馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

日々 トランス製造作業に追われる。 芝信用金庫 石原元理事長は腰抜け野郎。

2021-11-20 09:02:56 | 日記
11月19日【金)
午前8時よりトランス銅線巻き始める。
納品数は千個
現在500個完成
250個を銅線巻きしている。
納期は迫る。
納品期日は11月24日
動画を目を凝らして見詰めてください。
トランス銅線巻き損失
コイルに1万回巻き付けなければならない。
7574巻で銅線は切れた。



廃棄です。
損失
0.07㎜の銅線は手操作の力加減を安易にすると断線。

損失。
1個利益50円にも満たない。
失敗は10個分の損失。
私と妻で内職仕事する以外ない。


現在自動車メーカーは、材料調達が出来ず生産が滞っている。


コロナ禍でのアジアの素材工場が生産がストップ。
先ずは下請け零細に部材が海外から調達され
個々の部品が完成され、メーカーに納品
様々な部品メーカーから集合されて
やっとメーカーは組み立て作業に入ります。
この作業、身内だから可能です。
外注内職では単価で
「そんな作業単価でできるわけいない」
けんもほろろです。
経営者である弟は休日無し
横浜の作業場で昼夜自働く

息子は、イタリアから輸入した
万年筆の検品作業に追われる。

クリスマスプレゼント商品
娘は海外からやって来る人の管理で帰宅は午前0時過ぎる。


みんなそれぞれの仕事と悩みを抱えながら日々が過ぎてゆく。
来年にには明るい日々がやって来るだろうか?
夕方 骨折した妻の代わりに船溜まりを通り重い物の買い物。
舫いに繋がれたアサリ船は、漁師が寝床から覚めるのを静かに待っている。
船溜まり
妻の骨折快復はいつになるだろう?
さあ~ 朝陽のあたるベランダでハンダ付け作業だ。











昭和20年代の貧しい子供の思い出! 豆腐造り。

2021-11-19 05:28:55 | 日記

私が拝読している
フランス在住の桃子さんのブログ動画を見て感動。
昭和22年生まれの子供時代 風景と生活が似ているのです。
桃子さんのブログ。
いつも思い出し笑い。




10年前の書いたブログを再掲します。
父の生まれ故郷
那須の寒村での日常生活です。

再掲


素食界的香饽饽——麻婆豆腐Mapo Tofu

豆腐の思い出!

2012-12-03 00:10:54

12月1日(土)診療所の帰途、製麺工場でオバちゃんからラーメンを買う。

買わない土曜日がたまにあると、オバちゃんは心配するので義務感が生じている。

漁港近くの漁師から生海苔を購入。

 

漁港への通り道にある明治38年創業の豆腐製造の店で

豆腐、厚揚げ、シラタキ、こんにゃくも買う。

ビニール袋が四つ持ち船溜りまでやってきた。

少々手にしびれがきたので漁船係留する橋に袋を置き

水鳥が水面に嘴を入れて、魚を獲るため泳ぎまわるのを暫し眺める。

 

先ほど、豆腐買った店のオバちゃんは3代目だという。

私の親父も栃木、那須連山の麓の小さな田舎町の豆腐屋の三男坊だった。

生前、豆腐の味にはうるさかった。

 先ほどの豆腐製造の現場を見たが機械化されていた。

小学生の頃、親父の実家に泊まり、豆腐作りを手伝った?

ドーナツ型の大きな石が二つ重なり、長い太い木が石臼のドーナツ部分

差し込まれ、大豆がドーナツ型の穴部分に入れ込む。

 

木の棒を両手を使って前後に動かすと大豆が摩り下ろされ

下の石臼から木のタライに黄色の泡粒となって落ちてきた。

面白いので祖父が回すのを一緒にしたのだが

大きくなってから思い出すと邪魔だったに違いない。

子供心に感じたのは、豆腐を買いに来る客が殆どいなかったことだ。

店前の道路は主要街道で木炭バスが西那須野の駅まで運行されていた。

その運転手が店前にバスを留め、後部の排気管から真っ黒な煙が豆腐を作る場所まで

入るのも気にせず、豆腐を買うのを幾度か見ただけだった。

幼かったので製造卸などと考えつかなかった。

いずれにしろ貧しかったには違いない。

 

