気ままな旅

マイカーでの気ままな旅で、束縛された予定や時間にとらわれない、自由奔放な行動をとる旅の紹介です。

深々と興味が湧いてくる立山

2009-07-31 10:38:04 | 気ままな旅
 6月21日(日)昨夜から富山地方鉄道立山駅前にある駐車場で車中泊をしていた。
 昨日は念願だった高さ500mのハンノキ滝や、高さ350mの圧巻の称名滝の見学を終え、立山駅近くにある立山カルデラ砂防博物館に立寄ってみた。
 博物館では、立山の自然の厳しさや、それと向き合って生活してきた、人間の知恵や歴史を紹介している。
 閉館時間(~17:00)まで、一時間ほどの見学時間であったが、立山や山岳地域の多い日本の火山活動や砂防技術などを知る上では貴重な博物館であった。(詳しくは下記の項で示す)
 博物館見学後、今日の宿泊先をどこにするか決めてなく、道の駅も近くにはなかった。立山駅のすぐ近くには大きな駐車場がある。通りがかりの人に尋ねてみると、誰でも自由に使え、すぐ隣にはトイレ設備もあるとのことであった。ありがたかった。
 さらに、日替わり入浴できる施設を訪ねると、近くに「ウエルサンピア立山=厚生年金保養センター」があるとのことであった。
 早速、教えられた施設に行ってみる。車で5分ほどで到着する。
 ホテルのような白い近代的な建物で、露天風呂も完備された立派な温泉施設である。しかも天然温泉で良く体が温まる。(温泉入浴料=700円)
 入浴後は、再び立山駅前の駐車場に戻り、近くの店で買い物をすました後、遅い夕食を摂った。
 この近辺は高度があるのか、平地と比較するとかなり涼しく、車内でも寝苦しさは全く感じず、熟睡することができた。  

          
              車中泊をしていた立山駅前の広々とした駐車場   
       
          
                 立山カルデラ砂防博物館の玄関

 博物館は、「立山カルデラの自然と歴史」及び「砂防」の二つのテーマを 「知られざるもうひとつの立山」 と位置づけ、博物館活動をとおして、立山カルデラにおける人と自然の関わりを広く紹介することを目的としている。

           
         白岩砂防えん堤(博物館で撮影) 白沢砂防えん堤の下側の部分

 博物館に上のような写真が掲示してあった。 私も色々な砂防ダムなどの施設を見学しているが、白岩砂防えん堤のような大規模な物は初めて目にする。
 しかも、100mを越す高さと、工事そのものも大変な難工事であったと思われ、この地域の河川にかかる砂防えん堤の多さや規模など驚きの連続であった。

 基幹えん堤である白岩砂防えん堤は昭和14(1939)年に完成している。
 その高さは63mと日本一で、現在では7基の副えん堤を合わせ、高さ108mの偉容を誇っている。
 カルデラからの土砂流出を抑制し、今もなお下流の富山平野を土砂災害や洪水から守り続けている。
 2009年4月17日に、「白岩砂防えん堤」を国の重要文化財に認定された。砂防施設では全国初となる。

 砂防ダムとは、小さな渓流などに設置される土砂災害防止のための設備(砂防設備)のひとつである。
 明治時代には、お雇い外国人であるヨハニス・デ・レーケが来日し、現在の砂防ダムの基礎となる思想や工事の体系を構築し、日本の土木技術向上に大きく貢献した。

          
立山カルデラの地域、手前の赤い部分が現在地立山、上部の湖が黒部湖、白い部分が立山室道 

 日本でも有数の急流河川で知られる常願寺川。
 その上流には、立山火山の火口周辺が激しい侵食作用によって拡大してできた東西6.5km、南北4.5kmに及ぶ巨大なくぼ地 「立山カルデラ」 がある。
 安政5(1858)年4月9日、M7と推定される飛越地震が立山連峰を襲った。
 この地震によりカルデラ内の斜面が大崩壊(鳶崩れ)を起こし、崩れた土砂が川をせき止める。
 4月22日川をせき止めた土砂が決壊、1回目の土石流が発生、続いて6月7日さらに大規模に決壊し、2回目の土石流が発生、富山平野にはん濫し死者140名、負傷者8,945名の未曾有の被害をもたらした。

            
 上写真の中央、白ろめに写っている部分の詳細である、下の赤い現在地は称名滝入口、その右側の赤い屋根が立山駅 
            
          
      立山駅周辺案内図 左中央が立山駅、駅上の白い建物が立山砂防博物館
          
                      
           立山駅とケーブルカーの駅は同じ駅に併設されている

 立山駅は、富山県立山町にある富山地方鉄道立山線および立山黒部貫光立山ケーブルカーの駅でもある。
 全国的に人気の高い立山黒部アルペンルート は、富山県の立山駅と、長野県大町市の扇沢駅とを結ぶ、大規模な山岳観光ルートである。(1971年6月1日全通)
 最高地点は、立山登山の基点ともなる室堂で標高2,450m。
 このルートの黒部ダムから扇沢の区間は、黒部ダム建設の資材運搬道として建設され、ダム完成後に一般の旅客に開放された。

           
             国土交通省の工事用の起動車、立山駅前から出発する

 この小さな鉄道は、労働安全衛生法に基き運行される工事用軌道で、18キロの区間に38段のスイッチバックがある。
 一部区間では18段に及ぶ連続スイッチバックがあること、またかつて工事用軌道や鉱山鉄道で広く採用されたものの、現存する一般の鉄道路線では例がない610mmのナローゲージで知られている。

 昭和初期から運行が続けられ工事用軌道としての歴史的性格が評価されて、2006年に文化財保護法に基づく 「登録記念物」 に登録された。
 一般客の利用は通常許可されないが、地元の博物館が主催する砂防工事の見学会に参加することで、乗車することも可能である。
運行区間 ・・・ 千寿ヶ原~水谷 所要時間 ・・1時間45分  
延  長 ・・・ 17.7㎞   標高差 ・・・ 640m
          
                綺麗に整備されている立山駅前のロータリー  

                    
   立山駅構内のプラットホーム、ホームの2階部分が正面出入口になっている。

          
                立山駅に到着する富山地方鉄道の電車

 車中泊をしていた立山駅前の散策を終えた後、車で10分ほどの所にある富山県「立山博物館」によってみた。ところが休館している。
 近くにいた人に尋ねてみると、この近辺の施設は、ほとんどが月曜日は休館しているとのことであった。残念であった。
 この博物館は、立山の歴史と信仰、そして、その舞台となった立山の自然を紹介している博物館のようで、展示館、遥望館、まんだら遊苑、かもしか園などの施設からなっている。
 仕方なく隣にある雄山神社の参拝と見学をすることにした。
 雨も降り始め、境内にある石畳の参道に立てられた、鳥居のしめ縄が幾分垂れ下がっているように感じる。
 
 雄山神社は、「峰本社=雄山山頂3003mに鎮座」、「中宮祈願殿=芦峅寺」、「前立社壇=岩峅寺」の三社をもって雄山神社といわれている。
 三社は三位一体の性格を持っているため、どの社殿に参拝してもご利益は同じとされている。
 所在は富山県中新川郡立山町芦峅寺(あしくらじ)から岩峅寺(いわくらじ)にかけた一帯、広くは地獄谷や弥陀ケ原を含む立山連峰全域である。
 岩峅寺及び芦峅寺の峅と言う文字には 「神様の降り立つ場所」 の意味があるそうで寺の名前ではない。
 
           
                雄山神社(中宮祈願殿)の正門(芦峅寺)

 正門の鳥居をくぐり、石畳の参道を真っ直ぐに進んで行く。
 賛同の脇には樹齢500年の立山杉の大木が並び、神気に満ちた静寂な雰囲気が漂い、この神社の歴史や信仰の深さが伝わってくる。
 参道の右側には手水舎があり、その奥には内と外を区別するような木塀が、参道正面を除き、境内を取囲むように左右に造られている。 その奥には神明社の祠があり、その横には宝童者の小さな祠が建てられている。
 境内は立山杉の大樹林が聳え、雨天の境内を黄昏時のような薄明るさで、そんな中で立派な石舞台が参道横に姿を現してくる。
 さらに進み、石でできた斎戒橋を渡ると、参道はYの字の様に別れている。
 正面には開山者廟が、左方向には大宮が祀られている。
 私たちは右方向に進む、少し進むと立山開山堂があり、その近くには、立山峰本社への参拝の折に、必ず訪れたという立山若宮の祠が、溶岩石の様な石の上に建てられている。
 その左側には雄山神社中宮祈願殿があり、妻と二人並んで参拝する。
 
