気ままな旅

マイカーでの気ままな旅で、束縛された予定や時間にとらわれない、自由奔放な行動をとる旅の紹介です。

桜を追って・・立ち寄ったドイツ館・高知城や土佐の里山・大阪の桜・・・2014年(H26)

2014-05-14 14:25:57 | 思い出

 2014年 3月23日(日)インドネシアバリ島に住む娘が、一人で関西空港に下り立った。

 今回は二人の子供も連れずに一人で帰って来る。  

 前回の正月には子供を連れて2週間程の滞在であったが、今回は29日(土)までの一週間である。 

 娘は前々から 「日本の美しい桜が観たい」 と言っていた。 

私も娘には日本の美しい桜を見せてやりたいと思い、桜の開花状況を気にしていた。

 今回の娘は一週間しか日本に滞在できないことと、時期的に故郷の高知は、18日に桜の開花宣言が出されているが、

 大阪近辺の桜は、29日の帰国までに、観られるかどうか微妙な時期であった。

 3月25日(火)午前9時頃、私は娘に桜を見せたいとの思いで、妻と3人で南大阪の自宅を愛車プリウスαで出発する。 

 今日は娘も顔なじみで、私の幼な馴染みの夫婦と高知市内にある人気店 「ひろめ市場」 の前で夕方5時に会う約束をしている。

明日に高知城の桜を見学する予定である。 

 阪神高速湾岸線から明石海峡大橋や鳴門大橋を走行するいつもの帰省ルートである。 

大阪から高知へはこのルートが最短で、途中の高松道に入ってすぐの所にある板野ICから出る。

そこから、10分程一般道を走行し、徳島道の藍住ICへ入って行く予定である。

 愛車は予定時間通りに走行、淡路鳴門自動車道の通過時間から考えて、高知の友達との待ち合わせ時間までには少し余裕があった。  

 その為、娘の希望や、高松道の板野ICから近く、娘も興味があることから、第一次大戦の結果のおいて収容した5,000人のドイツ人俘虜と、地元の人たちとの交流を伝えるドイツ館に立ち寄ることにした。 

 ドイツ館には板野ICから10分程で到着する。

 ドイツ館は、道の駅 「第九の里」 とも併設されている。

この道の駅は 日本で初めてベートーベンの交響曲 「第九」 が演奏された地であることから、道の駅の名前の由来になっている。

                                   ドイツ館をバックに記念撮影をする。

ドイツ館前にあるベートーベンの像

 ドイツ館前の広場のベートーベン像を見学した後、私たちは、ゆっくりとドイツ館内に向かって歩いて行く。

ドイツ館の拝観料(大人=400円)を支払う。

 一階では、ビールやワインなど、ドイツとの関連商品が販売されている。

2階が、ドイツ兵俘虜と坂東の人たちとの交流に関しての写真や資料が展示されている。

坂東俘虜収容所の全景(徳島県鳴門市=松江所長)

 ドイツ館は、第一次世界大戦で、ドイツと日本は中国の青島(チンタオ)で交戦、戦況は圧倒的な兵力に勝る日本が有利に展開、ドイツ軍が降伏して、日本に多数のドイツ兵俘虜5000人が収容所に送られ、 地元の人たちとの交流や、俘虜たちが様々な技術や音楽、文化などを伝えている施設である。

 

ゆっくりと館内を見学して行くと驚くばかりの写真や資料が展示されている。 俘虜たちは、このように自由にビールなどの飲食もできた。

収容所で結成されたドイツ人俘虜たちのオーケストラ。 収容所にオーケストラできるなんて 何という! 人間味の溢れた内容だろうか!

