続きです。
兄の死に僕は立ち直れないでいる。
兄の日記を読んだ。
お袋が97歳で死去。
3年前 2022年1月の日記
母が1月5日逝去の短歌
火葬場に
拾ひしは 三人生みし 母の骨 *感謝!
悲しきは 焼かれし骨の 少なさよ
拾ひしは 三人生みし 母の骨 *感謝!
悲しきは 焼かれし骨の 少なさよ
母逝きて 一つの待ちは 終わりけり
*これからは 母は私の心の中で生きるのです。
・・・・・・・・・・・・・・・
人生とは死を待つ時間を生きることだったのだ。
今度は77歳の私の番だ。
どれくらい待ち時間があるのか、わからないが呑んで待ちましょう。
人生の 友酒呑みて 待ちなむや *長く呑みたいよ 酒呑老人(喜寿)
*これからは 母は私の心の中で生きるのです。
・・・・・・・・・・・・・・・
人生とは死を待つ時間を生きることだったのだ。
今度は77歳の私の番だ。
どれくらい待ち時間があるのか、わからないが呑んで待ちましょう。
人生の 友酒呑みて 待ちなむや *長く呑みたいよ 酒呑老人(喜寿)
2021/09/21/Tue
敬老の日に思う
9月20日
いつの間にか、秋である。
青空に 実り近きか 秋の色
敬老の日に思う。
新聞の運勢欄に
「命長ければ恥多し。恥を抱えていると認めて生きて、解放される」とある。
振り返ると、過去そこには 若気の至りというか、未熟で恥ずかしい自分がいたことを思い出す。昔の人間には あまり会いたくない心境である。
コロナ禍の前は 老境の仲間からの誘いが多かったが、同窓会的なものには出ていない。
リタイアした彼らは解放されたのだろう。昔の仲間に会いたがるのも一種の老化現象か。
私の場合は コロナ禍で 人と会えないのは 苦ではない。元来の孤独癖で 散歩・読書・料理に酒と 日々楽しんでいる。
私は この12月で 喜ぶ年となる。喜寿である。ある意味で喜びかもしれないが実感がない。
抱え込んでいる家族の問題があり、まだ生きていかなければならないという緊張感が絶えずある。
この緊張感が私の健康を支えているのである。
私の状況は解放されていないが、孤独を楽しめるのは 情況が解放されているとも言える。
敬老の日に思う
9月20日
いつの間にか、秋である。
青空に 実り近きか 秋の色
敬老の日に思う。
新聞の運勢欄に
「命長ければ恥多し。恥を抱えていると認めて生きて、解放される」とある。
振り返ると、過去そこには 若気の至りというか、未熟で恥ずかしい自分がいたことを思い出す。昔の人間には あまり会いたくない心境である。
コロナ禍の前は 老境の仲間からの誘いが多かったが、同窓会的なものには出ていない。
リタイアした彼らは解放されたのだろう。昔の仲間に会いたがるのも一種の老化現象か。
私の場合は コロナ禍で 人と会えないのは 苦ではない。元来の孤独癖で 散歩・読書・料理に酒と 日々楽しんでいる。
私は この12月で 喜ぶ年となる。喜寿である。ある意味で喜びかもしれないが実感がない。
抱え込んでいる家族の問題があり、まだ生きていかなければならないという緊張感が絶えずある。
この緊張感が私の健康を支えているのである。
私の状況は解放されていないが、孤独を楽しめるのは 情況が解放されているとも言える。
夫人のパーキンソン病
次女の心の病で精神不安定。
あんちゃんの晩年の日々は、戦いの日々であった。
そもそも、他人の人生を助けるなんてできない。
何遍も、助けを求めて一心の事務所に飛び込んで来た輩がいた。
懸命のバックアップして危機を救うと、さっさと
裏口から出て行った。
そうして、根拠無き悪口を周囲に吹き回り
助けて貰ったことを帳消しにするのだ。
自分の人生を引き受けるだけで精一杯なんだ。
肉親はそうではない。
6畳一間で一家5人暮らし。
貧乏から抜け出して
あんちゃんは80歳。
私は78歳になった。
共に助け合って生きてきた。
生まれて最初に出会うのは兄だ。
病床の妻と娘を残して三途の川を渡ってしまった。
https://blog.goo.ne.jp/kikuchimasaji/e/84cb06dd256f1ce2aaa69338643cbb09
Amira Willighagen ~ Live in Concert ~ Amazing Grace
はてなブログに転載