馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

久しぶりに最終電車に乗車!

2012-09-23 13:28:33 | 日記

9月21日(金)18時 神田川、隅田川の川面は暗く首都高速行き交う

車列のヘッドライトが小さな三角波を照らす。

陽の落ちるのが速い、刻一刻、気配は秋なのだ。

先日、来客に頂いたワインを冷蔵庫から出した。

瓶を手の平で包む。

冷えている。

景品で貰ったコルク抜きは貧弱でナカナカ抜けない。

私が瓶を持ち、息子がコルク抜きを引っ張った。

スカイツリーとそこに漕ぎ出でる屋形船の橙色の灯りを見ながら

白ワインを飲んだ。

デザイナー女性がチーズを出してくれた。

瓶は8時前、空になった。

デザイナー女性に帰ると告げる。

酔い覚ましのため錦糸町まで歩いていくことにする。

両国橋を渡り国道沿いを千葉、船橋方面に向かう。

 

橋を渡ると川風が短パンの足を冷たく通りすぎる。

まもなく短パンの季節も終わりか。

腹デブにとっては信に履き心地が良いのだ。

両国駅まで来た。

さて、今日はまだ踏み入れていない小路を歩こう。

清澄通りを渡り、総武線と国道の中間にある小道に入った。

明かりも何もない家並と小さなビルだけだ。

もう一つ通りを渡り小路まで来た。

その通りの奥に赤提灯がぶら下がっている。

私はハゼかフグが餌に釣られるように近づいた。

小路から奥まった処に店はあった。

かちかち鳥と言う看板と品書きを見ていると、従業員の女の子が出てきて

にこやかに「どうぞ、お入りください」ドアを開けてくれた。

私はその擬餌針に食いついたのだ。

 

カウンターに二人の客、二つのテーブル席が埋まっている。

私はカウンター席に腰掛けた。

生ビールとぴり辛野菜を注文した。

店内は清潔で静かだった。

店主と女の子二人だけで切り盛りしている。

先日 受けた前立腺癌の検査結果表を念入りに確かめていた。

店主に声をかけられた。

「時折、錦糸町まで歩いて帰ります、知らない路を歩くのが好きです」

ホームレスに間違われることもあります」と答えた。

ついつい店主との会話が長くなり0時を過ぎていた。

柳橋事務所に泊まろうかと考えつつ歩き出すと

大雨だ、コンビニで傘を購入。

両国駅まで来るとまだ電車があり、乗車した。

娘もディズニーに泊りがけで出かけた

乗車してからチョットまずいかなと思った。

金曜日の遅い電車なので込んでいた。

新小岩を過ぎ小岩駅に着いた

次に市川駅までに判断、決断しなければならない。

市川駅でドアが開いた。

私は下りた。階段を下りトイレに直行した。

タクシーで帰ることになる。

トイレを出ると最終電車が来る放送された。

久しぶりに最終電車に乗った。

4年前、弊社の中国人女性がママをしている中野のスナックで最終電車に乗ったが

我慢できず本八幡で下りてタクシーで帰宅して以来だ。

前立腺肥大を抱えていると寒くなると長い時間電車乗車は辛い。

アルコールは控えなければならない。

 

中国の諺

若い頃は人間が体を苛める。

年取っては体が人間を苛める。


再び 転院。

2012-09-22 22:55:10 | 日記

9月15日(土)午前9時15分 携帯電話が鳴る。

弟からの電話だ。

いやな予感がする。

「お袋は昨日深夜、大学病院へ戻った」

「あの病院での看護では手に負えない」

 

9月20日(木)17時50分大学病院5階の個室に入る。

横たわりじっと私を見詰める。

血管が黒く浮き出た手をそっと握る。

お袋は遺漏の前はふっくらした顔だったが

頬肉は落ち目が大きく見える。

お袋は力なく握り返し、私をみつめるが声が出せない。

顔を近づけると手を離し、私の顔をポンと叩く。

何を表現したいのだろうか?