俘虜収容所でこのような活動ができるなんて信じられない気持が湧いてくる。

ベートーベンの第9交響曲が日本で初めて演奏され、多くの人たちにそのメロデイーや、西洋音楽の美しさ、音色の素晴らしさを伝えた。

こういったドイツ人俘虜たちと、地元の人たちとの交流を深めることができたのは、坂東俘虜収容所の所長である松江豊寿大佐のヒューマニズム的な管理思考が原点にあると考えられる。 

松江所長や知識欲旺盛な暖かい坂東の人たち、それに溶け込み、ドイツの先進的な知識、パンや酪農に関することや、スポーツ・音楽など幅広い分野で、日本人を指導するドイツ俘虜たちとの交流、これが俘虜収容所で実際に起こっていたことで、とても俘虜収容所の出来事とは思えない様な内容であった。

世界中のどこにこんな俘虜収容所があるだろうか!

どこに松江所長のような、人間味溢れ、俘虜たちに自由な外出を許可する所長がいるだろうか!

ほんとに驚くばかりの内容で、日本人として誇りある感動する物語である。

初めて訪れた娘も、ドイツ人俘虜たちと、地元の人達との愛情深い交流に感動していたようである。

※ドイツ俘虜に関しての詳細な内容は当ブログ 「感動を呼ぶドイツ人俘虜の物語」 2013年12月31日投稿を参照してください。 

ドイツ館前に一足早く咲いていた桜をバックに記念の撮影をする。

ドイツ館の見学を終えたあと、道の駅の物産展で果物等を購入して、近くにある食堂で昼食を摂り、徳島道の藍住ICに向かって行く。

通常なら徳島道の藍住ICから一時間程走行した所にある井川池田ICからR32に入り、

絶景が続く大歩危小歩危(おおぼけこぼけ)渓谷の美しさを堪能しながら走行して高知に向かって行くが、

今回は17時00分に高知市内のひろめ市場で会う約束から高知道に直接入って行く。

 高知ICから予約していホテルには20分程で到着する。

ホテルに到着して荷物などを部屋に運び込むとすぐに3人で出発する。

ホテルからは、多くの人たちで賑わう帯屋町商店街を通り、15分ほどで待ち合わせ場所である ひろめ市場 に到着する。

到着すると幼馴染の夫婦が笑顔で私達を出迎えてくれ、娘からバリ島のお土産のネックレスを夫人に、リゾートウエアーを夫にプレゼント、

特に夫人は、ネックレスをその場で着用、気に入っていただいたようで、思わず微笑みがこぼれていた。

総勢5人がテーブル席につき、オーダーした飲み物や料理が運ばれ、再会を祝してビールで乾杯、その美味しさも、また、格別であった。

※ ひろめ市場 

 土佐藩家老の屋敷跡付近にあり,屋敷が消えた維新後もその一帯は親しみを込めて「弘人屋敷(ひろめやしき)」と呼ばれていたことから,その名をとり 「ひろめ市場」 と名づけられる。

 ひろめ市場の中は 「お城下広場」 や 「龍馬通り」 など7ブロックからなり,鮮魚店や精肉店,雑貨・洋服屋,飲食店など,個性的なお店が集まっている。 

 市場内の至る所にテーブルと椅子が並べられていて,それぞれ自分の好きなものを,好きなお店で買ってきて,持ち寄って食べるスタイルとなっている。 

 その為に市場内のほとんどの飲食店にはテーブルがなく、至る所にある大きなテーブルで、思い思いに、親しい人たちとの飲が楽しめる様に工夫されている。 なかでも鮮魚などは新鮮で 「さすが高知」 と思えるほど美味しい食材を使っていることから高い人気がある。

 県外から訪れる人たちの人気のスポットにもなっている。 

食事後は食器をまとめておけばスタッフがすべて回収してくれる。 食べる・買う・見る・遊ぶ…と,楽しみ方は無限大で、自分に合わせた楽しみ方ができるように工夫されている。 (上記2枚の写真は2010年7月に撮影)

  久しぶりにあった幼馴染みの友との飲食を楽しみながらの談笑も、話が弾み、時間に気がつくと21時近くになっていた。

 バリ島からの娘は梅酒が大好きで、土佐の新鮮な魚などの食材と共に、日本の美味しい料理を楽しんでいた。 

 

