気ままな旅

マイカーでの気ままな旅で、束縛された予定や時間にとらわれない、自由奔放な行動をとる旅の紹介です。

土佐の里山の秋祭り(高知県佐川町尾川)・・・・2013(H25)

2014-02-15 13:58:39 | 思い出

  2013年(平成25年)10月18日(金)、朝からどんよりとした雲が広がっている。 

 そんななか、三重県の友達が愛車に乗り、11時30分頃、南大阪の自宅にやってくる。 

  私の故郷である土佐の里山に一緒に帰省するためである。 今回の帰省は 「故郷の秋祭りを是非一度見てみたい!」

 との かつてからの熱い想いからであった。

 私が土佐に帰省するのは、お正月や盆、春や秋の彼岸でのお墓まいりなどが主で、秋祭りに合わせて帰省したことはなかった。

 近所の人の話によると、幼かった頃と比較して、現在の秋祭りは全く違っていた。 

 祭りの状況を近所の人たちや友達から聞くたびに興味が深々と湧いてきていた。

 そんな気持ちで、土佐に帰省する話を三重県の友達にしたところ、「僕も行きたい」 とのことで一緒に帰省することになった。  

  三重県の友達が自宅にやってきて、程なくして、私達も出発準備を整え、午後1時30分頃、愛車エステイマで高知に向かって3人で出発して行く。 

 途中のスーパーで昼食の買い物を済まして、阪神高速湾岸線から神戸線に入り、明石海峡大橋へと入って行く。 

 何度通っても明石海峡大橋から眺める雄大な瀬戸内海や大阪湾の景観は素晴らしく飽きがこない。

 三重県の友達も、久しぶりに通行する海峡大橋の車窓からの景観を楽しんでいるようであった。

 愛車は淡路SAからの景観を楽しんだり、休憩した後、神戸淡路鳴門道を徳島方面に走行して行く。

 鳴門ICから高松道に入り、10分ほど走行した所にある板野ICから一般道に入って行く。

 一般道を10分ほどを走行すると徳島道藍住ICがあり、そこから高知方面に走行して行く。

 藍住から高知道の伊野ICまでは2時間ほどで、そこから、さらに国道32号を30分程走行すると私の故郷佐川町に到着する。 

 佐川町内のスーパーマーケットで、夕食の刺身(カツオ)などの料理や飲み物を購入し、我が家に帰って行く。

 久しぶりに高知の家で、友達との杯やカツオなどを食べていると話が弾み、いつの間にか深夜まで続いていた。

 

 10月19日(土)久しぶりの土佐の我が家、帰省の疲れか、今朝は8時ごろまで床に就いていた。 

 外に出ると上空には厚い雲が覆い、今日の秋祭りは、開催されるだろうか! 少し気になってくる。

 3人で車で20分程の所にある喫茶店へモーニング(朝食)に出かけて行く。

 この喫茶店は、窓から見る小川や人の手が入っていない緑の自然風景が楽しめ、心が癒される。

 私は帰省の度に立ち寄って朝のモーニングを楽しんでいる。 コーヒーにパン・野菜・ヨーグルトなども付いていて、席もいつも満席に近い状況である。

 故郷での昼間は、家の掃除や買い物などをして過ごし、夕方5時ごろ、自宅から徒歩で5分ほどの距離にある祭り会場に3人で出かけて行く。

  