店先から那須連峰が眺められた。

青い山並みは化け物が出るお城のように思った。

小学生低学年だったが、店先の古びた木枠の台に豆腐を入れた桶があった。

その台の隙間に腰掛、飽きずに黒ずんだ青い山脈をじっと眺めていた。

あの山はいったいどうなっているのだろう。

気になってしょうがなかった。

夏の夕方、涼しくなった。

突然、あの山に近づきたいとの衝動が起きた。

青い恐ろしい山に向かって歩き出した。

半ズボンで足元は

便所にあるような木のサンダルで

幅広の布を両端に釘を打ちつけただけの粗末なつっかけだった。

小さな田舎町だったが商店街だけは道路がアサファルト敷かれていた。

商店街をカタカタとサンダルが擦れ合う音させながらどんどん歩いた。

商店街を抜けると舗装はなくなり、石ころだらけの道になった。

民家がちらほらあるだけ、更に歩くと砂利道の両側が林になった。

林を抜けると田んぼや畑が続く。

人は歩いていない。

少しづつ山が大きくなった。

夕闇が迫り周囲がねずみ色に変わった。

小川を横切り田んぼの先に農家の灯りが点き出した。

青い山の後ろに出た月空が輝き、黒く巨大な蝙蝠が立ち塞がるように迫ってきた。

私が進むというより、大きな蝙蝠が私に向かってくるようで怖くなった。

首を上げなくても見えた山のテッペンが首を反らさないと見えなくなった。

小雨が振り出した。

来た道を商店街に向かって走り出した。

泣きべそだった。このまま祖父の家に帰れずに蝙蝠にヤラレテしまうのか?

那須下ろしの空風が走る抜ける林を揺らし騒めいた。

サンダルの布が片方切れてしまった。

巨大蝙蝠が追いかけ覆い被さるのではと、ひたすら裸足で走った。

 

街の灯りが見え舗装道路までやってきた。

振り返ると真っ黒な山がじっと見詰めていた。

豆腐屋の玄関に入ると祖父が酒を飲んでいた。

何も聞かれなかった。

その夜、天井の真上にあるガラスの明かりとりから見える月が怖くて

寝付けなかった。

 

母親を7歳の時亡くし、貧しかった親父は連れ子のあった継母と暮らした。

上京して懸命に働き、横浜に小さな戸建を買った。

男の子3人を育て学校に行かせた。

定年を迎え、庭いじりと絵描きの才能を存分に発揮する日々を過ごし。

73歳の5月、残雪残る谷川連峰が見える越後湯沢の旅館で客死した。

老いてから、冷奴を肴に酒飲みながら

「こんな幸せな暮らしが出来るととは思わなかった」

度々酔いながら私に語り、いつのまにか畳で寝入った。

私と弟で寝室まで運んだ。

 

船溜まで佇み、遠い日々の豆腐の思い出を回想した。

 

男とか動物の雄は、好奇心が危険を顧みず、危険を冒してまで未知なるものに惹かれる

本能としてあるのだろう。

NHKのドキュメント番組で人類が発生して男は流離い

女はその地に留まるのだと言った。

 

高校生になって那須連峰を登った。

大学で山岳部に入った。

高校生の時、芥川龍之介の小説「トロッコ」を読み

男の子は同じような体験をするのを知った。

 



桃子さんのコメント
🌶 馬鹿も一心さんへ (桃子)
2021-11-18 06:31:47
ようこそいらして下さいました。
私の知らない 那須の寒村に・・・ぐいぐい引き込まれていきました。
短編小説のように綴られていて、あたかも私も知っている世界のようです。
それは、派手でなく地味ながらも家族が寄り添って生きた、同じ‘時代’を知っているからかと思います。


私の小さい時の豆腐の思い出は、自転車に豆腐を乗せて売りに来るオジサンがいたのです。それは毎夕です。チャポチャポと豆腐の入った桶の水音が今でも聴こえてきそうです…
家の前に着くと、ラッパを吹いて知らせてくれました。
カネのボールを持って 豆腐を買いに走るのが私も役目でしたね。
祖父と父は湯豆腐で一杯やったり、翌日の朝のお味噌汁に入れたり・・・昭和の思い出です。


Produce


Actor


Falsely Inaccurate





 



 




ファイナル
父の最後

正月2日 墓参り、見舞い、帰郷。

「山路えて」    日本基督教団賛美歌404番


往復9キロ歩いて米を買う人。悪徳悪質芝信用金庫と やっと縁が切れた。

2021-11-18 07:06:54 | 日記
11月17日(水)午前 大規模集合住宅内
ATMにて金を引き出して海岸に向かう。
海辺への遊歩道を通る。
途中 卸売団地がある。
唯一 一般客でも買えるのが、米卸の場所。
販売所で2カ月に一度買う米がある。






