気ままな旅

マイカーでの気ままな旅で、束縛された予定や時間にとらわれない、自由奔放な行動をとる旅の紹介です。

越後の北国街道を北に行く

2009-09-27 22:21:26 | 気ままな旅
 6月23日(火)天下の難所であった親不知(おやしらず)の観光を終え、海岸沿いにできた北国街道(国道8号線)を北に向かって走らせている。
 天気は快晴で真っ青な空が広がり、穏やかで波静かな日本海と、ダイナミックな自然の光景をかもし出していた親不知子不知の景観から、北海道のオロロンラインを思わせるような、風光明媚な海岸線を走る光景に変わってきている。
 走行中の新潟県糸魚川市は、静岡ー糸魚川構造線という大きな断層が通り、日本の東西の境界線上に位置している。
 また、糸魚川は世界ジオパークの加盟地域に北海道洞爺湖有珠山、長崎県島原半島と共に認定されている。

※ジオパークとは
 大地の形や成り立ち、その大地の上に生きる人間や生き物の営みと歴史、産業や自然災害への防御などを総合的に、教育や地域振興に活かすものでユネスコが支援しています。

 NHKの大河ドラマ『天地人』でも、この地域の歴史に触れている。
 上杉景勝と秀吉の歴史的な会見の舞台となった勝山城も糸魚川市内に存在している。
 江戸時代に記された軍記物によると、天正13年(1585年)に越中の佐々成政を降伏させた秀吉は、わずかな兵を率いて勝山城に現れ、景勝との会見を申入れる。
 知らせを受けた景勝と直江兼続(上杉家家老)主従が馬で駆けつけ、この勝山城の地で景勝、兼続、秀吉、三成の4人での会見が実現する。
 この会見により、上杉家と豊臣家の同盟が成立し、上杉家を信頼した秀吉は上杉景勝を五大老の一人に任じたといわれている。
 大河ドラマ『天地人』でも、この勝山城での歴史的な会見は、一つの山場として描かれ、私の記憶の中にも鮮明に残っている。
 
           
             北国街道を北に行く(新潟県糸魚川市)

 愛車を走らせている国道8号線の歴史は、古代の北陸道までたどることができ、江戸時代以前は北国街道とも呼ばれ、京都と北陸・新潟地方とを結ぶ重要な街道であった。

           
            紅い欄干の橋が架かり、山頂部には灯台のある弁天岩

 国道8号沿いを走っていると、紅い欄干の橋が島と結ばれ、島の上には白い灯台が聳え立っている。
 走行中に助手席の妻がカメラを片手に盛んにシャッターをきっている。
 この島は弁天岩といわれ、能生(のう)のシンボルとしての灯台岩で、赤い欄干の曙橋を渡れば、日本海やシーサイドラインが一望できる。特に夕日のすばらしさは抜群のようである。
 また、この地域にも色々な伝説が伝えられている。

『島道に岩井口という所あり、水がこんこんと流れ出て、人々は奴奈川姫の産所と言っている。』
                                                 中能生郷土史・能生町史
 古代ロマンの人"奴奈川姫"(ぬながわひめ)とは
 古代のクビキ(久比岐)地方に奴奈川姫という神様が住んでいた。
 この姫との結婚を望んで、出雲の国から、はるばると尋ねてきたのが大国主命(おおくにぬしのみこと)であった。
 この時の様子を古事記の中で、応答歌の形で記している(古事記詳細) 大国主命と奴奈川姫の二人の神様の間に建御名方命という神様が生まれた。
 この神様は、諏訪神社の祭神であり、西頸城にも方々の神社に祀られている。
 更に姫川谷から信州に入り、諏訪の上社として祀られている。
 これらの内容から推定して、奴奈川姫の住居がどこであったか、姫の生まれた所は…と、大変気になるところであるが、糸魚川市(旧能生町)大字島道には、古くから伝わる"奴奈川姫の産所" といわれる、ひっそりとした木立の奥の岩かげに神秘の空間が存在している。

 能生地区では、この伝説にちなんだ「奴奈川大ウスまつり」が毎年盛大に開催されている。
 祭りの夏の陣では、舞台が千八百年前の弥生時代にタイムスリップしたと思われるような衣装を身にまとって、奴奈川姫と大国主命のラブロマンスを再現、そして民の喜びの行列や、巫女の舞等が一層花を添えるように繰り広げられている。

 秋の陣では、直径2.5m、重さ8t、高さ1.5mもある大ウスによる1,000人によるもちつき大会や弁天太鼓の演奏、縁日広場など、華麗なる太古のロマンスが蘇り、街中がお祭りムード一色に盛り上がるといわれている。

