私は3月1日に八十路を迎え、貧乏と平穏無事な人生を懐かしく振り返っています。

私は生まれたとき育った土地と建物を戦時中飛行機場に接収され、4歳では父を戦闘機で、15歳には母を肺結核で亡くしました。

購読紙を朝日新聞に変える

2014年07月21日 | 日本の世相

翠池のハスが満開です 

慣れた購読紙を変えることは、滅多にありませんが、

7,8年ぶりに朝日新聞に替えました。

その動機は、新聞社の論調はどこも一緒で、主体性がないからです。

朝日新聞の論調に、賛同している訳ではありません。

定年後も、元気で年齢を無視してきましたが、

喜寿を迎え、体に色々な変化が出て来ますと、

もう、現役で自分が社会を動かしているのでないですから

年相応に、地球の将来、人類の見通し、日本の未来

については何も心配せず、後輩に任せておけばよいと思います。

ところが、最近の世界情勢、気象現象、通信情報、資源エネルギー

など、どれを取っても人類による解決は困難なものばかりです。

国同士が助け合うことが必要なのに、争っている時では、ありません。

経験をした老人の、独り言を聞いて、武器を捨て、戦争を止め

直ちに話し合いの席(国連等)に、着いてください。

蘇生

 


日本人の平均寿命80.67歳を超えました。中高大学校同級生はまだ半数以上います。戦争を知る老人は、日本について語る場が無くなりました。

憲法は、アメリカのマッカーサーに準備してもらったかもしれませんが、一院制を二院制に、土地を国有から私有に替えたのは帝国議会草案でした。 議会の審議では自衛戦争の放棄は草案の中にあり、吉田首相も正当防衛や、国の防衛権による戦争もしないと壇上で明確に述べていました。 草案は、衆議院は反対八票の絶対多数で、貴族院の満場一致で可決しました。 ただし、衆議院では九条二項に「前項の目的を達するため」を加えて修正しました。二項は戦力を保持しないとしており、後に、自衛のための戦力が議論されることになりました。 憲法改正から68年の昨年は、安保法改正で国会や、法律家、若者、お母さんが、戦争を意識させるとして、議論されるようになりました。 平和は、日本だけでなく、世界中が戦争をしない国にしないと続きません。しっかりと政治を見て行きたいと思います。