里山の田園と秋祭りの会場(右奥) 中央の建物が 「ふれ愛の里 尾川」である。

祭り会場の手前には川(仁淀川の支流)があり、その向こう側にある広場が、今回の祭り会場である。

中央の 「ふれ愛の里 尾川」 手前の青いテントが秋祭り会場である。 花咲くうちの畑から秋祭り会場を望む。

   会場にはたくさんのブースやテントが張られ、その中央には、高さ1m位の舞台があり、後方に紅白の幕が張られている。

「2013第八回 おがわ秋祭り」 の主なプログラムは、小川での「アメゴのつかみ取り」「ストラックアウト」「南中ソーラン」「太鼓・歌・踊り」

「S-Four」「よさこい踊り」「打ち上げ花火 」 などである。 

おがわ秋祭り会場のブース、お酒などの飲み物やツガニ汁・おでん・焼きそば・焼き鳥などが販売されている。

夕方の5時ごろには雨は降ってないが気象情報では雨になっている。 

その為にか、各ブースはテントで覆われ、いつ雨が降ってきても祭りが続行できるように設営されている。

祭り会場に初めて訪れた折に、私の目を引き付けたのは、地元カメラマンの撮影した写真ブースである。

一年を通した故郷の生活や四季が、分かりやすく撮られている。

写真の出来栄えが見事で、暫くの間私を引き付けてやまなかった。

地元カメラマンによる里山の写真、里山で暮らす人たちの生活の活き活きとした表情が伝わってくる。

宵桜を見事なレイアウトで現わしている、桜の上空に輝く満月も桜とともに花見の情緒を一層高めている写真である。

写真のタイトル 「桜源郷の桜人」 とつけられている。

佐川町は全国的にも名前が知れ渡っている植物博士 「牧野富太郎」 の出身地でもある。

尾川地区にも、植物の父といわれる牧野富太郎博士が訪れて発見し、命名した「稚木の桜(わかぎのさくら)」がある。 

近くには尾崎公園や日本桜百選にも選ばれている牧野公園などの桜の名所があり、

3月の下旬~4月上旬には満開となり、大勢の花見客が訪れ賑わいをみせている。

 

※牧野富太郎(1862年~1957年)高知県佐川町出身、世界的な植物学者、独学で研究、命名した植物は2500種、残した標本は50万点、日本の植物分類学の父、「牧野日本植物図鑑」は、現在でも読み継がれている。 高知県五台山に牧野植物園、東京都立大学理学部牧野標本館、練馬区牧野記念庭園などがある。 95年の生涯で、多くの著書、標本などを残し、日本の植物学に多大な業績を残している。 

 

祭り会場の奥にも小さな小川が流れており、川の中では小さな子供たちが歓声を上げて楽しんでいる光景が目に入ってくる。

小川では子供たちによる魚(アメゴ)のつかみ取りが行われ、子供たちが魚を捕まえようと、一心に川面を見つめたり、魚を追いかけている。

故郷の写真や子供達が川に入り賑やかに楽しんでいる光景を見た後、飲食コーナーのテントに入って行く。 

大勢の人たちが談笑しながら飲食を楽しんでいる。 私達も空いた席で談笑していると、厚い曇に覆われた上空から雨が降り始めてくる。

 

多くの人たちで賑わう祭り会場の飲食コーナーと、その先では雨の降りしきる中、南中ソーラン踊りが行われている。

飲食コーナーのテントの中から、秋祭りの踊りなどを観戦しながら楽しんでいると、幼馴染の夫妻や、顔見知りの方たちとの触れ合いがあり、私達のコーナーも賑やかな盛り上がりをみせていた。

料理の中で特に注目したのは、私が幼い頃、亡き父が下の川から川ガニを捕って、それを砕いて作ってくれていたカニ汁である。 

この味は、中学1年生の時に父が他界し、それ以後、カニ汁を味わったことがなかった。

私たちが席について一番先に口にしたのが、このカニ汁であった。

 久しぶりに味わうカニ汁、亡き父を思い出しながら味わっていく。

私にとっては格別の味で、大変美味しかった。

 後から関係者に聞くと、「このカニ汁は、通常お店などで販売されているカニ汁の倍ほどのカニを使っている。 カニ汁の濃いさが違うはずだから、絶対に美味しい!  毎年、大釜で作っているが全部売り切れる」 とのことだった。

