気ままな旅

マイカーでの気ままな旅で、束縛された予定や時間にとらわれない、自由奔放な行動をとる旅の紹介です。

四国の名峰 石鎚山(標高1982m)への登山

2011-08-03 14:32:01 | 

平成23年7月15日(金) 今日は西日本最高峰、四国の名峰である石鎚山(標高1982m)への登山を計画していた出発の日である。

石鎚山登山は予てより登りたいと思っていたが、なかなかチャンスが訪れなかった。 今回も一週間ほど前から天気予報が気になり、注意を払っていたが、登山日の16日(土)は、申し分のない天気予報であった。

 今年になって妻がはじめたパートのため、南大阪の自宅を出発出来るのが、午後7時頃にならざるをえなかった。  

 15日(金)出発日の当日は、私が自宅で愛車に必要な荷物を積み込むなどの準備をした後、妻を勤め先まで迎いに行く。 妻を迎えた後、近くのスーパーで夕食の買い物を済まして、阪神高速道湾岸線を走行して行く。 途中から神戸線に入り、第二神明道路、国道2号線の加古川バイパス、姫路バイパスを終点まで走行、そこから3kmほど先にある山陽自動車道龍野ICに入って行く。

今夜は高速道路での車中泊を予定しているが、明日の登山予定を考えると、どうしても四国に入り、出来れば松山道の石鎚山SAまでは行きたいと思っていた。 しかし、山陽道龍野ICに入った時点では時間も午後10時近くになっていた。

 今回利用している愛車は、燃費の良いトヨタラクテイス(1500cc)を使用している。  山陽自動車道でもほとんど休憩をとらずに、倉敷JCTから四国方面の瀬戸中央自動車道に入って行く。 いつもは瀬戸内海の真ん中にあり、風光明媚な与島PAで休憩するが、そのまま走行し、高松道、松山道に入って行く。 時間も午後11時を過ぎている。 そのまま走行していくと12時前後には、石鎚山SAに到着出来そうであった。 

 休憩も撮らずにかなり高速走行した結果、予定通り12時10分に石鎚山SAに到着する。  到着すると直ぐに車中泊の準備に取り掛かった。 ラクテイスは後部座席を倒すと、座席がフラットになり、身長170cm位の人までは、真っ直ぐに足を伸ばして眠ることができる。 車の全ガラス面には手製で造った、プラスチックのパネルを嵌めこむと、外から車内は全く見えなくなる。 冬季には断熱材としての効果もある。   夏場にはいつもポータブルバッテリーを持参しているため、エンジン停止状態でも、車内に備えている小型の扇風機で、一晩中回して涼をとることも可能である。 (エンジンをかけた状態では、騒音や振動が激しく眠ることができない為にいつもOFFにする)

 長ドライブのせいか、車内で横になると直ぐに眠りにつく。 心地よい扇風機の風が、体にあたり、暑さを忘れさしてくれ、ぐっすりと眠ることができた。

7月16日(土)朝6時頃に目覚めると、すぐに車外に出て天気を確認する。 今日は予報通り登山にはもってこいの上天気になりそうであった。 早速、出発の準備と朝食を摂り、7時頃には石鎚山SAを出発する。

 石鎚山には幾つかの登山ルートがあり、私たちは、石鎚スカイラインの終点である土小屋からのルートを選らんだ。 当初は松山自動車道の西条ICから山麓下谷まで行ってロープウエーを利用、山頂に至るコースを考えていたが、私たちの登山後の予定である高知の実家に帰省することと、ブログなどを参照した結果、土小屋からのルートがベストであると判断した。

 石鎚山SAを出発して松山道を20分程進むと川内ICに到着する。 一般道の国道11号に出て、しばらく走ると石鎚山方面国道494号と書かれた案内標識がある。 標識に従って右折し走行して行く。 この道路は道幅も狭く、曲がりくねった山岳道路である。 40分ほど走行して行くと石鎚スカイラインにでてくる。 

