気ままな旅

マイカーでの気ままな旅で、束縛された予定や時間にとらわれない、自由奔放な行動をとる旅の紹介です。

台湾6都市周遊の旅 その5(花蓮⇒台北・衛兵・行天宮他)

2012-04-06 15:18:57 | ツアー旅行

 2012年10月22日(土)  太魯閣峡谷の観光を終え、花蓮駅を午前10:34分発の台湾特急電車「太魯閣号=タロコゴウ」に乗車した私たちは、台湾の首都である台北へ向かった。 

 今回の台湾旅行で、台湾の特急電車に乗れることは、日本を出発する前からの楽しみの一つであった。

 鉄道は訪れる国々で、風土があり、歴史があり、その国の人達との触れ合いがあり、旅の情緒を感じさしてくれるからである。

 今回、乗車した特急電車は、花蓮と台北間を2時間余で結んでいる。 

真新しい流線形の白い車体に、柿色のラインを横に走らせている。  車内も広々として、日本の特急電車とよく似た感じである。

私たちが花蓮駅から台北駅まで乗車した台湾特急 「太魯閣号」

花蓮駅を定刻に発車すると、すぐに駅構内の機関区に停車している赤い機関車が三輌並んで見えている。

 日本の機関車とは少し形が違っているが、錆も見えず良く整備されているように感じる。

 

出発して間もなく花蓮駅近くの車庫に停車している機関車が見えてくる。

出発して間もない特急電車内の様子、この車輌は、ほとんどが私たちのツアー仲間たちである。

出発して間もない車内、同じツアー仲間でご満悦の表情の男性

 

花蓮駅を出発してしばらくした後、ご覧のような弁当が配られた、肉や揚げ物を中心とした弁当。 味は結構美味しかった。

出発して間もなく検察に訪れた車掌、当初は、にこやかで細い体つきから女性かな! と思ったが男性であった。 

写真撮影にも笑顔で気軽に応じてくれる。

私は旅行や見知らぬ土地に行く道中など、車窓からの景観を楽しむのが好きである。

 昼間の車内で居眠りすることはほとんどない。

移動する度にどんどん変わっていく景色を、眺めるのが大好きである。

 移り変わる景色に興味のつきることもなく、特に、今回のような初めての台湾旅行では、なおさらのことである。

カメラを片手に車窓から風景を楽しみながら撮影していく。 

特急電車の花蓮と台北の、2時間の間に車窓からの風景を100枚程撮影する。

車窓から・・・逆光で見づらいが台湾東部に広がっている豊かな田園風景。

電車は平野部や海岸沿いを走ったり、田園を走ったり、交互に繰り返しながら走行して行く。

車窓からの海岸線の風景。手前には洗濯板を敷いたような奇岩が見え、その向こう側には白い波が打ち寄せる美しい光景が見えている。

田園風景の中に、突如現れたイスラム教のモスクのような塔のある建物が見えてくる。 (車窓から)。

沖合の島と陸地の間を2艘の船が先を争うように白い航跡を残しながら走航している。その手前の砂利道をトレーラーがゆっくりと反対方向に向かっている。

今度は、海岸部から山沿いの路線に変わり、四方を山に囲まれた工場のような建物が見え、その手前には数台の車が走っている。

ここの山間部を通過すると、山の斜面に5~6階建ての高層住宅が見えはじめ、台北市近郊の都市部に近づいていることを感じる。

台湾に来て驚くのは、戸建て住宅が少なく、地方の街の中でも5~6階建の住宅が多いことである。 これは治安に関係があるのか! 

電車はだんだんと台北市中心部に入って行く。 車窓からは20階建位の高層住宅が多く見え始めてくる。

台北駅(地下駅)に定刻の12時35分に到着する。 下車すると台北駅前に待機していた専用バスに乗り換える。

台湾の首都としての玄関にふさわしい、堂々とした風格ある駅である台北駅。 駅前には広い広場があり、公園のように綺麗に整備されている。

台北駅前に展示されている歴史ある蒸気機関車

台北駅から専用バスに乗り換えた後、15分程の場所にあり、衛兵の整然とした交代式で有名な忠烈祠に向かって行く。

車窓からの台北市内、道路の中央では地下鉄工事か! 多くの工事用の建設機材が見えている。

 

忠烈祠の専用駐車場に到着すると、目の前には中国風の大きな門がある。

この大門には、大理石と赤塗りを施してトンネルのようにくり貫いた通路が三列並んで造られている。 

真ん中の一番大きな入口の左右には、真っ白な制服の衛兵が、鉄砲を片手に持って台の上に立っている。

衛兵は身動き一つせず、目も一点を見つめている。 

かなり訓練を積まないと、こうしたことは出来そうもない。

ガイドのリンさんによると、衛兵に選ばれた人達は、台湾軍人のエリートで、身長や体重などと出身学校などから選ばれているようである。

その奥には、大理石を敷き詰めた広場があり、中国風宮殿づくりの本殿が見えている。

威風を放つ忠烈祠門、奥には本殿が見えている。

ガイドのリンさんによると、台湾では徴兵制がしかれ、男性には1年の兵役義務が行われている。

 一年間の兵役義務を終えると、体格的にもたくましく、精神力も強化されて、立派な青年になることから、

台湾企業では先を争うように求人が多いとのこと、逆に、何かの理由で兵役をまぬがれた人達には、

就職も、結婚も非常に厳しいとのことだった。

将来のエリートといわれ、入り口門の左右に立つ衛兵、しぐさや体つきから相当な訓練を積んでいるように感じる。

本殿は戦争や国民党政府のために亡くなった方々の英霊を祀るために1969年に創建された。

正門前では一時間に一度、衛兵の交代式が行われる。

 一糸乱れるぬように整然とした、規律ある美しい動きに感心する。

まずは本殿前で、二組が左右に向かい合って、交代式の式典がはじまっていく。

本殿前の式が終わると、手足を規律ある方向に動かしながら、入り口門まで整然と進んで行く。

交代式は多くの観客の見守る前で整然と行われる。 私もこのような儀式は初めてで、秩序のある動きに思わず見とれる程であった。

 

交代式が終了すると、再び、門に置かれている台の上に立つ衛兵

忠烈祠での衛兵による交代式を見学した後、同じ台北市内にある 「故宮博物館」 に向かった。 

故宮博物館は小高い山の麓に建てられ、15分ほどで到着する。 

台湾が世界に文化芸術の総合発信基地として、自慢する博物館だけあって、

多くの見学者を乗せた観光バスがひっきりなしに出入りしている。

パリのルーブル美術館やロンドンの大英博物館と並ぶ世界屈指の博物館として有名な、国立「故宮博物館」。

故宮博物館は、中国の明や清の皇帝コレクションを中心に65万点以上もの中国文物を保有している。 

しかも、その展示宝物の数々は、日中戦争や国共内戦といった戦禍をまぬがれ、奇跡的に台湾に運ばれてきたものがほとんどである。

だが、常時展示されているのは、その一部にすぎなく、定期的に展示品を入れ替えているようであるが、

全部見るのには30年以上かかるといわれ、所蔵する宝物の数が、膨大であると伝えられている。

 

故宮博物館はカメラの持ち込みが禁止されているために、写真撮影ができなくて、お見せ出来ないのが残念である。

私たちが見学した故宮博物館は、1階から3階までの展示場で、日本語のイヤホンガイドを耳にあてながら、

先に3階まで上がり、降りるコースで見学する。

3階には新石器時代~220)漢代の玉器・銅器。陶器などが展示されている。

2階には六朝~1912清代の書画や 陶磁器・漆器などが展示されている。

1階には清代皇室の珍蔵や仏像などが展示されている。

1階に設置されている孫文の像、後ろの壁には 「博愛」 の額が掲示されている。

 

故宮に展示されているものは、ほとんどが歴代皇帝のコレクションだけあって名品ばかりであるが、

ツアー旅行での1時間程の見学時間は、駆け足で見学する様なもので、じっくり見ることはできない。

 ガイドのりんさんから、何点かの展示品について説明があったが、なるほど、とうなずくばかりであった。

細工の細かさや、色合いの美しさなど、日本では見られない展示品である。

 故宮博物館を見学した後、台北市内にある免税店に立ち寄り、ホテルには18時30分頃に到着する。

ホテルに到着した後、色々とオプションが計画されているが、

私たちはこのオプションには参加せず、妻と二人で、ホテルの近くにある夜店に、夕食を兼ねて出かけることにした。

ホテルで少し休養した後の午後 7時過ぎに妻と二人で、ネオンが輝く街の中に出かけていく。 

夜店が立ち並ぶ繁華街は、ホテルから徒歩で10分足らずの所にあった。 

まず最初に食事を摂ろうと思い、露店のメニューを見ていると、「美味しそうだナー」 と思った店があった。

しかし、満席のために他を探すことにした。 

色々な店があったが、なかなか思うような店がない。 

仕方なく夜店の並ぶ通りから少し外れた所に行ってみると、海鮮を中心とした店があり、入ってみることにした。

入ってみると、日本語はまったく通じず、ジェスチャーと隣席で食べている人の料理をみて、オーダーを決定するような状況だった。

オーダーした料理が運ばれてきて、いざ食べようとすると、こん度は食べ方が分からない。

困惑していると、隣席にいた若い夫婦客が、親切丁寧に指導してくれた。 

ほんとにありがたかく、台湾の人達の、私どもに対する心の暖かさを感じるひと時であった。

内容の料理も、美味しく、あっさりとした台湾料理で、大満足であった。

賑やかな台北市内の夜店を妻と二人で散策する。

散策と食事に出かけた台北市内の夜店。 大勢の人達で賑わい、街の生活の楽しさが伝わってくる。

食事と夜店の散策を終えた後、ホテル前まで帰ってくると、急にコーヒーが飲みたくなってくる。 

探してみるとホテルの真ん前に喫茶店があり、入ってみることにした。

席は空いていて片隅に座ると、日本語の分かる女店員が来る、

コーヒーとクラッカーのようなデザートを注文するが、クラッカーはないとのことだった。 

しかし、女店員は 「少し待ってください」 といって、コーヒーと一緒にクッキーのようなケーキを持ってきてくれた。

ホテル前の喫茶店で心温まる対応をしてくれた日本語の分かる女店員とママさん

 

女店員にいきさつを聞くと、この喫茶店のメニューには、ケーキなどのデザートはなく、

たまたま、女店員が自分で食べるために、家で料理して持ってきたもので、お金も要らないとのことだった。

私は驚くと同時に、女店員に申し訳ないので、お金はどうしてもとってほしい、と再三申し入れたが、どうしてもとってくれなかった。

私たち夫婦は、この店の女店員の心の暖かさ、日本語は分からなかったが、終始笑顔で対応してくれたママさんへの

感謝の気持ちと、うれしさで一杯だった。

 

10月23日(日) 台湾最終日の朝、早くから昼食を済まし、7時には専用バスでホテルを出発する。 

今日の空は晴れ渡り、湿度も少なくすがすがしい天気になっている。

車窓からの朝の台北市内の様子

ホテルを出発してから近くにある免税店に案内される。 

私は台湾を訪れる前から台湾のお茶に興味があり、何点か購入して帰りたいと考えていた。

朝が早いにも関わらず営業している台北市内の免税店、ツアー仲間達が入店して行く。

特に台湾茶は、亜熱帯気候で標高1200m位の高山で、

朝晩に霧が発生するなどの寒暖差の激しい 気候がお茶の栽培に適しているといわれている。

中でもウーロン茶は、一般のものより風味があり、それに、台湾の製茶技術が活かされて絶品な名茶が育っている。

私が興味を持ったのは、凍頂烏龍茶、高山烏龍茶、阿里山高山茶であった。

特に凍頂烏龍茶は、数年前に、”花粉症に効果・・・” のあるお茶としてテレビで紹介されていた。

台湾のウーロン茶は、乾燥した茶葉は黒っぽい色をしているが、熱湯を注ぐと茶葉が広がり、グリーンの色に変わる。

 飲んでみると香りもよく、新緑のようなすっきりした味のお茶である。

免税店で買い物を済ました後、近くにあり、参拝者の絶えないことで有名な 「行天宮」 という寺院に案内される。 

 

10分ほど走行すると、車窓からの赤い塀に囲まれた赤い屋根の寺院が見え、多くの参拝客でにぎわっている。

赤い塀に囲まれ多くの参拝客で賑わう 行天宮入口門

行天宮は、三国志でおなじみの武将 「関羽」 を祀っている廟である。

 関羽は戦いの神様としてと、初めて帳簿とそろばんを使った人物であることから商売の神として広く拝められている。 

境内は多くの参拝の人と線香の香りが、とぎれることはない、といわれている。

細かい装飾を施した柱と赤く両端が反りあがった屋根、屋根の上には龍や鳳凰の彫り物がある行天宮入り口門

行天宮の門と反りあがった屋根、両端には色彩豊かな龍の彫り物があり、中央には赤い玉が飾られている。

中国寺院の特徴である反りあがった屋根と、その周辺にとりつけられている龍や鳳凰の飾りもの。

行天宮入り口門にある柱に掘られた龍の細工

門をくぐり境内に入って行くと参拝客の多さに驚かされる。 リンさんの案内で線香を持って境内に入るツアー仲間の人達

 

境内には線香の煙に包まれ、青い法衣をまとった信者の人達の読経が流れ、寺院独特の神聖な雰囲気がかもしだされている。

線香は女性が右手、男性が左手で供える作法があり、供えた後、拝殿に向かってお参りをする。

正面に見えるのが本堂の拝殿、全員が拝殿の向かってお参り。 

線香の煙に包まれた境内には、昔から伝わる鉦の音や、信者の読経が流れている行天宮の拝殿前

それにしてもすごい人気の行天宮、線香の煙で包まれた境内で、読経と共に手を合わせて熱心にお参りをする人達。

台湾の人達の信心深さには驚かされる。 

日本の寺院と違って、台湾の寺院は相対的に色彩豊かで、色艶やかである。 それに、きめ細かい彫り物細工なども見事である。

それに引き換え日本の寺院は,白木が多く、あまり多くの色を使ってない様に思える。

伊勢神宮で代表されるように、無塗装で素材そのものを活かした、簡素な建築物と

庭園をうまく調和さしたような寺院が、日本では多いように感じる。

ひっきりなしに、多くの参拝客を乗せてやってくる行天宮前の路線バス。

 