 外は雨が降り続いている。 

そんな無情の雨の中でも子供たちによる南中ソーラン踊りが続けられている。

可哀そうに思いながらも、踊る子供たちの真剣な眼差しが伝わり、観客達からも温かい声援や拍手が起ってくる。

踊りの衣装や黄色い鉢巻を巻いて、雨の中で懸命に踊る子供たちの南中ソーラン踊り

※ 南中ソーラン(なんちゅうソーラン)踊りは、民謡歌手の伊藤多喜雄が北海道のソーラン節をアップテンポにアレンジした曲を用いた踊りの通称名である。

 北海道の稚内南中学校の教員と生徒が考案した事が名前の由来で、アレンジされ派生したパターンも含め、日本国内の学校の運動会や体育祭等で広く踊られている。 

中学生の男女による南中ソーラン踊り、軽快な音楽に合わせ、からだ全体を大きく動かしながらリズミカルに踊って行く。

雨はおがわ秋祭りの会場である 「ふれあいの里 尾川」 にも、時々激しく降ってくる。 

小雨の合間に、若者たちの熱気に満ちた踊りが繰り広げられている。

私は、わが故郷でこのような祭りを見るのは初めてで、私の幼かった時の故郷の祭りとは大きく様変わりをしている。

ある意味では誇らしく思い、別の角度からは昔の祭りが懐かしく思い出されてくる。

会場では舞曲も、衣装も踊っている人たちも変わり、下の写真のような衣装をまとった女性たちが、両手に鳴子を持って、サンバ調に、リズミカルに踊り初めてくる。

私は、数年前に、この高知よさこい祭りの踊りを見て、強い印象と感動したことが思い出されてくる。

高知のよさこい祭りでは、次から次へと、各チームの街宣車が音楽を鳴らしながらやってくる。 

後には派手な衣装と両手に鳴子のを持った数十名の踊り子たちが、手足を大きく羽ばたきながら激しくリズミカルに踊りながら進んでくる。

踊り子たちの熱い情熱と熱気、それにサンバ調の音楽と衣装に圧倒される。

衣装も音楽も、踊りもチーム毎にすべて違っている為に、見ごたえがあり、いつまでたっても飽きがこない。

次のチームの衣装はどんなんだろう・・! 踊りはどうだろう・・! 音楽は・・! など期待感と興味が逆に膨らんでくる。

 

今や全国に広がる よさこい踊りのフレーズは、舞曲によさこい節が少しでも入ることと、両手に鳴子を持つことの二点で、

舞曲や衣装、踊りは、各チーム毎に自由なオリジナルで作られて踊られている。

各チームの特徴や個性が存分に発揮される踊りであるために、見る人たちも楽しく、興味も深まってくる。

 

よさこい節  「土佐の高知の はりまや橋で 坊さんかんざし買うを見た ハア ヨサコイ ヨサコイ」

「みませ見せましょ 浦戸をああーけて 月の名所は桂浜 ハア ヨサコイ ヨサコイ



この踊りは、 「Yosakoi ???祭り」 今では全国に広がり、各地区のこの祭りにかける若者達の燃えるような熱い眼差しと熱気を感じる。

起源は、高知のよさこい祭りを見た北海道の学生が、よさこい踊りとソーラン節をミックスさして、新たな舞曲と踊りを加えて、札幌ソーラン祭りで踊られ、高い評価を受けたことから全国的に広がっていったといわれている。 

独特の衣装をまとい、サンバ調の音楽に合わせて踊るよさこい踊り、両手には鳴子を、リズミカルに、大波のように大胆に、軽快に踊る。

雨の中で開催されている 「おがわ秋まつり」 こんな小さな地域で多くの人たちが結集している。

色々な知恵を出し合って、踊りや太鼓、それに写真などのブース、料理などに工夫が感じられる。

三重県から一緒に来た友達も、祭りの雰囲気を味わい、踊りなどを観戦し、談笑ながら杯をすすめている。

私も幼馴染や近所の人たちと杯をすすめ、旧交を深めながら、おがわ秋祭りを楽しんでいる。

よさこい鳴子踊り

よっちょれよ よっちょれよ
   よっちょれ よちょれ・よっちょれよ
  よっちょれ よちょれ・よっちょれよ
  高知の城下へ 来てみいや(ソレ)
  じんばも ばんばも よう踊る よう踊る
  鳴子両手に よう踊る よう踊る
  土佐のー(ヨイヤサノ サノ サノ)
  高知のはりまや橋で (ヨイヤサノ サノ サノ)
  坊さん かんざし買うをみた(ソレ)
  よさこい よさこい(ホイ ホイ)