看護士がやって来て 痰の吸引するので退室して

246号線沿いの中華店で食事。

19時病室に戻ると弟と副院長の義妹がいた。

 

肺に溜まる痰が自力ではとれなくなったのだ。

原因は明らかになった。

栃木 那須の寒村で7人の子供の中で次女として生まれた。

高等小学校を出ると桐生の織物工場で働いた。

その時吸った繊維が肺に付着

それから私が中学生の頃、貧しい家計を助けるため

着物の縫いつけの仕事を家でしていた。

冬になるとお袋が毎夜寝床で咳が出て苦しんでいた。

88歳の年齢では筋力の衰えが著しい。

30分おきに看護士さんに吸引してもらわなければならない。

 

病院が代わったこと、遺漏による栄養分が変わったことも原因。

他は何処も悪くないのだ。

3人でベッドに横たわるお袋を見詰めた。

うとうとしている。

段々に老衰して眠る時間が多くなるのだ。

走馬灯のごとく幼い日々が回転する。

私が保育園で滑り台から落ちて左足を骨折した。

小さなお袋は私をおぶって毎日整骨院へ連れて行った。

 

27年前 5月7日、越後湯沢で客死した親父。

前の日 お袋に「行って来るよ」と言った。

翌朝9時、電話で旅館のお上さんが「湯上り直後にお亡くなりなりました」

兄と二人新幹線に飛び乗り残雪残る谷川岳の山間の旅館で対面

旅館の先祖代々の短刀を胸の上に両手に持ち

風呂上りの浴衣姿の清潔な死に顔だった。

マイクロバスの葬儀車で新潟から横浜の実家に運んだ。

自宅で棺桶に泣きすがるお袋。

下の弟が独身だったので、そのことを心配していた。

親父はあっけなく何も言わずに逝ってしまった。

親父は体の弱かったお袋を心配していた。

お袋の健康長生き祈願のため巡礼の旅に出た。

それが身代わりのごとく自身が先に三途の川を渡ってしまった。

旅行先、最後の写真は新潟長生きの泉の前での写真だった。

親父はお袋がやって来るのを待っている。

長い病床生活のお袋はそれでも生きたいという。

 

お袋貧しい出自を思えば傍目には幸福な介護生活に見える。

松涛の高級介護ホーム、大学病院の安心治療

残念なのは息子3人でお袋の世話が出来ないことだ。

私は次男で生まれたが3人目は女の子が生みたかった。

弟が生まれたてので、がっくりしたのを産婆さんに怒られたそうだ。

だが末っ子を一番可愛がった。

娘が欲しかったと嘆いていた。

 

私の妻は妹と手分けして泊りがけで実母の介護している。

男3人は役立たたずだ。

 

余命旦夕迫る。

 

 


ガラスペン 突然やって来る。

2012-09-22 16:47:11 | 日記

9月18日(火)午前11時 イタリアから商品が届く。

イタリアからの荷物はある日突然にやってくる。

イタリア トスカーナの田舎の郵便局から発送。

送り状、INVOICEもメール送信されるが

日本では追跡調査は出来ない。

ラテン民族のおおらかさだから致し方ないが

日本人の緻密、正確、期日厳守、過剰品質とは

およそかけ離れたビジネス感覚。

納期指定のキャンペーンでの使用は無理だ。

 

テレビ番組深いい話でガラスペンが取り上げられて

当日から、弊社サイトとアマゾンで注文が殺到。

瞬く間に在庫切れになった。

http://www.sanshoright.co.jp/shop/products/list.php?category_id=47

 

ガラスペンと同様に羽ペンも売れる。

関西の高級紳士服店からも追加注文が入る。

 

中国製品の不良、破損がおおいのは当たり前だが

イタリアからの荷物も荷造り梱包が雑なので

慎重に検品作業する。


丹沢をジョギング?

2012-09-21 17:10:01 | 日記

9月17日(月)敬老の日 私は既に敬老の年齢なのか?複雑認めたくない!