行天宮の見学と参拝を終えた後、私たちを乗せた専用バスは、帰国のために台北空港に向かった。  

空は晴れ渡り、車窓からは台北の都市風景が美しく見えている。

高速道路の車窓からは、手前に清らかに清んだ川が流れ、その向こうには幾棟もの高層建築物などが、美しい街並みを造りだしている。

小高い丘の上に建てられ、元迎賓館として使われていた中国宮殿式建築の円山大飯店(車窓からの光景)

車窓から 広い川に架かった橋と林立する高層建築物の台北市内の光景

車窓から工事中(高速道路 ?) の建造物と 台北市内の超高層建築物

台北市街の行天宮から台北空港まで約40分程で到着する。 時刻も午前10時30分頃であった。

空港に到着して早速、出国手続きを済ませる。  

しかし、時間的に少し余裕があり、免税店で買い物をしたり、同じツアー仲間の人達と一緒に、

コーヒーなどを飲みながら談笑して過ごしていた。

台北空港の通路から見た空港、近代的な設備の整ったかなり大きな空港である。

搭乗前のロビーから、私たちが搭乗する飛行機

私たちを乗せた飛行機は、定刻の12時30分に台北空港を飛び立ち、関西空港へ向かう。

離陸した直後の台北空港の景観

台北空港を離陸して間もなく、浜辺に白波が打ち寄せる美しい光景が見られた。

飛行機はぐんぐん上昇し、10,000m位に達すると水平飛行に移り、日本時間17時00分ごろに関西空港に到着する。

 

今回の台湾旅行は、10月19日~23日までの4泊5日で台湾を一周する旅であった。

台湾は九州と同じくらいの面積を有している島で、亜熱帯と熱帯気候に分かれている。

各観光地間は、ほとんどがバスで移動して観光地を巡って行ったが、どこに行っても道路の立派さには驚かされる。

高速道路も広く、車線も片側3車線もあり、車はスムーズに流れている。

一般道でも道幅も広く造られ、初心者の方でも運転はしやすい様に感じる。

また、台湾の人達も街の中で出会っても好意的で、親日的な人達が多いように感じる。

台湾は外国という違和感がなく、日本国内にいるようにさえ思うこともしばしばあった。

ガイドのリンさんの豊富な知識には驚かされたが、台湾における日本の開発計画や、

労力を惜しまずに台湾発展のために貢献した多くの日本人の実話が、

エピソードを交え、分かりやすく紹介してくれた。

それにひきかえ、中国大陸からやってきた国民党の、無秩序の軍人たちが行った虐待行為、我慢に我慢を重ねていた

人達が、露天商の老女への虐待をきっかけとして発生した、2.28事件の大騒動に発展していく話などをしてくれた。

この事件から、台湾では本省人(以前から台湾に住んでいた人達)と、外省人(中国大陸からやってきた人達)に分かれて呼ばれている。

 これは、ほんとにひどい事件で、台湾出身の李登輝総統が誕生するまでの40年間も続いている。

現在の台湾は民主国家に生まれ変わっているが、この悲劇の本質は、

支配する国民党の人達のあまりのモラルの低さと、支配される台湾(本省人)のモラルの高さにあったように思える。

台湾の人達のモラルの高さは、日本時代に築かれた法や道徳・教育水準の高さなどが、大きく影響しているように思える。

このツアー旅行で色々な方々と、親しく話をさしていただいたり、共に行動したり 楽しい旅行であった。

また、機会があれば台湾を訪れたいと思う。

出来れば、車中泊の気ままな旅が出来れば最高であると、空想が浮かんでくる。

 

 

 

 

 


台湾6都市周遊の旅 その4(花蓮・太魯閣峡谷)

2012-03-22 17:14:39 | ツアー旅行

 

2011年(平成23年)10月22日(土) 曇り 台湾旅行も今日で4日目で明日一日を残すのみとなった。 今朝は台湾東部の街、花蓮市内にあるホテルで宿泊していた。

  花蓮市は台湾東部の花蓮県に属する中心都市で、人口11万人を有している。 背後には雄大な東部山脈が控え、前には太平洋を望む、台湾有数の自然景観の優れた街である。

 昨夜から宿泊していた私たちは、朝早くから起床し、朝食を摂った後、午前7時には、花蓮市内のホテルを出発する。 今朝の上空は厚い雲に覆われているが雨は降っていない。 なんとか今日1日はもってほしいものと思う。 

朝のホテルの玄関前には、台湾の珍しい果物を乗せたトラックが見えている。

 花蓮市街にあるホテルを出発して間もなく、都市の風景から長閑な住宅街の風景に変わってくる。

 すると、専用バスの車窓から、住宅前の広い歩道で、初老の男性が一人で太極拳をしている姿が見えてくる。

 恰好も様になっていて、朝の日課として太極拳を楽しんでいるように見える。 

最近はどこの国でも健康志向が高まり、公園などでのウオーキングやジョギングなどをたしなむ人が増えているが、台湾も同様のようである。

朝の路上で一人太極拳を楽しむ人、毎日の日課としてやられているのか、恰好もサマになっている。

 

私たちを乗せた専用バスは、長閑でのんびりとした街並みの道路を、今日の観光先である太魯閣(タロコ)峡谷に向かって走行していく。

今度は、右手に軍隊の基地が見えてくる。 

建物の脇には重装な迫撃砲が置かれ、その奥には戦車が見えている。

車窓から 塀の外には重装な迫撃砲と戦車が、赤い塀の中には軍用トラックが見えている。

 

基地の横にある道路を曲がり、走行してして行くと、今度は左側に、台湾国鉄の鉄道が走り、その奥の頂きを雲に覆われた山容が見えている。

さらにバスは走行し、大きな川に架かった橋を渡ると、右側に大理石でできた両側を、断崖絶壁に挟まれた渓谷が見えている。

その断崖をくり貫いて出来た歩道が渓谷に沿って造られ、独特の情緒を見せている。 

歩道の下には、青々とした清流が白い泡をたてながら流れ、断崖と歩道と共に美しい渓流の光景を見せている。

断崖絶壁に掘られた川沿いの歩道と白い泡をたてながら流れる渓流の美しい光景

車窓からの断崖絶壁の山稜や川の流れを楽しんでいると、今度は右前方に断崖絶壁を流れ落ちる、白糸のような細い滝が見えてくる。

山頂に挟まれた峡谷からの断崖絶壁を流れ落ちる細い白糸のような銀帯瀑布が見えてくる。

さらに、私たちを乗せた専用バスは渓谷沿いに造られた曲がりくねった道路を走行していると、右車窓から峡谷に造られたダムが見えてくるが、なぜか川の水は白く濁っている。 

 

奥深く幾重にも重なる山稜の合間を、曲がりくねって流れる清流。 雲を被った峰々が山水画のような世界を見せ、秘境の情緒を一層高めている。(車窓から)

さらに走行して行くと、左右の断崖絶壁がが狭まり、峡谷の中ほどの中腹には吊り橋が架けられ、曲がりくねった峡谷と共に、奥深い渓流の美しさを醸し出している。

 私たちを乗せたバスは、曲がりくなった渓谷に出来た狭い道路を上流方向に走行していく。 

すると、バスは土砂崩れによる工事現場に入り、断崖絶壁に造られた道路は一段と狭く険しくなってくる。

バス一台がやっと通行できる程の狭い砂利道で、右側は道路幅ぎりぎりを通行し、その先は深い谷底になっている。 

バスの谷側座席に陣取っている私の車窓からは、道路の道幅ぎりぎりの所を走行しており、真下には100mもありそうな谷底が見えている。

もし、ハンドル操作をあやまれば、このままバスと共に深い谷に吸い込まれていくような恐怖心が湧きおこってくる。

 ほんの数分の出来事だが、今までもここを通過した折の恐怖心がよみがえってくる。 

 間もなく専用バスは、バス停に到着、ここから太魯閣峡谷のハイライトと言う場所を歩いて散策するように案内される。 

この道路は人力による3年10ケ月の難工事の末に完成。この近辺がバス停付近で、道路はノミとツルハシの手掘りで掘られたいう。 

道路の脇には観光用の遊歩道が造られている。 

太魯閣峡谷は、世界自然遺産級の景勝地で断崖絶壁が20kmわたって続き、台湾国立公園に指定されている。 

峡谷一帯は、2000m級の険しい山々に囲まれた大理石の峡谷を、中部縦横貫公路が縫うように走っている。 

その壮大な大自然の景観は訪れる人を魅了してやまない。

この近辺からが九曲洞といわれ、のしかかってくるような岩を、くり貫いて造られたトンネルが、

左右に蛇行し、その横には遊歩道が設置されている。

バス停付近から下流側の光景、断崖絶壁に手掘りされた道路と、土砂崩れの工事現場、峡谷の斜面は急峻で、もろく崩れやすい。 

そのために崖崩れの発生件数も多いいわれている。

九曲洞に掘られたトンネルの壁は、所々で大きな口を開け、眼下には険しい渓流が見渡せる。 

この近辺は絶好の撮影ポイントで、訪れたカメラマンが盛んにシャッターをきって、撮影を楽しんでいる光景が見られた。

バス停付近の遊歩道(九曲洞)から眼下の峡谷を望む。

峡谷の真上の光景、空はどんよりと曇っているが、100m以上あると思われる左右に断崖絶壁が狭まり、天空の上空まで聳えたっている。

手掘りで掘られたトンネルの口を開けた壁からの光景、左右の絶壁が急に狭まり、洞窟のようにえぐられている。

断崖絶壁に造られた遊歩道が見えている。

この近辺はいくつもの小さな洞穴があり、ツバメが巣を作ることから、燕子口と呼ばれている。

左右の断崖絶壁が狭まり、狭まった峡谷を曲がりくねりながら流れる渓流、バス停付近から上流側を望む。(車窓から)

左右の断崖絶壁がぐっと狭まり、曲がりくねった九曲洞近辺の峡谷と、難工事の末に造られた手掘りの道路(車窓から)、

所々のトンネルの個所から大きな口を開け、峡谷の情緒と美しい光景を醸し出している。

峡谷に造られた遊歩道からの景観、このようなトンネルは、全てノミとツルハシだけで掘られたといわれているから驚きである。

トンネルの壁が大きく開き、その岩間から望む、断崖絶壁の岩山がどこまでも続く美しい峡谷の光景

太魯閣峡谷の両側に造られた断崖絶壁の遊歩道を、峡谷の光景を楽しみながら歩く人達

200mに渡って続く九曲洞の遊歩道と峡谷、ほとんどの人達が歩いて景観を楽しむ。 

絶景ハイライトの九曲洞もこの近辺までで、この先には専用バスが待っている。

太魯閣峡谷絶景ハイライトの九曲洞からの上流側の光景、奥にも険しい絶壁が曲がりくねりながら続いている。

九曲洞からの上流側の光景、川は左右に別れ、右側は絶壁の斜面は崩れやすいか、崖崩れ防止用のトンネルが造られている

右側峡谷の景観、この近辺も左右の断崖絶壁が狭まり、美しい峡谷美を造りだしているが、私たちの観光はこの場所までだった。

遊歩道からの散策を終えたツアー仲間たちの合流地点、見上げる峡谷で最も高い一枚岩が200mに渡って両側に聳え立っている。

この峡谷のスケールの大きさには圧倒される。  

花蓮のホテルからの添乗員の女性が、手でジエスチャーをしながら説明している。

ツアー仲間たち一行の人達との記念の撮影

バス停前で撮影写真を確認しながら微笑むツアー仲間の人達

太魯閣峡谷のハイライトである九曲洞や燕子口の観光を楽しんだ後、私たちを乗せた専用バスは元来た道を引き返して行く。

上流の観光を終え、元来た道をUターン、少し戻ると川幅は広がり、渓谷からのゆったりとした川が流れている。 (車窓からの風景)

 

そして、専用バスは少し下った所の駐車場に入って行く。

 川向こうには、中国式の色鮮やかな宮殿が見え、山の中腹にも赤い柱の寺院が二つ見えている。

宮殿の下には、真っ白な泡をたてながら、流れ落ちる小さな滝が美しい光景をかもしだしている。

太魯閣の第一景といわれる長春祠、そそり立つ断崖の麓に黄色の瓦葺き祠が見えている。 

ここには工事で殉職した212名が祀られている。 

その下には複雑な形状をした崖を洗うように、白い泡をたてながら流れ落ちる、長春瀑布が美しい光景を見せている。

黄色の伽藍の中央にあるには青い屋根の建物があり、その下には赤と白のアーチ形をした水路から流れ落ちる滝と寺院

大理石の絶壁に手掘りで掘られたトンネルや寺院への通路と、岩壁に掘られた赤い文字

絶壁の麓に造られた中国式宮殿造りの長春と滝をバックに記念の撮影

太魯閣峡谷と太魯閣を駐車場から見学したりした後、私たちを乗せた専用バスは10分ほど先にある大理石の工房に立ち寄った。

途中に立ち寄った大理石の工房、工芸店、様々な形に加工された石の彫刻が展示され、

係員から大理石の品質や加工などについて説明がされている。

大理石の工房を見学した後、私たちを乗せた専用バスは花蓮駅へと向かった。 

花蓮駅からは台湾特急で台北に向かう予定になっている。 

 花蓮駅には 40分程の時間を要し、午前10時過ぎに到着する。

台湾国鉄の花蓮駅、上空には台湾国旗が多く掲げられ、風になびいている。

花蓮には空軍基地などがあり、上空を台湾空軍の戦闘機が、轟音と共に直陸態勢に入りながら上空を通過して行く。

花蓮駅の上空を轟音と共に着陸態勢に入って飛行して行く戦闘機。

花蓮にある空軍基地には、有事のさい、山間部に戦闘機を100基ほど格納できるシエルターがつくられると言われている。

花蓮駅前で販売されている珍しい南国の果物。

花蓮駅で出発までの30分ほどの待ち時間をすごしたあと、10時34分発の特急電車で台北駅へ向かった。

乗車時間は約2時間である。

花蓮駅から台北まで約2時間を乗車した流線形のスマートな車体の台湾特急

 