石鎚スカイラインは 紅葉の名所で知られる面河渓(おもごけい)の入口から石鎚山の登山口である土小屋までの18kmのドライブルートである。 途中の展望台からは、石鎚山や日本滝百選の一つである御来光の滝などが遠望できる。

 曲がりくなった石鎚スカイラインを走行して行くと、車窓からは四国山脈の奥深い山稜が幾筋にも分かれ、豊かな緑の自然と共に遠近感ある美しい山々の景観を楽しませてくれる。 アルプスのような山稜で何時まで経っても飽きのこない景観である。 そんな中でも特にひときわ高く聳えたつ石鎚山の美しさは抜群である。

石鎚スカイライイから見る石鎚山(標高=1982m)、西日本の最高峰の山である。

古くから信仰の山として親しまれてきた石鎚山、日本100名山にも数えられ、わが国で最も古くから讃えられた名山のひとつである。 「日本霊異記(にほんりょういき=平安時代初期に作られた日本最初の仏教説話集」 にもその名が現れている。 石鎚神のいます山としてあがめられ、まだ山岳が仏教の影響を受けない昔からの名山であった。

石鎚山の山名は、山岳宗教「石土毘古神 (いわづちびこのかみ)=石鎚神社の祭神として知られる神で、木造建築の基礎の土台や壁などから家を守る神として知られている) を古くから祀っていたことから石鎚山と呼ばれるようになった。

一般に石鎚山とは、石鎚祠や神社の建物がある弥山(みせん=標高1974m)、と弥山からやせ尾根を15分ほど行った所にある最高峰の天狗岳(標高1982m)、さらに尖がった岩壁の南尖峰(なんせんぽう)の三山を総称して石鎚山と呼ばれている。

石鎚スカイラインの終点で石鎚山の登山口でもある土小屋(つちごや)駐車場(標高1492m)と、そこからの西側の景観

ひときわ美しい山容を現している土小屋駐車場からの石鎚山の景観

石鎚スカイラインの終点にあり、石鎚山登山口の土小屋にある売店や宿泊施設

石鎚山頂上の奥社には行けない人達の為の土小屋にある石鎚神社遙拝所。

石鎚スカイライン土小屋(現在地)→石鎚山登山ルートの図

石鎚スカイランの土小屋駐車場に到着してから、直ぐに登山準備を整えて、リュックとカメラを背負って登山を開始する。 私たちが歩き始めた頃、父兄を交えた小学生100人位の一行と一緒になった。 年に一度の愛媛県からの学校の行事で先生と保護者が引率している。

土小屋登山口から石鎚山の山頂まで4.6kmの標識がでてくる。 午前10時00分、私たちは木立に囲まれ、よく整備された緩やかな登山道をゆっくりと登って行く。

登山開始直後のよく整備された緩やかなアーチ型の登山道をゆっくりと進んで行く。

緩やかな登山道を登り、しばらく行くと右手に瓶ケ森(標高1896m)の女性的な山稜が見えてくる。

登山道から見る瓶ケ森(標高1896m)の景観

さらに緩やかな登山道を登って行くと一面笹に覆われた中に立つブナの原生林が現れ、下流域から心地よい涼しい風が吹き抜けていく。

石鎚山系のブナ林は標高1200mあたりから多く見られ、栄養分を多く含むブナの果実は、人間が食べられる程のようで、野生動物にとっては、貴重な餌になっているとのことであった。

 

ブナの林を抜けると今度は左側に雲のかかった石鎚山頂が見え、道脇には休憩しやすいように原木で造られた長椅子が置かれている。 

 