 3月26日(水)高知市内のホテルで3人で宿泊していて、朝7時半ごろに目覚める。  

昨夜の友との飲食でぐっすりと眠ることができた。

 私が目覚めたときには、妻と娘が隣のベットで気持ちよさそうに眠っていたが、私がシャワーを使っている間に起床していた。

 ほどなくして出発の準備も整い、ホテル内の食堂に行って朝食を摂る。

 朝食の後、外に出るとあいにくの雨模様の天気である。

 高知城へは宿泊していたホテルからは歩いても行ける距離であるが、私どもは愛車で移動し、近くの駐車場に止めると、それぞれに傘をさしながら高知城に向かって行く。

 日本で一番早く桜の開花宣言が出され一週間ほど経過しているが、急に冷え込んだした日もあり、開花は思った程進んでないのではと思っていた。

  駐車場から並木道で南国情緒が感じられる追手筋に出ると、小高い山に築造された高知城の天守閣が見えている。 

その下には石垣が整然と築かれ、その上には、黒壁と重厚な日本瓦でできた追手門が堂々と威風を放っている。

 そして その前には、赤とピンクでできたぼんぼりが、規則正しく一定間隔で並べられ、さくら祭りの情緒を一層醸し出している。

 私たち3人は、写真撮影をしたりしながら、両サイドに並べられたピンクのぼんぼりの間を通り、重厚な追手門を抜け、城内に入って行く。

娘は高知城に来るのは初めてで、日本の城が珍しいのかスマホで撮影している。 そんな折での天守閣と追手門をバックに撮影。

 

追手門を通り抜けると広場があり、天守閣方面には、広い石段が緩やかに築かれている。 

石段の横には板垣退助の像が立てられ、像の側には 「板垣死すとも自由は死せず」 と書かれた石碑が建てられている。

さらに、小雨の降りしきるなか、石段を登って行くと、内助の功を発揮し、夫を出世さして賢妻として名高い山内一豊の妻像がある。

 一豊の妻の像前では、訪れた観光客がそれぞれにポーズをつくり記念撮影をしている。

さらに石段を上って行くと広い敷地があり、さくらの標準木のある三の丸に到着する。

三の丸から・・・整然と築かれた石垣の上に建つ高知城天守閣。

まだ、3分咲き程度の桜であるが高知城三の丸広場の桜を見て微笑む娘。

高知城内は高知公園としても整備され市民の憩いの場になっている。 

ここ、三の丸は気象庁が開花宣言をする場合の標準木がこの場所にあり、今年も全国に先がけて3月18日に開花が発表された。

高知市内の眺望の良い、三の丸広場で暫く桜を観賞したり、写真撮影をした後、すぐ上にある二の丸に向かって行く。

 

