平成23年1月10日(月)成人の日 今朝は那智勝浦港内にある駐車場で車中泊をしていた。
空は青く晴れ渡った快晴の天気で、気温は沖合の太平洋を暖かい黒潮が流れている影響か、真冬を感じさせないような暖かさである。
車中泊をした車内も、窓ガラス全面に防寒用のパネルを張り付けている為にか、寒さを全く感じることなく熟睡することができた。
朝食を済ました後、那智勝浦港を後にして、新宮方面に向かって行く。
当初は那智大社に参拝して、速玉大社に行く予定であったが、国道42号を那智の滝方面へ左折する道路の前に、新しい道の駅の販売所が開店、そちらに目をそらし、どんなものを販売しているのか、急に興味が湧き、立ち寄って、間違ってしまった。
販売所を見学した後、本来は左に行くべきところを、右の新宮方面に行ってしまった。 途中で気がついたが距離的には近いことから先に熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)に参拝することにして、そのまま国道42号を走行して行く。 走行してしばらくすると速玉大社駐車場に到着する。
速玉大社ほど、朱色に塗られたきらびやかな美しい神社は少ない。 速玉大社を初めて訪れた方は、建築様式と色彩・自然との調和のとれた荘厳さと、その美しさと圧倒される。 私たちは駐車場からゆっくりと拝殿に向かって行く。
熊野速玉大社は、熊野川の河口付近に鎮座している。 もとは神倉山に祀られていたが景行天皇の時代(紀元前13年~130年=第12代天皇)に現在の場所に移され(?)、神倉山の古宮に対して新宮と呼ばれるようになった。 鮮やかな朱塗りの社殿には、12の神が祀られている。
鳥居も朱塗りで統一されている熊野速玉大社入り口門(神門)
今回の旅の目的は、熊野三山(くまのさんざん)への初詣である。
熊野三山とは、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の三つの神社をまとめた総称である。
2004年に 「紀伊山地の霊場と参詣道」 として世界遺産に登録されている。 ここでいう紀伊山地の霊場とは、熊野三山であり、 参拝道が熊野古道で、京都や奈良、大阪方面と伊勢方面など5つのルートがある。
古代から中世にかけ本宮・新宮・那智の熊野三山の信仰がたかまり、上皇・貴族から庶民に至るまで、多くの人々が熊野に参詣している。 その当時の旅は、人影の少ない長く険しい山道を越えるだけでなく、たとえ寒い早朝であっても水垢離(みずごり)をして心身を浄めながら、ひたすら熊野の神々や仏の救いを心に念じて熊野三山へと歩みを進める、祈りの道であった。
2004年世界遺産登録を記念して造られた曼荼羅、速玉神社を中心に素晴らしい聖地世界を表している。
鮮やかな朱塗りの建築様式と美しさを誇る熊野速玉大社の境内・左が拝殿
社殿は、上記写真の左より、速玉大社(はやたまたいしゃ)、夫須美神(ふすみのかみ)、家都美御子神(けつみみこのかみ)、天照大神(あまてらすおおのかみ)を祀る上三殿と中四殿、下四殿で構成されている。 元々は背後の権現山の南端にあるコトビキ岩の神倉神社が古代の斎地であったが、奈良時代に現在の位置に移され(?)、そのために「新宮」と呼ばれるようになった。
正月三が日を過ぎているのか、参拝客は、そんなにも多くはないが、和服姿の女性たちが参拝に訪れている姿は印象的であった。
本殿の参拝に向かう和服の女性
速玉大社の見学や参拝を終えた後、私たちは同じ新宮市内で、車で5分ぐらいの所にある神倉神社に向かった。
神倉神社へは今回が初めてで、TV等で放映される度に一度行って見たいと前々から思っていた。 神倉神社は距離的にはすぐ近くにあるが、道中の道が狭く、迷ってしまったが無事に駐車場に到着する。
山の中腹のコトブキ岩に建つ神倉山神社
駐車場の前の道路に出ると、赤い欄干の架かった橋があり、奥の森には、赤い鳥居が建てられた猿田彦神社が見えている。
神倉神社は、熊野三山(速玉・那智・本宮)の主神が降り立ったという熊野信仰の聖地で、熊野速玉神社の摂社でもある。