今朝からどんよりと曇っている天気のなか、世界自然遺産級の大理石でできた太魯閣峡谷を見学した。 

断崖絶壁が20kmに渡って続く岩山のスケール大きさに圧倒される。

 左右の断崖絶壁が極端に狭小し、昼なお暗き谷底、空を見上げても谷底から垂直に伸びた断崖が、天空まで達しているようにさえ思える。 

目の前の凹凸のある対岸の岩壁には、無数の洞穴があり、なめらかな壁の美しさを醸しだしている。 

それに手掘りで掘られた道路やトンネルの壁が所々で大きく口を開き、眼下の曲がりくねった渓流と共に、峡谷の美しさと仙人が住むような秘境の情緒を一層高めている。

私は、日本の色々な所に旅をしているが、このようなスケールの大きい峡谷は初めてである。

 特に垂直に伸びた断崖絶壁の、両岸の間隔が狭く、しかも高さが200m以上もありそうな岩壁の光景は、日本では見られないものである。

太魯閣峡谷の光景は、岩や渓谷の自然の美しさと共に、人力で掘った道路やトンネルの美しさが、秘境の情緒を引き出し、一層、ここを訪れた私たちの心を魅了し、強い印象を残してくれている。

 

観光を終え、台湾特急に乗車した私たちは、太魯閣峡谷の余韻と満足感を味わいながら、台湾の首都である台北に向かって行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


台湾6都市周遊の旅 その3(高雄・大東・テレサテン・北回帰線標塔・民族舞踊)

2012-03-12 21:54:07 | ツアー旅行

平成23年(2011年)10月21日(金) 台湾旅行3日目の朝、昨夜から宿泊していた台湾南部の中心都市 「高雄」 市内にある京城ホテルを、朝食を終えた午前8:00分に出発する。 

今日も空は晴れ渡り、朝の柔らかい太陽が輝いている。 

我々を乗せた専用バスが、高層ビルに囲まれた高雄市の中心部に入って行く。 

朝の職場などへ急ぐ、バイクなどに乗った人達が、信号待ちしたり、私たちが乗ったバスの前を通り過ぎて行く。 

バイクは、台湾のどの街に行っても、老若男女を問わず、生活の必需品のようで、移動する足として活躍している様子がうかがえる。

通勤の手段として、市民の足として活躍するバイク、車窓からの朝の高雄市内の風景

静寂な雰囲気が漂う朝の高雄市内、この地域の周辺は公園などの緑も多く、街はよく整備されている(車窓から)

高雄市内にある野球場、入口の前にある赤いモニュメントが面白い。

高雄市内のホテルを出発して、近くにある民芸品店へ案内される。 約40分間程の買い物を楽しむ。

民芸品店で、特に興味があったのは台湾のお茶である。

 特に ”花粉症に効果”  などで日本のTVで紹介された凍頂烏龍茶や、プアール茶、阿里山高山茶などである。 

 私はここで小さな缶入りの阿里山高山茶と凍頂烏龍茶を購入する。

ショッピングを楽しんだ後、私たちを乗せた専用バスは、台湾南部へ走行して行く。 

北回帰線を通過し、気候も亜熱帯気候地域から熱帯気候地域へ入って行く。 

車窓からの風景もそのせいか、シュローなどの南方系の背が高く、葉の長い樹木が多くなっているように感じる。

専用バスが大きな河に架かった橋を渡ると、所々に溜め池のような池が周囲全域に渡って広がっている光景が目に入ってくる。 

流暢な日本語を話すガイドのりんさんの案内が続いている。 

それによると、この辺り一帯は、魚やアヒルの養殖場が多く、日本などの外国に輸出されているようである。 

高雄市内から南下して行くと、このような養殖場の多い風景に変わってくる。

この風景に私は驚かされる。 日本の浜松などの養殖場と比較して、規模の大きさや、養殖場が点在する地域の広大さに驚かされる。 

養殖場に白いものが浮かんで見え、最初、何かなー!・・・ と思ったところ、リンさんの説明で、アヒルの養殖場であることが分かった。

車窓からの養殖場などのある風景をしばらく楽しんでいると、専用バスは台湾南部方面へ走行して行く。

長閑な平野部のふうけいから、山が近づき、海岸線沿いの風景に変わってくる。

台湾南部へ向かって私たちを乗せた専用バスは南下を続けて行く。 山が近づき風光明媚な海岸線の景色に変わってくる。

車窓からの海岸線の景色をしばらく眺めていると、ご覧の写真のような、竜の落とし子のモニュメントが目に入ってくる。 

縁起をかつぐ台湾の人達の、竜への思いが伝わってきそうである。

海岸線の美しい景色を車窓から楽しんでいると、小さな街に入り、ガイドから 「ここで15分程休憩致します」 との案内が流れてくる。

高雄を出発して台湾南部へ走行、最初の休憩所に立寄る。 ここでは南国らしい果物が人気で、多くの方が買い求め、その場で試食している光景が見られた。

バス休憩所で売られていた 「マンゴとパインナップルのフルーツ」  新鮮で冷たくて美味しい果物であった。

休憩を終えた後、私たちを乗せた専用バスは、海岸線の道路から一変し、山岳道路へと入って行く。 

熱帯の豊かな緑の生い茂る山岳の中に造られた、曲がりくねった道路を、どんどん高度を上げながら走行して行く。

車窓からは幾重にも重なる山稜の峰々が、山岳独特の風景をかもしだし、私たちの目を楽しませてくれる。 

車窓の真近な山稜には、緑の大きな葉を持つ枝が伸び、葉が重なり合って熱帯らしい風景を見せている。  

しばらく走行していると今度は、下り坂になり、曲がりくねったカーブを高度を下げながら走行して行く。 

車窓からは、幾重にも重なる山稜の向こう側に、うっすらと青い海が見えている。 太平洋である。 

やがて、専用バスは山岳道路から、平坦の海岸線の道路に入り、台東市方面に向かって北上して行く。

走行している車窓からは、一風変わった小舟が浮かんでいる、小さな港が見えてくる。 

丸太をつなぎ合わせ、弓型に沿ったような形をした小舟で、カラフルな色彩の塗装を施している。 

エンジンは、ついているようであるが、この小舟は何のために使うのか! よく分からない。 

外洋の太平洋に出れば、大波を受け、すぐに沈んでしまいそう思えてならないが・・・・

小さな港を過ぎると、今度は大海原の太平洋が現れてくる。 突堤には太平洋の白い波が荒々しく打ち寄せている。

 突堤近くの波打ちぎわの海水は、なぜか黒く濁っている。

海岸線に沿った国道をしばらく走行していると、専用バスは休憩のために海岸線に出来た美しい公園に立ち寄る。

海岸にそって出来た風光明媚な公園。 弓型の浜辺には、白い波が打ち寄せ、海岸線の美しい景観を醸し出している。

左側は山が海岸まで迫りこみ、 右側は幾重にも重なる半島が海に飛び出し、うっすらと霞んで見えている。  

公園内では、専用バスから降りてきた人たちが、太平洋をバックに記念写真を撮りながらはしゃいでいる。 

中国の人か台湾の人か分からないが、台湾南東部の観光を楽しんでいる人達のようである。

休憩を終えた後、しばらく走行していると、荒涼とした河川が見え、所々にクレーンなどの重機が見えてくる。

ガイドのりんさんの説明によると、この地域は、過去、度々水害に見舞われている。

 数年前の大雨による大水害で、この地域の開拓をしていたが、土石流に襲われて崩壊し、死者も多数出る程の大水害であった。

大雨による大災害で荒涼とした地域に、新しい堤防を築き、復旧を急ぐ工事現場。 台湾も日本と同じように地震や台風などの水害が多いとのことだった。

災害現場を過ぎて走行していると、道路の脇に咲いている美しい花。 大きな樹木に鮮やかな赤紫の花をつけている。

時間も正午を過ぎ、私達を乗せたバスは、台湾南東部の都市「台東市」方面に向かっている。 

道路は海岸線に沿って作られているが、所々で山が迫り、道路は、山稜に沿って造られ、曲がりくねったカーブがあり、高低差がある。

カーブの多い高台の道路から眺望した太平洋の景観、弓型の美しい浜辺に、白波が押し寄せ、南国の樹木と共に情緒を高めている。

山間部から平野部に入ってくると、広々とした田園風景に変わり、眼前の農地では稲作がおこなわれている。

田園の中に出来た道路をしばらく走行すると、専用バスは、台東市街に入って行く。 

道路は綺麗に整備され、道路脇の街路樹は、赤い葉をつけ、美しい街並みをつくりだしている。

この後、近くのレストランで、台東地方料理での昼食が予定されている。

台湾東南部の都市、台東市街の街路樹、赤い葉をつけ、美しい街並みを形成している。

台東市は人口11万人の台湾東南部の最大都市である。 

徒歩で1時間もあれば、めぼしい所が見られ、20分ほどで海に出られる南国情緒豊かな、静かな街である。 

青い海とヤシの並木道や、熱帯植物が生い茂る台東市は、別名フルーツ天国といわれ、フルーツの栽培が盛んで、その美味しさは格別といわれている。

台東市内のレストランで昼食を終えた後、海岸線沿いの道路に戻り、今日の宿泊地である花蓮方面に向かって行く。

台東市街の道路脇には、いたるところに、フルーツを販売する露店が並んでいる。 

私たちを乗せたバスも、フルーツを販売する露天前にとめてくれる。

 

私は、台湾に来るまで、この果物は全く知らなかった。

 ガイドのリンさんが、果物の王様 「釈迦」、味も甘くて美味しく台湾の代表的な果物であると紹介された。 

この果物は通常は釈迦頭(バンレイシ)と呼ばれている果物で、台湾では、大東市や花蓮の近辺で栽培され、名産品になっている。 

早速、買って食べてみると、表面の凹凸は、うろこのように一枚ずつ剝れ、そこに果肉が付着している。

 果肉は白いシャーベットやクリーム状で、黒い種が入っている。 味は非常に甘みが強く、ジャリジャリした食感があって、美味しさも抜群であった。

果物の王様 「釈迦頭」 あまりの美味しさに、ホテルに帰ってからも食べようと5~6個購入する。 

ただ、この果物は熟すと短期間に食べないと崩れやすい。

その為、長期の保存には向かないことから、日本にはほとんど輸出されてないようである。

釈迦頭の試食に満足した後、私たちを乗せた専用バスは、再び海岸線の道路を、花蓮方面に向かって走行して行く。 

車窓から・・・ヤシ並木の向こう側には、美しい浜辺の風景が見え、私たちを楽しませてくれる。

さらに走行していると、このような波とサーフィンを現したモニメントが見えてくる。 

この近辺の海岸がサーフィンに適した波があり、マリンスポーツなどのメッカであるようである。

海岸沿いの道路からは美しい海岸の光景が続いている。 青い10月の空と、太平洋の青い海、海岸に打ち寄せる白い波、何度見ていても飽きることのない光景である。

しばらく走行した後、休憩のために公園のある駐車場に立ち寄る。 前回休憩した公園よりも一回り大きい公園でよく整備されている。 

公園内からは、太平洋の美しい海岸と、赤や黄色の葉をつけた熱帯の植物が植えられ、私たちの目を楽しませてくれる。

今日は一日中、バスに乗っているせいか、少し歩きたくなってくる。 

休憩時間という限られた時間内で、公園内を駆け足で散策してみることにした。

海岸沿いの遊歩道を左回りに散策すると、写真のような、長く伸びた奇岩が飛び出し、右に太平洋、左に小さな湾を形成している光景が目に入ってくる。

 この光景が見られただけでも、散策に来てよかったと思った。 散策を終えると、すぐに駐車場に戻って行く。 戻ると、少し時間の余裕があり、ホットする。

休憩を終え、バスは再び海岸線に沿った道路を北上して行く。 

車内では、台湾の人気アイドル歌手 「テレサテン」 のビデオと、日本で大ヒットした曲がながされてくる。

ガイドのリンさんが 「テレサテン」 について細かい説明のアナウンスも流れてくる。

テレサテンは1953年台湾雲林県で生まれた外省人で、父親は元国民党軍で職業軍人であった。

 彼女自身生前軍隊への慰問活動を熱心に行っていたことから 「軍人の恋人」 というニックネームが台湾では有名であった。 

テレサテンは外国語にも堪能で、母国語の他に、英語、日本語、フランス語、マレー語などの言葉も話せたといわれる。

彼女のアルバムには、日本の演歌やムード歌謡以外に、台湾民謡や英語のポップスなど幅広い歌を歌っている。

日本では 「日本のお父さん」 と呼ばれる 「舟木稔」 との出会いがきっかけで、日本でも大活躍する。 

1973年の2作目に出した 「空港」 が大ヒットし、日本レコード大賞新人賞を獲得するが、 この後、偽造パスポートで来日しょうする大事件が発覚し、国外退去処分を受ける。

1984年、日本の音楽ファンの強い要望があって、再来日が許可され、歌手活動を開始したところ、

「つぐない」 「愛人」 が、それぞれ150万枚売れる大ヒット、それに 「時の流れに身をませ」 も200万枚を売る大ヒット曲となった。 

日本有線大賞などの数々の賞や、グランプリも数年に渡って獲得している。

台湾が生んだ国民的な人気アイドル 「テレサテン」

テレサテンは1987年住居を香港に移すと、日本以外の歌手活動は、ほとんど休止するようになった。 

その後はパリに移住、中国の天安門事件に対する反対集会に参加し、亡命活動家とも、交流を持つようになった。

 日本での公演は、1994年 NHK 「歌謡チャリテイーコンサート」(仙台市) が最後であった。

1995年5月8日 静養のために、度々訪れていたタイ・チエンマイのホテルで、気管支喘息による発作のために死去する。 42歳の若さだった。

富と名声のある国民的アイドルの孤独な生活での死であった。

5月28日には台湾の台北市で国葬が執り行われ、世界各国から三万人ものフアンが詰めかけて彼女の死を惜しんだ。

遺体は火葬されず、防腐加工が施されて土葬され、没後50年は生前の姿であり続ける。 

このような形で眠っているのは、台湾では 蒋介石、将経国、テレサテンの3人である。

墓地は台北市の北東に位置する金山郷の金宝山にあり、小さな公園のように整備されている。 

墓前には銅像があり、彼女の歌声が絶間なく流されている。

 