雨も小雨になった頃、今度は年配の女性たちが浴衣に黄色い帯をまとい、ゆっくりとした舞曲に合しながら踊り始めてくる。

この踊りは、昔は尾川踊りとして、祭りや記念行事などの時に踊られていた。

私の伯母たちが、若い娘時代に、この尾川踊りをよく踊り、懐かしんで話をしていたことが思い出されてくる。

伯母達の年齢から考えると、もう100年も昔の話で、このころからの踊りで、佐川町の中でも尾川地区の踊りとして知られている。

手の動かし方に独特の特徴のある尾川踊り(豊年踊り) 地元の人たちによる懐かしい踊りに思わず見とれてしまう。

この尾川踊り(豊年踊り)は、私の子供時代、隣に住むおばあさんが、きれいな声で歌い、それに合わして大勢の方々が踊っていたことが思い出されてくる。

この踊りも若い世代の 「音頭取り」「太鼓打ち」「歌い手」などの後継者がいなく、踊りの継承がむずかしいとの話が伝わってくる。

高知を離れ大阪に住む私にとっては、何とも寂しい話であるが、こうした百年以上の歴史のある踊りの伝統を、

後世に残していけるように関係する方々のご尽力に期待し、継承していけることを願わずにはいられなかった。

飲食コーナーでの私達の杯もすすみ、祭りや懐かしい時代の話に会話がはずみ、テント内は盛り上がっている。

 

そうこうしていると、目の前にある田園の中から轟音とともに花火が打ち上げられていく。

こんな近くで打ち上げられる花火は、久しぶりで、その迫力と雨の夜空に舞う花火の美しさに思わず見とれてしまう。

おがわ秋祭りのクライマックスはやはり打上げ花火である。 目の前で打ち上げられる夜空の饗宴に、その美しさに誰もが見とれていた。

連続して30発ぐらいの花火が打ち上げられたように思う。 郷里で打ち上げられる花火は初めてである。 その驚きと祭りの感動は大きかった。

今回、初めて参加した「おがわ 秋祭り」 このような祭りであるならば、毎年帰省して、祭りに来たいと思った。

一緒に帰省した三重県の友達も 「いい祭りだ、また来たい」 と言っていた。

 土佐の里山で行われた秋祭り、私達は祭りの楽しさを幼少の気分に帰ったような気持ちで官能することができた。

天気が雨で残念な部分もあったが、故郷の人たちとのふれあいや、それに地域の子供たちが、情熱を燃やして取り組み、

からだ全体の手や足を大きく伸ばし、リズミカルに踊る姿は微笑ましく、また、たくましく感じられる。

 

それに、人口減少が続き、老若男女を問わず多くの有志が参加し、尾川活性協議会を立ち上げ、祭りの運営に当たっている。

日々行われる小さな努力が積み重なって成果は生まれる。 日本の地方の多くの市町村が過疎化に苦しんでいる。

時代は常に変化し、その変化への対応が求められている。 地方の過疎化も然りである。

私は人口減少が起こっても、多くの人たちが力を結集さして、活性化に取り組むことは大切なことだと思っている。

地方には、都会で味わえないような地方の良さがあり、自然環境や素晴らしい景観がある。

今回の 「おがわ秋祭り」 に参加さしていただいて、故郷の人たちの活き活きとした生活写真や、運営に携わる方や踊る人たち、

祭りへの愛着や情熱から、この祭りを末長く継続して、尾川の伝統を築いていってほしいと思う。

そうすることが、地域の活性化につながり、豊かな心、豊かな自然環境のある地域に育っていくと思う。

 

今回の祭りに参加して、祭りの運営に当たった方々や、参加した踊り子さん、祭りに参加したすべての方々に感謝いたします。

ありがとうございました。