石鎚山を前方に見ながら少し登って行くと、下山途中の人達が休憩をとっている。 この人達と一言の挨拶を交わした後、さらに登って行く。

登山開始から一時間近くたった頃の登山道左側の景観、石鎚スカイラインの通行ルートが見渡せる。

さらに石鎚山の山頂部分を見ながら、緩やかな登山道を登って行く。

南尖峰に聳え立つ矢筈岩、この下に登山道があり、約400mに渡っての区間が、落石の危険地帯である。

鋭い岩壁のある南尖峰下の落石危険地帯の登山道、落石などで崩れやすいのか! ご覧ように木橋で出来ている。

この危険地帯を抜けてしばらく行くと、西条側のロープエーからの表参道と合流する鳥居のある地点に到着する。

この地点から最後の急こう配が頂上まで続く、石鎚登山の最大の難所で険しさが伝えられている。

頂上までの急斜面には、二の鎖(49m)、三の鎖(62m)のある岩壁が登山者を待ち構えている。 

しかし、私たちは、登山人数の多さや体力から考えて、鎖ルートは危険と考え、う回路で登頂を目指すことにする。

ロープウエー方面からの登山道との合流地点で、石鎚山岳信仰の信者の白装束を着た多くの方々が休憩をとっている。 ここから山頂まで急斜面で二の鎖(49m)、三の鎖(62m)があるが鉄桟橋の迂回路も整備されている。

合流地点で石鎚山信仰の衣装をまとった方々も、ここで休憩をとっている人が多い(鳥居上部から撮影する)

左側が急坂の二の鎖(49m)ルート、右側ルートがう回路方面、経験者や若い人を除き一般の方々は迂回路ルートを登って行く。

迂回ルートも急坂で鉄でできた階段や鉄板で、急斜面を横切るように作られている。 時々、手や橋を滑らせた脱落事故も発生している。頂上まで急坂が続く迂回路の鉄桟橋は、道幅約2mぐらいで、中央に手摺が付いているが、谷側には何もなく、谷底深い絶壁の斜面に作られている。 その為に通行する折には、どうしても緊張感が漂ってくる。 高所恐怖症の方は大変である。

最後の鉄桟橋を通過すると、間もなく南面が開け、面河本谷が眼下に広がり、南北を尾根で挟んだ山稜には、北側が雲で覆い尽くされ、幻想的な風景を見せている。

う回路の急斜面の続く最後の鉄桟橋を登り切った頂上付近の景観、尾根北側は雲に覆われている。

尾根を境に北側は、すっぽりと雲に覆われ、幻想的な風景を見せている。

頂上(弥山)への最後の石段で左側には売店や宿泊施設があり、真っ直ぐ行った奥が石鎚神社のある弥山頂上である。

弥山頂上にある鎖で覆われた、石鎚神社を支える神聖な岩場

午後12時10分 弥山頂上にある石鎚神社前に到着する。 登り始めてから2時間10分である。

 弥山頂上に立った時、登りきった感動が湧いてくる。 決して難しい登山ではなかったが、とうとう西日本最高峰、四国の名峰である石鎚山の頂上に立つことができた。 

 頂上からの視界は北側が雲で得覆われているが、南側は良好な視界が広がり、美しい四国の屋根と言われる山容を見せている。 いつまでたっても飽きることのない景観である。 

ご覧のように弥山頂上にある石鎚神社の境内には、多くの登山客で賑わい、昼食を摂ったり、休憩をしたりして、思い思いに楽しんでいる。

弥山頂上(標高1974m)の石鎚神社前で、思い思いに過ごし、くつろぐ人達。 中央の木板でできた看板には 「石鎚山標高1982m」 と書かれ、標識の前では、記念撮影を撮る人達も多く見られた。

弥山頂上の岩場に腰掛けて弁当を広げている若い女性と、後方にある石鎚山最高峰の天狗岳(1982m)

石鎚山最高峰の天狗岳(標高1982m)であるが、ご覧のように北側はすっぽりと雲で覆われている。

弥山から石鎚山最高峰の天狗岳(標高1982m)へ行くためには、難所であるこの鎖場を降りなくてはならない。 私たちも降りて天狗岳に行こうとしたが、疲れと妻と二人は危険と判断して天狗岳への登山は断念した。 天狗岳にはこの鎖場を降りると15分ほどで行ける。 帰りも同じルートである。