 越中立山は、江戸時代前期(延宝期〔1673~1680〕)には、すでに富士山・白山とともに日本三霊山のひとつとして知られ、この三山を巡拝する壮大な巡礼コースが存在している。
 「三禅定」と称するこの大旅行は、江戸時代後期まで盛んに行われていた。
 さて、私たちが一般的に 「立山」 という言葉で思い出すのは、立山の雄大な山岳景観や雷鳥、アルペンルート、雪の壁などの自然にかかわるものである。
 しかし、立山が日本の歴史の中で、絶えずその存在感を保ち続け得たのは、自然もさることながら、それよりもむしろ山中にあるという、恐ろしい地獄のおかげだったのである。
 そこで、立山の地獄・極楽信仰を中心に、その知られざる歴史を紹介します。
 ひとつは立山曼荼羅の中に描かれている世界です。
 立山山中の地獄谷のあたりに、立山地獄に堕ちた亡者に対する責め苦の様子が強調して描かれ、それに相対するかのように、地獄谷から対角線上に位置する立山連峰の雄山と、その右手の浄土山などへの、阿弥陀如来と聖衆の菩薩達の来迎が描かれています。
 当時の人たちは曼荼羅に描かれている地獄図やそれに伴う物語などを聞き、大変な恐怖を持ち、そこからくる立山への信仰を厚くしていったいわれています。
 立山も他の霊山同様に女人禁制をとっていました。 
 男性は、立山山中で厳しい修行登山を行うことで、来世の極楽往生が約束されていたが、山中に入れない女性には、それがかないませんでした。
 しかし、江戸時代の立山は女性の救済を実現する霊山として、特に女性の間で多くの信仰を集めていました。
 それは 立山山中には「血の池」血の色をした不気味な池が存在しており、その池にまつわる血の池地獄の思想や血盆経信仰を、山麓の衆徒たちが全国各地で布教したことで、女性たちの救済願望を満たしていたからです。
 立山信仰は全国に広がり、拠点村落である芦峅寺と岩峅寺は、それぞれ38軒と24軒の宿坊を構え、立山禅定登山の基地として大変な賑わいを見せていました。

           
 樹齢500年の立山杉に囲まれた 雄山神社(中宮祈願殿)境内を進む 右には手水舎がある。
 
          
手前の斎戒橋を渡ると参道はYの字に分かれ、正面には立山開山者廟があり、右側に開山堂や若宮が、左側には大宮が祀られ、その中間に祈願殿がある。 
          
                 雄山神社(中宮祈願殿)
 
          
雄山神社(中宮祈願殿)の拝殿 拝殿には立山信仰の伝統を守り、お灯明が厳かに輝いている。

           
      本殿内に掲載さている「立山に向かって神官が拝礼している・・・立山信仰

           
            博物館への道沿いに咲いていた雨にうたれている花 

          
休館日だった 富山県[立山博物館] 立山信仰を分かり易く説明。企画展示には興味深いものが多い。雄山神社と隣接している。

           
立山博物館の隣りにある教算坊という宿坊、立山信仰の隆盛時は多くの人で賑わっていた。

            
 成願寺川に架かる 立山大橋 1999年(平11年) 立山大橋完成((主)宇奈月大沢野線、立山町芦峅寺~大山町原、橋長401m)

 雨の中での雄山神社(中宮祈願殿)の参拝や見学を終えた後、もう少し立山のことを知りたくなって、周辺にある施設に立ち寄ってみたが、全てが休館日で見学することができなかった。
 上記の立山大橋は、そのように散策していて、偶然に通りかかって撮影したものである。
 立山の滝もすばらしいが、初めて訪れた立山周辺の施設や神社を見学していて、立山に対する興味が深々と湧いてくる。
 山岳地域では、雨の日はガスがかかりどうしょうもないが、また次回訪れることを胸に誓いながら立山を後にし、次の目的地へ愛車を走らせて行った。
            

                  

          

           

           

           

                  

仲間たちと初の底曳き網漁に

2009-07-24 13:06:34 | 今日の出来事
 7月12日(日)朝4時に目覚める。
 今日はかつてから行き付けの居酒屋に集まる人達と、大阪湾底曳き網漁に妻と二人で出かける予定である。
 昨年から今年にかけて本稿でも紹介したユニークな仲間達との行事である。
 朝早く起きて妻が船で食べる、おにぎりやコーヒーを用意している。
 心配していた天気も大丈夫なようで、5時に居酒屋に集合、乗船する泉南市の岡田漁港まで出かけて行く。
 漁港には参加者15人が集まって出航の準備を整えている。

 6時には準備も整って出航する。 
 この漁船は10トン程度で、獲物の選別や雨・日除けの折に役立つシートを屋根に覆っている。
 中央には機械室があり、大きなエンジン音を発生、魚探知機や無線機なども搭載され、その後方には操舵席がある。
 底曳き用の金具と網が一体となった漁具が左舷と右舷に2ケ所ずつ置かれ、計4基で漁をする体勢である。
 
 船は岡田漁港を出航し、関西空港との連絡橋を通り抜けて行く。
 航空機は朝が早いためにかほとんどが離着陸していないようだ。
 大阪湾の水面も驚くほど静かで、りんくうタウウンの高層ビルが、海面に鏡のように逆さに映っている。
 私もこれほど静かな大阪湾は始めてである。

 船は北よりの進路から西よりに方向を変え、神戸市沖合い方面に進んで行く。
 出航して10分ぐらいすると、みんなは想い思いに朝食を摂りはじめている。
 朝早くてほとんどの方が朝食を摂っていない様で、船上からの関西空港やりんくうタウンなどの景観を楽しみながら摂る朝食やコーヒーの味は格別であった。
   
          
       朝6時に岡田漁港を出航、海面に浮かぶりんくうタウンの高層ビル 

           
       船上からの大阪湾に浮ぶりんくタウン  船の先端でくつろぐ女性

           
               左右4ケ所に設置 「金具のついた底曳き網」

          
           静かな海面を船揺れも少なく漁場に向かう 船内の様子  

 出航して50分程で神戸沖合いに到着すると、船長は四基の底曳き用の金具の付いた網の投げ入れ準備をすすめている。
 船には直径10Cm位の長い木棒が左右に2箇所ずつ取り付けてあり、海に向かって5m程突き出ている。
 これに網を吊るし90度方向が変えられる様にしている。
 木棒の根元には金属製のパイプが立てられ、パイプの先端には滑車(ホイル)があり、ワイヤーロープを通して網と結ばれている。

 網入れの準備が整うと船長は底曳き網を順次、海中に投入していく。
 網が海中に沈み始めると、ワイヤーロープもぐんぐん伸び、絡んでいる金属製のホイルが激しく回転、大きな音を発している。
 船長によると投げ入れる深さは20m前後とのことである。
 
           
               海中に底曳き網を投入し漁を開始する
 
 4基の底曳き網を海に投入、10分から20分間曳きまわした後、網を引揚、網に入った獲物を獲る漁法が底曳き網漁法で、2隻で行う場合もあるが、今回は1隻である。

          
 金具のついた網を海底から引揚げると網に泥が入っている場合が多く、船を走らせて泥洗いした後に網を引揚げる。         
          
          
             海底を曳きまわした後に網を引揚げる船長
         
          
              引揚げた網に入っていた獲物 しゃこが多い

 私は船上で漁をすることは勿論、底曳き網漁の船に乗船することも初めてである。
 10分~20分間曳き回して、網を引揚げ、船長が網底にある紐を解くと、どっと獲物が出てくる。
 何が出てくるか興味深々である。 
 しゃこやエビがほとんどで、カレイのような魚やタコ、カニなどが入っている。
 網は順次引揚げられ、それぞれの選別作業にかかっていく。
 選別作業は、2~4人単位に分かれ、左舷2ケ所、右舷2ケ所の4ケ所で行われる。
 選別によって、しゃことエビ、魚類、カニなどに分類、それぞれの篭に入れ、作業が終わると船に設置してある生簀に入れられる。
 選別作業で不要になった小さなしゃこなどは、再び海に戻される。

          
              大きなタコの獲物もとれ みんなに披露する仲間
           
          
    網に入った魚はみんなで選別、幾つかに分類してそれぞれの生簀に入れる
         
 底曳き用の4基ある網は、投入後10分~20分で引揚げられ、獲物を捕り出した後、選別作業に取りかかるが、網はすぐに海に投入される。
 網を投げ入れた後も選別作業は続き、終わったと思いホットしていると次の網が巻き上げられ、再び4ケ所で選別作業が行われる。
 このように網の投入、網の巻き上げと獲物の選別が、午前7時前から11時頃まで10回程度繰り返し行われた。
 選別作業は、15名の参加で4ケ所に分かれて行うが、これは人数が少なければ大変な作業である。
 漁師はこの選別作業を2~3人で行っているようで、よく出来るものと感心する。 漁師の人たちの大変な重労働が思い浮かんでくる。

