気ままな旅

マイカーでの気ままな旅で、束縛された予定や時間にとらわれない、自由奔放な行動をとる旅の紹介です。

見事な眺望の富士五湖からの富士山

2010-07-28 19:20:09 | 気ままな旅
 2010年5月5日(水)子供の日、太宰治の富嶽百景で知られている御坂峠からの富士山や、天下茶屋、太宰治文学記念室を見学した後、元来た道を下って河口湖の畔までやってきた。
 この場所は古賀政雄記念公園と名付けられ、河口湖の北側湖岸の霊峰富士山のビューポイントとして名高い場所に造られている。
 桜の花は残念ながら散っているが、湖岸にはピンクや白の芝桜が咲き誇り、富士山と湖との見事な眺望を現している。 
 午後からは富士山の頂上付近には雲がかかり、霞んで見えにくくなっているのが残念であった。
 私たちは河口湖北側にある湖岸道路を、富士山の眺望を楽しみながら西湖に向かって愛車を進めて行く。
  
 あらためて富士山の噴火によって出来た富士五湖について述べたい。
 今日は朝早くから、富士山の湧水群で有名な忍野八海や山中湖の見学や撮影をしてきた。
 これからは、河口湖や西湖の湖岸道路を通り、精進湖、本栖湖を見学する予定である。

 富士五湖は、山梨県側の山麓に位置する5つの湖の総称で下記の5つの湖をさしている。
 ①本栖湖(もとすこ =富士河口湖町、身延町)
 ②精進湖(しょうじこ=富士河口湖町)
 ③西 湖(さ い こ=富士河口湖町)
 ④河口湖(かわぐちこ=富士河口湖町)
 ⑤山中湖(やまなかこ=山中湖村)  
 いずれの湖も富士山の噴火によって出来た堰止湖で、富士箱根伊豆国立公園に指定されている。

 西湖や本栖湖、精進湖は、かつては剗の海(せのうみ)という一つの大きな湖であった。
 これは、三つの湖の水脈が地下でつながり、湖水面が連動していると考えられている。
 大量の雨が多く降った時には、最も湖水面積が狭い精進湖の東に「赤池」という小さな池が姿を現すことがある。
 これを「富士六湖」または「富士五湖の6番目の湖」などと言われている。
 ただし、湖の大きさは、とても小さて直径50m程度である。
 最近では1998年と2004年に出現している。

 また、富士五湖に含まれない湧泉群の忍野八海も、元は山中湖とともに「宇津湖」という一つの湖であったものが、延暦19年-21年(800年-802年)の富士山延暦噴火により二つに分かれてできた「忍野湖」の名残りであるといわれている。

          
富士五湖の地図(中央の上にある▲が富士山、左から山中湖、河口湖、西湖、精進湖、本栖湖)

 河口湖(かわぐちこ)は、南都留郡富士河口湖町(旧河口湖町、勝山村、足和田村)にある湖で、富士箱根伊豆国立公園に指定されている。
 富士五湖の中で最も長い湖岸線を持ち、最も低い標高地点にある。
 面積は富士五湖では山中湖につぎ2番目の大きさで、最大水深は15.2mと精進湖と並び3番目の深さである。
 湖の中央に鵜の島と呼ばれる小さな島がある。

          
             河口湖からの富士山の眺望

 河口湖は、南側が開けて、そこに富士山の美しい山容が見渡せる湖である。
 特に、湖面に写る逆さ富士は有名で、湖の優れた景勝をあらわしている。
 河口湖は富士五湖の中でもっとも早くから開拓された湖畔が有り、温泉も平成になってから掘削され、多くの入浴客で賑わっている。
 観光施設面でも、富士山の絶好のビューポイントとして人気の高い天上山には、ロープウェイが架けられ、多くの人々が訪れている。
 河口湖にも遊覧船も行き交い、湖畔には、オルゴールの森や、河口湖猿まわし劇場、キャンプ場、そして旅館、飲食店、物産店などがあり賑わっている。