認めない事こそ老人 認知症?

8時20分、船橋駅着く。新宿駅で九時20分発、急行藤沢行乗車。

相模大野で急行小田原行乗り換え10時25分鶴巻温泉着く。

駅前コンビニで、900ミリリットルのポカリスエット購入。

弘法山に向かって歩き出す。

10時54分、入山口標識まで来た。周囲の地面を見渡す。

あった、あった、杖になる手頃な枝が落ちている?

下山した登山者が捨ててゆく。

登り初めは脚の動きが悪く呼吸も苦しい。

大学山岳部時代もスロースターターでいつも遅れ気味だったが、30分程経つと脚、呼吸もリズムに乗り他部員よりピッチが速くなる。

コナラの実が落ちる急登を顔面汗吹きだしながら杖突き、ゆっくりと上を見ず足下の石と根っこに注意しながら登る。

長い地中暮らしを抜けて蝉が一夏を命懸けで生き、

鳥のさえずりが木漏れ陽の樹林を飛び交う。

谷間の底からかすかな沢音。

あえぎながら登っていると上から人声。

カラフルな登山着の若者達が駆け下って来る。

道脇で待つ。「こんにちは」と挨拶して男、女が次々と駆け下り、登りも駆け登る。

45年前の自分に思い馳せる。

昔はハイキング、今はジョギングと呼んでいいのだろう。

11時45分、分岐点の標識まで登った。

弘法山方向と蓑毛、大山方向の山道に分かれる。暫く思案。

 

弘法山は二回登っているので、蓑毛、大山ルートを選ぶ。

   

距離長く時間もかかるが気楽な一人旅。

急坂を一時間程休まず登り、12時41分、念仏山頂き到着。

    

展望が開け秦野市街は見えるが相模湾は霞の中。

鷹取山へ歩き出すと豪雨、雨避けは帽子のみ。

石と木の根っこが剥き出しの赤土道が小川となり赤泥流が流れてきた。

ジョギングシューズに染み込む、黒Tシャツはボロ濡れ雑巾。

幸いジャージのトレーニングズボンは水弾き、脚は冷たくない。

鷹取山頂が近くになった。

 

後ろから二人が軽快な足取りで登って来た。

青年が瞬く間に追い越して行く。

13時42分、頂きに着くと追い越された青年達がおにぎりを食べていた。挨拶した。

青年達は大山まで登ると言う。

私の年令を聞いて一瞬戸惑いの目をした。

逞しい体躯の青年が微笑みながら

「平地でジョギングするよりも山登りするのが、ずっと健康の為には良いですよ」。

私は頷く。

「亀は休んでいたら下山口に着くのは夜なるので、お先に行きます」。

下りの滑り易くなった赤土道を枝木の杖でバランスとりながら下った。

豪雨は収まり木の葉の間から陽が差し込みだした。

14時半 舗装された林道に出た。

大山へ5キロを示す標識があった。

蓑毛方向を示す標識はない。

※拾った枝木の杖

 

青年2人が下りて来るのを待った。

暫くして軽快な足取りでやって来た。

「蓑毛はこの舗装された林道を下れば着きますよ」

私のずぶ濡れの装いを眺めて、一人が心配そうに

「その濡れた衣類では冷え切って疲労で動けなくなりますよ」

「くれぐれも慎重に下りてください」

「有難うございます」

山中深い道で優しい青年の言葉に感謝した。

幅広い林道に陽が射し風が吹く

ずぶ濡れのシャツは湯気立てて乾いていく。

15時20分 蓑毛へ下る表札まで来た。

今度は山道600メートル下れば蓑毛だ。

15時33分、熊出没の看板まできた。

先日 伊勢原の住宅地に出没と新聞報道された。

15時48分 蓑毛バス停に到着。

16時発秦野駅行きバスに乗車。

乗客は私一人。

秦野駅から水無川沿いを15分程歩き万葉の湯に入った。

露天風呂に浸かり、足腰の整体を40分

寝入ってしまった。揺り起こされた。

18時、畳みの食事処で生ビールを飲む。

ラーメンと一口餃子を食べる。

私は日帰り登山だと朝、昼の食事はしない。

900mlのポカリスエットを半分程飲んだだけで

一切口にしない。

体調不良でもない限り脂肪の燃費も上昇

古くなった水分も抜け調子良くなるのだ。

又 下山して湯に浸かった後のビール、酒、肴が旨い。

19時20分 小田急秦野発19時30分急行新宿行きの乗車。

 

