝所から参拝をされていたようである。

           
                   女人堂の前で女人3人でポーズ

            
            奥の院入り口で記念の撮影 うっそうと老杉の大木が茂る参道

 霊場・高野山の中で最も神聖な地とされる奥の院には、弘法大使空海の御廟があり、厳粛な雰囲気に包まれている。
 入り口から御廟にわたる参道には、うっそうとした数十メートルもある老杉が生い茂っている。
 その樹々の間には20万基を越える墓石や供養等が並んでいる。
かつての、戦国の時代に、敵、味方に別れ大地を揺るがしていた武将達、上杉謙信、武田信玄、明智光秀、織田信長、豊臣秀吉・・・などの墓石が、森の中にひっそりと佇んでいる。
 やがて不動明王や観音菩薩が並ぶ所に来る。
 川があって橋が架かっている。
 この橋が御廟橋(みびょうのはし)で、橋から向こうが高野山で最も聖域な「奥の院 弘法大師御廟の聖域」である。
 奥の院には、御廟、、御廟堂、燈篭堂、経蔵があり、燈篭堂には信者が寄進した数多くの燈篭の火万灯篭として輝いている。
 私達も参拝をすました後、御廟橋を渡って、一の橋方面へ帰っていった。

                   
                  厳粛な雰囲気の奥の院参道とお墓
 
           
         多くの参拝客がガイドの説明に耳をかたむけている 奥の院英霊殿

           
                 きれいに整備されている高野山町の街並み

 奥の院の参拝を終えた頃には17時を回っていた。
 この山上の聖地「高野山」をもっと観たいという心境に駆られてくる。
 ひとつの観光地として、一日に全てを見ることは不可能であるが、四国から来た姉も、「この高野山にこられて本当に良かった」と感想を漏らしていた。
 近所の奥さんも、常に明るい表情で観てまわる姿も印象的であった。
 ブラジル育ちで旅好きの妻も、高野山への今日の旅行が、今までと一味違った旅行で満足そうな表情をしている。
 
私は、この山上の宗教都市「高野山」に興味が湧いてくる。
 高野山には四国への巡礼の旅がある。
 巡礼の旅は一人であっても「常に大師様と一緒に」同行二人の旅で、多くの方々が四国八十八箇所に旅立っている。
 先祖を敬い、家族や友人の幸せを願い、そして自分を見詰め、癒す旅に出ているようである。
 昨今、痛ましい事件が繰り返し起こる中、日本人の心の原点が少しずつ、揺らぎつつあるように感じる。
 大師様の教えにあるように「自分は一人ではない」「孤独ではない」「どんな時でも同行二人で、温かい心を持った大師様が側で導いてくれている」と考える人たちはホントに幸せだと思う。
 たとえ信仰は違っていても、信仰の原点は変わらないと思う。
 自分の信じる道を進めばそれでいいと思う。
 ただ、心に隙間風が通っているように思える方には、心の原点に返り、幸せな人生を過ごしてほしいと思う。
 そして、心の豊かな社会が実現し、世界中の全ての人たちが幸せになってほしいと思う。
 

 全員愛車エステイマに乗った頃、高野山名物の「笹寿司を買って帰ろう」近くの店に寄ってみたが、ほとんど売り切れていた。
 高野山からの帰り道に、柿の葉寿司の看板があり、立ち寄ってみると、笹寿司や柿の葉寿司、地元で取れた桃などが、格安で販売されていた。
 みんな、たくさん買いこんでいる。
 愛車エステイマは、朝来た道を通りながら家路について行った。
 家に帰ってから、夕食で食べた、笹寿司や柿の葉寿司の味も格別であった。
 今日一日の高野山は、雨も降らず、気温も18.9度と涼しく、天候に恵まれた、ホントにいい旅であった。
 
                         ありがとうございました。


『空海の風景』を旅する (中公文庫)
NHK取材班
中央公論新社

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