           
         獲物はしゃこやエビが多く、小さいものは海に戻すなどの選別をする。

 私も写真を撮り続けながら、選別作業をやってみる。
 しゃこやエビが多く、エビは簡単に判明できるが、しゃこは身のあるものと、そうでないものの選別は素人には難しかった。
 結局のところ同じ大きさでも、お腹の部分が少し大きいものを選別して籠に入れる。
 しゃこは、半数近くが選別からはずれ海に戻す。
          
          
       エビやしゃこ以外にタコ、ワタリガニ、カレイに似た赤い魚なども捕れる
         
          
          獲れた獲物は鮮度を保つ為に水槽や大型のポリバケツに入れる

          
 底曳き網は7時~11時頃まで、10回程度繰り返し行う、その度に船長の巧みな操作が繰り返される

          
 選別作業で小さなしゃこなどの獲物は半分以上が海へ、それを狙ってご覧のように かもめ が・・・

           
    網の引揚げ操作などを手伝う人 選別作業中にも底曳き網漁は行われる。

          
 ほとんどの人が朝食抜きで参加、獲物はコンロで焼く、やはり新鮮な食材は最高 !
        
          
            アナゴなども獲れ その場で調理、 調理の腕も一流!

          
        底曳き網の投入や巻上げなど船長の手伝いも慣れた手つきの人たち

           
           良く働く船長、大勢の人を引き連れ 朝早くから・・・ ご苦労様  

          
             底曳き網漁も終わり帰港する船中でくつろぐ仲間たち   

          
         関空島方面を見ながら船の先端で景観を見ながら談笑する人達 

          
              関西空港やりんくうタウンなどの景観を見て楽しむ

          
 船の先端部分で関西空港へひっきりなしに着陸する航空機などに見とれる仲間たち。

          
            快晴になってみんなと記念に、関空連絡橋も見えている
 
          
         船の上空を轟音を発しながら通過、着陸体勢に入っている航空機

          
      帰港前の空港島前を通過、くつろいで談笑する二人 笑顔がすばらしい
           
          
           快晴の中、船から眺望するりんくうタウンのすばらしい景観

          
岡田漁港に帰港、港には鮮やかな色彩のヨットや同じ底曳き船がずらりと繋留されている。
           
           
                 帰港後に全員で記念のショット

 岡田漁港には1時前に帰港、獲物の箱詰め作業を行う。
 今日の漁獲量は定かではないが200kg程度ではと思われる。
 作業終了後に船をバックに記念撮影した後、今朝 集合した居酒屋に帰って行く。
 居酒屋では、漁に参加できなかった仲間たちも多数集まって賑わっている。
 気さくなママさんや女性達も手伝って、獲れたての魚やしゃこなどを調理して出してくれている。
 夕方近くまで仲間たちと愉快に談笑した後、全員に配られた獲物を持ち帰ったが、量も多く近所の方たちにも、おすそ分けすることにした。
 私達にとっては全く初めての経験であったが、あらためて色々な提案や企画を出し、それを実践していく仲間たちのすばらしさを感じる一日であった。         
            

                   
       
  
          
           
     

                     

              

高さ500mの滝と大水量350mの圧巻の滝

2009-07-18 16:00:04 | 気ままな旅
 6月21日(日)朝 北陸道賤ケ岳SAを出発して立山有料道路と、日本一の高さを誇ハンノキの滝、称名滝(しょうみょうのたき)方面の分岐点にやってきた。
 私たちは、目的地の滝方面に向かって行く、前回に述べたが道路沿いには、常願寺川の支流にあたる称名川が流れ、周囲の景観も急峻な山陵に変わってきている。 
 少し進んで行くと、すると前方の山と山に挟まれた空間の部分に、白い細い線が2本見えてくる。
 ハンノキの滝と称名滝である。
 目前の右斜面の景観も断崖絶壁の恐ろしくなるような壁に変わってきている。
 山高く、幅広く見えている。 悪城の壁(あくしろのかべ)である。
 この断崖絶壁の中腹には、氷河期にできた氷河が融けて、壁から滑り落ちる時にできたと思われる、半円形の形をした岩肌の壁が見え、この形状をした壁が幾つか横に連続して見えている。
 さらに進んでいくと、眼下の称名川には砂防堰が、数段にわたって幾つか造られ、滝のような落差をともないながら流れ落ちている。
 悪城の壁などとともに、厳しい自然のすごさを感じさしてくれている。    

          
           高さ500m、長さ2kmに渡って続く断崖絶壁の「悪城の壁」

 少し進むと悪城の壁(あくしろのかべ)の展望台があった。
 悪城とは、また、なかなか的を得た名前のように思えるが、悪城には、すごく恐ろしい、砦のように人を寄せ付けないという意味があるようだ。
 見ただけでも恐ろしくなり、人を寄せ付けない断崖絶壁ということで 「悪城の壁」 と呼ばれるようになったようである。
 高さ500m、幅2kmにわたって続くこの断崖絶壁は日本一の規模を誇っている。
 確かに登ろうとする気力さえも、失わせるに充分な急峻な崖の様相を呈している。
 悪城の壁の上部は、2段になっており、古立山火山の噴火によって出来た溶結凝灰岩が、氷河期の氷河で削られたり、称名川の浸食作用によって約十万年の歳月をかけて作られたとされている。
 また、この上部の台地には立山黒部アルペンルートの弥陀ヶ原台地が広がっている。
 弥陀ヶ原は立山黒部アルペンルートの途中、標高1600m~2100m付近にかけて
ある高層湿原地帯のことを指している。

          
            氷河で削られたような形状を現している 「悪城の壁」

          
         2kmにわたって断崖絶壁の奥には残雪も見られる「悪城の壁」

          
               滝に向かう道路沿いにある悪城の壁

 悪城の壁を目のあたりにしながら渓谷にできた道路を進んでいくと、二つの滝の全景が姿を現してくる。
 程なくして愛車は称名滝駐車場に到着する。ここから奥はマイカーの乗り入れは規制されている。 滝までの距離は1.3kmほどである。

          
            緩やかな登りになっている滝への遊歩道

 緩やかな幅広い登りの道を進んでいくと500mの落差のあるハンノキ滝の全景と称名滝の上部がすごい水量で流れているのが見えてくる。
 ハンノキ滝の右横には、幾重にもなって糸を引くような小さな滝が、緑の合間を縫ったように流れている。美しい光景である。
 称名滝の横上にも所々で小さな滝が見えているが下の方では森に隠れて見えなくなっている。
 この場所からは称名滝の全景を見ることは出来ないが、上の方ではすごい量の水流を伴っていきよいよく流れ落ちている様子が見えている。
 ハンノキ滝と称名滝、さらに、この二つの滝に花を持たせるように幾重にもなって、白い糸のように黒い岩肌を流れ落ちる滝が、この場所からも良く見えている。さらに進んで行く。
          
              ハンノキの滝と称名の滝

 二つの滝は立山連峰を源流とし、弥陀ヶ原を流れた川が、この断崖を一気に流れ落ちていく。  
 雪解けの時期(4月~6月)には、右隣にあるハンノキ滝(ネハンの滝)姿を現わし、高さ500mと350mの二つの滝が、同じ滝壺に大迫力の水量と轟音を発しながら流下し、訪れている人々に言葉を失うほどの圧巻と感動を与えてくれる。
 さらに今回はハンノキ滝の右側にある糸状の細い滝も姿を現わし、3つの滝が並んだ珍しい光景に出会えることができ、これ以上の滝見物はないと言えるほどの絶景である。
  
 日本で、これほどの滝があることを私はつい最近まで知らなかった。 
 日本一の高さを誇る那智の滝が133mで、その上に500mや350mの滝があることさえ夢にも思わず、しかも、今見ている称名滝の水量のすごさにも驚かされる。
  
 高さ的にはハンノキ滝が日本一の落差の滝といえるが、通年に流れていないことから、日本一とは認定されず、全国滝の百選にも選定されていないようである。
 実際のハンノキ滝の落差は497mで、一般には500mとされている。

 称名滝は、350mという日本一の落差を誇る四段構成で通年流れている滝で、国指定の名勝及び天然記念物に指定され、日本の滝百選に選定されている。
 それぞれの段差滝の落差は上から70m、58m、96m、126mと、とても素晴らしい滝である。

 これだけの見事な滝が、なぜ、日本三名瀑(三大滝)に選ばれなかったのかが不思議でならない。 
 何故だろうかと思う。
 段瀑だからだろうか?