           
           マリンドーム能生の愛称で親しまれている道の駅「能生=のう」

 海岸線の国道8号を30分ほど走っていると、道の駅「能生」が見えてくる。
 早速、車を止め立寄ってみると、正面にある道の駅の横には鮮魚店がずらりと並んでいる。
 ここは能生漁港に隣接しており、海の幸ならおまかせ のキャッチフレーズがある。
 鮮魚センターには、とれたての海の幸が並び、かにや横丁には特産ベニズワイガニの直売所が9軒も並んでいる。
 気ままな旅の途中の私どもには、鮮魚を買って帰ることも出来ず、少し見る程度であった。
「道の駅・能生」は、日本海夕日ラインの愛称で親しまれている。海岸線を走る国道8号沿いにあり、施設と海との間には広い公園も整備されている。
 私どもも、かにや横丁から公園に出てみると、公園の前には日本海が広がり、東側には、白い風車がゆっくりと回転し、その下では、数人の人たちがのんびりと過ごしている。
 この公園は、長いドライブなどで疲れた体をリフレッシュできるように造られているようである。
 それに、公園内には16点の彫刻が飾られて、彫刻の庭としても訪れる人の目を楽しませてくれている。
 また、海に沈む夕日の美しさは、ここも格別のようで、サンセットタイムを狙って訪れる人も多く、夕日が沈んだ後もその余韻に浸って、若い人たちが何かを語らいながら夕景を楽しんでいる光景が見られている。

           
             鮮魚が並ぶマリンドーム能生内にある「かにや横丁」

           
            マリンドーム能生内の公園でゆっくりとくつろぐ人たち

           
広々とした公園内には16点の彫刻が飾られて、その奥には白い風力発電用の風車がゆっくりと回転している。

 彫刻を巡る散策路に当たるこの公園のオブジェは 平成6年、町村合併40周年を記念して 「公募彫刻展 in 能生」 が開催された時の作品である。
 全国から応募された255点のうち、25点の優秀作品を海洋公園や小中学校等に設置して、彫刻のある街づくりを進めている。
 心にやすらぎと豊かさを運ぶアートプロムナード。
 彫刻を巡りながら街を散策すれば、能生の新しい横顔が見えるかも! と期待して、マリンドリーム能生周辺に16点の彫刻が設置されている。

            
羽根に数羽の小鳥を携え、牛頭が海に向かっている。 銃砲を連想さすようなオブジェ 

           
これは何を連想させるように創られたオブジェだろうか! 左側は石に手が、上には顔が、中央は閉じ込められているような! 右側は楽器を手に眠っているようなオブジェ、  皆様この作品をどう感じられますか!

            
親子の強い絆、愛情を感じさしてくれるオブジェ。 平和の鐘だろうか!奥には鐘の代わりに羽ばたく鳥が飾られている。

           
マリンドームの愛称で親しまれている道の駅「能生」の散策を終えた私達は、再び国道8号線を北に向かって走り始めた。
 断崖下の街並みや、JR北陸線と平行に走る風光明媚な海岸線が続き、ドライブの楽しさを味合わせてくれている。
 
           
道路脇まできている海岸線には、時折白い波が打ち寄せているが、冬場の天候の荒れた日はどんな状況になるだろうか!と 思わず想像してしまう。
  
           
         国道8号もこの浜辺の街を過ぎると上越市中心部に入って行く。

           
高々と上げた女性像の手に鳥が羽ばたき、足元でも小鳥が戯れるオブジェがあるJR直江津駅前
 
 愛車は国道8号から上越市中心部に向かっている、この地域の情報を持ってない私どもは、最初にJR直江津駅に行って情報を仕入れることにした。
 直江津駅には程なくして到着する。近代的な駅舎の前にも、女性のオブジェが飾られ、初めて訪れる私達を、優しく迎え入れてくれているように感じさしてくれる。
 現在の上越市は、NHK大河ドラマ「天地人」の本拠地で、街そのものに「天地人」と書かれた看板やポスターなどが数多く見られ、このドラマに対する、地元の盛り上がりを感じる。
 この上越市は、上杉謙信や景勝、直江兼続の居城であった、春日山城や幼少の頃に過ごしたお寺などが存在している。

            
ここにも帽子をかぶった少女のオブジェが、後方はJR直江津駅 NHK大河ドラマ「天地人 直江兼続のポスター」

 JR直江津駅で情報を収集した私どもは、今日の宿泊先をどこにするかまだ決めてなかった。
 時間も5時近くになっている。 また、 温泉などの入浴施設は近くにないか! などを尋ねてみるが直江津駅の周辺にはなく、あるのは15km先の鵜の浜温泉とのことであった。
 早速、カーナビをセットして鵜の浜温泉に向かって行った。
 国道8号線が少し渋滞していて30分ほどで到着するが、目的の入浴施設は休館日であった。
 仕方なく近くにある鵜の浜温泉「ロイヤルホテル小林」のフロントで入浴の有無を尋ねると、550円の入浴料でOKとのことであった。
 ありがたかった。やはり、旅にお風呂がなければなんとなく落ち着かない。
 こじんまりとした温泉であったが、入浴がリラックスムードにしてくれ、一日の疲れを癒してくれる。
 毎日違った温泉に入れるのも、私たちの大きな旅の楽しさである。
 ほどなくして入浴を終えるが、まだ、今日の宿泊先をどこにするか決めていなかった。
 明日は、天地人ゆかりの地である「春日山城」などを見学したいと思っている。
 そのために、あまり遠くに離れる所には行きたくなく、近くを探して見ると、道の駅「よしかわ杜氏の郷(とうじのさと)があった。
 早速、鵜の浜温泉を後にして、愛車を走らせて行った。
  