多くの信者や登山客の参拝で賑やう石鎚神社の頂上社

弥山頂上の石鎚神社のさらに上にある小さな鳥居と右奥にある石の祠

石鎚山弥山頂上からの展望や石鎚神社への参拝、昼食などをして過ごした後、13時30分、元来た道を下山して行く。

急こう配の下り坂は、脚膝への負担も大きく、階段は半歩半歩、ゆっくりと下山する。 (土小屋と西条ロープウエー方面の合流地点)

急こう配の続く合流地点を過ぎると緩やかな下り坂が続き、土小屋との中ほどの木の長椅子などのある地点では、多くの人達が休憩している。

この地点を過ぎてからも最初の登山口である土小屋に向かって、列をつくりながら下山する人達

私たちも下山を続け15時15分には土小屋登山口に到着する。 到着した後、土小屋にある石鎚神社遙拝所の神殿にて道中無事に登山できたことへの御礼の参拝を済まし、マイカーをとめてある駐車場に帰っていく。

永年の願いであった石鎚山にやっと登ることができた。 石鎚山は古くから日本七霊山に数えられた四国の名峰である。 3年ほど前には同じ四国の名峰である剣山(標高1955m)にも登っているが、石鎚山は一味違った趣のある山である。 石鎚スカイラインの土小屋周から見る石鎚山は、奥深い山々、切り立った谷の上に聳え立つ雄姿を見せてくれる。 周りの瓶が森(標高1896m)や笹ヶ峰(標高1860m)などの美しい山々も見渡される景観の良さも抜群の山である。

石鎚山の豊かな自然は、登山道の脇まで続き、特にブナなどの巨木の自然林、その下を覆い隠す樹木、そこにはマイナスイオンの涼しい冷気を感じ、心地よい気分に浸ることができた。 まさに自然豊かな山岳や森林環境があった。

そして、頂上付近の断崖絶壁で出来た岩場、その先に尖がった細長い貝のような頭の部分の片方は、切り立った絶壁、もう片方は深い谷底まで続く険しい斜面で構成されている。 猫の額ほどの頂上部には神社が造られていて、山岳信仰の強い信仰と、信念を感じさせられる山である。

現在では鎖やう回路が造られているが、開山当時は一般の人達は近づけない、仙人や修行者たちのみに、登ることを許された、神の山であったろうと思われてくる。

現在は、子供から大人までの老若男女が多く登山し、頂上付近では登頂を果たした人達でごったがやしている。 地元や一般の人達から大変親しまれた山であるように思える。

私も、今回石鎚山に初登頂したが、秋の紅葉シーズンには、また、来てみたくなる山である。

ただ、体力的に5年前の御嶽山登山の時よりかなり劣ってきているようで、今後、自宅近くの山やウオーキングなど、日頃の鍛錬の大切さを感じさしてくれた今回の登山であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (komo)
2013-05-25 12:37:47
とても参考になりました。
明日初めて登ってきます!
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お立ち寄りありがとうございます。 (希間々兼行)
2013-05-25 16:08:02
Komoさま
ブログへのお立ち寄りありがとうございます。
明日の登山、好天に恵まれ、安全で、石鎚山の素晴らしさが実感できますようにお祈りいたします。
返信する
Unknown (宮本章)
2013-05-30 16:33:43
こんにちは
6月に青森から出かけていきます
松山に6泊して、天気の良い日に登ろうと考えています