 ちなみに三名瀑は那智の滝(和歌山県)、華厳の滝(栃木県)、袋田の滝(茨城県)である。
 それぞれの滝の落差は、那智の滝133m=直漠、華厳の滝97m=直漠、袋田の滝120m=段漠で、それと比較しても、
 称名滝は全く遜色無いはずだと思えるが  何故だろうか!
 何故、日本三名瀑(三大滝)に選ばれなかったかが不思議に思えてくる。

 滝のあるカルデラの広さは、東西およそ6.5km、南北およそ5.0km。周辺の山々の崩壊・侵食によってできた、侵食カルデラの一種である。
 
          
 滝から流れる称名川に造られている幾段にも重なって作られている砂防堰とハンノキ滝

          
 500mの落差のあるハンノキ滝と左に隠れている称名滝、右側にはそうめんのように流れる滝も見えている。

            
           ハンノキ滝の上部  ハンノキ滝の横で幾筋にも糸状になって流れる滝

 滝までの遊歩道をさらに進んでいくと、ハンノキ滝と横にある糸状の滝がはっきりと見えてくるが、上空には雲がかかり始め、所々の山陵が見えなくなっている。
 幸いにして二つの滝の上部にあたる滝口は、はっきりと見えているが、称名の滝は、この場所でも岩壁の斜面に隠れ全体が見えていない。
 滝の手前には滝から流れる川に架けられた橋があり、渡ったと所の斜面には滝見台が造られている。
 橋に近づくに従って、轟音とともに大迫力の滝が現れてくるが、大量の雨のようなしぶきが、350mと500mの滝の流水が巻き起こした強風を伴って降り注いでくる。
 とてもカメラを向けて撮影できる状態ではない。一瞬にしてカメラが水滴で曇ってしまう。
 特に橋の上は、強風としぶきの量が多く一枚の撮影すらできなかった。
 橋を渡り、石段を上ると滝見台があり、さらにもう一段上にも山の斜面を利用して滝見台が造られている。
 私は上側にある滝見台からの撮影に臨んだ。
 ここからは、大流量の滝が轟音とともに350mの上空から流れ落ちている称名滝を見ることができる。
 私は色々な滝を見てきているが、このような大流量と轟音を伴った迫力満点の滝を見るのは初めてで、まさに圧巻である。
 500mの高さを持つハンノキ滝と、350mの称名滝が同じ滝壺に流下する様は、何ににもたとえようのない程の大きな感動が湧き、暫く見とれてしまう程である。

             
       上部の弥陀ヶ原と二つの滝のある渓谷  四段構成の称名滝

           
      ハンノキ滝と真っ白に流れる称名川 ハンノキ滝は上部の弥陀ヶ原から流れる

           
          称名滝とハンノキの滝  同じ滝壺に流下する二つの滝 この時期しか見られない

           
すごい水量で350mの高さから流れる迫力満点の称名の滝 虹のかかった滝壺からの川

          
称名の滝の一段目の滝(70m)(2段目の滝(58m)は隠れて見えない)三段目の滝(96m)が続いて流れ落ちる称名の滝
 
 称名滝は4段に分かれて流れ落ちている滝である。
 日本一といわれる落差は350m、うち標高1400m付近から流れ落ちる滝の第1段目は高さ70mあり、2段目は58m、 3段目は96m、4段目は最大で126mもある。
 4段目の高さだけで直瀑日本一といわれる那智の滝(133m)に匹敵する落差を誇っている。
 滝壺付近でも標高は1065mもあり、滝壺の水深は約6m、その直径は60mである。
 立山に水源を発する称名川が、かつて立山火山が噴火して出来た弥陀ヶ原の溶結凝灰岩をV字型に深さ150mに渡って侵食した称名廊下と呼ばれている谷の末端部分から一気に350m流れ落ちて、この称名滝となっている。

           
     三段目の滝(96m)から4段目の滝へ   四段目の滝(126m)の称名滝

          
     ひとつの滝壺に合流する称名の滝とハンノキ滝、同じ滝壺に流下する。 

 すごい滝の強風としぶきの中、ずぶ濡れになりながらの見学と撮影を終え、大満足して滝を後にし、もと来た道を駐車場に向かって帰って行く。
 駐車場の側には2階建ての 称名滝展示館 があって立ち寄ってみると、滝の地形を縮小して、分かりやすくしたものや、滝の四季を写真で紹介するパネルなどが展示してあった。
 下記の世界の主な滝も紹介されている。
 
 世界の主な滝
         滝 名        国 名      落差     滝幅
      ① エンジエル    ベネズエラ     970m
      ② グランド      カナダ        666m
      ③ スザーランド   ニュージランド    577m
      ④ ヨセミテ      アメリカ       433m
      ⑤ カランボ      タンザニア     423m    215m
      ⑥ リビングストン   ザイール      275m
      ⑦ ビクトリア     ジンバブエ     118m   1700m
      ⑧ イグアス      アルゼンチン     80m    2700m
       ⑨ ナイアガラ       アメリカ       59m    1200m
     
 滝にも色々の滝が有って、高さの大小や、大きさなどで争うものではないが、その魅力が人々をひきつけ、心の中に大きく浸透していっているように感じる。 
 日本人は、昔から滝が大好きで、庭園の中心には滝を配置して水を流し、池を造り、池の中には島に見立てた石を置き、色鮮やかな鯉を泳がしている。
 そして、全体の景観がまとまるように松などの樹木を植え、庭園全体のバランスを整え、周辺の屋敷などからの眺望が楽しまれるように工夫されている。
 たとえ、水のない庭園であっても、枯山水と称して、滝や池に見立てた石や砂などで表現して楽しんでいる。
 どのような庭園であっても、庭園の中心には滝を配置して、水の流れを考え、石や樹木などとバランスを整え、美しい特徴のある庭を形成しているように思えてならない。
 
 
 

恋人の聖地・伝説の尼御前岬など・・・北陸道を行く

2009-07-14 11:01:48 | 気ままな旅
 6月19日(金) かつてから、高さ500m、日本一高い滝と言われている富山県の滝を見たいと思い、行ける時期を模索していた。
 この滝は通年に流れている滝ではなく、4月から6月の雪解け時期に姿を現す滝である。
 6月20日に出発するのが、滝見に行ける最後のチャンスだと考えていた。
 来週や7月に入ると、雪解けシーズンが終わり、滝が見えなくなる可能性が高かった。
 昨日、富山県立山町役場に問い合わせると、水量は少し細くなっているが流れているとのことであった。
 早速、カメラなど気ままな旅仕度をしていると、朝刊に「剱岳(点の記)」のロードショウが20日(土)に封切られとの新聞広告が目に入った。
 この映画は山岳小説で有名な、新田次郎の原作をもとに製作された映画で、原作を読んだ時点から、上映されることを楽しみにしていた。
 妻も興味があり、映画鑑賞を終えてから出発することにした。
 映画は午前10時30分から近くの映画館で上映され、1時前には終わる予定である。
 早速、10時半には妻と二人で泉南市にある映画館に到着する。
 やはり大スクリーンに繰り広がる、迫力満点の映画シーンは違うと思った。
 音響効果も十分で、剱岳の自然の美しさと厳しさ、明治の時代背景が良く表現されて映しだされている。
 ただ、少し残念だったのは、日本最後の未踏峰といわれながら、頂上に登攀する最後のシーンが、原作からイメージして少し迫力不足のように感じた。
 
 映画鑑賞を終えた後、買い物をして、日頃から何かとお世話になっている大阪の先生宅へ立ち寄り、富山方面へ愛車エステイマを走らせて行った。
 今日は土曜日、休日の高速料金がどこまで行っても1000円はありがたい。
 阪神高速道路から名神高速道路に入り、米原JCTから北陸道を金沢方面に向かって行く。
 時間も21時近くになっている。疲れもあることからこの先の賤ケ岳SAで車中泊をして、明朝に再出発することにした。

 6月21日(日)朝早く目覚める。今日も晴れている。この分だと500mの滝も見えそうである。
 賤ケ岳SAで妻と二人、車中泊をして疲れも癒し、朝食をすまし後の8時前には出発する。
 我が家では毎朝、湯を沸かしブラジルコーヒーをドリップして、マホービンに入れて、好きな時間に飲めるようにしている。
 北陸道をゆっくり走りながら飲む朝のコーヒーの味は格別で、今日一日の前向きな気持ちと希望を与えてくれそうに感じる。
 愛車は福井県敦賀ICを過ぎ、風光明媚な杉津PAに到着する。
 杉津PA(すいづパーキングエリア)、日本海と敦賀湾を見下ろす景勝地にあり、福井県の敦賀IC - 今庄IC間にあるPAである。
 天気の良い日には、日本海や敦賀半島を望むことができる。
 昼間は日本海の太陽に照らされた海面がきらきらと輝き、夜はイカ釣り船などのの漁火や、船舶の灯す灯りが美しく見えるPAでもある。
 また、日本海らしい迫力にあふれた強風による波などの荒々しい風景も格別で、高速道の景観大賞にも輝いている。
 車から下りて目の前の緑の垣根を見ると下の写真のような蝶が留まっている。