           
               道の駅「よしかわ杜氏の郷(とうじのさと)

 途中で夕食の買い物をすました後、程なくして道の駅「よしかわ杜氏の郷」に到着する、時間は7時近くになっていた。
 広々とした駐車場の一角に車を止めると、すぐに夕食の準備に取り掛かった。
 屋外が気持ち良さそうで、折りたたみ式の椅子やテーブルを出して、料理を並べるとすぐに、妻と二人の夕食が始まった。
 屋外でとる夕食の味や、喉を潤してくれるお酒も、また、格別であった。
 やがて日が沈み、空に輝き始めた星をながめていると、ほんとにリラックスムードにしてくれる。
 何もかもを癒してくれているように感じ、気ままな旅の楽しさを、あらためて味合せてくれているようであった。
 

table>天地人〈上〉天の巻
火坂 雅志
日本放送出版協会

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健康で明るい毎日を・・・・・・JKB健康エース

2009-09-23 20:01:00 | その他
 JKB健康エースホームページです. ご気軽にお立ち寄りください。
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天下の難所 「親不知 おやしらず」

2009-09-21 17:39:14 | 気ままな旅

 2009年(平成21年) 6月23日(火)今朝は富山県滑川市の道の駅を出発してから、魚津埋没林博物館や黒部川扇状地湧水群の公苑、杉沢の沢スギ自然観などを見学、その後も入善町にある 「しょうべのま遺跡」 に立ち寄り、昼食をすました後、新潟方面に向かって国道8号線を走っている。
 富山県最後の町、朝日町を過ぎると、そこは新潟県青海(おうみ)町(現糸魚川市)で、北陸道最大の難所として全国に知られている親不知(おやしらず)子不知(こしらず)である。

          
富山県よりの国道8号線にある道の駅「越後一振の関」を過ぎ、北陸道最大の難所親不知に向かう。

 天下の険として有名な親不知、子不知海岸は、北陸線親不知駅を中心とする青海、市振間約15kmの総称で、親不知と市振の間が親不知で、親不知と青海の間が子不知と呼ばれている。

           
明治に新道(旧国道8号)が開通した折に書かれた親不知、子不知の絵図、右が親不知、左に子不知が書かれている。

          
親不知海岸の模型、上部には旧国道8号が、下の青い部分が海を表し、古道は青い海沿いに沿って造られていた。

この模型の下の部分には白いマークがつけられ、左から①②とつけられ、右側が⑨⑩⑪である。
①には弁慶の力水があり、旅人はこの湧き水でのどを潤し、親不知の難所へ立ち向かって行った。
②波除観音(海より少し上に)波に愛児をさらわれた母親が観音様に祈ると、打ち返す波に乗り、子どもが帰ってきたといわれ祀られている。
③ひげそり岩 ー 波をよけてしがみついたが、すり落ちて鬚がすり切られたという岩。この近辺一帯は「弁慶の泣き顔」といわれている。
④如砥如矢ー明治に開通した旧道の岩壁に彫られている。
⑤大懐 ⑥小懐 ⑦大穴 ⑧子穴 - 自然の摂理は見事なもので、このような天然の避難所がこの海岸には幾つかあり、多くの旅人を救ってくれている。その昔、ここに逃げ込み、一週間も出られないことがあった。
⑨長走り - 大懐から大穴までの間をいう。 最も通行の困難な所。
⑩走りこみ - 絶壁に 「南無遍照金剛」 と刻み込まれ、ここからはもう大丈夫という所。
⑪浄土 - 親不知を過ぎれば、もう極楽浄土といわれていた。

 以上のことから、この親不知を通行する旅人にとってはまさに命がけで、その旅の様子が思い浮かんでくる。

 古道で市道である 天険親不知線は、昭和61年建設省の 「道の日」 制定記念の一環として進められた 「日本の道百選」 のひとつにも選ばれている。
      
 京の都から発した古代の道、北陸道は、越中から越後の入り口市振村(いちぶりむら)に入るとまもなく北アルプス連峰の東端にあたる飛騨山脈が日本海に突き刺さるようにして落ち込むところが、天下の難所と知られた「親不知子・子不知」の海岸である。
 古道はこの海岸に沿って造られ、悲しい伝説や遭難悲話の舞台となった洞窟・断崖絶壁の海岸が続いている。

          
            北アルプス北端に位置して断崖絶壁の続く親不知海岸 
 
 このような難所である親不知、子不知の地名については幾つかの由来が伝えられている。
 
〇 まず、一つ目の由来として、
「北陸道最大の難所で、断崖絶壁と荒波が旅人の行く手を阻み、波打ち際を駆け抜ける際に親は子を忘れ、子は親を顧みる暇がなかったことから親知らず・子知らずと呼ばれるようになった」

〇 二つ目の由来は
「平清盛の弟、頼盛の夫人が夫の後を慕って親不知を通りかかった折、2才の愛児をふところから取り落とし、波にさらわれてしまった際に悲しみのあまり詠んだ
   