神社は権現山(神倉山)の中腹に、高倉下命(たかくらのみこと)を祀る小さな社殿と裏側にそびえるコトビキ岩がある。
熊野の方言でヒキガエルを意味するこの巨岩は、古代から神の盤座として崇拝され、熊野神は、初め、この岩に降臨したとされている。
長く続く急こう配の石段が第一に私たちを迎えてくれる。 この石段は源頼朝の寄進と言われ、山麓から社殿まで583段続いている。
麓の赤い鳥居から急傾斜の石段が続く、上りは、まだしも、下りは、手すりもなく、横向きで、一段一段降りないと怖くて降りられなかった。 15分ほど登ると参拝道も緩やかになり、大木の生い茂る中をゆっくりと進んで行くと、ご覧のような赤い鳥居と、赤い木柵に囲まれた境内に出てくる。
赤い鳥居をくぐり100mほど進むと神倉神社の建つコトビキ岩にでてくる。
神倉神社社殿と奥に聳えるゴトビキ岩(カエルの姿に似ていることから名づけられた)
神倉神社から新宮市内がごらんのように 真青に晴れ渡った空のもと、新宮市街地や広々とした熊野灘が一望できる。
私たちは神倉神社の見学と参拝を終えた後、急こう配の石段を半歩半歩ゆっくりと下って行った。 この急こう配の石段は登りよりも、下りの方がはるかに怖い、足を踏み外せば、真っ先に何十メートル落下しそうである。 高所恐怖症の方は大変である。
駐車場に帰ったあと、国道42号を勝浦方面に戻り、那智山方面に走行して行くと、30分ほどで那智大社駐車場に到着する。
右側に滝が描かれ 那智山伽藍の配置図
何度も訪れている那智大社であるが、何度訪れても安らぎを感じさしてくれる那智山、急斜面に建てられた伽藍や参道の石段、奥深い森から流れ落ちる大きな滝と三重塔など、ここでしか味わえない大きなポイントが幾つかあり、その一つ一つが、心に安らぎを感じさしてくれる!
古の世界で上皇や多くの人たちが訪れた信仰の深さが伝わってきそうである。
那智山は、平安末期から鎌倉時代、現生浄土を求めて多くの参拝者が訪れた熊野信仰の聖地である。
熊野那智大社の境内から社殿を観る。江戸時代に大改修された権現造りの社殿で、日本で最初の女神、夫須美大神を主神に12柱の神々を祀っている。
那智大社の境内から観る 那智山青岸渡寺(なちさんせいがんとじ)
那智山青岸渡寺は西国観音霊場第一番札所である。
古くは熊野那智大社と一体の霊場だったが、明治の神仏分離で寺と神社に分けられた。
元の建物は織田信長の焼打ちにあい、現在の本堂は豊臣秀吉が再建したもので、屋根には寺としては珍しい豊臣家の家紋がみられる。
美しい三重塔と那智の滝ツーショットは絶好の撮影スポットで、ここを訪れる人は必ずといっていいほどカメラにおさめる景観である。
那智山の見学や参拝を終えた後、私たちは熊野本宮大社に向かって行った。 道を間違えたりして予定時間より1時間ほど遅れている。
暗くなってからでは参拝はできず、明日は奈良吉野方面に行って初業務の新年の挨拶回りを予定している。 急がねばならなかった。
那智山を出発して部分開通している那智勝浦道路を新宮まで行って、風光明媚で熊野川沿いに出来た国道168号を北上して行く。
16時過ぎには熊野本宮大社に到着し、どうにか参拝が出来そうであった。
多くの参拝者が訪れる熊野信仰の総本宮 「熊野本宮大社」の入り口(総門)
沈みかけた夕陽もささなず、巨木に囲まれた薄暗い参道を本殿に向かって進んで行く。この時間帯でも多くの参拝者が訪れている。
本宮大社は、熊野三山の中心として多くの人があこがれて訪れた熊野詣での聖地で、全国3000を超える熊野神社の総本社である。
本宮内陣への門
熊野造りの社殿が堂々と建ち並び 需要文化財に指定されている熊野本宮大社殿、奥には屋根の檜皮葺き替え工事が進められている。
本宮大社の本殿南前の神社。両サイドには三山のシンボルである「やたがらす」図が入った幟が立てられている。
熊野本宮大社の参拝を明るいうちにどうにか終えることが出来た私たちは、本宮大社を後にして、明日の予定先で、桜の名所で知られている吉野方面に向かって行った。