          
          車を降りた時に目に付いた垣根に留まっていた羽の欠けた蝶

 さらにPAの横にある通路を進むと敦賀湾の絶景が楽しめる展望台があり、数人の方たちが、此処からの絶景を楽しんでいる。
 手前にも奥の細道で各地を旅して句を詠み上げ、残していった松尾芭蕉の句碑も立てられている。 

          
               杉津PAに立てられていた芭蕉の句碑 

   ふるき名の 角鹿や恋し 秋の月
  
 往時敦賀は角鹿(つぬか)と呼ばれ大陸伝来の門口であった。
 ちなみに「角鹿」の名は気比神宮(福井県敦賀市)の祭神 都怒我阿羅斯等(つぬかあらしど)に由来する。
 元禄2年8月 芭蕉は中秋の湊の月と愛でながら 古代の敦賀を偲びこの句を吟じた。
 北陸道には松尾芭蕉にちなんだ句碑が下記の通り建てられている。

     名月や 北国日和 定めなき        (杉津PA上り) 

     月に名を 包みかねてや いもの神     (南条SA上り)

      あすの月 雨占なはん ひなが嶽      (南条SA下り)

     むざんやな 兜の下の きりぎりす     (尼御前SA下り)

     庭掃いて 出でばや寺に 散る柳      (尼御前SA上り)

 松尾芭蕉は元禄2年の春、弟子の曽良を伴って江戸深川を発って「奥の細道」で有名な奥州の旅に出る。
 奥州路を北上し、平泉を経て陸奥まで行き、帰路は北陸路をまわって秋に大垣にたどり着くまで約五ヶ月間600里(2400km)に及ぶ道のりを走破する。(芭蕉46歳)
 この芭蕉の奥州・北陸紀行から300年を記念して、芭蕉ゆかりの地に近いSAやPAに句碑が道路公団によって立てられている。
   
          
              杉津PA展望台に訪れた人たちと敦賀湾

 日本海と敦賀湾を見下ろす景勝地にあるので、見晴らしは抜群。大正天皇が行幸の折りに、その美しさにしばらく汽車を止めて、ご覧になったという景色を、のんびりと眺めるのもいい。

           
                 杉津PAからの敦賀湾の景観

          
                  杉津PAから敦賀湾の景観

 句碑を過ぎ展望台に出ると、金色に輝く「恋人の聖地」の看板や、「愛のハートロック」などと書かれたものや、広範囲にわたる金網全面に色々な鍵が掛けられている。
 「恋人の聖地」や「愛のハートロック」 って何だろう! と思って調べてみると次のことが判明した。

 恋人の聖地とは 地域活性化・少子化対策の一環として事務局を設置、委員を選定して全国的に行われている。

「恋人の聖地」は各地域を代表する観光施設・地域を中心に、恋人の聖地プロジェクトのシンボルとして、恋人の聖地選定プロセスにより全国に100ヶ所を選定されている。(2006年4月19日に選定)
 自然に囲まれた場所、夜景の綺麗な場所、記念品が作られる場所などを選定している。
 
 各種イベントその他企画を通して、プロジェクトのコンセプトの幅広い情報発信と展開にご協力いただきます。
 また、それ以外の各地域を代表する都市部を中心としたホテル・各種レジャー施設等につきましては「恋人の聖地/サテライト」として恋人の聖地運営事務局が選定している。
 プロジェクトの中核として、また各種イベント等の開催拠点として、少子化対策のより具体的なアプローチによる地域への提案にご協力いただきます。

 恋人の聖地の選定委員
 ・桂 由美 氏 (ファッションデザイナー)
 ・假屋崎 省吾 氏 (華道家)
 ・島田 晴雄 氏 (千葉商科大学学長/富士通総研 経済研究所理事長)
 ・菊川 怜 氏 (女優)

 恋人の聖地事務局
      静岡県静岡市葵区  TEL.054-252-3481
  
          
             展望台に立てられた「恋人の聖地」のモニュメント

 ここ杉津展望台は夕日の美しい所としても知られている。
 金網に掛けられ膨大な数の愛の鍵、若い二人がここを訪れ、愛のハーロックに願いをかけながら、展望台から見る敦賀湾の景観はどう観えるのだろうか!
 この展望台は 「ゆうひのアトリエ」と呼ばれているようである。
 夕陽が水平線に沈む頃は、カップルたちにも人気のデートスポットになっている。
 夕暮れ時の幻想的な雰囲気の中、夕日の敦賀湾をバックに若い人たちが、ふたりで願掛けをする姿が目に浮かんでくる。

           
展望台にある金網全面に掛けられている「愛のハートロック」メッセージを添えた鍵が掛けられている。

 愛のハートロックの鍵は売店で購入(300円)、鍵にメッセージを添えて、展望台に設置されている「愛のハートロック 鍵入れ箱」に鍵のみを投入するシステムである。
 鍵をかける瞬間は、ちょっと神妙な面持ちになって・・・・どうか私たちの願いが叶いますように・・・。

            
            愛のハートロック鍵入箱     ゆうひのアトリエのパネル

 一度ロックしたら離れない鍵に多くのカップルの思いが託されている。 
 二度と開けることができないから、ふたりの思いもしっかりとロックされるはずである。

          
              杉津PA展望台近くに咲いた紫陽花の花 

 暫く杉津PAで若い人たちの情熱、恋人の聖地などの旅情を楽しんだ後、私たちは再び、北陸道を金沢方面に向かって行った。
 北陸道で最も雪が多いといわれる今庄までの山間部を通り抜けると、福井平野の入り口にあたり、暫く進むと広々とした福井平野の中心部に出てくる。
 福井平野の日本海側には、先ほどの杉津PAのある敦賀湾から越前岬を得て、三国町にある東尋坊までの越前海岸が広がっている。
 北陸道も福井平野の最高速度100km区間から、山間部でカーブの多い80km区間へ入って行く。 程なくして加賀の入り口であり、その昔「安宅の関」でも有名な、尼御前SAに到着する。

            
               尼御前岬公園の出入口 

 尼御前SAには、日本海の景観のすばらしい尼御前岬公園が併設して造られ、高速道路のSAの駐車場から気軽に行くことが出来る。
 私達も早速カメラを持って施設の横にある出入り口から公園へ入っていく。
 この尼御前岬公園は越前加賀海岸国定公園に指定されている。
 入り口から少し入ると芝生の広場があり、広場の北よりに女性の像が立てられている。 尼御前という女性の像である。

          
           その昔、源義経を追慕した悲劇のヒロイン「尼御前」の像 

 この女性には次のような伝説がある。
 
「その昔、都から逃れて奥州へ向かう義経一行が、途中この地まで来ました。
 従者の中にいた女の一人が、この先の安宅関の取締りが厳しいことを聞き、主君の手足纏いになることを憂い、この断崖から身を投じたという伝説があり、その名が尼御前であったので、この一帯を尼御前岬と呼ぶようになりました。」

 このような伝説が伝えられている。像の後ろ側には松林があり、その後ろには加賀の海岸が、弓形に反りながら続いている。
 伝説に出てくる安宅の関もこの海岸沿いの近くにある。

          
                公園の最先端部にあたる尼御前岬 

 像の前を通り少し進むと日本海が一望できる尼御前岬に到着する。
 青々とした日本海が広がり、白い漁船が港の方に行き交っている。西には周りをテトラポットに守られた防波堤があり、日本海の荒波から船を守る漁港が造られ、その遠方には白い灯台が見えて、美しい海岸風景をかもし出している。
 眼下には複雑な形状をした奇岩の海岸が続き、海面にはワカメなどの海草が見え、白い静かな波が打ち寄せている。
 私も海岸に降りて奇岩でできた岬を見上げていると、先ほどの上からの景観と全く違った景観に見えてくるから不思議である。
 
          
              尼御前岬から安宅の関方向の景観  

          
                尼御前岬から西方向(福井)の景観 

          
              尼御前岬で海食でできた奇岩や美しい海岸風景

          
        海食による奇岩が見事な海岸風景をかもし出している尼御前岬海岸 

          
        奇岩の岩間から  日本海では珍しい静かな尼御前岬と漁港の防波堤

 尼御前岬公園の散策を終えた後、再び、北陸自動車道を通り、金沢・富山方面に向かって行く。
 出発してすぐの車窓からは、青い日本海の美しい景観が見えているが、海岸と高速道の間にある松ノ木の枝が、全て陸地方面に向き、日本海の冬の厳しさを語っている。
 