  「親知らず 子はこの浦の波まくら 越路の磯の あわと消えゆく」

                  この歌が地名の由来になったといわれる」

 以後、その子供がさらわれた浦を 「親不知」 と呼ぶようになった。
 これらの伝承を元にしたものに、合唱曲 『親しらず子しらず』 (山本和夫作詞、岩河三郎作曲)がある。

            
        コミニテイロード展望台より親不知方面の景観(青海八景のひとつ)

 親不知は、「越の歴史自然ルート」 として次の文面が掲載されている。
 
「越後の 「親不知」 を私は好きである。
 美しい日本の風土の中で、私はいちばん「親不知」 が好きである。
 私は、これまで 「親不知」 を、何度 訪ねたことだろう。
 東京に住むようになってから私は、若狭(福井県)へ帰るたびに、わざわざ、北回りの汽車に乗ったのは、 「親不知」 の風光を見るためであった。
 「親不知」 は激しい断崖と荒波の海しか見えない。
 日本の中心部を横断する中部山岳地帯が、北の海へ落ち込むのはこの親不知付近である。
 山は固く、頑固な壁となって北陸道へ襲いかかるように、樹木の少ない荒ぶれた肌を見せて落ち込んでいる。」             
                 水上 勉    - 新日本紀行より ー

          
            親不知で海に突き出て造られた北陸自動車道

          
         曲くねった絶壁に造られた国道8号線の岩石避けシエルター

          
            旧8号線に造られた親不知コミニテイロードと展望台 

 昔は、断崖絶壁が日本海へ落ち込んでいるこの海岸沿いの場所に、道を造り、通行していた。
 天下の険といわれた親不知にも、明治16年、断崖を削った街道が開かれ、その後、いくつかの改良を経て、昭和48年の国道8号天険トンネルの開通により使用されなくなり、遊歩道として使用されるようになった。
 親不知コミュニティロードは、先人たちがその急峻な地形と複雑な地質に挑み、北陸地方の産業、経済の発展に貢献したことを後世へ伝える貴重な土木遺産であるとして、(社)土木学会から推奨土木遺産に認定されている。
  展望台からは眼下70mの日本海を一望でき、晴れた日には能登半島も眺望できる。

 親不知・子不知の由来となった明治までの北陸道を一世代目。
 続いて当初国道(旧8号線)としてできたコミュニティロードは二世代目。
 三世代目は現在の国道8号。
 そして、四世代目が北陸自動車道である。

          
      日本近代登山の父として名高いイギリスのウォルター・ウエストン像

 日本近代登山の父として名高い、イギリスのウォルター・ウェストンが明治27年に親不知を訪れ、彼の残した様々な功績と栄誉を賛え、明治27年7月19日(1894年)に、初めて当地を訪れた33歳の風貌と登山の勇姿を、そのまま残そうと、彫刻家 茂木弘行氏の手によって、全国でも初めてブロンズ製全身像を彫刻して、ここに記念設置されたものである。
 また、この機縁から、毎年5月下旬に 「海のウェストン祭 白鳥山山開き」 が開催されている。

 WALTER WESTON(1861年~1940年)
 イギリスの宣教師であり、明治21年~大正7年(1888~1915)の間に3度来日し、その多くの日時を日本アルプスを初めとする山岳の開拓的探検登山に費やしました。
 また、日本山岳会の設立をすすめるなど、日本登山の登展に大きく貢献しました。

                       
天下の難所も国道開通運動が盛り上がり、明治16年 断崖絶壁の難工事の末に開通、東西日本を結ぶ大動脈道が完成した。(旧国道8号線)

          
     岩壁には「如砥如矢=とのごとくやのごとし」の文字が彫られている。

 この場所は親不知の最難関「天険」の真上にあたる場所で、足下100mまで断崖絶壁が続いている。
 明治16年に絶壁を削って、今の場所の国道8号線ができるまでは、波寄せる渚が昔の北陸道であり、旅人は命がけで通行しなければならなかった。
 道路の開通を喜び、一枚岩に刻んで表したのが 如砥如矢(とのごとく やのごとし)である。
 ウェストン像を過ぎて少し行くと左側上方の壁面に刻まれている 「如砥如矢」 の文字がみえている。
 砥石のように滑らかで、矢のように速く通れる、という意味で、街道開通の喜びを表したもので、この道の開削に努力した青海の人 「富岳磯平」 の書と いわれている。

          
               昔の北陸道である海岸への降口

 コミニテイロード展望台からの景観や周辺の観光を終えた後、海岸に下りて、天下の難所といわれた古道を見てみたいと思って、駐車場から70m下の海岸まで下りて行った。
 急激な斜面で、225段の階段が続き、大小の滝が静かに流れ落ちている。
 途中には旧国鉄のトンネルがそのままな形で残されている。
 浜辺に下りていくと、日本海の波が荒々しく岩場に打ち寄せ、冬場などの気象の荒い時の状況が思い浮かんでくる。
 かつて難所といわれた古道の跡がないか、浜辺周辺を散策したが見当たらなかった。