二の丸に咲く桜と高知城の天守閣

雨の中で咲く高知城の桜

二の丸からは天守閣が目の前にあり、高台にある石垣周辺に桜が咲いている。

 同じ敷地内にある桜でも、日当たりや風などの気象状況によって変わってくるのか、桜の開花状況が違っている。

私たちは、二の丸での桜観賞や撮影を終えると、本丸にある天守閣に向かって行く。

天守閣に入場するには、拝観料(現420円)が必要である。 

三層六階建の天守閣は、高知城の歴史にまつわる展示など、資料館として利用されている。

私たちも拝観料を支払って入場して行く。 

一階は天守閣の部分と本丸御殿の部分からなり、色々な資料などが展示されている。

天守閣の急峻な階段を登って行くと、それぞれの階に貴重な資料が展示されている。

高知城の模型

 高知城は高知市の中心にある典型的な平山城である。

 初代藩主の山内一豊とその妻千代が礎を築いた土佐二十四万石の歴史ある城である。

 山内一豊は天下分け目の戦であった関ヶ原の戦いによる功績で、徳川家康から土佐一国を拝領する。

土佐を拝領した山内一豊は,慶長6年(1601年)この地に新城の築城工事を始め、

独立式望楼型 四重六階(1601年築・1747年再)の天守閣や追手門などからなる高知城を築いた。

 高知城の建物は国の重要文化財に指定されている。

高知城天守閣からは360度高知市内が身近に眺望できる。 雨で少し霞んでいるのが残念であるが美しい街の様子が伺えられる。

最上階の天守は望楼型で古代に造られた城の典型である。

外観は4重、内部は3層6階建ての建物で、2重の入母屋造りの屋根の上に2重櫓の望楼を載せている。

天守閣からの眺望を楽しんだ後、階下に降りると、反対方向から降りて下って行く。

天守閣からの帰り道 広場にある桜と高知市内をバックに撮影。

さらに下って行って追手門を抜けると、下記の様な和服を着た美しいカップルが写真撮影をしている。 

記念に撮影をさしてもらった。

高知城追手門前で写真撮影をする和服姿の若いカップル。通行中の人たちも、この光景に思わず見とれていた。

高知城の桜や天守閣の観光を終えた後、愛車に戻り、30kmほどの距離にある、故郷佐川町に帰って行く。

今回は娘の滞在期間の関係で佐川町の自宅には、一泊しかできず、帰宅すると、先祖の墓掃除やお参りをなどをして過ごしていた。

3月27日(木) 久しぶりの故郷、家の中からドアーを開けると、快晴の天気の中に故郷の風景があった。

山に囲まれた、田園風景の真中を清流が流れている。 

土佐の里山には、大阪の空気と一味違う空気が漂い、すがすがしい気分にさしてくれる。

早速、妻や娘と故郷の桜を求め、3人で朝のウオーキングに出かけて行く。

今日の午後には故郷の里山を後にして大阪の自宅に帰る予定である。

いつものように 田園風景の中にできた農水路沿いの道を歩いて行くと、清流日本一の評価をいただいた仁淀川支流の橋に出て来る。

山に囲まれた橋の西方向には、小中学校の建物があり、その対岸には尾崎公園というさくらの名所がある。

残念ながら桜の花は開花していない。

東の方角には田園風景が広がり、500m位行った所には、ふれあいの里の施設がある。 

私達は農道近くの草花を観賞しながらゆっくりと歩いて行く。

すると緩やかにカーブして川に面し、大きな岩が突き出している。

里山の風景の中に美しい光景を醸し出している。

私は、この岩の上にたって故郷の光景を見るのが好きで、ウオーキングする時には必ず訪れて楽しんでいる。

高知県佐川町尾川地区の景観 川の両サイドには桜が植えられているが、残念ながらほとんどの桜が開花してなくて残念であった。

桜も少しは開花しているが、ご覧のような状況である。

里山の中央を流れる川の両サイドには多くの桜が植えられ、町民の憩いの場所となっているが、ご覧のような開花状況である。

少しピンクがかった美しい桜

この地点は正面の川と左の川の合流地点で橋の下には紅白の大きな鯉が泳いでいる。上部には開花して間もない桜が写っている。

さらにウオーキングを続けていると神社があり、その横には保育園がある。 園児たちのかん高い声が聞こえている。

 私もこの保育園の卒園児である。

私たちが声をかけて挨拶すると、 近寄ってきてくれた、色々と無邪気に話をしてくれる可愛い園児たち。

立ち寄って可愛い園児たちと話をしていると、思わず時間が経過するのも忘れてしまう程の楽しさがあった。

園児たちと会話を終えた後、少し歩いて行くとご覧のような桜がある。

ここの桜は少し開花しているようで3分咲き程度の花模様である。

私たちは、故郷のウオーキングを2時間程で終え、近くの喫茶店へモーニングに出かけて行く。

モーニングを終えた後は、近くの店で、お土産などの買い物を済まして家に帰り、出発準備が終えると愛車プリウスα(7人乗り)で土佐の里山を後にする。

2013年に11月に購入した愛車トヨタプリウスα(7人乗り)ハイブリットカー(燃費は20km/L)

