馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

雨中の道玄坂を下って!

2013-04-25 15:57:07 | 日記

4月24日(水)ランチ ホッケ焼き。

17時46分 渋谷駅にいた。

地下鉄を上り109に来た。

 

雨は止んでいた。

道玄坂を歩いて山手通りへ向かう。

時間も早いので食事でもするかと

店を覗くがオジサンが食べるような店がない。

元祖長崎チャンポンの看板の店に入った。

 

カウンターだけで客はいない。

チャンポンに瓶ビール注文。

時折見かける元祖○○の店は旨いとは書いていない。

やはり旨くない。

付近にあったラーメン屋は混んでいた。

混んだ店に入れば味は平均以上だろう。

18時半 お袋の病室に入った。

約一ヶ月ぶり。

私をぼんやり見つめた。

弟に聞くと周囲のベッドの方々が次々と亡くなり

どうもそれが分かるらしい。

混沌とした意識の中で私にしゃべるが分からない。

手を握ると暖かい。

いつもは冷たい手なので、私が両手で握り暖める。

お袋は指の爪で私の顔を掻く。

19時20分 弟夫婦がやってきた。

妹が鼻を吸引すると呼吸が楽になるのか

顔が和らぐ。

義妹が母親に呼びかける。

「ほら、次男が来たのよ」

「名前分かる」?

おふくろは、くぐもった声で私の名前を呟いた。

母親はベッドで右手を上げて壁に向けて指す。

何のことか分からなかったが

自宅に戻り、寝床に入って気づいた。

横浜の自宅に帰りたいとのだ。

亡くなった親父の処に行きたいのだ。

私は暗闇の中で泪目になった。

4月1日に旅立った義母の最後の言葉は

「家に帰りたい」

 

20時、病院を出ると雨だった。

渋谷駅に向かう。

雨中のストリートは享楽のビルライトで路面を輝かせ

傘で上半身が見えない女性は祭りの宵に

見せる妖艶な踊りのようだ。

 

端境には死がまもなく訪れる人達の館があることに

若者は知らない。


15分間の立ち飲み。

2013-04-25 00:05:40 | 日記

4月23日(火)ランチ 煮干ラーメン。

夕方 お袋の見舞いに行くつもりで駅まで来たが

急遽止めて事務所に戻る。

 

19時半 若者らしき声で問い合わせが入った。

「アマゾンで日本刀と桜のネックレスを買いたいのだが

カードが無いので購入出来ない

どうしたらいいのか」?

 

弊社 WEBショップで代引き購入が出来ますと案内した。

http://www.sanshoright.co.jp/shop/

翌日 午前注文が入った。

まだ、カードを持てない年齢なのか?

 

20時 墨田テラスを歩き永代橋に向かう。

 

川面を照らす灯りのテラスをジョギングする人とすれ違う。

若い女性が多いのは意外だった。

永代橋を渡り、深川方向に裏通りを歩く。

角に立ち飲みの店の看板を見た。

おつまみ全品200円と書かれている。

ガタガタのガラス戸を引いて入った。

常連客らしき3人のオジサンが声高く

会社への不満をまくし立ている。

何処の居酒屋も日々の勤めの吐け口の場なのだ。

そうやって、お一人様千円以内で不満解消。

だから、オジサン達は凶悪事件も起こさず

平和な日本でいられる。

ビール瓶ケースを積み重ねたテーブルで

チュウーハイ2杯とキムチで15分程出た。

 

今日も歩いた。

歩数計

16.769歩

12.513m

2時間40分

1.      079kcal

異常、以上でした。


無名画家の遺作。

2013-04-23 16:54:02 | 日記

4月22日(月)午後 

スワロスキーボールペンを レーザー彫刻するため

レーザー工房に出かけた。

彫刻が完成するまでに時間があるので

2ヶ月に一回整髪する床屋が近くなので覗いた。

客はおらず、お上さんが納税白色申告のため、伝票を整理していた。

3年前 銀座線稲荷町駅で倒れ亡くなったマスターがいないので

予約制にした。

私が来たのでドトールでコーヒーを買い会話した。

4月になり客が途絶えた。

ドトール、小諸蕎麦屋も客の入りが悪いと言う。

床屋も800円で散髪する店まである。

お上さんは嘆いた。

「アベノミクスなんて私たちには恩恵はない」

「あんなのは一部の人だけでマスコミが煽るだけ」

「この辺のサラリーマンなんか立ち食い蕎麦も食べられない」

鮨屋の若い衆など短髪する金ないから

髭剃り用の電動シェーバーで頭刈って怪我した。

 

これから店の家賃支払いが苦しいから

近くの床屋が経営行き詰まり閉めるので

そこの親父と私とで、この場所で共同経営することにした。

床屋で髪刈る人は50代以上の人。

団塊世代が死んだら床屋は日本に殆ど無くなる。

 