           
           途中にある滝   旧国鉄のトンネル先には小さな明かりが見えている。   

           
         浜辺への険しい石段 浜辺の両サイドオは険しい岩場が続き古道は見当たらなかった。

          
    古道の跡を散策するが見当たらず、端は断崖絶壁でこの先まで進んで行くことはできない。         

          
           愛の母子像       親不知方面の北陸自動車道

 親不知コミニテイロードを散策した後、親不知の道の駅方面に向かって行くと、このような像が立っている 「親不知記念広場(愛の母子像)」 に到着する。
 ここは国道の改修を記念して造られた広場で、親不知はここからの眺望が一番だといわれている。
 愛の母子像が国道を往来する人々の安全を見守り続けているようである。

          
   高速道路高架橋の下に造られ全国的にも珍しい 道の駅「親不知ピアパーク」

          
               道の駅から高速道ICのランプウエイ

 天下の難所として、いわれてきた親不知であったが、難工事の末に国道8号と北陸自動車道が開通し、当地における3代に亙る道路の変遷を見ることが出来る。
 北陸自動車道は、親不知IC付近を海上高架橋により通過しており、難所におけるルート選定の苦労を偲ぶことができる。
 一方で、高速道から海岸美を堪能することも出来、景勝地となっているようである。

 親不知と同様の断崖は、太平洋側にも存在し、静岡市清水区の由比地区にある薩埵峠と、静岡市と焼津市の境界に位置する大崩海岸がそれにあたる。
 旧由比町の薩埵峠を通過する国道1号と東名高速道路も難工事の末に開通しており、この付近の東名高速道路も海上を通っている。

          
             国道8号線と海に建設された高速道路の橋脚

          
         海岸沿いの北陸道(国道8号線)を北へ行く(子不知周辺) 

          
          海岸沿い国道8号線を北上する(新潟県糸魚川市周辺)

       
 親不知の観光を終えた後、私たちは国道8号線を北上して行った。
 今回の親不知観光は、私の永年の夢であった。
 天下の険として名高い 親不知 は、 どんな所なのか! どんな地形をしている所か! 前々から興味を抱いていた。
 今回初めて訪れて散策していると、その険しは想像以上であり、命がけで通行している当時の旅人達の様子がまぶたに浮かんでくる。
 ただ残念なのは、海岸線に造られているはずの古道を、見ることが出来なかった点である。
 





名水と天然記念物 「杉沢の沢スギ」 

2009-09-13 22:15:38 | 気ままな旅
 6月23日(火)富山県黒部市や入善町などにまたがる黒部川扇状地湧水群や公苑の散策を終え、新潟方面へ愛車を走らせていると 「杉沢の沢スギ」 の看板が目に入ってくる。
 何だろう、せっかくの機会だから! と思い行ってみることにした。
 杉沢の沢スギは近くにあってすぐに到着する。
 駐車場からは平屋の建物の上にオランダの風車を思わせるような円形の搭が聳え建っている。
この建物が 「沢スギ自然館」である。
 入り口には 「”全国名水百選”杉 沢」 と書かれた看板が立てられている。
 それによると

「黒部川扇状地湧水群  
 源を北アルプス鷲羽岳に発し、飛騨山脈と立山連峰との間を一大峡谷をなして北流している黒部川は、中流の宇奈月町愛本地区を頂点とし、日本海にいたる典型的な扇状地を形成している。
 黒部川の水は、この扇状地の砂礫層を浸透し、各地で自噴水などとして湧水している。
 黒部川扇状地末端部に位置し、日本海に面するここ吉原地区及び周辺は、表層の浅い湧水地帯となっており、かつては 「沢スギ」 と呼ばれる天然の杉が密生し一帯は杉沢と呼ばれていた。
 この杉沢は、昭和44年当時で約45haあったが、圃場(ほば=作物を栽培する田畑、農園)整備事業でそのほとんどが伐採開墾され、現在では県の自然環境保全地区に指定されている2.7haだけしか残っていない。
 杉沢に群生している沢スギは、国の天然記念物にも指定され、杉沢一帯は湧水を中心とした自然植物園の観がある。」 と書かれている。

 この看板の隣りにも 沢スギや林内の見所などが書かれた看板が立てられている。
 「沢スギ自然館」 に入っていくと、沢スギ林の特徴や天然記念物に指定された理由、歴史などが分かるように、写真やパネルで説明されている。
 自然館を出るとすぐに木道の遊歩道が整備され、林内に導いてくれる。  

          
             杉沢に関する資料を展示している「沢スギ自然館」

          
           沢スギ自然館内の様子、沢スギなど色々なことが学べる。

             
 沢スギの伏条更新、上記図のように曲がった枝が着地して発根する現象をいう。
 
 沢スギも特徴は、沢スギが雪の重みなどで倒れ、曲がったスギから発根し成長する伏条更新(ふくじょうこうしん)という現象が見られる。
 スギ自体の重みで曲がった枝の部分が着地し、そこから発根して成長する伏条更新の現象は、日本の平地では杉沢の沢スギ林一ヶ所といわれている。