 

佐川町の自宅を13時過ぎに愛車エステマで後にしてR33号を走行、伊野ICから高知自動車道に入って行く。

高知自動車道に入ると、途中の南国PAで、休憩と買い物を済まして大豊ICまで走行し、一般道のR32に入って行く。

娘が、「やはり高知に来ると大歩危小歩危(おおぼけこぼけ)渓谷の美しい眺望を楽しみたい」 とのことで決める。

吉野川の下流方向から心地よい風に、数時匹の色とりどりの鯉が泳いでいる。吉野川の渓谷美と相まって、この季節の風物詩となって、訪れた人たちを楽しませてくれる。

大阪への帰りに立ち寄った大歩危渓谷と渓谷の上空になびく鯉のぼり。

四国山脈を縦断し徳島市方面に流れる吉野川、四国三郎ともいわれる暴れ川でもある。

その上流の四国山脈のど真ん中の切り立った岩壁の間にできたのが

大歩危小歩危(おおぼけこぼけ)渓谷で、8kmにわたって渓谷美が続く。

川を挟んで対岸には岡山と高知を結ぶJR土讃線が、反対側には高松と高知を結ぶ国道32号がある。

 どちらも吉野川の渓谷美を楽しむことができる。

上空には色とりどりの鯉のぼりが泳ぎ、大歩危渓谷を行き交う観光船、駐車場から断崖絶壁の渓谷を眺める光景は迫力満点で、圧巻である。

私たちは大歩危小歩危の渓谷を楽しんだ後、国道32号線を徳島方面に走行し、井川池田ICから徳島道に入る。

途中から神戸淡路鳴門自動車道を走行し南大阪の自宅に帰って行く。 

21時30分頃の帰宅であった。

 3月29日(土)夕方、日本の桜が観たいと言っていたバリ島からの娘は、関西空港から帰って行く。

娘は帰国するに当たって、満開の桜は観ることができなかったが、高知に旅行して桜を観ることができ、楽しい旅行であったと、微笑みながらバリ島に帰って行った。

南大阪一帯の桜前線は、高知の開花前線から1週間ほどで咲き始めて来る。

私たちはカメラを持って数回にわたって出かけて撮影する。

  

大阪熊取町、桜の枝間から見る永楽ダム本体とダム湖

永楽ダム湖周辺は一周2kmの遊歩道があり、その途中から桜と、その後方には色とりどりの山桜が美しい花を咲かしている。

永楽ダム湖遊歩道の桜と山桜、通常の桜は人の手によって植えられたものであるが、山桜は自然のもので、周辺には群生地も多い。

永楽ダム湖上空の東ハイキングコースからの桜と山桜

東ハイキングコース展望台からの永楽ダム湖と周辺に一面に咲く桜

永楽ダム湖上空の東ハイキングコースからの西ハイキングコース沿いの山容にある山桜の群生地。 色彩りどりの美しさを見せている。

 

4月3日(木) 今日は大阪天満でビジネス関連の仕事があり、妻と二人で電車に乗って出掛けて行く。

ビジネスは午後4時頃に終了し、天満橋方面を見ると、大川沿いに桜が満開となっている。

高層ビルが聳り建つ、巨大都市の風景と、大川を行き交う観光船が、満開に咲く桜との見事なコントラストを見せている。

大阪天満橋周辺の大川沿いに咲く桜と高層ビル群の美しい光景。

満開に咲く桜を背景に行き交う観光船、洗練されたデザインの観光船が周囲の景観にマッチして花見情緒を高めてくれる。

天満橋を渡り大川沿いの桜並木には、大勢の花見客が訪れ賑わいを見せている。 

まだ、5時前後で、これからが勤務帰りのサラリーマン達が訪れ賑わいそうである。

私たちは、天神橋から大川沿いに咲く満開の桜を観賞しながらJR桜の宮駅まで歩いて行く。 

風もなく花見には穏やかな気温で、都会の中のオアシスに来たような気分にさしてくれる。

 

