気ままな旅

マイカーでの気ままな旅で、束縛された予定や時間にとらわれない、自由奔放な行動をとる旅の紹介です。

大阪にある日本最古の霊場犬鳴山ー1

2009-04-24 22:48:48 | 気ままな旅

  今朝までは何気ない気持ちで過ごしていた私達は、急に新緑に包まれた犬鳴山に行きたくなって出かけていった。
 大阪の奥座敷として知られている犬鳴山温泉は、関西空港の対岸の街である泉佐野市に属し、和泉葛城山脈の麓に位置している。
 犬鳴山温泉には樫井川が流れ、その支流に犬鳴川がある。
 犬鳴川の不動谷と呼ばれる渓谷には、数多くの滝があり、その中でも特に有名なのは、この地域に祈雨を祈願させた淳和天皇(じゅんな=59代天皇=平安時代初期)が、七漠を金銀に因んで七宝龍寺と命名された七つの滝である。
 犬鳴山は日本最古の霊場として、その名を全国に知られている。
 南大阪にある自宅からは、泉佐野市と和歌山県紀の川市を結ぶ、通称、粉河街道(こがわかいどう)と呼ばれる、総延長23kmの地方道路を通行しなければならない。
 粉河街道は、古くから和泉の国南部と紀伊の国北部を結ぶ、重要な生活道路で、西国三十三箇所札所の粉河寺や修験道霊場、犬鳴山七宝龍寺(しっぽうりゅうじ)への参拝道として利用されてきた。(現在は大阪府道、和歌山県道62号 泉佐野打田線)
 泉佐野市の粉河街道から犬鳴山温泉街までは、車で15分ほどで到着する。
 数件の宿泊施設のある犬鳴温泉街から、犬鳴川沿いの道に入ると、500m程で犬鳴山駐車場に到着する。
 駐車場からが犬鳴川不動谷と呼ばれる渓谷と、犬鳴山七宝龍寺参道の入口である。

         
               大阪の奥座敷と呼ばれている犬鳴山温泉街

 犬鳴山は、斎明天皇の661年(飛鳥時代)、修験道の開祖である役小角(えんおずの)が28歳の時に開基される。
(修験道=呪法(じゅほう=呪文をとなえて呪う法)を修めて、霊験を得、山林寂静の地で修行をする仏教の一派で役小角を開祖とする)
 大和の大峰山より6年早く開山され、役小角の開山時に倶利伽羅大竜王が出現し、これを本尊としたと伝えられている。
 犬鳴山は、葛城峰中の奥の院とも呼ばれ、葛城二十八宿修験根本道場でもある。
 
          
 左に弘法大師を祀る大師堂があり犬鳴山参道の入口  名勝犬鳴山の石碑 

 鬱蒼と茂る木立の中に、名勝犬鳴山と書かれた石碑と、石畳の参道を渓谷沿いに進むと、犬鳴川に架かった木造のニの橋がある。
 ニの橋を渡った所にある道脇には、奉告と書かれた石碑があり、「役の行者尊が峰よりお下りになり、昼夜を問わず、訪れる人々を迎えて下さっている」と書かれている。
 また「修験に励む者を深く御慈愛下さり、此処よりの辿りゆく、数々の難所行所を無事にと、ご霊導下さり、悉地円満諸願成就の御請願、また、その無量無辺の慈悲の大御心は、将に至尊の不動尊そのもの」と書かれている。

          
          しめ縄と両脇の燈篭を通り過ぎると石畳の参道が続いている

          
  昼夜を問わず訪れる人たちを、無量無辺の慈悲の御心で、迎えてくれる行者尊の碑

           
     最初に見かける不動谷の滝  両界の滝の下に細い岩間をすべるように流れる滝

 私達を迎えてくれる行者尊の石碑を過ぎると、谷深い渓谷の坂道になり、登って行くと幾つかの滝が見えてくる。
 淳和天皇は渓谷にある七つの滝を、金銀に因んで、七宝龍寺と命名したと伝えられている。
 七瀑とは両界の滝(金胎両部のニ瀑あり、これを併せて両界の滝という、一の滝ともいう)、塔の滝、弁天の滝、布引の滝、固津喜の滝、行者の滝、千手の滝の七つで、今も尚、千古の姿のまま飛沫を上げている。
 さらに、弘法大師空海は、この七瀑に七福神を祭祀され、奥深い山中の七瀑は七福神、不動の霊瀑といわれ、一度この山に参詣すれば、七福神、不動明王の霊気を受け、福徳増進するといわれている。