          
             河口湖からの富士八景

 河口湖の北側にある湖岸道路を、車窓からの景観を楽しみながら走行していくと、やがて河口湖岸から離れ、森林の中の道路に変わってくる。
 少し進むと両側が山に囲まれた湖が見えてくる。
 ここは西湖であるが、この位置からは富士山は望めない。
 湖岸の北側に出来た山沿いの道路をさらに走行して行くと、山が開け、公園のような美しく整備された場所が見えてくる。
 湖岸にはボートが何艘か係留され、数台の車が駐車している。
 そして、その前方に、霊峰富士山が雄大な姿を現している。
 しかし、頂上付近には雲がかかり、残念だと思っていたいたところ、急に雲が移動し下記写真のような、見事な富士山を望むことができた。
 道路反対側より行き先が「青木ケ原樹海・西湖」と書かれたレトロ調のバスが通過していく。

 西湖(さいこ)も、山梨県南都留郡富士河口湖町にある湖で、周囲の山々と青木ケ原樹海に囲まれた面積2.1k㎡、富士五湖では4番目の大きさである。
 西湖も富士山の火山活動によって生じた堰水湖で、湖の透明度が高く、淡い藍色をした神秘的な湖として知られ、乙女の湖と呼ばれている。
 最大水深は73.2mで2番目の深さで、天然記念物のフジマリモの群落地としても有名である。
 
          
              乙女の湖と呼ばれる西湖から富士山を望む

 西湖の南側には青木ヶ原樹海が広がっている。
 湖岸には「西湖民宿村」と「根場(ねんば)民宿村」があり、ほかに閑静なキャンプ場等が点在するが、富士五湖の中では最も観光化が進んでいない湖である。
 2つの民宿村やキャンプ場は、小・中学校の林間学校やスポーツ、音楽等のサークルの合宿などによく利用されており、そのための設備(小体育館やテニスコート、音楽室など)を備えた民宿も多い。

          
               神秘的な湖と呼ばれる西湖と富士山を望む

          
              数代の車が駐車している西湖から富士山を望む

 神秘的な西湖の観光を終えた後、湖岸に出来た県道を西に向かって進んで行くと、西湖の湖岸から分かれ森林の道路に変わってくる。しばらくこの道路を走っていると、青木ケ原樹海の中に造られ、交通量の多い国道139号に入り、富士宮方面に走行して行く。
 5分ほど走行すると精進湖の案内板があり、右折すると目の前に精進湖が見えてくる。

          
              精進湖岸に咲く紅い花と富士山の眺望

 国道139号を右に曲がり、曲がりくねった湖岸の道路を走行して行くと、精進湖北側の湖岸道路にさしかかり、湖岸には紅い花が咲き誇り、その前方には見事な富士山が現れてくる。
 私は先ほどの西湖や精進湖から望む、これほど富士山は初めてで、思わず感動してくる。 先ほどの河口湖で、頂上付近に雲がかかり、今日は期待できないと思っていたところ、先ほどの西湖から雲が移動し始め、精進湖では見事な富士山が顔を出し、湖岸に咲く紅い花と共に見事なコントラストを現している。
 
          
          少しずつ頂上付近の雲が移動していく精進湖からの富士山

 精進湖からの富士山の眺望を楽しんでいると、与謝野晶子の歌碑が目にとまってくる。
 石に掘られた歌碑には

  「秋の雨 精進の船の 上を打ち 富士ほのぼのと 浮かぶ空かな」
                                 
                                     と彫られている。

 どうやら与謝野晶子も、富士山の魅力に感動し、感動した心を詠んだ歌碑が多く残されているようである。  
             
                          
           紅い花と見事なコントラストを見せる精進湖からの富士山

 精進湖(しょうじこ)も、山梨県南都留郡富士河口湖町(旧西八代郡上九一色村)にある湖である。
 湖名は、富士参詣者が湖で沐浴して精進潔斎したことに由来する説や、富士の背にあたることから「背地」(せのち)と呼ばれたとする説があるといわれている。
 精進湖も富士山の火山活動によって形成された堰水湖で、流入する河川や湖水の流出口はない。
 精進湖も富士五湖のひとつで、西から2番目、東から4番目にあたる湖である。
 五湖中でもっとも湖水面積が狭く、最大水深は15.2mと河口湖と並び3番目の深さである。
 精進湖は栄養豊富な湖でプランクトンが多く、湖色も緑色である。
 ヘラブナやワカサギなどの魚がが生息している。カヌーの全国大会も開催され、カヌーのメッカとしての知名度をあげている。