          
                快晴の北陸自動車道を北に向かって走って行く

  金沢や高岡を過ぎて高速道を走っていると、突然、車窓前面に剱岳が雲上に現れてくる。
 天気は快晴であるが立山連峰は厚い雲で覆われて見えていない、前方の剱岳頂上部が雲の上に浮かんで見えている。
 少し走っていると呉羽PAに到着し、下記の写真のように雲上の剱岳を撮影することができた。

          
              呉羽PAからの雲上の剱岳

 北陸道を立山ICでおり、立山道路と呼ばれる一般道を立山方面に進んで行く。
 富山市街や立山市街などと立山を結ぶ、富山地方鉄道と路線も平行して走っている。山裾や田園風景の中で2両編成の電車と行き交う様子は、旅情を一層高めてくれる。
 愛車は幅広い常願寺川を右手に、聳え立つ山陵の麓に造られた曲りくねった道路を走って行く。
 常願寺川の何段にも重なって作られている砂防堰の景観には驚く。
 これほど短い距離に砂防用の堰が、いくつも作られた光景を目にするのは初めてである。
 程なくして、立山アルペンルートの入り口と称名滝(しょうみょうのたき)方面の分岐点に差し掛かる。
 立山アルペンルートは交通規制がしかれ、マイカーの乗り入れは規制されている。
 私たちは高さ500mのハンノキ滝と350mの称名滝を目指して進んで行く。


 
               

霧の摩周湖・美しい丘の美瑛など・・・北海道ツアー旅行②

2009-07-09 09:14:57 | ツアー旅行
 6月7日(日)今朝も朝早く目覚め温泉につかる。
 ここの温泉は酸性度が高く、腕時計や指輪などの貴金属ははずして入浴して下さいと言われていた。
 昨日の夕食の毛がに付きの料理や温泉も、私達全員が好印象を受けていた。
 昨日は層雲峡から知床半島まで観光し、バス走行距離も320kmに達している。
 今日も阿寒湖から三国峠や富良野を経由して札幌の定山渓温泉までの480kmの走行予定で、川湯温泉「湯の閣」を7時30分に出発する。

 川湯温泉は硫黄山を熱源としている温泉で 幾つかの筋上の流れのある湯の川と、周囲の針葉の樹木が調和した旅情豊かな温泉として人気がある。
 アイヌ語では、ここをセセキペツ(湯ノ川)と呼ばれ、極めて酸性度が高い温泉でリユーマチ・糖尿病・皮フ病などに効くといわれている。
         
 川湯温泉は、戦後に大ヒットした映画 『君の名は』 で周辺にある屈斜路湖などが撮影地となったことから、当地を訪れる観光客が再び激増し、温泉街は急速に発展する。

          
       車窓から「川湯相撲記念館」と横綱「大鵬幸喜」の像が立てられている

 川湯温泉を出発してすぐに相撲記念館が見え、大横綱 「大鵬幸喜」の像が立てられている。
 ガイドさんの説明によると、元横綱大鵬は、この地で少年時代を過ごし、関連する資料や写真などが展示され、お祭りには女相撲の大会まで実施され人気を呼んでいるようである。

          
            川湯温泉の熱源でもあり、濛々と噴煙を上げる硫黄山

 今日もガイドさんの名調子の案内がアナウンスされている。
 バスの運転も極めて慎重で、乗客にできるだけ負担をかけないように気配りされた、ブレーキやハンドル操作をされているようで安心感が伝わってくる。
 上空はどんよりと曇り厚い雲に覆われている。 
 程なくして、山の麓から大量のガスを噴出している硫黄山が見えてくる。
 噴気活動は活発で大規模に噴出ガスを排出、山体のあちこちから火山ガスが噴出している。
 バスは摩周湖へ通じる緑に囲まれた道路を走行して行く。
 しかし、高度を上げるに従って霧が発生、10m先の視界も見渡せない深い霧となった。 まさに神秘の湖、霧の摩周湖である。

          
              深い霧が発生、何も見えない「霧の摩周湖」

 摩周湖は阿寒国立公園に位置し、摩周岳の噴火により誕生したカルデラ湖である。
 日本で最も透明度の高い湖のひとつで、世界ではバイカル湖についで第2位、2001年には北海道遺産に選定されている。
 摩周湖は急激に深くなって透明度が高く、青以外の光の反射が少ない、よく晴れた日の湖面の色は 「摩周ブルー」 と呼ばれた色彩を現す。
 1966年に布施明が悲壮な絶叫調で歌った歌謡曲 『霧の摩周湖』 が大ヒットして一躍極光を浴びるようになった。

          
               平成19年10月に訪れた時の摩周湖 
 
 深い霧で何も見えない、平成19年10月に訪れた時の写真を掲載する。
 摩周湖はご覧のような美しい湖で、展望台からの眺望もすばらしい所である。

          
           平成19年10月に訪れた時の摩周湖展望台から見た硫黄山

 摩周湖から阿寒湖へ向かう阿寒横断道路を走行中に、雨も降り始め下の写真のような景観となった。

          
          雨振るひっそりとした阿寒湖 遊覧船乗り場周辺からの景観

 阿寒湖は全域が阿寒国立公園に含まれた湖で、北海道を代表する観光地となっている。
 特別天然記念物のマリモや、ヒメマスが生息している。

 阿寒湖に立ち寄った後、241号線を足寄町を経由して上士幌町に入って行く。
 相変わらず小雨が降り続けている。
 上士幌町の見渡す限りの広い畑作風景と牧場特有の建物が見えている。

          
              車窓からの稲作風景 上士幌町付近

 ガイドの流暢なアナウンスが続いている。
 それによると、特にこの地域で有名なのはナイタイ高原牧場である。
 この牧場は、日本一広い総面積約1,700ha(東京ドーム358個分)の牧場で、国営事業によって昭和47年に完成、現在は上士幌町が運営している。
 牧場では、乳牛の6ヶ月以上の低月齢牛を飼い主より預かり育成し、授精させ妊娠牛として分娩間近くなってから飼い主に戻すという、育成牛預託専門の牧場である。
 夏場は広大な草地で放牧し、冬は7棟ある畜舎で飼育、馬も放牧されている。

 バスは国道273号線の牧草地帯を過ぎると、山間部の曲りくなった道路に入り、雨の中、慎重な運転をしながら高度を上げていく。
大雪山系の山稜には所々で白い残雪が見えている。間もなく三国峠である。
 
          
      車窓からの雨降る三国峠(標高=1139m)天気が良ければ景観は抜群

 三国峠は上川町と上士幌町の境になる峠で、標高は1,139メートルで、北海道の峠では最も高く、晴れた日の、日本離れした大樹海の景色は、まさに日本一の絶景で、秋の紅葉と朝の雲海が特に美しいといわれている。

 バスは三国峠を過ぎてから、昨日通った国道39号線に入り、断崖絶壁や奇抜な岩が続く層雲峡をガイドの説明を聞きながら通り過ぎて行く。
 バスは旭川空港の横を通り、丘の町で有名な美瑛に入って行く。
        
          
           国道237号線沿いの車窓から 美瑛にある「せるぶの丘」

 美瑛の国道を通過している時に、セルブの丘が見えてくる。
 思わずシャッターをきるとご覧のような撮影ができた。
 この花畑からは、天気が良ければ、旭岳や十勝岳連峰の大自然な景観が楽しめる。
 バスは美瑛町でJR富良野線を横ぎり、パノラマの道へ入る。
 ガイドからこの町を一躍全国に有名にした写真家「前田真三」氏にまつわる話が伝わってくる。
 バスは程なくして北海道らしい雄大な風景が見渡される「新栄の丘」に到着する。        

           
                美瑛パノラマの道にある「新栄の丘」

 「丘のまち」と呼ばれる美瑛は、テレビCMのロケ地として有名で、名の付いた丘や木などがある。

          
             花や農村景観の美しい美瑛にある 「新栄の丘」

 ガイドによると、1971年、一人の風景写真家が日本縦断の撮影旅行の帰り、ふと立ち寄った美瑛や上富良野の丘の風景に感動、以来16年間美瑛に通い続ける。
 そうして撮られた写真の多くは、写真集や絵はがきの他、多くのポスターや映画、テレビCM等に使われ、美瑛の景色は全国に知られるようになった。
 後に彼、前田真三氏は世界的に評価を受ける写真家となり、廃校になった小学校を利用して美瑛の丘に写真館を開設、現在でも多くの感動を来訪者に与えている。