            
         渓谷に二番目にある滝 両界の滝の上に二つ、下に一つの滝がつながっている

           
     両界の滝はニ瀑を総称して呼ばれているが、どちらが両界の滝なのかよく分からない

           
      両界の滝の上にはご覧のような二つの滝があり、左下からが両界の滝に流れ落ちている

 両界の滝を中心に幾つかの滝のある不動谷渓谷の参道を進むと、きんたかばしという木の橋が架かっている。
 対岸には石造の鳥居が立てられ不動恵童子が祀られている。
 さらに犬鳴川の渓谷を楽しみながら参道を進むと、参道沿い樹齢何百年もありそうな巨木が茂っている。
 巨木の複雑に張り出した木根は、地面を押し上げ、独特の形状を造り、幹の中心部にも、古巨木らしく、半円径の空洞が出来、樹齢の深さを感じさしてくれている。
 さらに渓谷沿いの参道を進むと、木立に覆われた赤い建物が見えてくる。

            
           両界の滝の上流側にある二つの滝  参道沿いにある老大木

 ひと際、鮮やかな朱色に塗られた山門(瑞龍門)に、紫の幕がかけられている。
 周りの景観の中に溶け込むように、美しく見えている山門である。
 山門を抜けると苔に覆われた古い境内や石段があり、歴史の深さを感じさしてくれる。
 さらに進むと、正面には赤い欄干の橋が架けられ、新緑のもみじの枝葉が垂れ下がるように犬鳴川を覆っている。
 晩秋の季節には、周りの景観と調和した、美しい紅葉を見せてくれそうである。
 また、この周辺には、樹齢何百年もありそうな杉の巨木も、深い谷間とともに鬱蒼と生い茂っている。

            
      瑞龍門と書かれた鮮やかな朱色の山門 天上まで鮮やかな朱色の山門(瑞龍門)

          
           山門を過ぎた所にある一面苔に覆われた古い境内や石段

            
   苔に覆われた石段が深い歴史を感じさしてくれる 山門からの伸びている石畳の参道   

                     
         犬鳴川に架かる赤い欄干の橋と新緑のもみじが川を覆っている

 犬鳴川に架かった赤い欄干の橋を渡り、暫く行くと参道の両脇に赤い幟が立てられている。  入り口には鳥居が見え、自然と護摩大霊場に導いてくれている。
 大霊場の広場には、鉄製のパイプで出来た護摩の焚き場があり、その正面には行者尊の像がある。
 左側には弘法大師もお祈りになったといわれる学問、記憶力増進の守護である虚空蔵菩薩殿が、右の奥には、本尊の阿弥陀如来、脇仏の水子観音と弥勒菩薩が奉安されている霊光殿のお堂が建てられている。

          
大護摩の霊場では、火の神が煙と共に供物を天上に運び、天の恩寵をあずかる、また、心の中にある煩悩や業に火をつけ焼払う護摩祈祷が行われる。

           
           鳥居からの大護摩霊場    護摩霊場の中心にある行者尊

           
記憶力や学門の増進に御利益がある虚空蔵菩薩殿 本尊の阿弥陀如来、脇仏の弥勒菩薩、水子観音を祀る霊光殿   
          
             
            大護摩霊場から少し行った所にある赤い欄干の神明橋

            
     発達繁昌の守護と頭部を医する神、中風除けの守護である 神明大権現

           
至福開運出世随求成就の神である出世稲荷大明神 足神、足部の無病息災を祈る岩屋不動尊

 この近辺は、参道沿いに沿って小さな神社や祠、不動尊や地蔵などが次々と続き、主体が何であるか戸惑うほどである。
 やはり、何回か訪れ、ゆっくりと散策しながら認識して参拝することが大切のようである。

           
          犬鳴山の名前に由来する儀犬  主人を大蛇から救った愛犬

 さらに参道を進んで行くと「犬鳴山」の由来と儀犬伝説が伝わる場所にやってくる。説明の看板には以下のことが書かれている。

 宇多天皇の寛平2年(890年=平安時代)に紀伊の国の猟夫が当山の行場で鹿を追った時、樹間に大蛇あり、猟夫を呑込まんとす。
 猟夫その由を知らず、愛犬しきりに鳴いて猟を遮ぎぬ、猟夫怒りて愛犬を切る。 愛犬の首飛んで大蛇に咬みつき共に斃れる。
 猟夫、我が生命を守りして、儀犬を弔わんが為に剃髪して、庵を結んで余生をおくりたりと、その事朝聞に達し、一乗山改め犬鳴山と勅号を賜った。
            
         女性的な優しさをかもし出すように渓谷から流れ落ちる塔の滝  

 今回は妻と二人急に思いつき、初めて訪れた犬鳴山不動尊七宝龍寺であるが、一回の投稿では紹介できないほど、盛りたくさんのすごい内容であった。
 次回には本堂や行者の滝などを、ご紹介さしていただきたいと思います。
      



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