          
         頂上付近に雲が無くなり見事な眺望を見せる精進湖からの富士山

          
           公園のように整備された湖岸の精進湖から富士山を望む

 精進湖からの富士山楽しみながら、湖岸道路を本栖湖方面に進んで行くと、先ほどの国道139号線に出てくる。
 この道路を富士宮方面に少し進むと、右側に本栖湖が姿を現し、湖岸道路を走行して北側に出てくると、本栖湖からの見事な富士山が姿を現してくる。
 本栖湖のこの場所は、1000円紙幣に描かれている場所であるが、逆さに映る富士山は、年に数回しか現れないといわれている。
 今回の旅では逆さ富士は望めなかったが、ご覧の様な見事な富士山に対面することができた。 ほんとに幸せを感じる。

          
             千円札に描かれている本栖湖からの富士山の眺望

 本栖湖(もとすこ)は、山梨県南都留郡富士河口湖町(旧西八代郡上九一色村)及び南巨摩郡身延町(旧西八代郡下部町)に跨いで存在する湖である。
 千円紙幣、五千円紙幣の裏面に描かれる逆さ富士のモデルとして有名である。

          
         右側にある山稜から厚い雲が流れ込む本栖湖からの富士山の眺望

 本栖湖岸は山梨県南都留郡富士河口湖町(旧西八代郡上九一色村)及び南巨摩郡身延町(旧西八代郡下部町)に属するが、湖面は境界未定である。
 旧上九一色村では、湖面全てが村に属すると主張していた。
 最大水深は138mと富士五湖では最も深く、面積は山中湖、河口湖に次ぐ3番目の大きさである。
 しかし、近年では水の透明度が低下している。 
 理由はジェットスキーやキャンプファイヤーの排水、ふん害などと、ごみ問題が深刻しているといわれている。
 本栖湖は、UMA(未確認動物)ファンの間で、ネッシーのような怪物、モッシーが出没するということで有名である。

          
              見事な眺望を見せる本栖湖からの富士山

 本栖湖は風光明媚なため、湖畔周辺にはホテルや企業の研修所が並ぶほか、レジャーの場として活用されている。
 観光船による遊覧や、ブラウントラウトやニジマスなどを狙うフィッシングも盛んである。
 ヒメマスの釣り場としても知られる。
 本栖湖は、ウィンドサーフィンのメッカであり、夏季には多くのウィンドサーファーが訪れ、湖面に吹く風を利用して、多くのサーフィンが行き交っている光景が見られる。

           
            与謝野晶子にも詠まれている本栖湖からの富士山の絶景

与謝野晶子の歌碑 「本栖湖を かこめる山は 静かにて 烏帽子が岳に 富士おろし吹く」

 富士山はどの場所から見ても感動する山である。 季節や天候によって、一日の太陽の位置によっても表情を変える山でもある。
 その魅力や奥域には限りない深さがあり、永遠に飽きることのない山である。
 今回の気ままな旅は、いつも利用しているエステイマではなく、新しく購入したマイカーによる試乗ドライブの3泊4日の旅であったが、思いがけないほどの好天に恵まれ、富士山が見事な眺望を見せてくれた大満足の旅であった。

 本栖湖からの富士山の眺望をしばらく楽しんだ後、私たちの愛車は、国道139号に入り、富士宮方面に向かって行く。
 途中、朝霧高原にある道の駅に立ち寄り、再び、国道139号を南下し、富士宮道路を経由、「富士IC」から東名高速道路に入り、大阪方面へ走行して家路について行く。