とても詳しいブログは参考になります
写真もいいですね
ありがとうございます
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お立ち寄りありがとうございます (希間々兼行)
2013-05-30 21:52:23
宮本 章 さま
 お立ち寄り、及び コメントありがとうございます。
 青森から四国までは、遠く大変な旅だと思いますが、好天に恵まれ、石鎚山へ無事に登頂できますようにお祈りいたします。
 四国松山周辺は見どころ多く、名所もたくさんあります。
 道中の安全と良い旅をお祈りいたします。
返信する
埼玉県警 秩父警察署 山岳救助隊長が自殺 原因は署幹部によるパワハラか? (埼玉県警 秩父警察署 山岳救助隊長が自殺 原因は署幹部によるパワハラか?)
2016-08-17 15:54:04
埼玉県警 秩父警察署 山岳救助隊長が自殺 原因は署幹部によるパワハラか?
署幹部 秩父警察署署長は 斎藤保
http://blog.livedoor.jp/lvdoorsaitama/



<秩父署警部自殺>署幹部との関係で悩みか「無能」「小学生以下だ」
2016年7月25日(月)

 今月10日、自宅で自殺しているのが見つかった秩父署地域課長兼 県警山岳救助隊長の男性警部(52)が残した遺書に、「決裁をあげる都度、指示の内容が違う」「無視されている」などと署幹部との関係についての悩みが書かれていたことが25日までに、親族や関係者への取材で分かった。埼玉新聞の取材に対して親族は「(警部は)警察の仕事にやりがいを持っていた。こんな目に遭うのは自分が最後にしてほしいと思っているはず」「隠さずに真実を明らかにしてほしい」と話している。

 警部は8日朝まで勤務し、9日と自殺した10日は非番だった。県警は11日、警部が自宅で首をつって自殺したことを明らかにした。県警は、署幹部によるパワーハラスメントがあったかも含めて経緯を調査している。署幹部は現在、署に出勤していないという。

 親族によると、遺書はA4判のノート約4ページにわたって、仕事の苦労や「悔いなく後の人生を過ごしてください」などと親族へのメッセージが記されていた。

 遺書は「俺がいかに駄目で使えない人間であるかは、指導記録ノートに記録されています」という言葉で始まり、「書類も直しが多く、3~4回差し戻されるので決裁は山積みになってしまう」「1カ月前には『そんな先のことは分からない』と言われ、別の日には『1カ月前に調査するものだ』と言って対応してくれない。その時々で方針が変わり、対応に苦慮する」などと書かれていた。

 親族の話では、署幹部が着任した今春以降、警部は週1回程度の当直勤務のほか書類作成のため週1回程度、署に泊まっていた。急きょ泊まった後には「徹夜でやっと仕上げた」と話していた。休日は月に1日程度で、「(署幹部のところに)行くだけで心臓がドキドキしてしまう」などと漏らしていた。署幹部に「無能だな」「小学生以下だ」と言われ、自殺直前にはうなだれ、目はうつろだったという。

 遺書には部下の頑張りや山岳救助隊員の体調を気遣う言葉もあった。警部は「訓練日数の確保は困難であり、厳しい環境下での訓練は事故発生の危険があります。将来を見据えて対応が必要です」と記し、「今回の件を境に、刷新を図る必要があるでしょう」と結んでいた。

 親族は「(警部は)もう戻っては来ないけれど、隠さずにしっかりと真実を明らかにしてほしい」と訴えた。

http://www.saitama-np.co.jp/news/2016/07/26/03.html



<秩父署警部自殺>何をやっても駄目…警部、書類通らず周囲に漏らす
2016年7月25日(月)

 今月10日、自宅で自殺しているのが見つかった埼玉県の秩父署地域課長兼 県警山岳救助隊長の男性警部(52)。「部下の面倒見も良く人望も厚かった」「心優しく、頑強な人だった」―。警部の突然の死に、仕事で付き合いのあった関係者は口をそろえる。

 関係者によると、署幹部が今春に着任後、それまで決裁が下りていた書類が通らず、警部は繰り返しやり直しを命じられていた。ときには、署幹部から「これが警部の作る書類か」などと言われることもあった。警部は「何をやっても駄目と言われてしまう」「俺は何をやっていいのか分からなくなる」と周囲に漏らしていたという。