          
         新栄の丘で添乗員とバスガイド、飛び入りの中国からの女性

 4日間同行、細かい気配りの行き届いた添乗員女性と、北海道の各地ごとに名調子で語り案内してくれたバスガイド、元気ハツラツな中国人女性。             
 バスは新栄の丘のから国道237号線に出て富良野に向かって行く。
 車窓からは雄大な丘の風景が見えているが、ラベンダーなどの色彩豊かな花咲く本格的な季節には、一ヶ月ほど早く、見られないのが残念である。
 バスは間もなく中富良野にある農園「ファーム富田」に到着する。 
          
 ファーム富田は、中富良野町にある農園で、主にラベンダーを中心とした花を呼び物に、春から秋にかけて開園している。
 園内にはドライフラワーを使用した土産屋や資料館などがある。

           
   通路に植えられた花  部屋一面がドライフラワーで色鮮やかに飾られた部屋

          
             天井近くの壁に飾られた見事なドライフラワー

          
 農園にはラベンダーも植えられているが花は無くポピーの花などが満開であった。

          
                中富良野の車窓からの景観
 
  富良野は、テレビドラマ『北の国から』の舞台となり、ドラマで登場した数々の建物が残っている。
  富良野から美瑛へ向かう国道237号は通称「花人街道」呼ばれ、初夏を彩るラベンダー畑をはじめ、季節の花々が咲き誇る花畑が多く見られる。

「ファーム富田」の観光を終えた後、バスは国道452号線から道央道の三笠ICに入り、札幌中心部に向かって行く。
 時刻も7時前後の黄昏の時刻を向かえ、札幌中心部のネオンや自動車のランプの色合いが増してきている。
 バスはテレビ塔や時計台、赤レンガの旧北海道庁舎などを車窓から眺め、今日の宿泊先である定山渓温泉に向かった。

            
            車窓からの札幌テレビ塔    黄昏時の札幌時計台

 8時00分頃に定山渓温泉「ホテル 鹿の湯」に到着する。(走行距離は480km)
 大きな立派なホテルである。 バイキング料理の夕食を終え、眼下の豊平川を眺めながらの入浴も最高の気分であった。
 部屋は9階の定山渓温泉街が見渡されるすばらしい部屋である。 
         
 定山渓温泉は、札幌市南区にある温泉で、札幌の奥座敷とも呼ばれている。
 この地の温泉の存在は古くからアイヌ民族に知られ、江戸時代には、松浦武四郎が旅行中に川の中に湧く温泉に入ったことを記している。
 慶応2年(1866年)に小樽で、この定山渓温泉のことを知った僧美泉定山が小さな小屋を作って温泉宿としたことが始まりと伝えられている。
 現在は年間200万人以上が訪れる北海道屈指の温泉として知られ、札幌市民をはじめ、国内外を問わず多くの観光客が訪れている。

          
                定山渓温泉の景観 

 6月8日(月)晴れ 朝食を済ませ、8時00分にホテルを出発、国道230号線から453線に入り支笏湖(しこつこ)へ向かって行く。
 天気は晴れているが恵庭岳や樽前山の山頂には雲がかかっている。
 程なくして支笏湖に到着して観光に出かける。

          
            満開のレンゲつつじと支笏湖・風不死岳

 支笏湖は面積77K㎡、周囲40kmで最大深度が360.m、平均水深でも259mと
、田沢湖に次ぐわが国第2の深さである。
 風不死岳(ふっぷしだけ)は、第四紀火山で、標高は1103m、山麓には幅が極めて狭く深い峡谷がいくつもあり、そのひとつに苔の洞門がある。

          
               ボート乗り場の支笏湖から恵庭岳を望む 

 恵庭岳は支笏湖一帯の最高峰(1320m)で、頂上東向きには爆裂火口があり、今も噴気が見られる。
 西南尾根は1972年冬季オリンピックの滑降コースに使用されている。

          
                支笏湖で恵庭岳をバックに添乗員さんと 

          
               支笏湖と風不死岳・樽前山

樽前山(標高1041m)は、明治42年の噴火、山頂に巨大ドームを持つ三重式火山として世界的に有名である。
 現在、樽前山の火口の温度は高温状態が続いており、登山は外輪山までで、山頂のドーム周辺は立入が規制されている。

 支笏湖の観光を終えた後、千歳味覚のバザールに立ち寄り、新千歳空港に向かう。 11時過ぎに新千歳空港に到着する。
 今日の80kmを合わせた北海道4日間の走行距離は1120kmであった。

 新千歳空港12:30 →JAL514便 → 14:00 羽田空港(乗り換え)14:30 →  15:35 大阪伊丹空港着

 伊丹空港16:00 →空港バス(阪神高速)→ 16:30 大阪なんば(OCAT)

 JRなんば から天王寺を得て 南大阪の自宅に18時ごろ帰宅する。

 今回のツアー旅行は価格も安く強行日程であったが、ホテルや食事などの内容も格安さを感じさせない旅であった。
 添乗員やバスガイドの人たちのサービス内容も十分で、この内容であれば機会があれば また参加したいと思う。
                                    (全ての関係者の方々ありがとうございます)

 
         

            

知床(世界遺産)層雲峡など・・・・北海道ツアー旅行①

2009-07-05 13:10:00 | ツアー旅行
 5月のある日のこと、朝刊を読んでいると、大きな広告欄に 「北海道3泊4日 3万円」 の広告が目に入る。しかも関西から千歳までJALを利用し、朝夕の食事付きである。
 私は日頃から、束縛されない自由気ままな車旅をしているが、ツアー旅行は全く経験がない。
 たまたま、近所の夫婦が来宅、この新聞の広告欄を見せると 「安い、行こう」 との話しになって、早速申し込むことになった。

 6月5日(金)朝早く目覚める。どうやら上天気のようである。
 南大阪の自宅を11時過ぎに4人で出発、バスとJRを乗り継ぎ関西空港へ向かう。
 空港での昼食後、15時10分発 新千歳行 JAL2509便 520人乗りのジャンボ機に乗り込んだ。
 機内は同じツアー客が乗り込んでいるのか、大きなジャンボ機が満席になっている。
 津軽海峡の上空あたりか、乱気流で機体が激しく揺れたのにはびっくりする。
 私も何度も航空機を利用しているが、これほど大きく揺れたのは初めてである。
 飛行機は定刻の17時00分に新千歳空港に着陸する。
 機外に出ると上空には厚い雲が覆い、どんよりと曇っている。
 気温的にも大阪の蒸し暑い気温と違って、ヒヤッとするような気温で心地よい感じがする。 

          
           関西空港から新千歳空港へ 日航ジャンボ機 2509便

 千歳空港からは、待っていたバスに乗り換え、17時45分 今夜の宿泊先である層雲峡温泉「ホテル層雲」に向かう。(240km)
 層雲峡温泉は、北海道の中心に位置、大型ホテルなどが立ち並ぶ、北海道有数の規模を誇る温泉街で、大雪山観光の中心的な役割を果たしている。

          
             新千歳空港からバスに乗り換え層雲峡温泉に向かう 

 バスは千歳ICから道央自動車道に入り、旭川方面に向かう。
 車窓からはどんよりとした厚い雲の下、北海道の広々とした景観が見えている。
 札幌市内の高層ビル群や大倉山・藻岩山などの山稜も見えている。
 若いバスガイドが、北海道の歴史や名所旧跡などを名調子で案内してくれている。
 私にとってこのアナウンスは、すごくありがたく分かりやすい。
 車窓からは、札幌駅前のJRタワーT38の超高層ビルやテレビ塔など高い建築物が、夕暮れ近い視界の中に姿を見せ、一昨年訪れた懐かしさが湧いてくる。
 バスは石狩平野を北に向かって延びている道央自動車道を走行して行く。
 旭川近辺では雨も降り始め、日も沈み真っ暗な闇の中を層雲峡温泉に向かっている。
 時間も8時を過ぎているがまだ着かない。 予め行動予定は確認しているが、夜の8時を過ぎても着かないのは、かなりの強行軍の日程である。
 これも格安ツアーだから・・・ と思うと 仕方ないナー思えてくる。
 やがて添乗員とガイドからの案内があり、8時30分 層雲峡温泉「ホテル層雲」に到着する。

 到着後は入浴もせずに、9時頃からの遅い夕食が始まった。
 料理の内容どうのこうのと述べるよりも、やっとホテルに着き、食事ができる安堵感と、つかの間のくつろぎを感じる。 なんとも慌しい旅である。
 明朝は7時30分の出発と添乗員から告げられている。
 食事を終えて、早速、入浴することにした。
 大浴場での入浴であったが、やはり温泉での入浴は、旅の疲れを癒してくれ、心身ともリラックス、旅情気分を味わせてくれる。
 入浴後、自室に戻り、ツインのベットに横たると、妻と二人いつの間にかぐっすりと眠ってしまっていた。        