       

太宰治が滞在した御坂峠の天下茶屋と富士山

2010-07-22 18:57:55 | 気ままな旅
 2010年5月5日(水)午前中の忍野村や山中湖からの富士山や花の都公園を散策した後、私達は国道138号を河口湖方面へ愛車を走らせていく。
 この時点は、行先をはっきり決めているのではなく、ただ、ひたすら、愛車を走らせて車窓からの景観を楽しんでいた。  

          
              河口湖へ行く道中の車窓からの富士山

 その時、昨年も河口湖を訪れた時に、行くことが出来なかった「太宰治の御坂峠」が頭に浮かんでくる。
 そうだ、御坂峠に行ってみよう! と思い、中学か! 高校の国語の教科書の中に出てくる富岳百景の一節の中で、河口湖と富士山の光景を「風呂屋の・・・・」と、見下した文面から、位置を判断して、国道138号から河口湖大橋を渡り、国道137号を北上して進んで行く。
 すると、途中に「天下茶屋」方面と書かれた標識が見え、それに従って進んで行く。 
 ヘヤピンーカーブのある険しい道路を登って行くと、10分ほどで御坂峠天下茶屋に到着する。

          
御坂峠からの河口湖と富士山 太宰治は最初にこの光景を「まるで風呂屋の・・・」と言って見下していたが、

          
           桜の花が満開の太宰治が滞在した御坂峠にある「天下茶屋」

 天下茶屋は、国道137号の御坂(みさか)トンネル河口湖側に建つ昭和9年創業の茶屋である。
富士の眺めの素晴らしさから「富士見茶屋」、「天下一茶屋」などと呼ばれていたが徳富蘇峰が「天下茶屋」の名で新聞に紹介し、その名が定着したと言われている。
 昭和13年頃、作家・太宰治が滞在し、小説『富嶽百景(ふがくひゃっけい)』を執筆した場所で知られている。
 現在の建物は3度目の再建だが、2階には太宰の執筆当時を再現した太宰治記念室があり、愛用の机や花瓶などが展示されている。
 1階では、名物の甘酒など食堂や売店があり、休憩も可能である。
 また建物の前には『富嶽百景』の名文句、「富士山には月見草がよく似合ふ」の文学碑も立てられている。

          
                文化財の指定を受けている 御坂トンネル

 富嶽百景で知られ、太宰治も歩いたであろうこの峠は、旧国道8号線(現県道河口湖御坂峠)で、昭和5年10月着工、翌年11月就労人員述べ36万人余を動員して竣工する。
 双方の入口から出口は見えず、暗闇の中、土工達は景気よく唄いながらセメントを練った云われている。
 全長396m、幅員6m、高さ4mに及ぶこの御坂トンネルは、国の貴重な文化財の指定を受けている。

          
                 天下茶屋からの河口湖と富士山を望む

 天下茶屋からの富士山は、残念ながら頂上付近に雲がかかり見ることが出来なかったが、太宰治が見下した河口湖と富士山の景観をを評した 「風呂屋の・・・」は、時代背景がかなり違うことから、ある角度からの見方であるが、毎日のように富士山を見ていて、太宰治も、その魅力に惹かれていった状況が手に取るように理解できる。
 富士山には不思議な魅力があり、私をはじめ、多くの写真家や旅行者などを虜にしているようである。

 御坂峠からの河口湖や富士山の景観を楽しんだ後、天下茶屋内に入っていった。
 数人の方が訪れて休憩をとりながら、ここからの眺望を楽しんでいる。
 二階の「太宰治文学記念室を見たい」と、店の人に話しをすると、気軽に通してくれ、入館料はとらなかった。
 木造の階段を登っていくと、真ん中に廊下があり、両側には部屋が作られて、現在では資料展示室として利用されている。