 自殺直前には、7月19、20日に行われた秩父川瀬祭の警備体制などの企画書の決裁が例年通りの時期に下りず、頭を抱えていた。決裁は、警部が10日に自殺した後に下りたという。関係者は「川瀬祭の企画書のやりとりが最終的な自殺の引き金になってしまったのでは」と話す。

 別の関係者は「押しも押されもせぬ山救隊の隊長。最高の技術を持っていたのに、なぜこんな形になったのか。彼の今までの経験を若い人に受け継いでほしかった」と惜しんだ。

http://www.saitama-np.co.jp/news/2016/07/26/04.html



<秩父署警部自殺>秩父署長が復帰未定 県警、警視9人の異動内示
2016年7月28日(木)

 県警は27日、秩父署長の斎藤保警視を警務部付とし、後任にサイバー犯罪対策課長の愛敬進警視を充てるなど、警視9人の人事異動を内示した。発令は8月5日付。

 秩父署では今月10日、地域課長兼山岳救助隊長の男性警部が自宅で自殺しているのが見つかった。親族によると、男性警部の遺書には「無視されている」など、署幹部との関係についての悩みが書かれていたという。県警は署幹部によるパワーハラスメントの有無も含めて調査している。

 県警警務課によると、秩父署の斎藤署長は今月15日から「休養」のため出勤しておらず、復帰時期は未定。臨時の人事異動を内示した理由について、同課は「署長不在により、署の運営に支障を来すため」と説明した。

 秩父署地域課長兼山岳救助隊長には、鴻巣署生活安全課長の坂田浩警部が8月1日付で就任する。

【警視】

 警務部付(秩父署長)斎藤保

▽監察官(刑事部管理官兼生活安全部管理官)木村宏志
▽サイバー犯罪対策課長(幸手署長)大村正幸
▽刑事部管理官兼生活安全部管理官(児玉署副署長)坂本雅彦
▽秩父署長(サイバー犯罪対策課長)愛敬進
▽幸手署長(監察官)三好幸彦
▽自動車警ら隊主席指導官兼副隊長(朝霞署副署長)浅見敏
▽朝霞署副署長(生活経済課環境犯罪対策室長)大塚和人
▽児玉署副署長(自動車警ら隊主席指導官兼副隊長)藤宮秋雄

http://www.saitama-np.co.jp/news/2016/07/28/06.html

埼玉県警 不祥事
https://twitter.com/saitamatwitt
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優秀な方を亡くし大変残念におもいます。 (希間々兼行)
2016-09-04 08:50:44
山岳救助にはなくてはならない大切な方、大変残念に思い胸が痛みます。
 この方は、常日頃から、いかなる気象条件の中でも、尊い人命を一人でも多く救いたい、という強い責任感を持って訓練に励んでこられた方だと思います。
 この人の提出書類の件での、署幹部の対応には、憤りを感じてきます。
 どこの会社でも組織でも、現場の第一線で、強い責任感を持って活動されている方と、毎日机に座って、事務処理や管理をしている方との、書類作成の上手下手は、どこにでもあります。
 署幹部の方が、相手の弱点を探し、それを根拠に相手の方を罵倒するような言動は、許されるものではありません。
 幹部の方は、警察という組織の役割や本質をどれだけ理解しているのでしょうか!
 どんな組織でも、幹部の方の役割は、現場で働く方々の、周りの状況や変化する環境を理解しながら、
活動しやすい状況や環境を、作り上げられように意識し、最善の努力をしなければなりません。
 担当する現場の課題や問題点など、現場の方との対話通じて、改善の努力をしなければ、組織は活性化されません。
 この署幹部の考え方は、常に自分のことだけを考え、上の幹部には、ゴマするようにご機嫌伺い、下の者には、厳しく、あるいは、罵詈雑言を浴びせる。
 このようなやり方は、決して許されるものではありません。
 警察内部の改革を断行し、二度とこのような事件が発生しないように切望します。
 
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