馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

パワハラ自殺する前にやる事がある。

2012-08-12 17:01:29 | 日記



パワハラ自殺 労災認定
パワハラ上司の言動
「次、同じ質問して答えられんかったら殺すからな」
「お前が飛び降りるのにちょうどいい窓があるで、
死んどいた方がいいんちゃう?」
「自殺しろ」
上司の暴言どうり自殺した。


「プロローグ」
私もサラリーマ時代に上司から
起業してから、取引先に担当者から
全く同じ罵倒された。
 暫し少年時代を回想した。
私は10代の時自殺した。
憶えている事は三つ。
一つは口から、喉に何かを突っ込まれ
死ぬ苦しみでもがくが手足が動かない。
二つ目は 小さな部屋にいた
ベッドで再生した。
日数は憶えていない。
三つ目は、退院する時 母親とタクシーに乗った
途中急坂にある本屋に停車して
モンテクリスト伯(巌窟王)本を買った。
現在も保存。
何故自殺したのか動機は記憶が消し飛んでいる。
苦しかったのは、胃袋の毒薬を吸いだすためだった。
保存した本の発行日は1961年 (60年前)
再生があってから、心身が激しく胎動した。
少年が青春を迎えたのだ。
そうして 波乱万丈起伏にとんで
74歳まで生きてしまった。
再生して心身に刻まれたのは
怨みで自殺する覚悟になったら
相手に仕返ししてから自殺することだ。
どうせ死ぬだから、冥途へ記憶を携えて
三途の川を渡る。
続く
下記は9年前のブログ



再掲ブログ

いじめ!

2012-08-12 17:01:29

イジメ報道を新聞 テレビ、ネットで読む、見る。

詳細を知ると憂鬱になる。

 

私が小学生の頃はどうだったか?

思い出してみる。

 

学校でイジメられることはなかった。

戦後 直ぐで子供も貧しかった。

家庭環境も格差は無く、総じて低流なので同級生同士の喧嘩はあったが

イジメはなかったような気がする。

 

只、近所で遊ぶ集団があり、小学校6年生から2年生位までが

徒党を組んで遊びや悪さをした。

 

私は小さい頃 変人と呼ばれて近所のガキ達にからかわれた。

ガキ大将に従わないので仲間はずれに度々された。

石を投げつけられると、追いかけていた。

悪餓鬼たちは一斉に逃げた。

 

ある日 ガキ大将を階段から突き飛ばして大怪我させた。

お袋が病院へ連れていった。

お袋は何も言わなかったが、保険治療できずにお金がかかったことを

成長してから知った。

 

又 別の集団のガキ大将が自転車で通りかかり

私をからかった、私は追いかけ、体ごと自転車に体当たりして

ガキ大将をドブに落とした。

当時はマンホールなどなく 大きなドブ川があって幅は2メートル

深さは2メートルあったようだ。

溺れ死ぬ可能性もあった。

今だったら、悪餓鬼が正義で私は問題児で少年院へ送られただろう。

それから その集団と道端で遇っても互いに黙って通り過ぎた。

なぜ ガキ大将が徒党を組んで、私をイジメないかというと

一人になった時、必ず私が突然襲いかかるの分かっていたからだ。

私は小柄だったが足が速く体育だけが得意だった。

小さいから大きな子供の足腰にぶっつかるので

ガキ大将は不意打ちを食らって倒れてしまうのだ。

 

今の子供達にイジメ対処として教えること出来ないが

殆ど必ず、苛める側は複数で苛められる側は一人なのだ。

グループが一人になったら何も出来ない。

 

意にそまない事には従わない性格は60歳過ぎても変わらず

人生で度々衝突して苦しんでいる。

 

只 中学生二年の時、1年生にすごい悪がいて

公園でからかわれて頭をポカリと叩いたことがあった。

当人は驚いて叫んでいたが無視した。

後年、新聞を読んでいたら

「厚木基地の米軍兵士をスナック内の揉め事で日本刀で刺し殺す」

犯人の氏名はあの頭ポカリした少年だった。

 

高校生になってからは、一人教室や廊下で足掛けするのがいたが

倒れることはなかった。

しつこいので、相手が足掛けしようとしたので

股の間に左手を入れて、右手で首を持ち、廊下の壁に一緒に激突した。

相手の頭が先に壁にぶっつかったので私はなんでもなかった。

廊下で倒れたまま動かなかった。

誰もが知らん振り、何事もなく授業が始まった。

それ以後、その男は遠くから戸惑いの目で見詰めるようになり

決して近づかなかった。

 

世の中に出ると、いかんともし難いイジメはある。

パワハラ、セクハラなど生きていくには逃れられない。

特に大人の世界のイジメは陰湿だ。

 

私のこと分かっている人達は、私が切れると怖いのを知っているので

下手な手出し、言動はしないが、

時折、見くびって馬鹿にする対応する連中がいて

私から思わぬ反撃を食らってうろたえる。

 

イジメの対処法ない。

環境を変えるか、相討ち覚悟で不意打ち食らわせて

引き分けにする。

 

限度を越えると犯罪になる。

 

イジメの克服と仕返しのためにボクシングで世界チャンピオンになった

内藤大助のようにじっと長い年月耐えて見返した。

 

60数年人生やってきて、大人でも、道理の通らない意地悪、嫌がわらせ、イジメ

するのがいるが、決して得はしないだと思うのだが

周囲には必ずいる。

 

会社勤めして、不正追求して逆に苛められたが、耐えて逆襲した。

労組の書記長だった時も、陰湿な報復があった。

決して屈服しなかった。

 

独立して、取引先に私を不正に利用しようとした幹部がいた

犯罪を犯してまで金儲けする気はなかった。

拒否すると虐めを受けた。

やもうえず不意打ち手段を使って反撃した。

相手側は元警察官僚と大物右翼まで出てきた。

不正はなかった、何もなかったことにして解決した。

 

この自分の生き方に私自身苦しんでいる。

逆にこの怨念なのか執念なのか分からないが

遣られたら何年かかってもやり返すという

心のマグマは深く隠し持っている。

 

でもね、応援してくれる方々は一杯いるから

貧乏でも楽しい!


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