          
      良く整備された木道の遊歩道と、とやまの名水「杉沢」と書かれた碑

 良く整備された木道の遊歩道を進んで林内に入って行くと、幻想的な森の雰囲気が漂っている。
 小さな川や池の上には、苔のついた倒木や老木の枝が曲がりくねっている、まるで、もののけ姫の住む森を連想さしてくれる。
 車を走らせていて、このような平地である田園地帯の中に、忽然と存在している原生林の森自体の存在に驚かされる。
 途中で気がついてくるが、やはり、ここにも黒部川扇状地湧水の恵みがあった。
 扇状地の宇奈月当たりの扇頂付近で、伏流して地下を流れてきた湧水は、一年を通して水温の差がなく、気温と比較して夏はつめたく、冬は暖かで、寒い朝などには水蒸気が立ち上っているようである。 
 また、沢スギ林は扇状地末端の古い川の凹地に出現している。この扇状地の末端である河や池は全国名水百選にも選定されている湧水地である。

          
           もののけ姫の森を思わせるような「杉沢の沢スギ」林内

          
            林内のいたるところにある池と伏条更新の沢スギ 

          
   倒木が池をまたぎ、水面に逆さに映り幻想的な雰囲気をかもし出している。 

 林内は湧水が流れていて、冬でも季節風があたらず、積雪が少なく、暖かいので暖地性の植物が見られる。また、黒部川が氾濫した時に種子や根茎が運ばれてきたと考えられる山地性の植物も見られ、しかも種類も多く、全国的にも珍しいといわれている。
 それに、シダ類の種類の多さも特長のひとつで、林内に密集して生育している。

           
伏条更新した沢スギと多様化している植物や倒木が、池と調和して独特の景観をかもし出している。 

          
林内にはこのような展望台が造られ、多様化した植物の枝などを身近に観察できる。 

          
富山県自然環境保全地域特別地区に指定され、全国名水百選にも選定されている湧水の池と沢スギなどの植物群。

          
    良く整備された木道の遊歩道と伏条更新して成長した沢スギや多様な植物

                    
沢スギの林内から外に出ると、このような広々とした芝の広場や田園風景が広がっている。

 突然訪れた「杉沢の沢スギ」その生態や特長の要因が、黒部川扇状地湧水群の恩恵にあった。
 地球に住む私達や植物などの全ての生物に、水は様々な恩恵を与えている。
 沢スギの伏条更新ということも、全く知らなかったが、厳しい自然環境の中でたくましく生き抜く知恵を、沢スギは発揮しているように思えてくる。
 沢スギが群生している水源の森も、他地域では例を見ないような森で、多様化した植物群の多さに、愛好者も多く、訪れる人も後をたたないと伝えられている。
 
 私達もこの森から植物の生命力に対する強い印象と、自然に対して大きな感動とエネルギーをいただいたように感じる。
 杉沢の沢スギや自然館の散策を終えた後、駐車場に戻り、新潟方面に愛車を走らせて行った。           
          

                                    

豊かな自然に恵まれた黒部川扇状地湧水群

2009-09-09 18:31:26 | 気ままな旅
 平成21年6月23日(火)富山県滑川や魚津市の観光を終え、黒部市まで愛車エステイマを走らせやってきた。
 国道8号線の日本海側にある県道を走っている。広々とした水田地帯で右側には 北アルプスの山陵が霞んで見えている。道路脇に建てられた看板には湧水と書かれたものが多く見かけられている。たまたま通りかかった所に、 「扇状地湧水公苑」 と書かれた小さな公園があった。何かと思い、立寄って見ることにした。
 道路を挟み、左右に公苑が分かれている。
 左側にはコンクリート製の建物が造られ、その中央には回廊の様な丸い柱が数本立てられ、その上には藤の花木が緑の葉を広げている。
 中央の部分には女性の像が立ち、その奥にはギリシャ神殿造りを思わせるような丸柱の搭が数十本建てられている。その中央には円形にできた噴水搭があり、静かな噴水を吹き上げている。
 私は湧水とか、名水とか、水にまつわる所には色々と行っているが、このような湧水公苑(こうえん)は初めてで、興味が湧いてくる。

 この「扇状地湧水公苑」は、黒部川の扇状地にできた公苑で、黒部の水の恩恵を受け、中央にある噴水も自噴水で吹き上げるという、全国的にも大変珍しい噴水である。
 水は生命の源であり、明日への活力を与えてくれる、水の大切さや美しさを広める為に、環境庁では、身近で清楚な水であって、古くから地域住民の生活に溶け込み、住民自身の手によって保全活動がなされてきたとして、昭和60年に 「名水百選」 を選定し、黒部川扇状地湧水群もそのひとつに選んでいる。
 この湧水群は、黒部川の水が扇状地の砂礫層に浸透し、再び自噴水として、また、湧水として扇状地の先端の海岸付近に湧き出しているもで、地元では「ほりぬき」と呼ばれ、現在も生活用水として、この付近の人たちに多く利用されている。
  