           
                 御坂峠からの河口湖と富士山

 太宰 治(記念文学室より)
 明治12年6月19日、青森県北津軽郡金木村に生まれる。戸籍名は津島修治。津島家は、県下屈指の大地主であった。青森中学、弘前高校を経て、昭和5年東京帝国大学仏文科に入学した。
 昭和11年に第1創作集「晩年」を出版。以後、昭和23年6月14日、39歳でこの世を去るまで、「斜陽」、「人間失格」「桜桃」「走れメロス」など約200編に及ぶ作品を遺した。
山梨県との関係も大変深く、昭和13年9月13日から11月16日までの約3ケ月間、御坂峠天下茶屋に滞在する。当時の天下茶屋は 外川政雄・八重子夫妻が経営しており、井伏鱒二等の多くの文化人が滞在している。
 この間、甲府の石原美智子と見合いをして、よく14年1月、井伏鱒二氏の媒酌により結婚、甲府市御崎町(現、朝日5丁目)に8月まで滞在した。
 山梨県に関わる作品としては、天下茶屋滞在の様子を執筆した「富嶽百景」をはじめ、「新樹の言葉」、「畜犬談」、「美少女」、「薄明」などがある。
 なお、山梨県内には三基の太宰治碑があり、毎年6月の桜桃忌に、太宰治を偲ぶ会が開かれている。

            
         天下茶屋内にある「太宰治文学記念室」   太宰治  

          
              二階にある太宰治文学記念室の廊下  

          
           太宰治に関する多くの写真や資料が展示されている展示室  

          
              興味深い写真や資料が見られる 資料展示室  

           
                 太宰治と石原美智子の結婚式 (昭和14年1月) 
         
           
                 太宰治と強い絆があった井伏鱒二氏

           
              太宰治が使用した机や椅子が置かれている。

           
            太宰治が使用した部屋からの光景・河口湖と富士山が望める。

 太宰治が滞在した部屋からの景観は、何時までたっても飽きることのない富士山と河口湖の眺望である。
 太宰治が滞在したのは、9月から11月までの約三ヵ月間である。
 わたしが訪れた春の景観と比較して、太宰治が訪れた秋の景観は、真青な空や月見草、それに紅葉した樹木などと、雪化粧した富士山に透き通った河口湖などのコントラスが一体となって、素晴らしい眺望を見せていたことが容易に想像される。
 それに、娘さんの、通りかかった花嫁に対する描写から、人間模様を感じさせられる。
 このような、人間味を描写していることが、太宰文学の人気の高さを誇っているのだろうか!

            
     富嶽百景で出てくる「娘さん」 1000年の文学者の人気ランキング(朝日新聞=2000年6月29日)
           
 上記でも少しふれたが、写真の娘さんは、太宰治が滞在していた折に、働いた女性で、「花嫁を乗せた乗用車が御坂峠で休憩する。 その折に、娘さんが花嫁があくびをするのを見て、娘さんは 「きらい」といった。
 太宰は その光景と娘さんの言葉から 「私は娘さんが美しいと思った」 書いている一節が、この娘さんの写真から思い出されてくる。
 
 「この1000年「日本の文学者」読者人気投票の結果が掲載されている。
 この記事は、2000年6月29日付けの朝日新聞で掲載されたもので、第一位が夏目漱石の「草枕」、第二位が紫式部の「源氏物語」、第三位が司馬遼太郎の「坂の上の雲」と続き、太宰治は「走れメロス」で第7位にランクされている。
 堂々たる著名な文学者の中で、太宰治が十位以内にランクされている。
 太宰治文学には、人を引きつける魅力が高いのだろうか、私も通りかかりに太宰治文学を思い出して、たまたま訪れた御坂峠であるが、日頃から太宰治文学に惹かれて、作品を読んでいるのではなかった。
 ただ、ここに出てくる「走れメロス」は、短編集であるが、曇りひとつない人間性を現した素晴らしい文学である。

 御坂峠からの景観や天下茶屋内にある「太宰治文学記念室」を見学した後、元来た道を下り、河口湖や精進湖などの富士五湖方面に向かって行った。