私は3月1日に八十路を迎え、貧乏と平穏無事な人生を懐かしく振り返っています。

私は生まれたとき育った土地と建物を戦時中飛行機場に接収され、4歳では父を戦闘機で、15歳には母を肺結核で亡くしました。

戦後70年を来年にして、改めて「戦争」を考える

2014年09月06日 | 戦前生まれの老人

 

小豆島寒霞渓より

広島豪雨により、死者は80人を超え、行方不明者の捜索は

まだ続いている。

西日本の8月の雨量は平年の3倍で、日照時間は平年の53%

統計開始以来の記録だと言う。この間に台風11号が来襲しており、

こんな夏休みを経験したことは、戦前生まれの私もない。

変わったのは、気象現象だけではありません。

安倍総理が、閣議で集団的自衛権としての武力行使を容認して以来、

新聞やTVなどジャーナリズムで

急に「戦争」が取り上げられるようになりました。

私も日本に平和が遠のき「戦争」の気配を感じて

このブログで、8月に取り上げました。

NHKBSプレミアムで8月の深夜に「世界大戦と人間」を

11回に亘り放送しましたが、近代戦では1か月で100万人が

戦闘により死亡することが判っているのに、政治家は

いとも簡単に第1次世界戦争を始めたことを知りました。

戦争で負けた日本の政治家は、連合国の軍事法廷で裁かれて

死刑になりましたが、第1次世界大戦ではベルサイユ条約で

戦争犯罪人の引き渡しもなく終わりました。

戦争責任は、戦争を始めた政治家にあります。

その責任を曖昧にしたため、20年後、第2次世界大戦が始まります。

この大戦では、6年間にドイツ軍人だけでも500万人が死亡しました。

わが日本では、太平洋戦争において310万人の戦没者を出しているが、

戦後70年が経ち、戦争を知らない国民が増加したことや、

国民が長い平和に慣れてきたことに乗じて

安倍首相は、平和国家の防衛義務行使を主張して、

外国に対し兵器や、戦艦、飛行機を提供したり

集団的自衛権として、自衛隊員を海外派遣をすると言いだしました。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

気が付いたら、今朝の朝ドラの「花子とアン」のように

「日本国は、〇〇国と戦闘状態に入りました」の放送が

現実になる日も近いのかなと、心配になって来ました。

蘇生


日本人の平均寿命80.67歳を超えました。中高大学校同級生はまだ半数以上います。戦争を知る老人は、日本について語る場が無くなりました。

憲法は、アメリカのマッカーサーに準備してもらったかもしれませんが、一院制を二院制に、土地を国有から私有に替えたのは帝国議会草案でした。 議会の審議では自衛戦争の放棄は草案の中にあり、吉田首相も正当防衛や、国の防衛権による戦争もしないと壇上で明確に述べていました。 草案は、衆議院は反対八票の絶対多数で、貴族院の満場一致で可決しました。 ただし、衆議院では九条二項に「前項の目的を達するため」を加えて修正しました。二項は戦力を保持しないとしており、後に、自衛のための戦力が議論されることになりました。 憲法改正から68年の昨年は、安保法改正で国会や、法律家、若者、お母さんが、戦争を意識させるとして、議論されるようになりました。 平和は、日本だけでなく、世界中が戦争をしない国にしないと続きません。しっかりと政治を見て行きたいと思います。