テレサテンの歌声とリンさんの案内を聞いていると、専用バスは北回帰線標塔の駐車場に到着する。 

目の前には真っ白な美しい塔がそびえ建っている。

北回帰線とは、夏至にちょうど太陽が真上を通る線で、北緯23度26分を現している。 

公園のようによく整備された北回帰線標塔(花蓮県静浦)、前には太平洋、左側(東)や右側(西)には長閑な田園風景が広がっている。

北側から望む北回帰線標塔、太陽は左から登り、正午には塔の上にある円球上に達し影がなくなる、午後から右側に達して沈んで行く。

標塔の東西部分は、このような溝があり空洞になっている。 夏至の日の6月22日には、この空洞の部分から、日の出と夕陽が見られ、正午には太陽が真上に達する。

気候的には標塔の空洞部分より、右側が熱帯気候、左側が亜熱帯気候である。

標塔をバックに記念の写真、夏至の日には、塔の空洞の部分を、日の出から夕陽が沈むまで通過する。

回帰線標塔の内部から見上げる。 夏至の日の正午には、この真上に太陽が達する。 太陽は左側から昇り、右側に沈む。

30分ほど北回帰線標塔や記念撮影などを楽しんだ後、バスに戻り花蓮方面に向かって出発して行く。

道路は相変わらず海岸沿いの道路で、小さな港や海沿いの公園などがあり、その向こうには太平洋の海原が広がっている。 

車窓からの小さな港と、その向こう側には、幾重にも重なる山が海岸まで迫り、太平洋の荒々しい波が打ち寄せている。

私たちを乗せたバスは、この近辺から海岸沿いの道路から、曲がりくねった山岳道路に変わり、山沿いの道を高度を上げながら走行して行く。 

険しい山や谷が連続して続き、断崖絶壁と岩壁の間には、深い谷を形成して、亜熱帯の気候の緑と共に美しい山岳風景を見せている。

曲がりくねった険しい断崖絶壁の合間に広がる車窓からの風景

太陽は西に傾き、たそがれ時のような時間帯に入ってきている。

 先ほどまでは、車窓からの光景も、遠くまではっきりと見えていたが、今は霞んで見えている。

 この山岳道路は海沿いに近く、高台には太平洋が眺望できるカーブがあり、高度を下げながらゆっくりと走行して行く。

山岳道路を下がりきると、今度は大きな川沿いの道路があり、上流側に向かって走行して行く。 

川向うには大きな建物が林立する街並みが見えている。

やがて、大きな橋が見え、私達を乗せたバスも、右に曲がり、大橋を走行して、この地域の中心都市 「花蓮」 方面に向かって行く。

この大橋を渡ると、この地域の中心都市 「花蓮」 で今日の宿泊地である。

ガイドのリンさんから、まもなく台湾の少数民族アミ族の民族舞踊を紹介する、阿美文化村に到着する旨のアナウンスが流れてくる。

今回のツアー旅行では、「原住民アミ族の舞踊鑑賞」 として、オプションで企画されていた(3500円/一人)。 私たちもどんな舞踊なのか興味があって申し込んでいた。

この場所の阿美文化村は、中心都市の花蓮駅からタクシーで20分ほどの場所にある。

入口にはアミ族の勇者の石像が立ち、通り過ぎて行くと、多角形の形をした舞踊場がある。

所定の席に着くと、すぐにアミ族の男女が民族衣装に身を包んで現れ、民族舞踊がはじまった。

 舞踊場の中央に当たる正面には、祭壇のようなものがあり、木で造られた像が、下半身に赤い布をまとい、手には大きなラケットのようなものと、左肩上には、角のある鹿が顔を出して立っている。 

像の前には、アミ族女性の小さな像も置かれ、その両脇には、民族衣装をまとった若い男女が立っている。

最初、祭礼に対して儀式らしきものが行われ、その後に、アミ族の伝統的な踊りがはじまった。

20人位の男女が手をつなぎ、一列になったり、輪をつくりながら回転するように勇ましく踊っている。

アミ族のカラフルな民族衣装をまとった女性たちの伝統的な踊り、大人数の若者たちの踊りは、民族的でなかなかの迫力がある。

床に二つの棒を左右の男性が持ち、開いたり閉じたり、中央の二人の女性が音楽に合わせ、棒に挟まれない様に上手に踊る。

四人の女性が左右に交差するように棒を持ち、音楽に合わせながら開閉を繰り返し、その上を男性が、棒に挟まれない様に勇ましく踊る。

お祭りの儀式のような民族踊り、男は女性に対して、力自慢をするように、上半身を見せている。 婿選びか! 嫁選びか!わからない。

花嫁と花婿が中央に座り、赤い服を着た女性が口から赤いしぶきを吹き出している。 これは魔除けのシーンか!

最後は観客が飛び入りで参加し、盛り上がりを見せてくれる場面もあった。 大勢の観客とアミ族の人達が手をつなぎ一緒に踊るフィナーレの場面で、その後にアミ族による伝統舞踊は幕を閉じた。

台湾の少数民族であるアミ族、年々このよう民族の伝統的な踊りが、近代化された踊りなどに人気を奪われ、消えていっている昨今。 

このような大人数の人達が伝統的な衣装や踊りを披露してくれることに驚きを感じる。

 これからもさらに舞踊の芸を高めていて頂いて、新たな伝統を築いていってほしいと思う。

約1時間のショーも終わり 舞踊場から出ると土産屋があり、アミ族の伝統手芸品や珍しいものが売られている。

バスに戻ると、15分歩程で花蓮市内にあるホテルに到着し、午後7時過ぎから夕食が始まった。

このツアーには日本の各地から参加している人が多い。

 総勢36名のツアーであるが、関西は勿論のこと、仙台市や、四国宇和島から来ている夫婦の人などもいる。 

10人位の丸テーブルに並んで中華料理の夕食を摂っていると、何かと話題が出て話がはずんでくる。

夕食後もホテル前にあるスターバックスの喫茶店で、京都から来たご夫婦と同席する機会があって、楽しいひと時を過ごすことができた。

私の気ままな旅の楽しさの一つに、旅先での偶然の出会いがある。 

ツアー旅行では、何日間か行動を共にしていると、自然と親しみが湧いてくる。 

食事などで同席する人達と、接して会話を交わすことも楽しみのひとつである。 

特に夕食は、少しお酒が入り、舌が滑らかになると余計に話がはずみ、楽しい雰囲気に変わってくる。

今日は高雄から花蓮までの370kmの走行距離であった。 

今回、掲載している写真のほとんどは、バスの車窓からのもので、ガラス越しに写しているとガラスに反射したり、見にくい写真などもあって、お許しを頂きたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


台湾6都市周遊の旅 その2(感動の秘話と高雄)

2012-02-28 22:45:56 | ツアー旅行

2011年10月20日(木)台湾6都市周遊の旅の2日目は、台中市内のホテルで宿泊した後、台中市内の宝覚寺や風光明媚な日月潭・文武廟を見学、専用バスで台湾南部の中心都市高雄方面に向かって、高速道路を走行している。

台湾を代表する風光明媚な日月譚を後にする・・・・専用バスの車窓から

高速道路を台湾南部の中心都市である高雄市方面に向かって走行して行く。

高速道路の車窓からの風景・・・亜熱帯の植物が自生する山の上には、大きなお寺のような施設が見えている。

所々にある高速道路の料金所、ETCの設備も日本とほとんど変わらない。

 八田与一さんが精魂込めて造りあげた鳥山頭(うざんとう)ダム、このダムの完成によって不毛の大地が台湾最大の穀倉地帯に変っていく。 

 バスの中では流暢な日本語を話すガイドのリンさんが、車窓からの風景を見ながらの案内を続けている。 

台湾の人達が最も敬愛する日本人の一人である、八田与一さんが造ったダムが見えてくるとの案内であった。 

リンさんの説明は次のような内容であった。

この地域の嘉南(かなん)平野は、当時、旱魃(かんばつ)と洪水を繰り返す不毛の大地であった。 

雨季には大地が水に浸かり、乾季には水不足に悩まされ、穀物栽培には全く不向きな土地であった。

 そこに、世界の水利事業に明るい日本人技師八田与一が、土木技術者として台湾に赴任してくる。

   八田与一は、洪水と旱魃を繰り返す嘉南平野を穀倉地帯に変えるには、「大規模なダムを作る必要がある」 と日本政府に提唱し、嘉南平野開発書をまとめ上げた。 

その計画は、「鳥山頭に大規模なダムを造り、嘉南平野全体に長大な水路を張り巡らす」 という壮大な計画であった。

  1920年(大正9年)に治水工事が着工、八田与一は、家族を鳥山頭に呼び、全てをダム建設に捧げる覚悟でこの一大事業に打ち込んでいく。 

そして、10年後ついに悲願のダムは完成したのである。 

 この鳥山頭ダムは、当時、東洋一の規模を誇り、治水によって潤う田畑への水路は、網の目のように造られ、総延長は1万6000km(万里の長城の6倍)にも達している。  

 ダム完成によって一面の荒れ野原は、緑の大地へと変わり、台湾最大の穀倉地帯を誕生させたのである。

  これを総称して 「嘉南大圳(かなんたいしゅう)」 と呼ばれている。

嘉南大圳の歓声を喜んだ地元の人達は、感謝の気持ちを込めて八田与一の銅像を、鳥山頭ダムの畔に建立する。

しかし、その後、台湾農業最大の改革者であった八田与一を悲劇が襲う。 

ダム完成の12年後(1942年=昭和17年)、フイリピンへ向かう輸送船がアメリカ潜水艦の攻撃に遭い、乗船していた八田与一は殉職する。  

そして 戦争が終わり、台湾から本国へ引き揚げはじめた日本人がいた頃の、1945年(昭和20年)9月1日、八田与一夫人(外代喜=とよき)は、夫が精魂込めて造り上げたダムの放水路から身を投じたのである。

台湾嘉南平野の人々は、この地に生涯を捧げてくれた夫妻の死を悲しみ、戦争が終わった翌年の12月15日、

地元の人々によって、八田与一、外代喜夫人の墓が、物思いに耽る八田与一の銅像と共に、鳥山頭ダムの畔に建立された。

その後、八田与一は、嘉南大圳の父と呼ばれ、毎年5月8日の八田与一の命日には、地元の人達によって、現在でも墓前で慰霊祭が行われている。 

流暢なリンサンの説明を聞いていると、あらためて、日本と台湾が密接につながり、しかも、その関係は良好なものであった。

当時の日本政府は、西洋諸国の行った植民地政策とは全く異なり、日本の府や県のように、本国と差別のない、農業や工業開発、教育などが行われていたことが、リンさんの説明からも分かってくる。

そして、私たちを乗せた専用バスは高速3号を走行し、台湾南部の最大都市 「高雄」 市街へ入って行く。  豊かな緑の景観から、高層マンションなどが立ち並ぶ都市景観の風景に変わってくる。

高層マンションなどが建ち並ぶ台湾南部の中心都市 「高雄」 の車窓からの景観

さらに、車窓からはオレンジとグレイのツートンカラーの台湾の特急電車が見えてくる。

台湾も中国上海と同じように小型バイクが多いのには驚かされる。 バイクには数人の人達が乗って走っている(高雄市内の様子)

私たちの乗ったバスは、二つの塔が聳え立つ池の近くにある駐車場に入って行く。

高雄市のはずれに位置し、左営区内にある全長1.4kmの蓮池譚、その畔の南西側に建つ龍虎の塔。 高雄市の観光スポットになっている。

 つづら折りの橋を渡ると、左の入口には龍、右の入口には虎が大きな口を開けて出迎えてくれる。 台湾では一番良い動物は龍、一番悪い動物は、虎と信じられている。

 従って、この二つの塔への入口は龍で、出口が虎になっている。 龍の口から入り、虎の口から出てくると、災いが消えて、吉が増すと信じられている。

間違って入ると、もう一度、龍から入り直さなくてはならない。

蓮池譚の湖面に映る七層建ての龍虎塔、 

竜虎塔の西側に位置する 「慈済宮」 と書かれ、屋根にはきめ細かな龍や馬などの動物の彫り物が、色鮮やかに飾られている。

湖面に浮かぶ赤い中国式東屋の五里亭と、観音様の立つ像が、蓮池譚の色彩豊かな景観をつくりだしている。(竜虎塔から)

竜虎塔から望む蓮池譚、手前に赤く見えるのが五里亭である。 中国式の東屋で、反り返るような屋根と鮮やかな色彩が、蓮池譚独特の女性的な美しい景色をかもし出している。

蓮池譚の畔に建つ春秋閣。 龍に乗っている美しいシルエットの観音様、その脇に同じ大きさの建つ二つの塔、春閣と秋閣の八角四層建ての塔が見えている。 女性的で優しい景観である。 