私の兄が秦野に居住しているので電話した。

予備校講師の兄は今日は休みで自宅にいた。

98歳の義母の介護で奥さんが留守。

娘が体調不良で今看護しているので自宅から出られない。

同じく秦野に住む高校時代友人に連絡したが

89歳の母親を見舞いしているので出かけられない。

団塊世代は既に現役退いたが、親の介護が待ち構えている。

団塊世代は人口が多いので兄弟手分けして介護が可能。

しかし団塊世代が介護されるようになった時

子供は面倒見られるだろうか?

車中でそんなことを思った。

往きは颯爽、帰りは酔い酔い!

 

自宅には22時着

心身が欲求する山、樹林、沢 空気に浸ると

寝床で心身が癒されて眠りに入れる。

満足でした。

 翌日朝

体重は3キロ減

血圧 上124 下76 脈拍73

全てが下がっていた。

 


宵闇の交差点。

2012-09-16 17:35:35 | 日記

9月13日(木)17時49分半蔵門線渋谷駅を出た。

雑踏から吐き出されて

有名な交差点に立ち止まり、東急文化村を確認。

陽射しが落ちはじめ、店のライトが灯りだした。

群れ行き交う若者のファッションスタイルに瞠目。

文化通りを歩き山手通りまで来た。

地図見た、三ヶ所ある建物が山手通りを挟んである。

信号渡り本館に行った。

フロントで用件は伝える。

「先週、入院しました母親を訪ねて来ました」。

名簿を巡るが該当者の名前は無いと言う。

私は具体的に状況を話す。私が勘違いしていた事に気付いた。

建物の最上階にホスピタルと看板があるが、一般的な病を治療する病院ではないのだ。

山手通りを挟んで本院 分院、新院があって

お袋は今年4月オープンした松涛にある新院に入ったのだ。

ホテルのロビーと間違えそうなフロントで受付。

2階にいるのだがエレベーターで上がった。

後で分かったのだが実兄が見舞いに来ていて階段で下りたので

すれ違いしたのだが遇なかった。

トラックが通れそうな幅広い廊下

看護室前の4人部屋の奥に酸素吸入器を附けた

お袋が横たわっていた。

 

近くの大学病院に約八ヶ月も入院した。

本来、長期入院は認められないのだが特別計らいだった。

今度のホスピタルは大学病院の近くで連携している。

ここに入院すると殆どが生きて戻ることがない

終末医療の場所なのだ。

お袋は苦しそうだ。

酸素吸入器が度々外れる。

直そうとするとお袋が口を動かすが聞き取れない。

7時半 弟と大学病院副院長の嫁さんが来た。

 

私は帰ることにして妻が作ったサラダドレッシングを弟に渡した。

保冷材をいれたので4時間は大丈夫と告げる。

20時 お袋に「帰るよ」と声かけるが反応はない。

 

暮れなずむ文化村通り渋谷駅に向かう。

左右の通りの洒落た小店から宝石のようなイルミネーションが煌き

華やいだ若者が肩寄せ合い通りすぎていく、

宵闇の灯りの下で甘美な幻想に浸る二人には

彼らには死ぬことを想像などまだ遠いことなのだ。

 

およそこの世のことで、いつまでも変わらぬものはなにもない。

道があり、通りがあり、曲がり角があり、路地があり路地裏があり

人々が歩いていく。

どこへいくのか、誰もほんとのことはわからない。

 

人はいつか死ぬ。

死ぬことに失敗はないのだ。