          
       観光バスに掲げられていた 「北海道バスツアー走行ルート地図」

 1日目=千歳空港→層雲峡温泉 (黄色)、
 2日目=層雲峡温泉→流星・銀河の滝→北見→網走ー知床五湖ー川湯温泉 (桃色)、
 3日目=川湯温泉→摩周湖→阿寒湖→三国峠→美瑛→富良野ー札幌市内ー定山渓温泉 (緑色)、
 4日目=定山渓温泉→支笏湖→千歳空港 (青色)

          
             「ホテル層雲」屋上からの層雲峡温泉街の景観

 6月6日(土)朝5時半に起床し、同ホテル内の川向こうにある露天風呂に行く。
 天気は晴れており 申し分のない観光日和である。
 露天風呂は周りを白樺や火山岩で囲み、層雲峡の奇抜な山稜が望められように造られ、ここが北海道であることを感じさしてくれる。
 朝食後、昨日のバスに乗り込み、ホテル層雲を7時30分に出発する。

 ホテルを出発して国道39号線に入り、10分程で 「流星の滝、銀河の滝」 駐車場に到着する。

 この二つの滝のある層雲峡は、北海道の主峰、旭岳(2290m)など2000mを越える峯々が重なる大雪山系にあって最大規模を誇る大渓谷である。
 また、この渓谷は石狩川沿いに24kmに渡って断崖絶壁や奇岩が続き、その一角に二つの滝がある。
 流星の滝は高さ90m、水量も多く、勇壮な迫力ある男性的な滝で 「雄滝」とも呼ばれている。
 銀河の滝は高さ120m、幾重にも分かれ糸を引くような、柔らかいイメージのある女性的な滝で「雌滝」とも呼ばれている。 

          
     日本一広い大雪山国立公園内の層雲峡に属する男性的な 「流星の滝」

           
            女性的な 「銀河の滝」   「銀河の滝」 の前で記念のショット
 
 層雲峡の二つの滝を見学した後、先ほどの走行してきた旭川と北見を結ぶ国道39号線(北見国道)に戻り、石北峠(1040m)に向かう。
 車窓からは眼下には大雪湖が、上部には雪を被った大雪山系の山稜が美しく見え、旅情気分を掻き立ててくれる。
 やがてバスは石北峠にさしかかり、北海道の大自然で森林の中に造られたカーブと、きつい勾配が続く道路を下って行く。 

          
             車窓からの大雪湖と雪を被った大雪山系の山稜

 峠を下ると国道は真っ直ぐに伸び、北海道ならでわの牧場や広い農場などの景観が現れてくる。

          
           北見市周辺の車窓から 広々とした田園風景が広がっている

 バスはかつてのハッカの生産地や、タマネギの生産量全国一を誇る北見市街を通過し、国道39号線から通称 網走道路と呼ばれる網走湖畔の道路に入る。
 ここからの車窓も、広々とした平原の中の畑作や牧場などが見えている。

           
          牧場など長閑な農村風景が広がっている(網走周辺の車窓)

 網走湖とその奥に見える斜里岳(1547m)が美しい景観をかもし出している。
 やがてバスは博物館「網走監獄」を経由して、その山頂に当たる名勝「天都山」に向かった。
 天都山は、網走国定公園に属する標高207mの山で、国の名勝に指定(1938年)されている。
 山頂には展望台とオホーツク流氷館やさくら公園がある。

          
              天都山にあるオホーツク流氷館に向かう人たち

 天都山に到着後、私たちはライラックスの花咲く道を、展望台とオーホーツク流氷館に向かって行く。
 流氷館ではオホーツク物語と称して、映像で網走市を中心としたオホーツクの四季を紹介している。
 大変分かりやすい綺麗な映像であるが、極寒の北海道の厳しさが伝わってくる。
 映像を見た後、極寒(マイナス13℃)の氷で覆われた体験室があり、そのままの服装で入って行く あまりの寒さに5分といられない程である。

          
 流氷科学館では 網走周辺の四季を映像で紹介 「オホーツク物語」 が上映されている。

           
              展望台からの網走湖と能取湖の眺望

 オホーツク流氷館の見学を終えた後、展望台に上がってみると360度の見事な眺望が広がっている。
 展望台からは網走湖や能取湖、オホーツク海、斜里岳、知床連山などの眺望が望める。
 天都山の観光を終えた後、バスは網走駅前を通り、国道244号線を知床方面に向かう。
 途中のオホーツク海に面した網走海鮮市場で昼食を済まし、バスは再び知床国道を進んで行く。
 出発してすぐに国道沿いのオホーツク海と、涛沸湖に挟まれた小清水原生花園が見えてくる。
 その中を一両編成の列車が、ライトをつけながら、原生花園の間を走りぬける様子は、私たちの旅情を一層 高めてくれる。
 バスは世界自然遺産の知床半島にできた国道344号線を走っていく。
 車窓からはオホーツク海の透き通った海水が、白い波をたてながら海岸に打ち寄せている。
 バスは程なくしてオシンコシンの滝に到着する。  
          
 オシンコシンの滝が、国道からも優美な姿を表している。
 知床八景や日本の滝100選にも選定、女性的な中にも力強い美しさを持った滝である。
 高さ80mから黒い岩肌を真っ白な泡を立てながら流れ落ちる様は、私達に強い印象を与えてくれる。      
        
           
       80mの高さから流れ落ちるオシンコシンの滝  記念のショット

 オシンコシンの滝の見学を終えた後、バスは先程の国道を知床の中心都市、ウトロに入り、知床五湖に向かって進んで行く。
 上天気のために知床連山の雪を被った山稜が美しい姿を表し、見た瞬間、私達に感動を与えてくれる。
 2年前の秋に訪れた時よりも、今回の知床連山は、雪を被り、美しく見えている。
 また、車窓からは野生の鹿が、道路脇で餌をあさり、知床の自然を感じさしてくれる。
 バスは程なくして知床五湖駐車場に到着する。
 
          
  車窓からの知床連山(右から羅臼岳=1661m、三ツ峰=1509m、サシルイ岳=1564m)

 知床半島はオホーツク海へ北東に突き出した長さ70kmの半島である。
 半島の中心には羅臼岳や硫黄山などの知床連山の山稜が重なり、硫黄山の中腹からは今なお噴煙を上げている火山列島で、山麓には豊富な温泉が湧出している。
 半島の地形から知床は ”大地の尽きる所”日本最後の秘境といわれ、厳しい自然を作り出し、人の侵入を阻む地形をしている。
 人の数より熊の数が多いともいわれ、知床五湖周辺もヒグマの良好な生息地となっている。
 私達が訪れた日も、知床五湖にヒグマが出没、三湖から五湖までは立ち入り禁止である。
 私たちは、許可されている知床一湖と二湖の遊歩道からの散策のみとなった。

 ご覧の写真のように好天に恵まれ、雪を被った知床連山の山稜が見事な景観を表している。
 この景観を見られただけでも今回のツアー旅行に参加した価値があった。
 木道の遊歩道が湖の周りに造られ、多くの観光客が訪れている。
 特に湖面に映った知床連山の山稜の美しさは抜群で、見事な景観を表している。
 知床の豊かな大自然が訪れる人たちを魅了し、脳裏に大きくひきつけてやまない。

 知床五湖の散策を終え、私達は屈斜路湖の畔にあり、今日の宿泊先である川湯温泉に向かって行く。

          
 知床五湖に映る知床連山(右から羅臼岳=1661m、三ツ峰=1509m、サシルイ岳=1564m、オンカバケ岳=1450m)

           
            木道の知床五湖遊歩道   湖面に映る知床の山
        
          
               車窓から見かけた知床の野性の鹿

           
 車窓から 知床半島にある真っ直ぐな希望の道  オホーツク海に面した知床のモニュメント

          
           清里町を通行中の車窓からの牧場風景と斜里岳(1547m)

 知床半島の国道334号線から、清里町をJR釧路本線と並行して走る1115号線を走って行く。
 車窓からは周辺の牧場などと共に、斜里岳が北海道らしい雄大な景観を見せている。
 バスは屈斜路湖畔を通り、川湯温泉「湯の閣」に6時30分頃 到着する。(バス走行距離320km)
         
          
          宿泊先の川湯温泉「湯の閣」で特注した毛がに料理の夕食 

 今日は毛がに付きのご覧のような特別食(+3980円/人)を注文していた。
 湯の閣はこじんまりとしたホテルであるが部屋も改装直後で綺麗である。温泉も体が良く温まる好印象の温泉である。