蓮池譚の畔にある竜虎塔や、塔からの景観を楽しんだ後、私たちは高雄市内や湾が一望できる寿山公園に向かって行く。

 寿山公園には10分ほどで到着するが、公園道路の両サイドには熱帯植物が樹林し、所々では赤紫の花を付けた樹木が私たちの目を楽しませてくれる。

高雄市西南部に位置し、サンゴ礁の上にできた丘陵地にある寿山公園、駐車場から40~50段の石段を登った所にある忠烈祠の鳥居、

高台にある忠烈祠には、国のために命を捧げた烈士たちの霊が祀られている。

忠烈祠の鳥居をくぐり抜けて反対方向を見ると、このような高雄市街や湾が一望できる絶景のパノラマが楽しめる。

高雄は 「水の都」 と呼ばれ、港を中心としてアジア有数の国際港として発展を続けている港町である。

高雄は台湾南部の中心都市であり、台湾最大の工業都市でもある。 昔も今も港を中心とした街で、アジア有数のコンテナ港として国際的にも重要な位置を占めている。

超高層ビル群が建ち並ぶ高雄市街の中心部。 中心部も港の近くにある。 高雄は台北に次ぐ台湾第2の都市である。

左前方に聳える超高層ビルは、85階建て350mの高さを誇る台湾第2の超高層ビル(85景観台)である。

忠烈祠の鳥居をくぐり、真っ直ぐにできた石の参道を進んで行くと、立派な門の建物があり、その奥には宮殿式建築様式の美しい建物がある。

この高雄にある忠烈祠は、日本統治時代は、高雄神社として祀られていたものであるが、戦後に忠烈祠として改められた。

広い境内に造られた豪華絢爛な宮殿式建築様式が採用されている忠烈祠の美しい建物。

細かい細工が施され鮮やかな色彩を放つ忠烈祠

高雄市内が見渡される寿山公園からの大展望や忠烈祠の見学を楽しんだ後、私たちを乗せた専用バスは、高雄市内方面に入って行く。10分ほどで市民に親しまれている神様として知られる 「三鳳宮」 寺院に到着する。

この神社は、下の写真のように工事中で、壮麗な建築様式を見ることはできなかった。 

 この 「三鳳宮」 は台湾を代表する道教寺院で、あまりの人気ぶりに信者を収容しきれなくなり、平屋を2階建てに増築した歴史を持つ寺院である。

三鳳宮は1672年に建立され、300年以上の歴史のある道教寺院である。 台湾南部における道教の聖地ともいわれている。

道教元帥、那咤太子を主神に、釈迦如来、孔子、観世音菩薩、福徳生神など様々な神様が祀られている。

三鳳宮の本宮の宮蹟は、三殿に分かれ、中央殿の正中殿には、中壇元帥(那咤太子)が主神として祀られている。

正中殿の右には、安産の神様、左側には福の神様が祀られ、後殿には、釈迦如来、観世音菩薩、文殊賢菩薩などが祀られている。 また、上殿には、道教における最高神が祀られている。

入口に掲げられている 「三鳳宮」 の額 

三鳳宮内部には、このような照明と細かい細工が施された彫刻の天井がある。

三鳳宮の中にある絵図、 絵の靴先がどの角度から見ても 自分の方を見ている不思議な絵図である。

工事中の山鳳宮の奥にある正中殿に向かって順路を進んで行く。

正中殿内部、那咤太子をご本尊として祀っている。

30分ほどの見学時間であったが、壮麗な外観は工事中のために見ることはできなかった。

台湾の人達の信心ぶりが伝わってきそうな寺院であることが、ガイドのりんさんの説明から伝わってくる。

見学を終えた後、15分程の所にある宿泊するホテルに17時40分に到着する。 今日のバス走行距離は280kmであった。

 

ホテルに到着後、しばらくたってから台湾料理のレストランで夕食を摂る。 

中国本土の中華料理よりも台湾海鮮料理の方が、あっさりしているように感じる。 

 美味しさは好みもあるが、どちらも美味しい料理である。 ただ、お酒(紹興酒)は、上海の方が美味しいように感じる。

夕食後、ガイドのりんさんが、近くにある夜店に連れて行ってくれた。 

夜店に数百メートルも続く、大規模なもので、大勢の人達でごったがやしている。 

品物も豊富で、飲食の出店があり、土産物、食品、アクセサりー、衣類など様々なものが売られている。

こうした夜店は、日本では、祭りなどの時しか、ほとんど見かけなくなったが、台湾では常時行われているようである。 

私は、夜店には下町文化の情緒があり、何か私たちの心をウキウキさしてくれるような楽しさがあると感じていた。

夜店の散策を楽しんだ後、ホテルに帰るとすぐにベットに入り、何時の間にかぐっすりと眠ってしまっていた。

 

 


台湾6都市周遊の旅 その①(台中・日月潭)

2011-12-30 12:49:36 | ツアー旅行

2011年10月19日(水)今日は、妻と二人で台湾6都市周遊5日間のツアー旅行に出発する日である。 近所の方にJR熊取駅まで送ってもらって、関西空港に向かって行く。 ツアー旅行の集合時間は15時15分である。 関西空港に集合すると、すぐに搭乗手続きを行い、待ち時間を空港内でゆっくりと過ごした後、予定時間通りに出発のアナウンスが聞こえ、航空機に乗り込んで行く。

17時15分私たちを乗せた、ジエットスター・アジア・エアーウエイズは、定刻に関西空港を出航し台湾台北空港に向かって行く。

機内に荷物などの積み込み作業をする出発間際の関西空港

この航空機の客席は満席で座席も狭く窮屈で、体の大きな人は大変である。 機内食やアルコールのサービスはなく、全て有料であった。 

関西空港から夕陽の赤い日差しを受けながら台湾台北空港へ向かって行く。

 航空機は予定時間通りに台湾台北空港に着陸する。 関西空港からの飛行時間は2時間40分である。

台北空港に到着すると、空港出口にツアー参加者全員が集合、現地ガイドから旅行日程等の説明を受ける。 同じバスで同行するツアー参加者は36名である。  点呼や説明が終わると専用バスで15分程行った所にある台湾料理店に案内してくれる。

台湾料理も中華料理であるが昨年上海を訪れた時の中華料理よりもあっさりした感じがする。 紹興酒も少し飲んでみた。こちらはやはり本場中国の方が、飲み終えた後の味がさわやかであったように感じる。

台北市内で夕食をすました後、私たちを乗せた専用バスは、高速道路を走行して160km先にある台中市内のホテルに向かって行く。

午後10時過ぎのホテルに到着した後は、ガイドのリンさんから翌日のスケジュールについてなどの連絡事項があり、その後、それぞれに指定された部屋に向かって行く。

 10月20日(木)台湾で過ごした初めての朝、6時30分に起床、7時からは2階レストランで朝食(バイキング料理)で朝食を摂る。 朝食を摂ってホテルの外に出てみると空は晴れ渡り旅行日和となっている。  湿度も少なく気温的にも過ごしやすい朝である。 ホテルから道路に出てみると100m程先にコンビニ(セブンイレブン)が見えている。 買い物したいものが少しあって、行って見ると、食べ物以外は、日本のコンビニとほとんど変わらない。

ホテルに戻って出発の準備をした後、8時30分に待っていた専用バスでホテルを出発する。

翌朝の台中市内のホテル前に停車しているツアーバス

バスに掲載されていたツアー

台中市内のホテルを出発し、初めて見る台中市内の様子が観光バスの車窓から見えている。 近代的な建物も多く、街中は清潔な感じがする。 道路の端側は小型バイクが多く、通勤途中なのかヘルメットをかぶった若者たちのバイクが数列に並んで通過して行く。

バスの車窓からの朝の台中市内の様子

台湾の正式名称は中華民国である。 台湾本島は中国大陸の福建省から約150km先の東の海上に位置し、沖縄県のある琉球諸島からは600kmの距離にある。 台湾本島は南北394km、東西の最大幅144km、面積は約36000K㎡で日本の九州程の広さである。 人口は約2300万人、首都は台北市で人口260万人で、台湾最大の都市圏である。 台湾初日に宿泊した台中市は、人口260万人、台湾第三の都市で、 台湾中西部に広がる台中盆地に位置し、周囲は山地に囲まれている。 年間を通じての平気温は23℃の温暖な気候で、雨も少なく、緑も多いことから台湾では最も住みやすい都市といわれている。

バスの車窓からの朝の台中市内の様子、小型バイクも多く、青信号になると一斉に走り出す。

台中市のホテルを出発して20分ほどで、同じ市内にあり、日本と縁の深いは寶覚寺に到着する。

戦前台湾でなくなった日本人居留者の遺骨が納められている台中市内にある寶覚寺。

寶覚寺は1928年に創建されたお釈迦さまを本尊に祀った古刹で、本堂は建物の保護のために、大きな屋根のある建造物で覆われている。 境内には、台湾第2の高さ30mを誇る弥勒大仏像が鎮座している。

正門から屋根つきの建造物にすっぽりと覆われた本堂を観る

建物保護のためにすっぽりと覆われた本堂、入り口には神の使いとしての2頭の像が配置されいる。

満面の微笑みを浮かべ私たちを迎え入れてくれる大きな布袋様、高さが薬30mもある大きな像である。

寶覚寺境内には、戦時中に亡くなった台湾出身日本軍人の3万3千人の霊が、「平和平魂観音亭」で祀られ、「霊安故郷」と刻まれた慰霊碑(左)が立てられている。

台中市内の寶覚寺を見学した後、高速道路の3号線に入って行く。 片側2車線の立派な高速道路で大変良く整備されている。

私たちを乗せたバスは、高速道路を軽快に走り続けている。 バスの車窓からは、日本とは異なる南国情緒豊かで、広々とした田園風景が広がっている。 走行方向の左側は、幾重にも重なる山稜がが霞んで見えている。 右側は山一つない広々とし、都市や田園風景など走行する度に景色を変えている。 都市の工業化もかなり進んでいるようで、台湾の今日の繁栄を見る思いがしてくる。 

私たちを乗せたバスは、やがて高速3ご号線から6号線の日月潭方面へ向かって行く。 山が近くなり、バナナなどを栽培する果樹園が多くなってくる。

バスは高速道から一般道へと入り、どんどんと高度をあげて行くと、突然車窓が広がり、満面に湖水を湛えた日月潭(にちげつたん)の美しい景観が見えてくる。

 日月譚は台湾中央部に位置する台湾最大の湖であり、台湾で最も秀麗な高山湖である。 海抜760m、面積100k㎡、周囲37km。湖の北側が太陽の日輪、南側が三日月の形をしていることから名前がついたといわれている。 風光明媚な日月譚は国立風景区に指定されている。 特に日月譚から見る夕日は美しいといわれ、秋の名月は双譚秋月と呼ばれ、台湾八景のひとつに数えられている。 湖畔には文武廟や玄奨寺などの見どころがあって、台湾を代表する観光名所の一つとして知られている。

日月潭(にちげつたん)の案内図

日月潭にある文武廟の入り口門(廟門)

文武廟は1938年に建立、1975年に再建された台湾最大級の中国宮殿で、内外の人々に親しまれた廟でもある。 

日月潭展望側から文武廟を望む

門の後方には大きな獅子が見えている。 左側の獅子は門に隠れて見えないが、左右に分かれて巨大な獅子が控え、廟を悪魔から護っている。

文武廟は斜面に建立され、湖に近く、下の段に位置する建物が拝殿、中間に位置する建物が武聖殿、後方の建物が大成殿(孔子廟)の三段に構成されて造られている。

廟前の広場には、左右二つの朱色で造られた獅子が悪魔を追い払うように造られている。

廟門から文武廟拝殿を観る

文武廟(ぶんぶびょう)は、日月譚の北部湖畔に位置し、日月譚観光の名所になっている。  廟門をくぐると広い境内があって、階段の上には堂々として鮮やかな色彩の文武廟の建築物が、威厳を発揮するように建てられている。 

「武聖殿」の額が掲げられた中殿(武廟)

文武廟には孔子、文昌帝君(学問の神様)、関聖帝君(関羽、戦の神様)やその他の神様を一堂に集め、文武両道の神様を祀っていることから 「文武廟」 と名付けられている。

 黄金食の華麗な線香立てと見事な赤い彫刻をほどこした拝殿

入り口にある文武廟の額と、その上には細かい細工の彫刻物が色鮮やかに並べられている。

天井には見事な一刀彫の細かい仏像が一面に飾られている。

獅子と龍などが彫られた細かい彫刻物の柱、文武廟で特に有名なものにあげられている。

文武廟の額のある壁面には勇猛な武将のレリーフが嵌められている

勇猛な武将を描いた細かいレリーフの壁面

文武廟より廟門と日月潭を望む

 拝殿側面にある通路から中間に位置する武聖殿の景観

拝殿の側面の通路を上り、武聖殿の横の通路から拝殿の建物を望む。どの建物も色鮮やかな色彩と彫刻が施されている。

色鮮やかできらびやかな細工や彫刻がほどこされた拝殿の屋根とひさしの部分

拝殿の裏側の部分

 

武聖殿の朱色の柱と色彩豊かなきらびやかな建物

壁一面に三国志などで活躍した勇猛な武将たちの活躍する姿を描いたレリーフが飾られている。

大成殿前にある九頭の龍の彫刻 

大成殿の三階ある展望台、文武廟の美しい屋根と日月譚の景色が一望できる。

日月譚は、山々が輪のように囲み、湖面に映し出される美しさは格別といわれる。また、朝陽と夕陽の美しさや、やわらかい月の美しさも格別な味わいがあると伝えられている。

 周囲を山に囲まれた日月譚と文武廟の屋根、湖面を行き交う観光船が漂い情緒を一層高めている。

孔子像の前で流暢な日本語で説明する台湾ガイドのリンさん。 見識が深く豊富な知識には驚かされる。 

孔子=(紀元前551年~479年)儒教の創始者、諸国を歩き道を説く。 晩年は故郷に帰り、弟子を教育、仁を理想とし、礼を説き、後世歴代王朝より尊ばれ、数々の尊称が与えられた。 孔子と弟子たちの言行録が書物にまとめられ、論語として発刊され、多くの人々に大きな影響を与えた。

武聖殿の中段に祀られている関羽と岳飛(見えている像)の祭壇前でりんさんの説明を聞く人達

岳飛(1103年~1141年)は三国時代の南宋の武将(関羽より少し年代が下がる)。無実の罪を着せられ、誅殺されるが、無実が分かり救国の英雄として長期にわたり称えられる。

