馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

ガラスペン。

2012-08-22 09:21:05 | 日記

8月21日(火)先日 テレビ番組 深いい話 放映の中で

ガラスペンが取り上げられた。

放映直後、弊社のネットとアマゾンに注文が入った。

テレビ放映のガラスペンは日本製で高級品

弊社にはイタリア製で価格はリーズナブル

 

大量注文だがイタリアからガラスペンが届いた直後だったので

品切れにならなかった。

 

テレビ放映で、コマーシャルではない扱い商品は反応が早い。

全国展開のネット注文は日本国内であれば翌日か翌々日には納品できる。


オリンピック メダリスト 銀座パレード。

2012-08-19 17:00:25 | 日記

8月20日(月)午前11時 オリンピック メダリスト

銀座 パレード

  

弊社 女性が業務命令で見に出かけた?

          左の後ろ髪が沢穂稀さん

  

今後、パレードが開かれる可能性は分からないので

是非 写真を撮って来るように言ったが

50万人の人出だった。

  

日本 頑張りました。

左の後ろ髪が室伏さん

  

政治、経済も執念で立て直して欲しい。

 

 

  

昭和57年

サラリーマン 最後の場所が銀座4丁目にあった外からガラス張りのエレヴェーター見えたビル。

6階がショールームになっていた。

立ち仕事の女子社員の為に、休憩室を中央通り側に休憩室を作った。

畳敷きで窓辺から4丁目の交差点と和光、三愛が見えた。

事業部長はこの休憩所が自慢で取引先が来ると

寝転がる女子社員を起こして見せていた。

当時、大銀座祭り、光のパレードがあって

ここから眺めた。

経済成長目覚しい時代。

華やかだった銀座が懐かしい。

 

 


漁港の朝市。

2012-08-19 16:12:50 | 日記

8月18日(土)午前10時、漁港にある漁業協同組合で朝市が開かれている。

場内に入るのは初めて。

  

入場者は少ない。

 市場の方が魚のサバキカタを教えていた。

魚は鱸を使用。

オジサン達6人が教えられている。

私も料理が上手であったら習いたい。

  

ホンビノス貝と地元の三番瀬海苔を購入。

 

岸壁ではピザを焼いている。

オジサンバンドも昔のグループサウンドを懸命に演奏。

 

船溜まりではハゼ釣り。

  

製麺工場でラーメンを購入。

 

昼飯は ラーメン

地産 地消だ。 

打ち立ての麺、煮干しのミール、昆布、ホンビノス、海苔

  

化学調味料を使わない麺は旨い。

スープは飲み干せる。


迎え盆。

2012-08-18 23:20:13 | 日記

8月15日(水)柳橋事務所で14時より迎え盆をした。

8月初めに学生時代同期のアイスマンからメールがきた。

「お盆にあいつの墓参りして一杯飲もう」

私は返信した。

「墓参りより、お盆なので墓にいるよりも我々で迎えてあげよう」

同じく同期のボディー・ボーマンも誘った。

 

学生時代同期が亡くなって二度目のお盆が巡った。

61歳独身のまま食道癌で旅立ち、2010年6月25日が命日。

酒豪だった彼が初富の墓で寂しく墓石に置かれた杯に注がれる

酸っぱい酒飲むよりも、外出して仲間と飲ませたい。

両親既に同じ墓に同居、この世の家は既にないので

盆に帰るとしたら私と一緒に仕事した柳橋事務所で迎えてあげたかった。

 

亡くなったあいつの妹様からも「兄が生前住んでいたマンションが火災被害に遭い、その後経過を聞いてきた」

15日に迎え盆をすると伝えたところ「是非参加したい」との言葉。

 

ところで前述のカタカナ名はニックネーム。

アイスマンは別称で昨年まで「アイズ、マン」の社名で商売をしていた。

自分の日本名を英語風に加工したのだ。

 

最近又、本名で商売を再開した。

本名が社名になったのであだ名で呼ぶことにした。

 

20年前 ヨーロッパアルプスで氷河から五千年前の冷凍遺体が発見された。

 

世界的に貴重な冷凍遺体はアイスマンと呼ばれている。

骨と皮だけ、色黒い写真を見た時、咄嗟に思い浮かんだのが彼だった。

彼は5年程前 胃癌になり胃を少し切除した。

そのため、痩せだして現在は中学校の理科室にある

骨格標本のごとき体になってしまった。

しかし、今でも酒は大量に飲み、胃袋ないからそのまま通過する。

煙草もスパスパ!

   

もう一人 ボディー・ボーマンは昨年 帯状疱疹になった。

ストレスからなる病らしいが本人は○○○士という自営業をしているが

ストレスはなかった。

治ったらしいが、右腹が大きく膨満したのだ。

病院に相談したが「別に異常はないと言われた」

女性看護士が膨れた腹を見て「ぷっ!」と笑いをこらえるらしい。

腹の膨満は少しずつ減少しているらしい。

 

別名 ボディー・ボーマン(腹ボテ、腹膨満)

プロレスラーのハルク・ホーガンとはおよそ似ていないが

尚、彼ら二人からニックネームを無許可で作ったが

了承は得ていない。

不服申し立てがあれば、速やかに修正、削除を行う用意あり。

最も、他人のニックネームとやかく言える立場ではない。

私も西瓜的老板という中国名のあだ名が付けられていて

腹が西瓜のように出ている。

諺 「鵜の黒さをあざ笑うカラス」

自分の黒さを忘れて他人をコケにする、バカにする。

自戒する。

 