「今店内を整理しているのよ」。

 

突然お上さんが言い出した。

「亡くなった旦那は絵画が好きで

貧しい絵描きを育てようとして、援助したの」。

「スポンサーをしていてその青年が

やっと絵画展に入選するようになって

少しずつ認められ絵が売れるようになった」。

それから、まもなく癌になり

あっけなく死んでしまった。

残った絵は殆どあげてしまった。

画材はこれから捨てる。

お上さんが戸棚から長い長方形の箱を取り出した。

これが唯一残された作品なの。

掛け軸になった巻物を広げた。

「この絵は他の人に渡せないし公開もできない」。

「男と女の七福神」よ!

見つめた当初、理解出来なかった。

 

春画だった。

江戸時代に流行った春画のようだ。

 

製作年 昭和48年 

  

七福神を男女の色でデフォルメした。

 

うちのマスターは画家に投資したが死んでしまって失敗。

 

私が死んで棺桶に入れてもらう訳にもいかず

一人娘に引き渡すことも出来ない。

 

絵画を究めようとした青年画家

志半ばで病死。

残されたのは世に出せない春画のみ。

 

人生は最後まで道半ば!


スワロスキー桜ボールペン製作間に合わない。

2013-04-22 19:37:28 | 日記

4月22日(月) 漁港の市場で鯵叩き、サラダパン、豆腐屋で厚揚げ買う。

バランス取れないランチになった。

  

厚揚げをマヨネーズ、酒、味醂、砂糖、ごま油で炒めた。

お菓子のような甘酸っぱい香味は素晴らしい。

 

関西の高級紳士服店から、羽ペン、ガラスペンも卸して欲しいとの依頼。

弊社が卸しているイタリア ダライッティーの万年筆

ボールペンが売れ行き好調なのだが

お客様より、羽ペン、ガラスペンは有るかと聞かれた。

今後、店頭販売をしたいとのこと。

 

一人のお客様が スワロスキー桜シルバーペン

7本も注文頂いた。

弊社WEB

 

製作が間に合わせるため、レーザー彫刻工房に大急ぎで手配。

デザイナーが丁寧にスワロスキーを接着させる。

  

乾燥まで約3時間。

最終宅配便までに完成させる。

 

USBフラッシュメモリーも明日までに納品。

最終便に乗せるため

ウイルス検査がギリギリまで続いた。

 

 


無常の冷雨?

2013-04-21 21:54:33 | 日記

4月21日(日)朝 ベランダに出ると春なのに冷雨。

大規模修繕工事で防護ネットが張られた足場を通して

ショッピングセンター前道路で雨合羽を羽織

横断歩道の誘導棒を懸命振る若い女の子。

彼女の頬に車の跳ね上げる冷たい飛沫が吹き付ける。

   

娘が9時に起きてきた。

今日も仕事にゆく。

前夜も午前1時帰宅。

 

だんまりと朝食を食べる娘に言った。

「過酷労働で倒れたら、お父さんは訴訟するぞ」

「時間外、休日出勤は申告していない」

「だから 証拠はない」

「何処の組織も男は自宅に帰らず職場で仮眠している」

それ以上は言わず 会話は途切れた。

ベランダから見ると、コートを身につけた

娘が傘差し雨中を駆け足で駅に向かう。

休日には仕事場は暖房が入らない。

 

午後、弊社で働いていた中国人女性から電話。

「お父さんが昨夜亡くなった」

お父さんは私の声が聞きたいと言った。

昨夜 上海の病院へ電話したが間に合わなかった。

明日 帰りたいが上海行きの飛行機チケットがまだ取れない。

涙声で去年暮れにお母さんが亡くなって

後を追うように逝ってしまった。

88歳だった。

お父さんはウイグル族。

戦争中 日本のスパイだとして牢屋に入れられた。

10年以上前 夫婦で来日。

私の会社に来て、ボールペンの検品作業を手伝ってくれた。

帰国後も当時の事が楽しかったのか

「社長は元気かと聞いていた、再び日本を訪れることを楽しみにしていた。

中国人でありながら中国嫌いで親日だった。

 

葬儀を終えて帰国したら、柳橋でみんな一緒に彼女の作る

絶品餃子を食べましょうと話した。

 

それから数分後 学校同期の友人から電話。

4月初めに会社をリタイアした。

卒業後入社した会社が20年後倒産してからは

仕事を転々と渡った。

 

今は自宅引き篭もりなので、女房に邪魔扱いされている。

シルバーセンターに登録して、まだ働くつもりだが

自分に向く仕事はないと言った。

26日(金)旨い刺身を持って柳橋事務所に来る。

 

転変有為の世の中で人は懸命に生きていこうとする。

 

人生に美しい結末などないのだろうか?