関羽( ~219年)=三国時代の武将。張飛と共に蜀の皇帝劉備につかえ、赤壁の戦いなどで功があったが、呉との戦いで戦死する。

美しい色彩を放つ仏像の彫刻物が飾られたドーム状の天井 。

三国時代の武将関羽は、蜀の皇帝劉備につかえるが、人並み外れた武勇や義理を重んじる人物として多くの人達から親しまれている。

敵の曹操や同時代の人達から称賛され、今なお中国本土や香港などでも人気の高い神様として祀られている。

線香立てからから廟門、日月譚を望む

 日月譚と文武廟、台湾を代表する観光地で、見ごたえも十分であるが、ツアーでは限られた時間内での観光である。

もっとゆっくりと観光したいとの思いを強く残しながら、専用バスに乗り込み、日月譚を後にして次の目的地に向かって行く。

時間もお昼前になっていて、バスで15分ほど行った所にあるレストランと、黒たん(黒くて堅い家具など使われ珍重される木材)の加工製品を販売する店に到着する。 昼食の台湾中部の田舎料理を摂ったあと、ショッピングを楽しむ。 私は黒たんの靴べらやお箸などを購入する。

昼食後は次の目的地である台湾南部の中心都市で、水の都として発展する高雄方面に、私たちを乗せたバスは走行して行く。

専用バスは一般道から高速道路6に入り、しばらく走行した後、高速3号線に入り、高雄方面に向かって行く。

軽快に走行しているバスの車窓からは、緑豊かな嘉南平野が広がり、台湾の美しい農村風景を見せている。 

高雄は台湾最大の工業都市で、昔も今も港を中心にした街で、アジア有数のコンテナ港として重要な位置を占めている街である。

専用バスは高速道路のサービスエリアに入って行く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


クルーズから上海の夜景・・・江南4都市巡りの旅ー⑨

2010-03-23 16:00:17 | ツアー旅行
 2010年1月25日(月)中国ツアー旅行の4日目の今日は、朝から上海市内の観光を続け、夕方には同じ市内にある中華料理店で夕食をごちそうになった。
 夕食後は、上海中心部のビジネス街に建つ、超高層ビルからの夜景を楽しむグループと、黄浦江の遊覧船からの夜景を楽しむナイトクルーズのグループとの、二つの観光が計画されている。
 私たちは黄浦江から夜景が楽しめるナイトクルーズを選んだ。
 夕食後にクルーズ乗船乗場のバスに乗り換えて、10分ほど走ると遊覧船乗り場に到着する。 
 目の前の乗船桟橋には、白い船体と、その後方に水車のような推進機の付いた遊覧船が繋留されている。
 早速、私たちは遊覧船に案内されて乗船し、階上にある展望デッキに上って行く。
 展望デッキに上り、暫く周辺の夜景を楽しんでいると、遊覧船はカシャカシャと音をたてながら黄浦江を就航して行った。
 このクルーズは、上海市内をジグザグに流れている黄浦江から、外難のクラシック建築や、浦東ビジネス街に建つ超高層ビル群などの夜景を、40分間にわたって楽しむコースである。

           
       黄浦江からの上海高層ビル群が林立する夜景を楽しむクルーズの遊覧船

 上海市は人口1900万人で、重慶市に次ぐ中国第二位の規模である。商業、金融、工業などでは中国最大の都市に発展、アジア第二位の株式市場を誇り、急速に発展している。
 上海経済の発展を象徴する地区が、黄浦江の東側に広がる浦東エリアで、国際的なビジネス街としての存在感を高め、世界中から情報がもたされている。
 その中心的なシンボルに位置するのが、世界第3位の高さ468mを誇る東方明珠塔(とうほうめいじゅとう=テレビ塔)と、その周辺に林立する超高層ビル群である。

           
   租界時代に建設された歴史的建築物が残り、その一帯にずらりと並んでいる外難方面の夜景

 カシャカシャと音を発てて進む遊覧船デッキの両サイドには、すばらしい上海の夜景が見えている。
 黄浦江の川面にも、船体を華々しいネオンで飾りつけたような、遊覧船が行き交い、クルーズの夜景を一層美しく引き立ててくれている。
 黄浦江の川面からは、何時までたっても飽きることのない夜景が見えているが、難点は真冬の上海クルーズのデッキは寒く、それに、冷たい夜風が追い討ちをかけるように吹いてきている。

 乗船して直ぐに見えてきたのが、上記写真の外難(がいなん)で、租界時代の面影を残す建物が、ライトアップされ、横一列に並んで見えている。
 上海外難は、黄浦江西岸の中山一路一帯の地域である。
 1842年アヘン戦争でイギリスと戦った清が敗れ、その時に結ばれた不平等な条約が南京条約である。
 この条約により開港した上海に、イギリスが租界(外国人居留地)を設けたのがその始まりである。 
 これを契機としてイギリス、フランスなどの領事館を皮切りに租界が形成され、後に日本やアメリカも租界を開き、相次いで列強各国の企業や金融機関が進出、「東方のウオール街」と呼ばれるようになっていった。
 この当時に建設されたホテルや金融機関のビルなどが、昔のままの歴史的建造物として残り、現在も新たな施設として使用され、当時の面影を伝えている。

※ 阿片戦争=1840年~1842年にわたったイギリスと清国(中国)との戦争、清が英国よりのアヘンの密輸を禁じた為に起こった。イギリスの勝利となり、清は香港をイギリスの譲り、上海、広東などの港を開くことを約した南京条約を結んだ。

※ 阿片(あへん)=未熟なけしの実の乳液を干して作った褐色の粉末、アルカロイドを含み、催眠性をもつ、中毒作用を起こしやすい。医薬用としても使用されている。 

           
        明るい色彩の電燈を飾り付けて行き交う遊覧船と黄浦江河岸の夜景 

           
         華やかな灯りをつけ黄浦江を行き交う遊覧船と上海都心部の夜景

           
            中国人バスガイドの女性(中央)と一緒に記念のショット

            
遊覧船からの高さ468mの東方明珠塔(とうほうめいじゅとう)アジアで一番高いテレビ塔

 19995年に完成したアジア一の高さを誇り、上海のシンボルとして親しまれているテレビ塔。世界第3位を誇る高さ468mで、球体を串刺しにしたようなユニークな姿をしている。
上球、中球、下球と呼ばれる3つの球体部分に展望台が設けれ、中球の地上267m地点にはメインの展望台がある。
 メイン展望台の360度にわたる広いフロアーには、記念品の売店やカフェーなどがあり、眼下の大絶景やちょっとしたショッピングを楽しむことができる。

           
 遊覧船からの東方明珠塔と林立する超高層ビルが光輝く、上海中心部の浦東ビジネス街の夜景

           
   遊覧船の展望デッキの川面から眺める東方明珠塔と周辺に林立する高層ビル群の夜景

            
青いライトの上海№1の高さを誇る上海ワールドファイナンシャルセンター(森ビル) ビルのガラス側面がネオン広告塔のビル

 日本の森ビルが開発・運営を手掛ける超高層ビル「上海ワールドファイナンシャルセンター」が2008年8月にオープンした。地上101階建て、高さ492m、2009年7月現在で世界第2位の高さを誇っている。
 世界最高地点にある大絶景の展望台やレストランなどは盛況で、連日多くの人たちが訪れる人気スポットになっている。

           
 40分間にわたる外難のクラシック建築や浦東の高層ビル群の夜景を楽しんだ、黄浦江ナイトクルーズを終えて下船する人たち。

 約40分間にわたって林立する近代的な超高層ビルや、聳え立つテレビ塔など、黄浦江の川面からの美しい夜景を堪能することができた。
 遊覧船の展望デッキからの夜景はすばらしく、上海を訪れる機会がある人には、是非お勧めしたいコースである。 
 ナイトクルーズから急速な発展を象徴するビジネス街、浦東エリアの夜景、日本の大都市とは一味違った魅力を感じさしてくれる。
 ただ、冬場の上海は沖縄と同じくらいの温暖な地域だろう・・、と当初は思っていたが、実際は大阪の気候と、ほとんど変わらず大変寒かった。 
 特にナイトクルーズでは、ジャンパーや外套などが必要である。
 こんな、寒いナイトクルーズで会ったが、私たちは、寒さにもめげず、ほとんどを遊覧船の展望デッキで過ごし、飽きることのない川面からの素晴らしい夜景を楽しみ、私も妻も大満足であった。

 黄浦江からのナイトクルーズを終えた私たちは、専用バスに戻り、上海市内に宿泊しているホテルに帰り、上海最後の夜を過ごしていった。
 
 1月26日(火) 朝5時30分に起床し、帰国の荷物をまとめ、6時30分にホテルを出発する。
 夜明け前のホテルからしばらく一般道を走り、まばらに車が走行している高速道を、上海国際浦東空港に向けて走って行く。
 しばらく高速道を走っていると、上海浦東国際空港手前の東方向の空が赤く染まり、太陽が昇ってきている。
 赤く染まった美しい夜明けの状況を、しばらく眺めていると、上海浦東国際空港に到着する。
 
           
 朝早くホテルを出発、高速道路から上海浦東国際空港の出発ゲート前に入って行く専用バス

           
今年5月から始まる上海万国博覧会のマスコットもおかれている上海浦東国際空港出発ゲート

           
     間もなく私たちを乗せ上海浦東国際空港から関西空港へ飛び立つ中国東方航空機

 出国手続きも順調に完了、搭乗前の1時間ほど待ち時間には、出発ロビー内のラウンジで、今回のツアー仲間の人たちとコーヒーなどを飲見ながら談笑してくつろいでいた。
 やがて、搭乗案内のアナウンスがあり、午前9時55分、私たちを乗せた中国東方航空機は、上海空港を離陸、関西空港に向かって飛び立って行った。
 航空機は順調に飛行し、定刻の13時00分に関西空港に着陸する。

           
上海浦東国際空港から関西空港に着陸、移動用のモノレールから関西空港国際線ゲートの中国東方航空機

 今回の中国「上海と江南4都市巡り5日間」のツアー旅行(1月22日(金)~26日(火))で初めて訪れた中国、急速な経済成長を続け、大きく変貌をしつつある中国の4都市(上海、無錫、蘇州、朱家角)の観光を終え、振り返って感じることは、
 ①高速道路を数時間走っても山が見えない中国の国土の広さと、内陸部まで通じている運河の長さやその歴史。
 ②急速な経済成長による大規模な高層住宅建設現場や高速道路などの都市基盤工事の多さ。
 ③上海地域に住む人たちとの共通点の多さ(人種、文化、習慣など)。
 ④恵山寺や寒山寺など建築や庭園、仏教などが中国から伝わってきていることの実感。
 ⑤高度成長している都市の姿にも、かつての日本の姿が映る。
 ⑥メイドインジャパン商品の知名度や親近感のある人たちの多さ。
 以上の様なことが思い浮かんでくる。
 今までは中国が遠い国のように感じていてが、この旅行を経験することによって、中国が急に身近に感じるてくる。
 距離的に帰国路の2時間という飛行距離も、北海道に行っているような気楽さを感じる。
 文化的には随所に、日本との共通点も多く、永い歴史的な両国の絆を感じてくる。
 現在は日本と中国の間には、様々な問題点も存在しているが、今後はお互いに相互理解を深め、日中友好関係が一層に発展するように望みながらの帰国の思いであった。 






中国の風情が・・名庭園「豫園」江南4都市を巡る旅-⑧

2010-03-17 15:02:21 | ツアー旅行
  2010年1月25日(月)上海と江南4都市巡り5日間のツアー旅行も4日目に達し、午前中に上海市内の博物館などを見学、豫園商城内の中華レストランで昼食を済ました。その後、中国の明や清の時代の街並みを再現、中国らしい風情満点の豫園商城を見学する。
 豫園商城には、外国からの観光客も多く訪れ、大きな賑わいを見せている。
 豫園商城と隣接した場所にある中国の名園 「豫園=よえん」の入り口に案内されてやってきた。
 白壁で造られた高い塀の中央部分に入口があり、数人の人たちが入園券を購入する為に並んでいる。
 私達もガイドのカクサンが入園手続きをしてくれ、完了後に入場門をくぐり抜けて庭園に入って行く。
 豫園の「豫」は「愉」に通じ、「楽しい園」という意味があるらしく、豫園は外難と並ぶ上海2大観光スポットで、上海を訪れた人は必ず訪れるといわれている。
 豫園入口の正面には、大きな石が置かれ、その石には「海上名園」と彫られている。
 石の後ろには、堂々とした三穂堂(さんすいどう)が建ち、風格のある屋根には三国志で有名な武将の勇ましい像がある。
 三穂堂は1760年の創建で、その名は豊作を祈願して名づけられたといわれ、扉の装飾には稲や麦などの豊作物が描かれている。
         
           
「海上名園」と彫られた石庭と豊作を祈願して建てられた三穂堂、屋根の上には三国志で活躍した張飛と関羽の像がある。 

           
   三穂堂の屋根、三国志で活躍した関羽の像、日本ではあまり見かけない屋根の像

 豫園は、四川省長を務めていた上海出身の潘充端が、父親を喜ばす為に造園した庭園で、1559年に着工している。しかし、完成するまでに18年という永い歳月を要したことから、父親は完成した豫園を見ることなく亡くなっている。
 造園したのは、明代(1368年~1644年)の代表的な造園家、張南陽によるものであった。
 豫園は、江南庭園の特徴である建物、太湖石、水、樹木の四つの要素を巧みに調和さして、中国らしい見事な庭園を演出している。 

           
豫園のなかにはたくさんの獅子像があるが、仰山堂の脇にあるこの像は豫園唯一の鉄で出来た獅子である。 
 
           
 石と水が織り成す造形美と、建物の屋根が反り返る中国らしい風情を感じさしている仰山堂(ぎょうざんどう)

 この建物は1866年に建てられ、池に囲まれた建物からは、2000トンの武康黄石を積み上げた、高さ14mの築山(大假山=たいかざん)を一望できるように造られている。
 その堂々たる形状の造園美は、造園当時とほとんど変わらないといわれている。
 