午後2時 ボディー・ボーマン、アイスマンがそれぞれ酒持ってやってきた。

息子がつまみの用意をしてくれた。

午後3時、埼玉県入間市から彼の妹さんが酒の肴を持ってきた。

亡くなったあいつの合気道部同期からも電話でメッセージをもらった。

神田川と隅田川の合流点、屋形船、クルージング船が行き交い

正面にはスカイツリーが見える窓辺で迎え盆の飲み会は開かれた。

神田川の柳橋を渡った真向かいは料亭亀清楼

先日の毎日新聞のコラムにジャーナリスト牧太郎が書いた。

初代総理、伊藤博文がこの料亭で寝泊りして湯屋に出かけた。

佐藤栄作初め大物政治家が使った料亭。

だが、今は寂れて料亭も柳橋芸者もいない。

料理とは格段の差があるがビール、日本酒には殆ど格差はない。

眺望としては弊社の窓辺が、より優っている。

 

オジサン達の古い思い出話は擦り切れそうなテープレコーダーのごとき

同じ話は繰り返される。

 

室内はクーラーだが、窓を少し開け、彼が入って来られるようにと

涼しい川風を通過させた。

 

私にとって彼の早すぎる死は衝撃だった。

51歳で脳腫瘍により亡くなった山岳部同期が再来したようだった。

その親友も寡黙だったが、さりげない優しさがあった。

その死から10年経って私の傍に来たのが彼だった。

やはり寡黙だったが静かな思いやりがあった。

 

病状が深刻化していた春

しゃべることの出来ない彼からメールが来た。

「負けるな孤高のアルピニスト、上を見たらきりがない、起き上がりこぼしのお前だ」

余命旦夕迫った日々の中で、私への励ましメールに耐えられなかった。

私が九段スズキ本店 長野に騙されて苦境にあった時だ。

刻一刻迫る死の中で私を元気づけたのだ。

ケアマネジャーの女性が私に顔を背け呟いた。

「夏になる前までの命です」

 

19時、スカイツリーにLEDライト照明が青く煌いた。

 

19時半、あいつも初富の墓地に戻り

私たちも饗宴を閉じグリーンライトの柳橋渡りそれぞれの自宅に帰った。


蒙古タンメンを食べる。

2012-08-18 17:10:15 | 日記

8月17日(金)18時 柳橋事務所をでて両国橋渡り

夕方だが、蒸し暑さの国道14号をユニクロ短パンとVANの半袖シャツ、タケオキクチの麦帽子、ABCマートの皮製ウオーキングシューズと冠山の鞄を持ち歩く。

事務所出る前にデザイナー女性に「この格好だったらホームレスに間違えられないか」?

デザイナー女性 大きな目で見詰め、笑いをこらえた表情で

「大丈夫ですよ」!

これから歩く道沿いに交番が三つある。

錦糸町駅を過ぎ亀戸駅まで来た。

駅ビルアトレ1階で体を冷やす。

駅ビル名は以前エルナードだった。

私がサラリーマンしていた30歳の頃

亀戸駅ビルオープンのため広告会社と企画に参加した。

オープン前にオシャレな布巾を10万枚製作して

近隣に配布した。35年前のことだ。

暫く駅ビル内で汗を拭い、再び線路伝いに平井へ向かう。

5分ほど歩くと赤の電飾看板が見える。

「蒙古タンメン 中本 亀戸」

 

店に18時50分着 約50分歩いた。

店内の自販機で迷っていると店員さんがきてガイドしてくれる。

辛い麺は大丈夫か?聞かれたのでOKと答えた。

看板メニューで代表的な蒙古タンメンとビールを頼む。

カウンター席は、ほぼ満席、ビールはアサヒスーパードライの缶がでてきた。

前々から一度蒙古タンメンを食べたかった。

そのために汗掻きと歩いてやってきたのだ。

隣に座る夫婦は汗掻きながら食べているが

奥さんが途中でギブアップして旦那に譲っていた。

暗いオレンジ色の具材が入った丼が置かれた。

   

一口スープをすすったがそれ程の辛さは感じない。

麺も食べ、缶ビールも飲む。

徐々に辛さが舌に伝わる。

麺とスープとビールと水を順番で口に入れる。

25分程で食べ終わる。スープは残した。

息子にメールを送った。

「蒙古タンメン 只 辛いだけ、味に深みがない。

これだったら、銀座三原のタンメン、浅草橋天竜のタンメンが格段に旨い」。

不味いわけではない。私の口に合わないだけで若い方には受けるだろう。

食べている最中に居酒屋あんこうの店主からメールが入る。

「あの方が九州から戻ってきた、足がある」

一瞬 うん?

 

居酒屋あんこうに来る馴染み客で6月の末、癌治療で九州の大学病院で

治療を受けると聞いていた。

7月過ぎて、8月半ばになるのに店に現れないので

店主と「もうこの世にいないのでは」?話していた。

早速、亀戸から乗車してあんこうに行った。

その方は既にいなかったが、奥さんと二人で来て

旦那はチューハイを薄くして一杯飲んだだけ。

以前 威勢が良くバンバン飲んでいた。

帰り際、奥さんがそっと店主に囁いた。

「食道癌も併発して年内までの命」

夫婦は再婚同士、二人の間に子供はいないが

最初の結婚では互いに子供はいる。

幸せそうな他人の人生 一皮めくれば混沌の人生。

ベッドに横たわれば、あてもなく過去へ漂い

刻迫る恐怖を解消するには何かで予定を埋めなければならない。

日毎弱り続ける心身は何もさせてくれない。

お酒の上澄みも飲めなくなる。

私の同期がそうだったように。