朝4時50分に起床する妻。

最初に取りかかるのが洗米と焚き。
娘の弁当作り。
その弁当用の米を卸から買う。
米の種類品質には無頓着だが
弁当には粘り気があり、冷めても味は変わらないということで買う。
精米してくれる30代の青年は、淡々と話すが
説明は明瞭なのだ
私が買う銘柄では千葉産が安く、富山 他と価格を教えてくれる。
一般米なら、近くの市場のほうが安いと言う。
リュックに詰める。
リュックには缶ビール、お餅が既にある。
取り出して整理する。
見ていた売人が「かなり重そうだ」
「何処から来るの」
住いを言う
「歩いて来るの」
「そらゃ 大変だ」
「10キロ入りなら届けてあげる」
「いや~ 運動も兼ねているから大丈夫です」
リュック背負っての歩きは適度な負荷がかかるので
運動量はウオーキングより足腰が鍛えられる。
「歩けなくなったら、配達依頼するよ」
「あっ 最も歩けなくなったら、ご飯も食べれない身体だから
必要ない」
元々 山歩きしていたので、歩く事、リュックを背負う事
苦痛ではない。
一番、健康を維持出来て安全な運動は
二本足歩行だ。
自転車、その他器具を使う運動は必ず怪我を誘発する。
60年に及ぶ山登り体験から自力歩行が
安全かつ危険を回避できる健康運動。
今日も9キロ歩いて米買い出し。


諺に
牛乳を飲む人より、牛乳を配達する人が健康である。


牛乳を飲む人より、牛乳配達人が健康である。歩くことは、前立腺癌患者を長生きさせる?







晩節を汚す愚かな人達。
再掲 悪徳悪質芝信用金庫と やっと縁が切れた。






愚か者/近藤真彦  



鼻呼吸テープ 、昼呑み 孤独呑み 。 悪徳悪質芝信用金庫横領事件 課長が来社。

2021-11-17 08:06:00 | 日記
10月24日ブログでマウステーピングをして就寝することを
記しました。

20日間程経過。
その効果の程を記す。


当初は口呼吸がままならず外した日もあったが
徐々に慣れた。
前立腺癌放射線治療後の副作用により
夜半頻尿が続いた。
切迫感は軽減したが
頻尿回数はそれ程減らない。
マウステーピング装着して10日経過する頃に
夜半頻尿が減り始めた。
日によって違いはある。
効果が判るのは、昼寝を一時間程する時は
マウステーピングをしない。
目覚めると喉が渇いていて
直ぐに水を飲む。
夜間睡眠が深くなったようだ。
続けて行こう。
本日、11時 妻は妹とデパートで待ち合わせ。
買い物してランチ。
私は駅前金融機関で送金する。
帰り道、飲み屋小路を通る。
暖簾 昼のみ。
案内がある。
時は11時半。
暖簾を潜る。
客はいない。
一平1
若店主が出迎える。
漁港の町 創業60年
吉田類の居酒屋放浪記にも登場する名店。
遠くから電車に乗ってくる人もいる。
頻尿も軽減された。
店主に言った。
「あいつが死んで11年が経つ」。
店主 「そうか早いね」!
酎ハイ2杯
絶品 豆腐煮込み
マグロカマ
鰯フライ

漁港から直送。
久しぶりの外呑み 孤独呑み。
同期とは生前 毎晩吞んだ。



12時 客が入って来た。
退店する。
西瓜腹はまだ余裕がある。
その先の喜多方ラーメンに入る。
上手くない。

13時半帰宅。
ソファでゴロリンコ
16時 妻は戻る。
互いに、何を食べたかは聞かない。





下っ端が突然現れる。
悪徳悪質芝信用金庫横領事件 課長が来社。

心のこり 細川たかし

台湾ゴルフ場から。 芝信用金庫の詐欺の発端は,融資書類の偽造から。

2021-11-16 05:56:06 | 日記
ケニー君からラインでゴルフを楽しむ写真が送信。
東シナ海を臨む海岸でのゴルフ。

彼は日本留学時代 ゴルフ場でキャディーのアルバイトをした。
日本人客は 彼を東北訛りなので
何処の県出身かと聞かれると
「福島県」です言った。
台湾と中国との緊張状態は極度に高まっています。
だが台湾国民はゴルフしていますね。
一見 のんびりしているようだが
徴兵制がある台湾は国防意識は高い。
大陸人民は、台中関係の真実は知らない。
ケニー君も勃発が始まれば参戦すると言う。
日本は旗幟鮮明をせざるを得ないところまで迫られています。





北京語と日本語を混ぜた繁体字です。
日本語会話は上手ですが、文章は極端に苦手。









悪徳悪質芝信用金庫横領詐欺ブログ第一回です。
口汚い誹謗中傷の文面になります。
名誉棄損、、侮辱罪での告訴を期待するからです。
この糞金融機関、芝信用金庫は
騙しても金を貸せ。
悪徳悪質芝信用金庫横領詐欺プロローグ(1)


続きです。



芝信用金庫の詐欺の発端は,融資書類の偽造から。


脅威の歌唱力!!本当に凄すぎる!!