           
 建物から池と庭園のシンボルである高さ14mの大假山(たいかざん)を中心に、池やお堂・石などを見事に配置された庭園

           
        築山の石や樹木の配置と建物と池とを見事に調和さした仰山堂の庭園

           
太湖石(石灰岩)の奇岩と樹木を巧みに配して造られた仰山堂の庭園、日本庭園とは造園の原点は同じかもしれないが、違ったイメージが湧いてくる。

 仰山堂から白壁の所々にある、細工を施した通し窓を見ながら進んでいくと、万花楼の入り口に達する。
 入って直ぐに東屋があり、その向こう側には白壁と太湖石や樹木を巧みに使った庭園が出来ている。
 東屋と庭園の間には池が造られ、池の奥にも白壁の塀が造られている。
 白壁は洞窟のイメージを引き出すかのようにアーチ型でくりぬいて造られ、奥の池にも通じている。 
 この場所は時々御見合いの席にも使われていたようで、初対面の男女、どちらかが、この東屋に座り、向こう側に造られている廊下の窓から、相手に知られずに観察されていたようで、お見合い独特の雰囲気が伝わってくる。
 どうやらこのようなお見合いの雰囲気は万国共通の様に感じられる。

           
お見合いなどに使われた魚楽榭という東屋と、太湖石の奇岩を使った庭園、じっとしているとお見合時のイメージが湧いてくる。

           
  万花楼内の通路から庭園と、御見合いの席に使われた奥にある魚楽榭(東屋)を見る。

           
 万花楼前の広場には大きな木が2本立ち、その前には庭園が造られている。周辺には中国の風情をかもし出す、幾数もの反りあがった屋根が見事な景観を現している。

           
この建物のもとは明代(1368年~1644年)の花神閣で、その後の清代(1644年~1912年)に再建された万花楼。
       
 この万花楼の建つ広場から周囲を眺めていると、中国建築様式の美しさが伝わってくる。
 反りかえった屋根や、雲が流れていくような建物の設計など、随所に中国建築らしさを感じさしてくれる。
 この広場には樹齢400年といわれる銀杏の木が立ち、建物の向かいには、池をはさんで太湖石の湖石假山の中国らしい美しい庭園が造られている。
 また、この広場に訪れた多くの観光客が、奥行きのある庭をバックに盛んにカメラのシャッターを切っている。 
 どうやらこの場所は観光客の絶好の撮影ポイントのようである。
 
          
 広場の前にある万花楼の庭園、石灰石の奇岩と、白壁で造られた通し窓の彫り物や樹木がうまく調和し美しい庭園に仕上がっている。
 花の季節には、違った光景が楽しめそうである。 

           
 開けた口の中には真珠を現す石が入り、白壁沿いに、今にも動き出しそうな表情を表している龍壁

 中国で龍は皇帝のみが使えるシンボルであったが、豫園の龍は本来5本である爪を4本にすることで「これは龍ではありません」と申し開きができたのだといわれている。
 それにしても、見事な龍で、塀の機能と龍の彫刻を一体的に表現した手法には感心させられる。

           
             多くの人達が訪れ賑わっている点春堂 

 1851年に発生した中国市場最大の内戦「太平天国の乱」で、100万人以上の人たちが犠牲となった。
 乱に呼応し、武装蜂起を企てた「上海小刀会」の指令本部が、この建物である点春堂であった。 
  
           
  点春堂の前と奥にある小さな建物が打唱台で、芸能の歌唱などが行われる舞台でもあった。

           
小刀会が壊滅し建物は破壊されたが、1868年に再建された点春堂。内部には内戦当時の武器や自鋳の通貨、発布文書などが展示されている。

 豫園は清朝(1644年~1911年)末期には、二つの歴史的な事件により荒廃していたようである。
 ひとつはアヘン戦争(1840年~1842年)で、戦争後のイギリス軍によって占領され破壊される。
 もうひとつは、表記している太平天国の乱(1851年~1864年)であった。

           
点春堂と向き合って建っている打唱台。屋根の造りや装飾など細部にまで、意匠を凝らした優美な造りに仕上がっている。

            
手前の建物は打唱台で奥の建物が快楼。 壷の形をした門、豫園にはこのような形の門が幾つか造られている。

           
美しい池のある庭園を眺めながら、池の上に出来た和熙堂(わくどう)の回廊を通り会景楼へ向かう人たち。

           
     豫園の中心にあり、三方を池や築山に囲まれたロケーションに建つ会景楼

 会景楼という名は豫園のなかで、特に景観が美しいという意味からきている。
 会景楼の側には、天空で玉を奪い合うような2体の龍が、真ん中に玉を置き、向かい合っている姿も、白壁沿いに造られているのも印象的であった。 

          
 会景楼から池を隔てて月見が出来るように造られている。正面にある建物が得月楼である。
 かつて十五夜になると、この部屋から池に映る月を愛でたとされ、建物の名もこれにちなんだといわれている。

           
 得月楼から円形の門を通して会景楼方向にある庭園の池やを建物を見る。池に架かった石橋付近には赤い鯉が集まり、独特の風情をかもし出している。

            
最初に豫園を造った「潘充端」の書斎であった「玉華堂」、書斎の席からは 玉玲瓏の庭園が眺められるように造られている。

           
        江南三大名石のひとつと称される太湖石の奇岩で出来た庭園の玉玲瓏
    
           
太湖石は穴が多く複雑な形ほど美しいとされ、玉玲瓏の奇岩には72個の穴が開いている。水を注げば流れ落ち、香をたけば全ての穴から煙が立ち上がるといわれている。中央の石が玉玲瓏、高さは約3.3m。

           
玉華堂前と同じ池に架かり、波打っている渡り廊下に反り上がった屋根や、屋根の上にある装飾品などが、より一層の重厚さを感じさしてくれる老君殿。 

           
         三国志の武将や鳥など複雑な飾り物が設置されている老君殿の屋根 
    
 上海の中心部にある名庭園の豫園、門前にある豫園商城や上海老街と共に、上海の一大観光スポットとしての大きな賑わいを見せている。
 大変なる豫園商城の活気ある街並みから、静かな雰囲気に包まれている豫園に入園していくと、その静かなたたずまいをかもし出している建築物や、庭園の美しさから戸惑うほどであった。
 ルンルン気分にさしてくれる豫園商城から、心の落ち着きとや、すらぎを感じさしてくれる豫園の名庭園。
 どちらも中国らしい様式を巧みに取り入れ、風情を味わせてくれる名所である。
 今回のツアー旅行で、無錫にある恵山寺の庭園や、蘇州の留園など、中国を代表する庭園を見学してきたが、どちらも甲乙をつけがたい名庭園であった。
 中国と日本の庭園の造園手法には、共通点も感じるが、違いも多いように感じる。
 共通点は禅の世界でいわれるように 「心」の字体を元にする造園技法である。
 日本庭園は、周りの自然や、大小の石や砂、樹木などの組み合わせに重きをおいているよう思えるが、中国では庭石そのものの美を強調したり、建築物や壁などの細工を、こまめに多く施しながら、庭園全体を造っているように思えてくる。
 いずれにしても、庭園は世界各国で造られ、その手法もヨーロッパとアジアでも全く違う様に、その国や地域に住む人たちの、生活様式や習慣、国の風土や気候、産物である石や樹木・水などの影響を受けながら造られている。
 私にとって、静寂に包まれた庭園を見ることは、落着きと平安を感じ、大きな楽しみで、今後も機会あるごとに見学していきたいと考えている。
       

中国独特の風情が漂う「豫園商城」と「上海老街」ー⑦

2010-03-03 16:20:01 | ツアー旅行
 2010年1月25日(月)今日は午前中に、中国4000年の歴史を体験できる上海博物館などを見学した後、中華風の風情と賑わいに酔いしれる豫園商城(よえんしょうじょう)にやってきた。
 豫園商城内にある老舗の中華レストランで、点心料理による昼食を済ました後、豫園商城や同じ地区内にある上海老街(しゃんはいろうがい)を見学することになった。
 豫園商城や上海老街は、中国江南の名園として知られている「豫園=よえん」を取囲むように広がっている一大ショッピング街である。
 豫園商城は、明や清時代(1368年~1912年)の街並みを再現した上海老街などと共に、中国の風情が漂う街として多くの観光客が訪れている。  

          
       昔からの中国らしい雰囲気をかもし出している上海豫園商城の建物

 車道沿いに面した通りにある中国風の建物、木造ではなく鉄筋コンクリート造の建物らしく、豫園商城街区は、このような建物が一街区全てに建ち、そのスケールの大きさに驚かされる。
 上海を訪れた旅行者は、必ず訪れるといわれている一大観光地の豫園庭園や、豫園商城・上海老街の街。
 この街は、世界の中でここだけにしかない、独創的な魅力を持った街として発展している。

           
  中国のレトロな雰囲気をかもし出し、数百年前にタイムスリップしたような豫園商城の景観

           
   豫園商城と書かれた看板が掲げられた門をくぐると、別世界の街並みの雰囲気が漂っている。

          
   豫園商城内の反り上がった屋根など、中国風の風情ある景観が、旅の情緒を高めてくれる。

          
  豫園商城の広場に出ると、周りにある5~6階建ての建物全てに、中華風の独特の情緒を感じる。

          
日本のお城のような建物が聳え、1階の店舗には老舗も多く、お土産などの買い物や中国風の珍しい商品が並び、見ているだけでも旅の楽しさが湧いてくる。 

          
豫園商城から豫園へ行く途中にある緑波池に架けられた橋で、九つの曲がりがあることから 「九曲橋」 と名づけられている。

 この橋に、ジグザグに曲がりをつけたことについて 「橋の曲がった角度によって、周辺の景観が楽しめる」 ことと、 「後ろから追ってくる悪霊が、角を曲がりきれずに池に落ちてしまう」 と言い伝えられている。

           
 豫園入口の前に広がっている 「緑波池」 という蓮の池、池には九曲橋が架かかり、虹のかかった噴水の側には女性像が立てられている。

          
       九曲橋から、多くの人たちでごったがやしている豫園商城を見る。
           
           
 中国では現在に至っても春節を盛大に祝っている。街の至る所にこのように華やかな飾がされている。

 豫園商城と同じ地域内には、上海老街(しゃんはいろうがい)という清代末期に出来た全長825mの街がある。
 ここは、上海で最も早く金融機関が出来た街で、かつては貴金属店、金銀細工店、飲食店、劇場など16店舗があり、豫園の人々が行き交った場所であった。
 上海の絶好の位置と、街沿いを歩く人々によってできた、この街は、商業と文化が豊かに発展して栄え、この地域の歴史と、独特の風情をかもし出している。

           
上海老街は豫園商城に隣接、独特の風情のある街であるが、商店街にはスリが多いのか! このような警察官が立っている姿を至る所で見かける。

           
中国では昔から春節(旧正月今年は2月14日)を盛大に祝う習慣がある。上海老街にも春節の華やかな飾りが施されている。

                            
            豫園商城の池の隣りにある天下の名園「豫園」の入り口  

 私にとって、ここ、上海豫園商城は驚きの連続であった。
 中国上海を訪れたアメリカや日本などの閣僚も、必ず、ここを訪れるといわれている。
 下町の風情がありながら、中国そのものの文化や歴史など、味わい深いものを感じさしてくれる。
 商店街を行き交う人の多さも驚きであるが、商店街を歩きながら、各商店に並べられた商品や飾りなどを見るのも大きな楽しみであった。
 お土産などの買い物には、絶好の場所で、私達も袋一杯のお土産を買ってしまった。
 豫園商城に入って、夢中になりながら歩き周り、買い物などしているうちに、予定時間がきてしまったようで、私たちはガイドのカクサンに連れられて、次の訪問先「豫園」入り口に向かって行った。
 豫園は、九曲橋の架かった緑波池の隣りにある。
 豫園入り口は、緑と高い白壁に囲まれた中ほどに造られ、その前には、多くの人たちが訪れて入門の順番を待っている。
 
           
      

中国(4000年の歴史が漂う博物館)江南4都市を巡る旅-⑥

2010-02-26 19:06:56 | ツアー旅行
 2010年1月25日(月)今朝は上海市内のホテルで朝早くから起床する。
 7時からのバイキング料理で朝食を済まして、ホテル前に停めている専用バスに向かって行った。
 ホテルの玄関を出ると、右側に花束を飾りつけた華やかな車が目に入ってくる。
 車もこのようなきれいな花を飾りつけると、全く違ったイメージが湧き、花嫁の嫁入り道具の一つなのか! 
 それとも、この車に乗って新婚旅行に出かけるつもりなのか!
 と想像したくなってくる。
 はっきりしたことは分からないが、いずれにして、中国富裕層の結婚のお祝いの車だと思われる。
 私たちを乗せた専用バスは、午前8時30分にホテルを出発し、上海中心部にある上海博物館に向かって行った。
 今日は上海市内観光が予定されている。

           
              宿泊した上海のホテルで見かけた花嫁の持参車か?

