馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

56年前 元旦 僕は北アルプス 立山にいた。

2024-01-01 10:20:22 | 日記
友人達から新年のご挨拶のlineを頂いた。
愛媛の元山女の方から住まいの窓辺であろう
半島の初日の出の写真とご挨拶を頂いた。

同世代で互いに山々をこよなく愛し
北アルプスですれ違ったであろう。
その青春時代の雪山の写真をライン送信。
僕はまもなく77歳を迎える。
過ぎ去った青春をそのまま消え去る訳にいかぬ。
セピア色のスクラップ帳を開く


56年前の青春に戻った。
17歳で登山に取り付かれ、27歳結婚前まで、
毎年、大晦日から元旦過ぎまで雪山で過ごした。
その間、滑落で左脚はビッコ、右手右脚は凍傷傷跡の残骸。
昨年7月には丹沢山塊で遭難騒ぎ

山馬鹿は、老いても精神は若者

波乱万丈の生き様で、長くは生きられないと思い込んでいた。
幸運もあったが、登山で培った生きる執念だった。
その原点は、20歳での厳冬期北アルプス、立山から槍ヶ岳縦走であった。
大晦日、僕は立山(雄山)の頂きでマイナス16度、突風の中
遥か彼方の槍ヶ岳の穂先を見たのだ。


「生きて帰れるのか」
元旦 雪で埋もれたテントに足指が凍り付くようで眠れず
当時、装備は粗末で羽毛の服、寝袋も無し。
アイゼンも鋳物で雪氷には食い込まない。
サポート無し帰還は20日間予定であった30日間を辿った。
その間 メディアは各家庭に取材
大学側本部は、極度の緊張状態であった。


56年前 色褪せたスクラップ帳を取り出す。
台紙は綻びセピア色にモノクロ写真
1967年(昭和42年)
12月31日 北アルプス立山の頂きに立った。
美女平のケーブルから豪雪の弥陀ヶ原をラッセル
大雪原は白の闇
6日間が経過。
1月1日 マイナス16度の頂きで、北アルプス全峰がジオラマの如く連なる。
スカイブルーの大空とスーパーホワイト山並み
遥か遠くに
槍ヶ岳の穂先を見たのだ。
絶望的な「生きて帰れるのか、氷の中で凍死か」
戻ることは出来ない。
まもなく77歳
当時の山岳部部員も幾人かは物故した。
廃部になった。


54年前 昭和42年クリスマスイブ 立山から槍ヶ岳縦走に出発。
https://blog.goo.ne.jp/kikuchimasaji/e/2fe74391475d60c40a6d6998afdd99db

以下は当時のモノクロ混じりの画像。
物故、行方不明、廃部


















下は上高地
3人は既に物故j
私は右から2人目
左から2人目は前穂高北尾根で滑落死











KEIさん(思いつくままに)作成
落ち着いたら連絡するね!
半生

いつかある日