馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

55年前の時空間に迷い込んだ。

2022-06-07 08:05:48 | 日記

続きです
55年前の街角を求めて彷徨う。
しかし、何処何処にも面影に辿り着かない。
通りは広いが人通りは少ない通路を
女子高生の集団が駅に向かう。
その通りの店看板に記憶がある。

入った。
店内に客はいない。
老婦人が
「いっらしゃい」
背筋が凛とした若い頃は美人であったであろう。
中華そばと生ビールを注文。

この店は 50年前に踏み切りに
「小さなカウンター席の店ありましたか」?
「ありましたよ」
「ここは本店で創業70年」
「この通りは、人が通らなくなった」。
テーブルに出されたどんぶりの中は
当時と同じ。
だが、味は当時と違う?
今では、ラーメン文化と呼称されるほど
バリエーション多種の料理なのだ。
醬油ラーメンしかなかった時代。
人気ラーメンの栄枯衰退は目まぐるしい。
僕が事務補助員をした
小学校に産休の教師の代わりに
臨時教員が派遣された。
女子大学卒業したばかり。
玄関でウロウロする女性を
職員室に案内。
横から縦から見ても
教師には見えず
女子大生そのもの。
仕草、しゃべり方もお転婆娘。
年配教師が多く、独身教師はいなかった。
22歳の女の子と17歳の僕は
必然的に会話がするようになった。
ある時、放課後お転婆先生の教室に呼ばれた。
「ね~ この算数が判らないの」?
それこそ、目が点になるの反対で
黒板の数字を見開いて見詰めた。
そのお礼に、踏み切りの中華そばやで
ラーメンを食べさせてもらった。
お転婆先生は 廊下をハイヒールで横切った。
職員会議では 隣の机であったが
居眠りする。
教頭先生に居眠りを見つからないように
僕は背中でカバーする。
藤沢の邸宅に住み不動産会社経営のお嬢さん。
某日 お転婆先生に自宅から
電話が入る。
お転婆先生は 引き攣った真っ青な顔で
走って駅に向かう。
お兄さんに事故があったのだ。
翌日、事故で亡くなったのを知った。
お兄さんは大手建設会社に勤務。
建設現場で、材木が倒れ
頭を直撃 即死。
明るく振舞う彼女
名前は 朗子 (アキコ)
みんな 朗らか子先生と呼んだ。
僕たちは、江の島にいた。
大橋を渡り、赤い提灯の店店が並ぶ
参道を上がり、相模湾を見渡す広場に出た。
月は厚い雲の陰に隠れていたが
それでも、その明かりで
砕ける波を見た。
砕けた波は一瞬だけ銀色に輝き
岩間に溶けていく。
繰り返し打ち寄る波の音以外何も聞こえなかった。
その時 お転婆先生の頬が僕の頬に触れあった。
僕は初めてキスをしたのだ。
お転婆先生は、耐えきれない絶望に振るえていたのだ。
その回想は巡る。
事務補助員を辞め、
藤沢にある一部上場証券会社で相場の黒板書きをする



僕の面倒をみるのは、生意気な
28歳の女性である。

優秀な女性で、店頭での株式相談を担当。
途中から、きっかけは憶えていないが
優しくなった。
「学校に戻り大学にいきなさい」
憂愁に閉ざされいた10代が終わり
20代へのステージに上がるのだ。
客のいない中華そば屋で
生温いジョッキビールを飲みながら
55年前を立ち戻るのだ。
真っ昼間のアルコールは酔いが早い。
16時 店を出ると雨は止んでいた。
チャージカードで改札を通り
電車に乗る。
車内は空席だ。
眠りへ落ち込む。
気付くと電車は止り
終点だ。
ホームに立ち、見渡すが
見覚えのない空間だ。
駅員が通りかかる。
僕は 話しかける。
駅員は
「あんたが言っていることは判らない」
ハッと醒める。
僕は55年前の時空間にいたのだ。
現代に引き戻された。
横浜駅だ。
横須賀総武線に乗り
19時半着。
ゆっくり、現実社会を確かめるべき
自宅へ向かう海の水門を通った。
妻は、何も言わない。
飲み屋小路で飲んできたと思っている。
歩数計はを見た。

風呂に入り
グラスに赤ワインをミルクで割って飲んだ。
直ぐ 一夜の眠りに入る。

新江の島水族館 BGM:Samuelle 月明かり


晩夏海辺の想い出!
https://blog.goo.ne.jp/kikuchimasaji/e/9240ec1be7fbd8706d0fae1055cd9728
終わり。