          
            黒部川のデルタ地帯にできた 「扇状地湧水公苑」

          
           「扇状地湧水公苑」 中央には湧水聖女の像が立っている

           
             湧水聖女の像   公苑中央で自噴水で吹上げる噴水                     

 黒部川扇状地湧水群を形成する大きな要因は北アルプスにある。
 黒部川は北アルプスの中央部に位置する黒部奥山の鷲羽岳に源を発し、立山連峰と後立山連峰の間に2,000m近くにも及ぶV字形の深い谷を刻み、急勾配の中を短時間で北流し、黒部平野に達し、日本海に注いでいる。
 黒部川の上流部分には、全国的にも名高い黒部ダムや黒部渓谷のトロッコ電車などがある。
 黒部川は水に溶けにくい硬い岩の間を流れるため、その水質はカルシウムや鉄などの成分が少なく、軟水であり、清らかな水質を持っている。
 又、黒部奥山に降る大量の雪は、高地のため夏になってようやく溶け始め、真夏の渇水期にも豊かな水量をもたらしている。高い山は、いわば自然のダムとなっている。
 黒部の地表水は黒部平野の田畑を潤し、特産物を育て、黒部の地下水は富山湾海底から湧き出し、魚介類に豊富な淡水性のミネラルを与え、日本有数の漁場を形成している。
 また、その地下水の一部は地表に湧き出て、古来から“清水(しょうず)“として人々の生活を潤し、地域住民からも愛され続け大切に活用されている。
  水量は、宇奈月地区で年間28億トン、そのうち約14億トンは発電兼灌漑用に分水され、残り14億トンは黒部川本流に流れるが、それぞれの一部は共に広い扇状地内で地下水となり浄化されている。
 地下水は、扇央部では、飲料水などの生活用水や工業用水に使われ、扇端部では、湧水や自噴水となり、その一部が「黒部川扇状地湧水群」を形成している。
 
 毎年7月31日には 黒部川 水のコンサート&フェスティバルが黒部川河川公園で開催、日本有数の清流「黒部川」と流域住民が一体となって「水」にこだわった様々なイベントが繰り広げられている。

          
        ギリシャ神殿風に造られた広場 中央には自噴水が造られている

          
          公苑中央の一番奥に作られている泉と水に関わるモチーフ

 この公苑は、黒部川扇状地に点在する湧水群のシンボルとして入善町が整備した公苑で、この一帯にしか見られない自噴水を利用し、水の動態をさまざまに表現しているようである。
 また、入善町では、水質保全活動を推進するため地下水の総合研究を実施して、名水を保存し、水に親しむことができるような計画も進められている。

          
          滾々と清水が流れ清潔に保たれている生地地区の共同洗い場

 ここは、松尾芭蕉が越中巡遊のおり、道場の庭に湧く水を見て、その道場を「清水(しょうず)庵」と命名したそうである。

 富山県黒部市生地地区は、海岸近くに位置するものの、黒部川扇状地の湧水群として名水百選に選定されている 「名水の里」である。
 黒部川扇状地の一角を占める生地地区には、湧水を利用した清水が18ケ所もあるといわれ、その内写真のような共同洗い場が6か所もあって、地元の皆さんにはなくてはならない存在になっている。
 どこの共同洗い場も写真のように掃除が行き届き、清潔に保たれた洗い場で、訪れた人たちにきれいで豊富な水と共に感動を与えているようである。

          
 「水と歴史の町 清水(しょうず)の里 生地(いくじ)へようこそ」 の看板が掲げられている。

 この生地地区の清水・共同洗い場は、現在も湧出した水を、飲用や野菜、衣類の洗い物に利用している。

          
「とやまの名水 清水庵の清水(しみずあん の しょうず)」と書かれた 碑が立てられている。

 黒部には生地地区の共同洗い場以外にも、名水を楽しむために整備された施設が多くある。
 JR生地駅前にも清水の里と呼ばれ、清水が湧き出る水飲み場があり、のどを潤す憩いの場として、地元住民に親しまれている。
 生地から少し離れた黒部市荻生(おぎゅう)地区には、江戸時代から旧北陸道の旅人に休憩の場として親しまれた箱根の清水もあるようである。

 名水のあるところには必ずといっていい程、周りには豊かな自然がある。
 昨年の夏訪れた富士山周辺の富士五湖や、忍野なども富士の恵みを受けた名水が多く見られる。
 ここ富山県立山周辺も、自然豊かな水の恵みを受けている地域で、その多さには驚かされる。
 私達人間にとって水はなくてはならない大切なものであるが、都市部では環境破壊による水質汚染がすすみ、社会の大きな問題としてクローズアップされ、その対策が急がれている。
 大切な水質は、豊かな自然をもたらす山々の森林にあり、ブナなどの森林を経由して育んできた水が、豊かな河川をつくり、栄養分を含んで海に注ぎ、豊かな魚場を形成している。
 地球温暖化などの環境問題が世界中で叫ばれる中、私たちは身近な水や森林などに興味を持って、人々に潤いと憩いの場を提供できる環境作りに、貢献していきたいとの思いを、強く感じさしていただいた今回の気ままな旅であった。
 