4月5日(土)曇 妻と二人で桜の撮影に出かけて行く。

走行途中に日根神社の参道沿いの桜が目に入る、車を止めて2~3枚撮影する。

立ち寄った日根神社の参道沿いに咲く桜(泉佐野市)

今日のお目当ては、昨年も撮影し印象に残っているJR新家駅(泉南市)東側の山容に広がっている山桜の群生地である。

かつての私は、桜といっても山桜には興味がなく、ソメイヨシノの桜に興味をもっていた。

ところが 昨年 この地で群生地に咲く色とりどりに咲く山桜を見て考え方が変わってしまった。

山桜は同じ群生地の中でも、花や葉の色や形状など、一つ一つの木によっても全く違っており、奥行きの深さを感じる。

花の色からも推察されるように、一つ一つの木に個性があり、誇らしさがあり、また、たくましさを感じる。

色採りどりの美しさを見せる泉南市信達六尾の山桜の群生地

市民の里グランド方向から見る山桜、左奥には関西空港連絡橋が見えている。

大阪湾方向を見る泉南市の山桜

道路沿いに咲いていた赤い葉をつける山桜、赤は山桜の代表的なイメージの花である。

泉南市のあがらの森に咲く山桜を観賞しながら愛車を走行さして行くと、舗装された道路から、地道のがたがた道に変わってくる。

この道には峠越えがあり、和泉山脈の山容に咲く山桜の眺望が見え、私たちを楽しませてくれる。

暫くがたがたの地道を走行して行くとダム湖が見え、湖畔周辺には桜が植えられ、美しい景観を見せている。

古来から水不足に悩まされてきた泉南地区の水不足解消のために造られた堀河ダム、ダム周辺には桜が植えられ、ダム湖と共に美しい景観をみせて、 山桜の咲く山容と共に私たちを楽しませてくれる。

4月6日(日) この日は朝方晴れていたが、昼前後には突然雨が降り出すあいにくの天気であった。

私がカメラを持って出かけるときには、雨は降っておらず、妻と二人で貝塚市の水間公園に出かける。

水間公園は、市民から親しまれた公園で桜や秋の紅葉も美しいことで知られている。

休日になると、バーベキューを楽しむ人たちも多く、公園内の木陰の下では様々なグループができ、バーベキューの煙と共に、

にこやかに談笑する人たちの声が聞こえてくる。 ただ、桜は満開を過ぎ散り始めている

水間公園の池のほとりに咲く桜、赤い欄干の橋と共に、水面に浮き、花見シーズンのなごりを感じさしてくれる。

水間公園の中央には芝生広場があり、その周辺の花の下には、幾つかのグループができバーベキューを楽しんでいる。

今回はインドネシアのバリ島に住む娘が2カ月に帰ってきて、高知に里帰りして満開の桜を期待していたが、

時期が一週間ほど早く、満開の桜を見ることができなかったのは残念であった。

しかし、娘と親子3人の久しぶりの旅行は楽しく、娘もリラックスできた様子で楽しく過ごすことができた。

特に、高知の友との飲食では、娘が梅酒オンリーの飲み方には驚かされたが、新鮮な高知の料理や日本食を美味しそうに食べていた。

本人も 「日本の料理は、基礎味がしっかりしていて何を食べても美味しい」 とのことだった。

 そして 3月29日(土) 関西空港から 今回の旅行の思い出を胸に、微笑ましい表情で帰って行った。

大阪市内の桜も久しぶりで、高層ビル群の中にできた桜のオアシスのような感覚が芽生え、

桜の並木道を鑑賞しながらゆっくりと歩いていると

やはり、日本人にとって桜は欠かせない文化で、我々庶民の中にしっかりと根付いているように感じる。

桜を見ることで、気持ちをリフレッシュ、明日への希望と勇気を、そして夢を与えてくれる。

そんな思いが自然と芽生えて来るような気持ちの桜見旅であった。