 今朝は少し冷え込んでいるが天気はよさそうである。
 ホテルを出発し、一般道を上海中心部へ向かって行く。
 道中の右側にある鉄道路線には、真新しい白の車体の中国新幹線が通り過ぎていく。
 今年の5月から開催が予定されている上海万博までには、上海と北京が新幹線で結ばれるとのことであった。
 バス前列の車窓から、中国ドライバーの車の運転状況を見ていて驚く。
 日本では考えられないような、割り込み運転が非常に激しい事であった。
 女性ドライバーは少なく、ほとんどが男性ドライバーであるためか、ほんの少しの車間距離でも、指示器なしで割り込み車線変更をしてくる。
 車の前部を先に突っ込んだ方が優先権を得ている
 遠慮していると、いつまでたっても進むことができない。
 特に日本の一般的な女性ドライバーの運転技術だと、大変な状況になりそうである。
 これでよく事故や、トラブルが起こらないものか! とある意味では感心する。
 
           
               博物館に行く途中で見かけた寝台特急バス

 このバスは日本では見かけない寝台特急バスで、広い中国では1000km以上の長距離も定期運行されており、縦に寝台が作られている。運賃は高額であるが人気のあるバスのようである。

           
               市内で見かけた小型の清掃車

 車窓から見かけた街をきれいにするコンパクトな清掃車。日本でも見かけないような軽自動車のようなコンパクトさである。

           
            博物館に向かう道中の車窓から見る上海のオフィス中心街 

 上海中心部に聳える高層ビル群を前面に見ながら暫く行くと上海博物館駐車場に到着する。
 博物館は、上海の中心地である人民広場に建ち、上部層は丸い円筒状の容器である鼎をイメージして作られている。
 (鼎=かなえ、てい、三本足で二つの手持ちのある底の深い容器で金属が多い)

           
       古代の容器・鼎(かなえ)をデザインして作られた円筒形の上海博物館

 上海博物館は、1952年に中国古代博物館として建設されたが、1996年に現在の形に改装されている。
 収蔵品数も貴重な資料や骨董が収集され、青銅器、陶器、書画、玉器など21種の12万点を誇る中国屈指の博物館で、建築総面積39200㎡、4階建ての荘厳な造りの建物である。
 
           
                南側にある上海博物館の正面玄関
 
 私たちは、こちらの正面玄関から入館して行く。館内は一階から4階まで、ご覧のような吹き抜きになっている。
  上海博物館は
       1階    ①中国古代青銅館    ②中国古代彫塑館
       2階    ③中国古代陶壷館      
       3階    ④中国歴代絵画館    ⑤中国歴代書法館  ⑥中国歴代印象館
       4階    ⑦中国少数民族工芸館 ⑧中国歴代銭弊館  
                                               からなっている。
                             
            
                博物館内の1階から4階までの吹き抜けホール

 博物館の所蔵品の中でもとりわけ青銅器と陶磁器、書画のコレクションは世界的にも有名といわれている。

           
                 美しい帆船の図柄が入った陶器

 陶磁器は中国が世界に誇る工芸品で、展示室には、先史時代から近代まで、500点もの貴重な陶磁器が陳列されている。
 青色と白の美しさや、形状や柄など、特に私の印象に残った展示品であった。

           
             口が二つある変わった形状と鮮やかな青色図柄の花瓶

            
          模様といい、柄といい、申し分のない絵図の中国陶器の美しい花瓶

            
          河童の様な親子を表した陶器  敗者の上に乗ってご満悦の唐三彩の天王像

           
  中国は古代から焼物文化が発達していた、動物の犬やらくだ・馬などや鳥の焼物など多く展示されている。

            
           太鼓と支える金属の台 複雑の突起物などの形状の鼎(かなえ=手持ちと足のついた金属の深い容器)

           
               左上写真の太鼓を支える複雑な形状をした金属の台

            
             仏像の石碑  像全体に金粉を施し、ゆったりとした表情を見せている木造の仏像

 1階にある中国古代彫塑館には、春秋戦国時代から明代までの、仏教彫刻を中心に多くの作品が展示されている。
 仏像の表情は各時代において異なっているようであるが、右上写真の仏像の表情、表現技術は見事で、思わず見とれてしまいそうである。

 上海博物館の見学時間は1時間で、駆け足の見学であった。
 収蔵している内容や数の多さからいって、とても1時間では満足のいく見学ができるものではなかった。
 博物館を見学して感じることは、中国4000年の歴史の深さや、その幅広さには圧倒されそうで、日本文化の原点があるようにも思えてくる。
  
 見学を終えた私たちは、入館した時とは反対の出入口から出て行く。 
 出口を出ると、そこは大理石が敷かれた大きな広場になっており、周辺には、ここが上海の中心部を現すような、近代的な高層ビル群の建物が数多く建っている。

           
         博物館北口を出た所から正面に見えている上海人民政府の建物

           
       博物館からの上海中心部に建つユニークな形状をした高層ビル群の景観

           
     博物館が建つ人民広場、公園のようによく整備された場所からの高層ビルの景観

           
上海の1月は東京や大阪と同じような気候だが、よく整備された人民広場には美しい花が咲き、その向こう側には近代的なビルが立ち並んでいる。

 上海博物館の見学を終え、専用バスに戻った私たちは、同じ市内にある、総合民芸店に立寄って、上海に来た人は必ず訪れるといわれている天下の名園「豫園=よえん」に向かって行った。

           
  豫園周辺は上海の旧街で中華風のレトロな建物が建ち、観光施設と商業が一体となった街である。

 豫園のある地区は、名庭園、商店、旧市街が合体した一大観光センターになっている。
 豫園観光の駐車場に到着すると、ガイドのカクサンは、豫園商城内にある中華料理店に案内してくれ、点心料理の昼食をいただいた。
 この地域は、大阪難波にある歌舞伎座を中華風にしたような建物が立ち並び、多くの人たちが訪れて、すごい賑わいを見せている。
 

 

中国(水郷の風情が漂う古街・朱家角)江南4都市を巡る旅-⑤

2010-02-21 13:41:48 | ツアー旅行
 2010年1月24日(日) 「中国上海と江南4都市巡りの旅」ツアー旅行も、22日に関西空港を出発。上海・無錫と旅を続け、今日は、午前中に蘇州市内にあり、世界遺産にも登録されている「留園=りゅうえん」や、寒山寺などを観光する。
 昼食後は、東洋のベニスと云われ、水郷情緒たっぷりで、1000年の昔にタイムスリップしたような「山唐街」を遊覧船から楽しんでいた。
 その後、私たちは蘇州を後にして、江南の水郷古鎮として知られている「朱家角=しゅかかく」に向かって行った。
 蘇州を専用バスで出発したのは、午後3時近くであった。
 
                         
              高速道路インター周辺の高層住宅の現場  

 蘇州にある高速道路インターチエンジからの、大規模な高層住宅の工事現場を車窓より見かける。
 世界一人口が多く、発展途上国の中国では、住宅需要が逼迫しているのか、行く先々で大規模な住宅建設工事現場を見かける。
 発展している中国の海岸部の人口だけでも、4億から5億人が暮らしているといわれ、需要の大きさは、日本とは比べようもないほど大きいかも知れないが、それにしても、すごい需要で、今後も当分の間、このような大規模工事が、中国各地で続いていくと思われる。
        
           
            蘇州からの道中、バスの車窓から見かけた三輪自転車

 朱家角に向かっている車窓から見かけた三輪自転車、自転車には旅行姿の女性が乗り、大きなスーツケースや、お土産と思われる荷物を満載にして走っている。

 蘇州から私達を乗せた専用バスは、高速道路を暫く走ったあと一般道へ入って行く。
 朱家角へ向かう道路はよく整備され、やがて、片側2車線の美しい並木道に入って行く。
 並木道の続く車窓からは、池や庭園のある公園や湖が美しい景観を見せ、所々にある洋風の家並が私達の目を楽しませてくれる。
 専用バスは、蘇州を出発して1時間ほどで、江南地方特有の水郷の街「朱家角=しゅかかく」に到着する。
 
 朱家角(しゅかかく)は、上海市中心部と蘇州の中間に位置し、上海市青浦区に属している。
 朱家角は、明代(1368年~1644年)に栄えた古鎮(こちん=日本では鎮めるという意味だが、中国では名所や旧跡など、古い街という意)で、街の中心を流れる漕港河と、その支流に36の古橋が架けられている。
 朱家角の街の中で、最も古く、シンボル的な存在の拠点が、放生橋(ほうせいばし)で、1571年に建造されている。
 放生橋は、石造りで、五つのアーチを架けた堂々とした美しい橋で、水郷の風情が、たっぷりと漂っている。
 
            
               朱家角にあった中華料理店のメニュ (一元は15円)

 江南の水郷古鎮「朱家角」にある広い駐車場前には、古鎮ならでわのたたずまいを見せる中国風の建物が建ち、一階の商店には、多く人たちが訪れて賑わっている。
 街の一角にある中華料理店を覗いて、メニューを見みると、上記写真のような内容であった。
 メニューの一番上にある料理が3元=45円、その下の料理が5元=75円、24元=360円と続いている。
 日本よりもはるかに格安であるが、中国の人たちにとってはどうだろうか!

 ガイドの説明によると、中国(上海近郊)の一般企業に勤めるサラリーマンの月収が5万円(年収=60万円)、エリート層の月収が10万円(年収=120万円)程度とのことであった。

 また、女性を嫁がす場合の条件は、相手男性が、所有する家を持っていることで、上海市内のマンション分譲価格は、日本と比較しても大差はないようである。
 息子に甲斐性のない場合は、親がマンション購入資金を出さなければならず、ローン支払いの為、ただひたすら働くのみとのことで、娘は持つのは良いが、息子を持つ親は大変だとのことであった。

           
 水郷の古鎮「朱家角」のシンボル的存在である放生橋周辺の休憩施設、多くの人で賑わっている。
 
           
  駐車場前の景観、横に長い中国風の建物が、古鎮「朱家角」の都市景観を形成している。  

                       
       朱家角駐車場前を、観光客を乗せて通り過ぎて行く観光用の三輪自転車 

           
  みやげ物から日用品、工芸品など様々なものが店頭に並び、多くの人で賑わう朱家角の商店街  
 
 駐車場から、ガイドのカクサンに案内されながら進んでいくと、放生橋と路地のある狭い商店街の分岐点に出てくる。
 私たちは、大勢の人たちで賑わっている商店街の方に進んでいく。

                          
店頭の商品で、丸くて白いのは餅で甘くて美味しい、奥の商品は肉を竹の皮で包み、紐でくくって醤油で煮た名物の孔肉。

朱家角の商店街で店頭に並んでいる商品(食品)の日本語表示がなく、どういった商品か分からなかった。ガイドの女性に尋ねると、丸くて白いのは、お餅で大変おいしいとのことであった。
 さっさく購入して試食してみると、美味しさにびっくりする。日本では味わったことのない、甘い餅素材そのものの味であった。

                          
店頭に並んでいる商品、正面は肉を醤油で味付けて煮たてた骨付きの豚肉、その両側や奥の商品は、竹の皮で包んだ名物の孔肉。 

            
路地のような狭い商店街、日本では見かけない珍しい商品が並び、大勢の観光客で賑わっている。 

                         
運河に架かった石で出来た太鼓橋からの景観、明清時代の面影が残る古い水郷の風情を感じる。  

                          
修復されたのか新しい石で出来た太鼓橋を潜っていく手漕き舟、船頭の鮮やかな漕ぎ方が板につき、水郷のレトロ調の雰囲気を味合わせてくれる。

           
              太鼓橋からの水郷の街の景観 高い建物は円津禅院

           
朱家角は漕港河とその支流に囲まれた47平方kmの小さな村であった。水運が発達、大小様々な石橋や渡し舟が古鎮内で暮らす人々の生活を支え、その一役を担っていた手漕き舟。
           
 漕港河から円津禅院、元の時代の1341年に出来た禅院で黄色い壁が特長、観音菩薩も祀られている。

            
朱家角は中国江南地方の産品である綿や絹などの商品を、運河や長江を通して中国全土に運ぶ水運と共に繁栄していた古鎮で、その面影を伝えている朱家角の港風景。

           
 5つのアーチ型の石から造られている放生橋と、行き交う小船や古鎮らしさを見せている建物が、朱家角のシンボル的な美しい景観をかもし出している。
           
           
         放生橋から見る白い壁と、黒い屋根が続く、朱家角の古い街並みの景観

 朱家角観光のメインと思われる運河沿いに出来た古鎮の風情。
 白黒を中心としたレトロ調の街並みの景観と、行き交う手漕きの木造船が、水郷の風情を一層高め、古鎮の情緒を味わせてくれている。
 私たちは、元来た放生橋の袂に帰り、石で出来た太鼓状の放生橋の階段を上って行く。
 この橋は漕港河に架けられ、橋の中心の一番高い所に達すると、朱家角全体の古鎮の景観が良く見え、いにしえの時代に帰ったような気分にさしてくれる。
 橋下の漕港河には、停泊している手漕き舟と、古鎮の風情が漂う周辺の白壁と、黒い瓦の街並みが、異国情緒を一層高めてくれている。

 時間も黄昏時にせまり、灰色にかすんだ西空に、陽は沈みかけ、その周辺の上空を明るくしている。
 その一方、陽の当らない古鎮内にある建物の灯りが、輝きを増している様に見えている。
  
 ほどなくして、私たちの朱家角観光も予定時間に達し、今日の宿泊先である上海中心部へと向かって行った。
 今夜の夕食は、上海中心部にある船上レストランで予定されている。
 私たちを乗せた専用バスは、上海市内の高速道路を通りレストランに向かって行った。
 上海中心部に近づくにつれて、若干の渋滞が見られたが、1時間ほどで到着する。

           
            上海中心部にある船上レストラン、夕食の中華料理

 上海市内にある船上レストランの中華料理店は、5階建て位の船を河に係留して、営業している店である。
 船なのか、建物なのか良く分からなかったが、レストランは少し横に傾き、内装の飾りなどがから、船内いる雰囲気を醸し出している。
 広々としたレストランも満席で、多くの人たちで賑わっている。
 
 今回の中国旅行の食事は、朝食がホテルでバイキング料理、昼食と夕食は、それぞれの訪問先で、丸テーブルを囲んでの中華料理であった。
 メニューは多少の違いはあるが、ほとんどが同じ様な料理であるが、日本よりもあっさりした味のように感じる。

           
               ガイド実習生の蔡潔如さんから頂いた人形

 上海市内の船上レストランでの夕食も終わりに近づいた頃、私の側にガイド実習生の蔡潔如さんが来られ、
 「私はこの夕食後に、皆様をお送りして家に帰ります。明日は実習はありませんから今日でお別れです。次回、上海に来られたら、私の家にも来てください。」
 と言われ、写真の人形をプレゼントしてくれた。
 私も 「日本に来られた時は、是非、大阪の家の方にも来てください」 と話しをしてブログやメールアドレスを交換した。
 蔡潔如さんは大学を卒業したばかりで、日本語での会話が少しできる程度である。
 これからは日本語をもっと勉強して、今後の仕事に活かしたいと、前向きな考えと生き方をしている、可愛らしい女性である。

           
          ガイド実習生の蔡潔如さん(蘇州にある江南の名庭園「留園」にて) 

           
           私が今年初めて挑戦した松竹梅と蔡さんにいただいた人形 

 船上レストランでの夕食を終えた私たちは、今回のツアー旅行一日目に宿泊した上海市内のホテルに向かって行った。
 ツアー旅行4日目の明日は、上海市内の博物館や名庭園などの観光を予定している。