富山の名水 「穴の谷の霊水」

2009-09-04 13:06:01 | 気ままな旅
 今回は旅先の富山で出会った名水について投稿いたします。
 自然豊かな北アルプスの主峰 「剱岳」 の麓に上市町がある。
 この町はスケールの大きな大自然を持つ剱岳の麓だけあって、いたるところから自然が息づいているように感じられ、今回訪れた 「穴の谷の霊水(あなんたんのれいすい)」 もその一角にある。
 富山地方鉄道の上市駅から北東へ約 6Km程の丘陵地を登ったところに穴の谷霊場があり、大きな駐車場も完備されている。
 愛車を駐車場に止め、広々とした参道を10分ほど進むと、下りの石段に差しかかってくる。
 この石段は108段あって、両側には紅い布をまとった石仏が並んでいる。
 石段を下った谷間の部分には、霊場である薬師観音堂が建てられている。
 穴の谷霊場には洞窟があって、そこからこんこんと水が湧いてきている。
 この水は霊水と呼ばれ、不純物の混入がほとんどないため腐りにくいとされ、古くから飲料の他、酒、みそ、醤油などの製造に幅広く利用されている。
 
           
     穴の谷(あなんたん)霊場の108の石段   全国 「名水百選」 認定書

 参道の脇にあるたくさんの地蔵は、「穴の谷霊水を飲んで体調がよくなった」「元気になった」 という人々が感謝の気持ちから参道に寄進されたようである。
 湧き出る清水は、環境庁選定 「全国名水百選」 の一つに指定されている。
また、霊水として古来から難病に効くといわれ、全国から多くの人が訪れている。
 不治の病が治った例は全国に限り無くあると伝えられている。

          
        穴の谷霊場薬師如来が祀られ奥の洞窟から霊水が湧き出している。

 この霊水にも次のような謂れがある。
 その昔、穴の谷の洞窟には白蛇が棲むとされ、人々は近寄ることを恐れたが、江戸時代、美濃国の白心法師がこの地で修行して以来霊場として知られ、多くの修行僧や参詣人が全国から訪れるようになった。
 参道から108段の石段を下った谷間には、薬師観音堂があり、そこに祀られた薬師如来像の横から尽きることなく湧き出る水は、難病に効く霊験あらたかな霊水とされ、日々参詣者が絶えることはない。

 また次のようなことも伝えられている
 ”難病に苦しむ母を助けたくて” 名医にも見放された手足が、ホラこんなに動くようになって、そのお礼に・・・・・霊水を飲むようになってからは家族みんな元気になって・・・。
 そのような言い伝えが少しずつ広まり、現在では善男善女が長い列をつくって参拝に訪れ、霊水を持ち帰っている。
 これが富山県上市町の黒川にある 『穴の谷霊場』 の霊水である。

 その由来は、そして霊水とは・・・・・。
 昔、この洞窟に嘉永4年(1627年=江戸時代)(美濃国の白心法師がこの穴にて3年間、修行せられ、諸国からその法を聞き参詣人も多くなったと伝えられる。
 その後、この穴での修行僧は数多く、近年では明治30年、能登の霊外悟道禅師が3年間修行して、真の解脱を得ている。
 このころから 『行者穴』 ともいわれている。
 また、昭和32年には広島の岡本弘真という女行者が訪れ、6ヶ年間修行して
「この穴の水は入巧徳水だ、病に苦しむ人に飲ませて欲しいとのお告げがあった」
 と遺言して逝った。

 上市駅から町道広野新・女川線(スパー農道)を走り15分、ここ黒川集落から穴の谷までの参道には、三十三の観音像が並び、各行者をしのぶ碑などが多いことからも、古来からの霊場であることがわかる。
 穴の谷の砂岩と粘板岩でできた三つの洞窟からなり、第一の洞窟の正面に薬師如来の石仏をまつり、その右横から清水が年中つきることなく湧き出ている。
 この清水こそ、即ち 『穴の谷の霊水』 なのである。
 この霊水に群がる善男善女は、
 『薬師如来に病気平癒を一心に祈願して霊水を口に運ぶ』 といわれている。
 不治の病いが治った例は全国に限りなく、日々参詣者の耐えることがない。
 このことが 『穴の谷霊場』 の由来になっている。

          
   薬師観音堂 穴の谷(あなんたん)霊水の入口で青い鉄格子の所に取水口がある。

          
     霊水取水口。全国各地から多くの人がポリタンクを持って訪れている。

          
        霊水取水後は薬師如来にお供えして清めてから持ち帰る風習がある。
          
 富山県は自然の宝庫であり、どこの水もおいしいと思われるが、ここ穴の谷の霊水は古くから ”万病に効く” ”薬師如来様が私達の身体を守ってくれている” との信仰が伝わっているようで、感謝の気持ちを常に捧げて霊水を持ち帰っているように思われる。
 私たちはパンフレットを見て偶然訪れた為に、ポリタンクなどは持っておらず、持ち合わせたペットボトルの空き缶に汲んで持ち帰ったが、霊水を汲んでいる人たちの、持ち帰る数や量の多さには驚かされる。
 穴の谷の霊水には適度なミネラルであるゲルマニュウムやクロロフイリンなが含まれ 「穴の谷霊水」 として、地元で生産され全国に販売されている。
 霊水を買い求め飲用した後、霊水の効能についてたくさんの礼状が届いているとのことであった。
 私は名水について詳しいことは知らないが、「おいしい水」、「きれいで清潔な水」、「体によい水」などが名水の条件として考えられるが、ここ穴の谷の霊水は三拍子揃った名水中の名水であるように思われる。

 霊水を汲み終えた私たちは、駐車場に戻り、次の目的地に愛車を走らせて行った。